第21話

 瞬時に現れた神鷹さん。

 と、その他にも二名ほど。

(神鷹さん三人いると、けっこう迫力があるな。)


「申し訳ありませんお騒がせしましたっ!!」

 楠木さんはひっくり返って床に向かって話す。





「神鷹、私の早とちりだった。紗良紗はこの通り…何も障りない。」

 神鷹さんはすうっとこちらをみた。正しくは、さっちゃんを確かめたのだと思う。

 ゆっくりと半身を起こした楠木さんは、ひどく青い顔をしていた。

「頼む、どうぞ栴殿によしなに取り計らっておくれ。ただ紗良紗がかどわかされたと思ったんだ。他意はない、本当に助けを借りないと手に負えないと思って、それで」

「では、紗良紗様はお変わりなく?」

 神鷹さんは、いつもの淡々とした調子で楠木さんに尋ねた。楠木さんはぶんぶんと頷いてみせる。

「そうだ、なにも問題ない。どうぞご温情で捨て置いてくださいとだけ伝えておくれ、頼むよ…」

「承りました。これは栴からの言伝ことづてですが」

「っふぁい!」

 楠木さんの声が、見事に裏返った。


 神鷹さんは瞬きをしたけれど、それほど気になったわけでもないらしい。そのまま続きを話し始めた。

「拐かされたとして、どうかしたいのか、とのことです。」

「どうって…あ…」




「いや…その、確かに…話が違うというのは、そうなんだけれども」

 神鷹さんは静かに続きを待っている。楠木さんは段々としどろもどろになって、口ごもってしまった。

「楠木様、栴が申し上げているのは『どうかしたいのか』ということであって、返答によって栴の判断も変わります。」

「それっ…それってすごい怒ってる?!ねえ神鷹、栴殿嫌そうな顔してたかな!?うわぁぁどうしようっ」

「栴は怒っていません。ただ楠木様に聞いてこいと言われただけです。」

「それもう最後の質問じゃない?!話が違うというのは重々承知しているよっ!ただ、紗良紗が急に見当たらなくなって動転したんだっ…だから」

「それで、どうして欲しいかを教えていただけますか。」


 顔色ひとつ変えずに答えを待つ神鷹さんを前に、楠木さんは憔悴気味に呻いた。なんですぐに言えないのかと、堪らず代わりに答える。

「探すのを手伝って欲しかったんです。でしょ?楠木さん、しっかりしてください!」

 栴様も神鷹さんも、どうしてこんな簡単なことをわざわざ確認するんだと苛立たしい気分もあった。

「雪花っもともとは、確かにその」

「さっちゃんを育てるつもりが無かったのは私でももう分かりますよ、流石に。でもさっちゃんはこんなに元気だし、食べるものだってあるんです。口減らしする必要なんてないでしょう?!」

「待って待って!育てる気はあります!すごいあります!口減らしなんてしないよ?!」

「楠木さんの嘘つき!じゃあなんでお世話全然できないの!」

「それは!それはっそれは…いやでもね!天津神はそもそもこんなお世話とかしないんだよ!現状がそもそもの想定からすごく違ってて」

「じゃあどうやってあのぐるぐる巻きから育つの?!意味わかんないけど!」

「それは天のお導きだから!」

「あほかー!待ってるだけでこどもが育つかいな!赤ん坊なんて放っておいたらすぐ死んでしまうわ!!」


 なんと楠木さんはさっちゃんを見つめながら泣きそうな顔をして「そうか」とだけこぼした。

(冗談でしょ…それも分かってなかったなんて、ある?)

 



 あまりのことに言葉を失っているうちに、楠木さんはふう、とため息をついた。

「まことにありがたき天のお導き。神鷹、私は雪花から教えられてばかりだよ。そしてすっかり、紗良紗がかわいくて仕方がなくなってしまったんだ。しばし紗良紗と共にありたいと、今は思っていて…それで取り乱したんだね。ははは…」

 楠木さんは話しながら少しずつ肩の力が抜けて、神鷹さんにふにゃりと笑いかけた。

 かと思えばキュッと顔つきを引き締める。

「でもお導きに逆らうことはないよ、全て天の仰る通りに従いますと伝えておくれ。今回のことはお騒がせして、ただただ面目ない。」


「あうー。」

「あ。さっちゃんごめんね、今お話中だから」

「あうあー。」

 さっちゃんが身を捩るので、降ろしてほしいのかと思ってそっと仰向けに寝かせる。

「かしこまりました。」

 神鷹さんはすうっと一礼して、後ろの同行者と目配せした。もう帰るんだろうか。

(最後までこの調子だったな。)

 楠木さんも挙動不審だけど、神鷹さんももう少し笑顔を見せてあげたら、まだ怖がられないんじゃないかなと思う。


 だけれど、さっちゃんは神鷹さんに対しても物怖じしないみたいだ。楠木さんよりよっぽど肝が据わっている。寝かされた状態から、そのまま両足で床を押して前進し始めた。

(あ、こうやって動いてたんだ。)

 まだお話し中なので、御衣の裾を掴んでこれ以上どこかへ行ってしまわないように捕まえておいた。



「ではそのように」

「あぶぅぅー。あばぁばぁば。ぁぅあぅ、あーう。ぁうぁう、ぁぶぅー。」

「お伝えします。」

 さっちゃんに遮られても、神鷹さんは眉ひとつ動かさない。一礼するところまで流れ作業のようにこなした。

 ここはひとつ、さっちゃんのために私も頑張りどころだ。

「神鷹さん、一つお願いがあります。」

「なんですか、雪花。」

「さっちゃん、紗良紗様に新しい御衣を何か用意してもらいたいんです。私が仕立てようと思ったんですけど、さっちゃんはこの通り、目が離せなくなっちゃったので。」

「新しい御衣ですか。」

「そうです、動きやすい、短いものを」

「それは!雪花っ」

 いきなり楠木さんに被せられてちょっとびっくりする。

「それは駄目なんだよ!」

「楠木さん?」

「神鷹、深い意味はない!雪花はただ、知らないんだ、何も知らないだけなんだ!聞かなかったことにしておくれ、もうお帰り。」

「なんですか楠木さん、もう。」

「いいから、とにかく今は神鷹に帰ってもらおう?!」

「楠木様、雪花に弁えさせる必要はありません。雪花が入り用だというならば、なんでも持って行けと言われております。」

「えぇえ?!」

「さすが栴様、どーんと構えてますねぇ。楠木さんもちょっとは見習ったら?」

 あはは、と笑うと楠木さんは「栴殿じゃない」と小刻みに首を振る。

「天の御心は実に限りなく広く、お優しさにいたみいります、入り用がありましたら改めまして」

「だから新しい御衣が欲しいんですって、できれば早く。だって、見て?さっちゃんの足すーごい力ですよ。すぐハイハイして、歩いちゃいそう。歩く時にこんな長いのは危ないでしょ?」

「あぶぁぶぁー。あばぁばぁばぁばぁばぶぁぶぁーあうぅぁう。」

「なるほど。」

 元気いっぱいのさっちゃんを確認して頷く神鷹さんを傍目に、楠木さんは飛びかからんばかりに前のめりになって神鷹さんと私の間に割って入った。

「ちょっちょちょ!もうちょっと相談しよう?本当に主上にお願いすることかな?違うよね?!」

「楠木様、雪花については栴からの命で、私が何でも言づてるように言われております。どうぞ気兼ねなさらず。」

「えぇぇぇ本当に?!あ、主上に命じられてるんだよね。」

「失礼ですね、栴が自ら進んで言い出したことです。」

「ひっすみません」

 神鷹さんはちょっと舌打ちしそうな顔をして、すぐに元に戻った。が、楠木さんにはこれで十分に恐怖だったらしい。


 神鷹さんはすっかりいつもの調子で言った。

「ただ、御子神である紗良紗様がお召しになる御衣となると、何でもいいというわけにもいきません。雪花、一度持ち帰って栴の判断を仰ぎます。まだしばらくはそちらの御衣で過ごせますね?」

「はい。ありがとうございます、神鷹さんっ」

「私の務めです、礼にはおよびません。」


 神鷹さんは他のふたりも連れて、すうっと姿を消してしまった。

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