第25話
サラサラと爽やかな風が通り抜けていく。
さっちゃんのあんよが冷えないように白の御衣をかけて、お腹をポンポンと撫でる。
「楠木さんなら大丈夫よ。なんでもとにかく心配しすぎなの、楠木さんは。高天原が滅びるなんて、神様の世界が無くなっちゃうってこと?そんなのあり得ないでしょ、ご主人様は」
ただ栴様と仲睦まじいだけ、と言おうとして、不意に胸がきゅっと締め付けられる。息ができない。
(まただ、この感じ。どうしたんだろう、私。)
幸い楠木さんに背中を支えられて、倒れ込むこともなかった。しばらくすると苦しみも過ぎて、ゆっくりと息を吐く。
「ありがとうございます。もう大丈夫。」
「もう少し楽にしていたらいいよ。紗良紗と一緒に少し寝たらどうだい?」
「んー、ではお言葉に甘えて。」
ゆるゆると楠木さんの腕から身を離して、さっちゃんの横にごろんと横になった。頭がじんじんする。
「最近、ときどきこんな風になるんです。私、どこか悪いのかな。」
ふと、母が死んだ日のことを思い出した。
具合が悪くなって、あっという間に弱ってしまった母。最後は痩せて、話すのも一苦労な様子で。
あっという間だった。
だけれど楠木さんは、真面目な顔で一見何も関係ない話を始めた。
「主上から何か、言い付けられているんじゃないのかい?」
「言いつけられてなんていませんよう…ただ」
「あのね。主上は、雪花のご主人様は、特に強い言霊を持つ御柱なんだ。主上がひとたび『こうなる』と口にした言葉は、必ずと言っていいほど成就する。雪花の様子からすると…何かを言ってはいけないと言いつけられているんじゃないのかい?」
雪花、誰にも言わないでね。
ごめんね。
内緒よ、雪花。
ご主人様の申し訳なさそうな顔が、ぼんやりと頭の中をよぎった。
(ご主人様…こうなるから、『ごめんね』って言ってたの?)
半分は理解したように思うけれど、本当にそんなことがあるのだろうか。こんがらがる頭のまま、楠木さんの方を見る。
楠木さんは気の毒そうに声を落とした。
「主上の言いつけは破れない、無理に逆らおうとすれば命をも落とすことになるだろう。決して冗談で言っているんじゃないんだよ、だから何か異変を感じたらすぐに行いを改めるように。言いつけは必ず守りなさい、いいね?」
本当に、そんなことがあるんだろうか。
あの、私とあんまり年頃の変わらないようなご主人様が?
そんな、人をすら殺してしまえるような力を持っているなんて。
(ちょっと信じがたい…けど)
手の甲を空にかざしてみる。
自分が長生き出来る自信があるわけじゃないけれど、かといって今すぐ死ぬかもと思うとドキッとした。
(さっちゃんのお世話を、もうちょっと楠木さんに覚えてもらってからじゃないと。ああ…もう家のことはあんまり心配してないな、私。)
というのは、大きい弟と妹がしっかりしているからだろう。いつでも心配していたのは食べる物が足りないことであって、あれだけのお手当を貰ったんだから一冬どころかその次の次の冬までも苦労せずに越せそうだ。
だけどさっちゃんの周りは、どうなんだろう。
「楠木さん以外は森の獣や鳥たちばかりだもの。楠木さんにはもっともっとしっかりしてもらわないと、私死んでも死にきれない。」
「全く同意だ。だから今の話を忘れないでいておくれ。」
「ふふ、はーい。」
手足をぐーっと伸ばしてみた。強ばっていた身体がだんだんと元に戻っていく。
「でも、それじゃあ、なんていうか…ご主人様って、すんごくないですか?」
「そうだよね。」
「言うだけで叶うってそれ、なんでも出来ちゃう気がするんですけど?」
「そうなんだと、思う。」
「それじゃあどうしてあんなところに?崑崙丘の偉いお姫様はいっぱい召使いが居ましたけど。」
「あんなところ?比羅坂は確かに得体の知れない御殿ではあるけれど…あそこだって天の
「天の御宮って?」
「天帝の
「天帝?」
「雪花、やはり君は自分の主人が誰だか知らないままあそこにいたんだね?」
ご主人様は、すんごい神様なんだそうな。
そして神鷹さん曰く、冬の間ご主人様はあの御殿に居ると。
で、あの御殿は(も?)天帝様のお住まいだと。
天帝って、あれでしょ。
崑崙丘にいる西王母娘娘みたいな。
「雪花がお仕えしていたのは
楠木さんは「薄々感じていたけれども」なんて苦笑い。
「すべるぅ…?あ、ツルッとするってこと?」
「高天原で一番力のある天津神ってこと。」
「あへえ?」
ご主人様の方が?栴様じゃなくって?
そんな偉い神様だったなんて。
(神鷹さあん?)
あの時、神鷹さんは何も教えてくれなかった。
(神鷹さん、それくらい教えてくれたってよかったじゃないのよ!!!私だって知ってたら、もうちょっと色々気をつけて)
神鷹さんの顔を思い浮かべながら、一言文句を言ってみる。
頭の中の神鷹さんは何も言わず、顔色も変えないのだった。
「なんで?なんで誰も教えてくれなかったの?」
「それは…なんとも」
楠木さんも困ったように言葉を濁すだけだった。
今更ながら、一人だけ頓珍漢で見当違いで、ひどく場違いだったのだという思いに駆られる。
それはとても恥ずかしくて、どうにも悲しい心地だった。
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