第17話

(楠木さん…どうしたの?)


 楠木さんは、泣き続ける紗良紗様の前で動けないみたいだ。

(私はなんともないけど、もしかしたら楠木さんは具合が悪くなっちゃったとか)


 居てもたってもいられなくなって駆け寄った。

「楠木さんっどうかしましたか?!」

「雪花…え?」

「どうしたの、どこか悪いの?」

「雪花、君はなぜ平気なんだ…?こんなに泣いているのに」

「そりゃ泣いてるけど、でも普通の泣き声でしょ?発狂しちゃったんですか?」

「あ、あ…正気だと思う…いや、これも幻覚か?私はもう既に」

「葉っぱ一つ吹き飛ばされてませんよ、楠木さん。心配しすぎだっただけなんじゃない?」

「いやでも、この御子の神力によってこの世は既に変わってしまったのでは」

「だから何も起きてないって」

「そんなはずはない!こんなに泣いているのに、どうしていいか分からないなんて…どうすればいいんだ!」

 青い顔をした楠木さんを見て、ほとほと呆れ果てた。もうこいつには従ってられんと悟って、紗良紗様を抱き上げる。

「そりゃ泣くよ、赤ちゃんなんだから!ボケてないであやしなさいよ!」

「あっ!!そっそそ雪花、…無事か?」



 抱き上げた紗良紗様は、懐かしい重みだった。薪や水に比べれば小さくて軽くて、でも心を惹きつける柔らかい重み。御衣の隙間から小さな手が見えた。

 泣き続ける紗良紗様を抱いて、背中をトントンとあやす。

 少しずつ泣き声が落ち着いてきて、でもモゾモゾ動いている。さっと白の御衣を剝ぐと、愛らしい赤ん坊がお顔を出した。いじらしく、懸命に首を動かそうとしている。生きようと頑張っているのだ。自然と笑顔が溢れた。

「紗良紗様、こんにちは。いい子ね。」

 

「やっぱり蛭子…じゃない?!」

「うっさいな!何か食べるもの!お腹が空いてるんですよ、この子。」

「ええと、ええと」

「この!役立たず!」


 その時、足元から小さくて甲高い声が聞こえてきた。

「どうぞ。」


「はい?って、おお…」

 下に振り向くと、そこにはリスがちんまりと立って、こちらを見上げていた。さんざん富貴草とおしゃべりしてきた経験から、幸い跳ね上がらずに済んだ。慣れって大事だ。なんたって今は紗良紗様を抱っこしているのだ、びっくりさせてはかわいそうだ。

(落ち着け。落ち着いて私。イタズラしにきたわけじゃなさそうだし。)

 リスは、青々とした草をたっぷり抱えていた。その切り口から、白っぽい雫が今にもしたたりおちそうになっている。

御饌みけでございます。」

「みけ?」

「ああ、そうか!ありがとう。」

「とんでもありません。」

 楠木さんは早速その草を一本手に取ると、紗良紗様の口元に近づける。とっさに一歩後ずさった。

「ちょっと、その草を?大丈夫なの?」

「うん、食べられるはず。我ら天津神は捧げられた御饌を糧に育つ。私の領の民が持ってきたものに毒は入っていないよ。」

 リスは、楠木さんの言葉に自信満々に頷く。

 不安ながらも、目の前にはこの草の雫しかない。ただ、うまくいきますようにとだけ願った。

 楠木さんが口元に当てた草の雫を、紗良紗様ははむはむと口を動かして吸った。

「…吸った!よし。」

「…にゃぁっ」

「なななに?!だめだった?!」

 驚き跳ね上がる楠木さんを横目に、紗良紗様の様子をよく見る。草の雫が無くなって、もう吸っても出てこないようだ。

「もっと欲しいのかしら…もしかして、気に入ったのかも?」

「えっほんとに?!つぎっ次のをおくれっ」

 楠木さんに草を差し出しながら、リスは「わぁいわぁい」と小躍りして喜んだ。

 紗良紗様は、二本三本と吸い続けて、十本目を吸いながらうとうととしだした。

 そして結局、そのまま眠ってしまった。ポロリと落ちた草を拾って、リスは踊りながら帰っていった。


「かわいい〜…堪らん…」

 思わず呟きながら、紗良紗様が気持ちよく眠れるようにゆっくりと左右に揺れる。弟や妹に口ずさんだ子守唄が、自然と口から出てくる。

「ねんね、ねんねこ、ねんねこねんね。さっちゃん、いい子でねんねこよー…ふふ。」

「さっちゃん…」

「んふふ。いいでしょ、いちいち様付けしてたんじゃ呼びにくいったら。」

「私の領の中だけにしておくれよ…?」

「はいはーい。」



 澄んだ森の匂い。優しい風が木立を揺らす。赤ん坊をあやすように、葉っぱが擦れる音が心を和ませた。

「楠木さんは頼りないけど、ここなら子育てできそう。いいところですね。」

「う…これからよろしく。」

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