第16話
「あ、なんだか懐かしい。あはは。」
故郷の森とは違う木々の香りなんだけど、どことなく落ち着く。小鳥の鳴き声に葉っぱが擦れる音。薪を採ったり木の実や山菜を採ったり、森は毎日の暮らしに欠かせないところだった。
「それは良かった。ここからは私の領だ。もう好きにしていいよ。」
そう言いながら、楠木さんは「はあぁぁーー」と大きく息を吐いた。
「いいところですね、のどかで。」
「ありがとう。これといって何も無いけれど、そうだね、のんびりするにはいいところだと自分でも思っているよ。」
楠木さんが、柔らかそうなふかふかの苔の上に紗良紗様を降ろした。
ふにゃぁ、とまた泣き声が始まった。
「こんなにすぐ泣くなんて…どこか悪いところでも」
「はあ?赤ちゃんなんだから普通でしょ。」
楠木さんはとことん的外れなことを大真面目に言いやがる。強いて言えば、このぐるぐる巻きが良くない。好きにして良いと言われたのだし、さっそく御衣を解き始める。
「そうはいっても、こんなに泣いてばかりいるのはやはりおかしいよ。あ…雪花さん、解こうとしてる?」
「ほんと赤ん坊のお世話したこと無いんですね。元気があるから泣けるの。悪いことじゃないんですよ。外の空気を吸えば気分も良くなるかもしれないし」
「雪花さん、でもっ…解いて、異形の子だったら」
はた、と手が止まる。
「異形…?」
「たまに産まれると聞くんだ、
「…蛭子?」
「蛭子は早かれ遅かれ、黄泉行きになる。
「主上?」
「雪花さんはご主人様とお呼びしていたね。」
「あ、ご主人様のことですか。じゃあ黄泉とは?」
「命あるものが、今世の次に行くところ、だと私は認識してる。」
「冥府のことですか?」
「多分、同じようなものだと思う。」
ご主人様が意外なところで出てきたので、もう一度頭の中でご主人様の微笑みとともに考える。
(蛭子って、つまり不具の子ってこと?不具の子は死んだ方が幸せって…ご主人様が?)
楠木さんは紗良紗様の白い御衣を遠慮がちに見てから、心配そうに続けた。
「…ちょっと、もうちょっと考えよう。もし蛭子だった場合にどうするのか考えておかないと」
「薄情な言い草ですね。ちょっとくらい弱いところがあったって、この子は今生きてるんですよ。どうするかなんて、助けるに決まってるでしょ!」
「でも黄泉行きの間際には鬼の如く周りまで巻き込まれることがあるんだよ!蛭子が黄泉に行く間際には、もともと持っている神力が表出する。人の子みたいにただ死ぬんじゃない、辺り一体吹き飛ばすくらいの威力があるんだ…君も死ぬかもしれないんだぞ!」
樫木さんの真面目な様子から、大袈裟に言っているのではないのだと伝わってくる。本当に私も巻き込まれて死んだら、と考えた。
御衣を掴んだ手が震える。
「この
「周りを…巻き込まないために?」
「…うん。声に言霊が強く宿る御子だと、泣き声で周囲が発狂するかもしれないから、だから…」
「ぐるぐる巻きにされてるんですね。」
話している間にも、紗良紗様は泣き続ける。
「じゃあ!じゃあ、このまま、この子が泣くのを放っておくの?私…そんなの、いやです」
「でも雪花さんには危ないよ、僕が…まず確かめるから、雪花さんは離れて」
楠木さんは離れた大樹の根本を指差す。
「でも、楠木さんだって危ないんでしょ」
「そりゃ…私はもともとそれも知った上でこの御子を引き受ける覚悟があった。でも君はたまたまあの場に居合わせただけで、私があんまり不甲斐ないからこんなことになって…冬が明けたら家に帰るということは、待っている家族がいるんだろう?こんなところで横死させるわけにはいかない。」
楠木さんは案外、あれこれ考えているんだなと驚いた。最初の瞬間から今さっきまでずっとワタワタソワソワしていたので、とにかく落ち着かない人という印象が強かったのだ。
「それに、なんといっても天は言霊を下された。これは私がやることなんだ。さあ、離れて。」
「でも」
「もし私が動けなくなったら、雪花さんは出来るだけ遠くへ逃げなさい。この御子は私がなんとかするから。」
「そんなことできるわけないでしょ!楠木さんあやし方も知らないくせに偉そうですね!」
「う…身の危険を感じたら、とにかく逃げるんだよ!よし。」
楠木さんが、気持ちを集中させるようにじっと白い御衣を見る。言われた通りにしよう、と近くの木の後ろまで下がる。
それから、とにかく楠木さんの動きがゆっくりに思えて、長い時間が経ったように感じた。
御衣が少しずつ解かれて、少し隙間が現れた。今までくぐもっていた泣き声がすっと耳に入ってくる。
「ほにゃぁっほにゃぁっ」
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