第29話

(さっちゃんの寝床は柵に高さがあるから、寝ている間に出てきてしまうことはあまり心配していなかったんだけど…甘かったかぁー。)

「さっちゃん、よく来たねぇ…あれ?」

 寝床を確かめると、そこにいたのは小さな弟だった。

「あ」






「あ…そっか。帰ってきたんだった。」

 ぽけっとしながら、薄暗い部屋の中を見渡す。春先とはいえ、まだ手足がかじかむほどに底冷えする。

 遠く、山の形がぼんやりと空に浮かんでいる。

 朝だ。

「朝だぁ…」


 外へ出て、辺りを見回す。

 空の色が少し薄くなっている。比羅坂のお屋敷にいた時にお天道様を見たのはあれきりだったし、楠木さんのお屋敷は森の中だったから、遠く先の空が白ばんでいくのを見るのは久しぶりだった。

 空の錦が、はためいている。

 まるでご主人様のつくる御衣のようだ。


「おはようございます、ご主人様。」


 なんだか見守られているような気がして、穏やかな心で少しの間空を眺めていた。




 だけど、あんまりゆっくりもしていられない。

 あっという間に家族が起きてきて、朝飯ですぐにわいわい賑やかになった。

 ああ、ここが私の居場所だ。瑞穂の国で味わった風情とか上品さみたいなものは無いけれど、やっぱり忙しくしているほうが性に合うなと勝手に笑えてきた。

 村での暮らしに戻ってきたんだ。

「お姉、俺たち先に畑いくからー。」

「行くよー。」

「あいよー。」


 大きい弟たちは、農具を持って元気に出発していった。冬の前はよろよろと必死になって担いでいたのに。

「逞しくなったなぁ。」

「お姉、母ちゃんみたいなこと言ってんね。」

「え、そう?」

 なんだかちょっと恥ずかしい気もして、いそいそと出かける支度を始める。後から苗を畑に持っていくことになっている。

(お母みたい、かあ。)


 ちょっとだけ、年老いてから年少の弟妹に助けられている自分を妄想した。多分、そうなるだろうから。

 だって、許嫁だったあの男の、手のひらの返しよう。簡単に想像がつく。もう自分に縁談が来ることは無いだろうし、この村を出る予定もない。もしかしたらまた長者さんのところで働き口をもらえるかもと思ったけど、変な噂のついた独り身の女なんか、わざわざ雇うこともないだろう。

 だから、『とにかく、うちの子たちが立派に働けるようになるまで精一杯支えよう』と晩のうちに決心したのだった。


「元気な苗だねぇ。」

「へへ、こっちオレが育てたんだぜ。」

「こっちはね、メイメイが育てたの。こっちのが葉っぱが多いでしょ。イー兄は霜に当てちゃったからねぇ。」

「メイメイ!偉そうな口きくなぁ!」

 真ん中の弟の翼徳イーダァが、そのすぐ下の妹の明明メイメイに殴り掛かろうとするので急いで手を伸ばした。

 翼の首根っこを掴もうとしたところで、次女が藁の束を翼のおでこに命中させて、その間に明明は次女の後ろに身を隠す。

「みんな、動きが素早くなってないー…?」


「お姉がのんびり屋さんになったんじゃないの。」

「私が?」

「あー、分かる。なんていうか、のそのそ?」

「すごいノロマみたいじゃない、やめてよ。」

 翼と明明に言われて、そんなに鈍くなったかと首を傾げる。

「お姉、まだ疲れてるんだろ。なんか変。お姉じゃないみたいだ。」

「翼、どの辺がおかしい?」

「だって蹴っ飛ばされないし、朝走らないし」

「はあ?私そんなこと」


 まあ、してたかもしれないけど?


「冬の間、良いとこのお屋敷に居たからかね…ちょっとはお姉もいい女らしくなったでしょ、ふふん。」

「うん。」

「あら翼、やけに素直じゃない。」

「ほんとにお姉違う人みたいよ。長者さんとこの美人さんより綺麗。」

「明明〜!ありがとぉー。」

 翼と明明をわしゃわしゃ撫で回して、苗を荷車に移す作業にとりかかった。







 畑の仕事から帰ってきて、またワイワイと夕飯を囲む。

 寝床に入って目を閉じると、一日動きまわってくったりとしたせいかすぐに眠気がやってきた。

 ぼんやりとする頭で、小さい子たちの言葉を思い返す。

(私、そんなに変わったかなぁ?)



 夢のような一冬だった。


 美しい御殿。

 麗しい女神様。

 寝食満ち足りた暮らしぶり。

 

 かわいいさっちゃん。

 いつもご機嫌で、育てやすい子。

 毎朝、毎夜成長を喜んで。


 さっちゃんは女神様の御子だから、いつか天から私の村を眺める日があるかもしれない、と思いついた。

 さっちゃんは、きっと綺麗な女神様になる。

 賢いから、きっとたくさんの人を助けてあげるんだ。

 だけど。

(その時にはもう、私のことは覚えてないんだろうな。)



 楽しかったな。

 あっという間だった。

 まだ今は心にぽっかりと穴が空いている。それに、楠木さんがちゃんとできているか考えると、まだ心配ばかりしてしまう。

 けれど。

 きっといつか、ただただ懐かしく思い返す日が来るだろう。

「さっちゃん、おやすみなさい。」





 ひと冬の間、夢を見た。

 しわくちゃのお婆ちゃんになったって、この素晴らしい冬の夢を忘れはしない。


 ありがとう。

 ありがとう、さっちゃん。

 ありがとう、楠木さん。

 ありがとうございます、ご主人様。

 それに栴様と神鷹さんと富貴草たちも。

 みんな、みんなありがとう。

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