第11話

「雪花、こちらよ。」

「ここ?わ!」




 今日はご主人様に連れられて、桑の木が立ち並ぶ林に来ている。

 ご主人様の袖が指し示す辺りを覗き込み、それと目が合った。

 握り拳のようにずんぐりでっぷり、手のひらからはみ出そうなほどに丸々と太った一匹の芋虫が、桑の葉を食べるのを止めてこちらを見た。


「こんにちは。ご機嫌いかが?」

「ご機嫌よう、富貴の花を挿した姫。見て、今朝あの枝から始めてもうこんなに来たの。もうお腹が空いて空いて。」

「お食事中ね。出直した方がいいなら教えて。」

「出直すことはないわ。調子が出てきたから食が進むのです。今回は特に良い糸が出せると思うの。」

「ふふ、頼もしいわ。」


 ご主人様はにこやかにそう言うと、こちらを手で示す。

佳糸子かいとこ、こちらは雪花。冬が終わるまで、私のお話相手に来てくれているの。」

「雪花?」

 ずんぐり芋虫は明らかにギョッとして頭をもたげる。

「雪は勘弁してちょうだい、寒いのは嫌よ。」

 ご主人様は朗らかに笑う。

「安心して、人の子よ。雪花、こちらは佳糸子。私の…古くからのお友だち!」

「あら、ま。ほほほ。」

 佳糸子と呼ばれた芋虫は、カラカラと高い音で笑った。


 声音からどうもご機嫌だということは伝わってくる。が、芋虫相手にどう挨拶すればいいのか。

(佳糸子様?佳糸子さん?うーん、ご主人様のお友だちなんだから、佳糸子様か。)

「佳糸子様、はじめまして雪花です。」

「佳糸子様ですって。なんだかむず痒いわぁ、佳糸子でいいわよ。」

「むずがゆ…はあい。」

 言われた通りにしよう。

 そそくさとご主人様の後ろに下がると、佳糸子は前脚をすり合わせるような仕草をしながらご主人様に尋ねる。

「栴の君は、今日は居ないのね?」

「…うん。その、またそろそろそちらの分も頼みたいなと思って」

「ほ、ほ、ほ。栴の君のための糸を先にしましょうか。」

「いいえ、先に産衣のための糸をお願い。」

「そうねぇ、凝りすぎて産衣が間に合わなくなっちゃうわね。」

「いじわる…」

 赤くなって恥じらうご主人様を横目に、佳糸子はまた大変機嫌良さそうに笑った。





 それからご主人様に「手伝ってくれる?」と尋ねられて頷くと、ご主人様は別の桑の木のところへ行って枝をつまむ。ご主人様が葉っぱに向かって何か言うと、桑の葉は自ずからくるくると丸まって枝の茶色がそこだけ目立つようになった。まるで落葉後の裸の枝に近いのだが、枯れたと言い表わすのとも違う。何しろくるくると丸まってからどうぞとばかりに皆ご主人様の方へ向いているのだ。

 ご主人様がその葉っぱの一つをぷちっと摘み取ると、他の葉も待ちきれないとでもいうように、風もないのに小さく揺れる。

 これもご褒美なのかな、と思いながら見ていた。

 みんな、ご主人様のことが大好きなのだ。



 やがてご主人様は丸まった葉を全て摘み終わると、腕の中に抱えた葉を佳糸子に一つずつ食べさせていった。丸まっているからか、佳糸子の口が大きいからか、葉はすぐに全てなくなってしまって、それからご主人様は上衣を脱いで佳糸子の近くへ立った。

 白妙だけになったご主人様は肩などさらに華奢で、たおやかで、本当に清らかな姫様だ。



 やがて佳糸子の口元にご主人様が手を差し伸べ、ゆっくりと歩いて傍の泉に腰ほどの深さまで入っていく。ご主人様と佳糸子との間に、きらきらと光る細いものが見えた。


「雪花、こちらへ来て。」

「はいっ」

 ご主人様の指先を初めて見ることにドキドキしつつ、促されるまま手を出すと、細い、とにかく細い糸の端を手のひらにかけられた。

「この糸端をあの桑の枝に巻きつけて、ゆっくり巻き取って欲しいの。」

「はい。綺麗ですねぇ…これ、佳糸子さんが?」

「そう。佳糸子は本当に佳い糸を吐いてくれるの。撚って織ると、とても綺麗な布になるのよ。」

「へぇ…」

 佳糸子はどんどん糸を吐くらしい。少しの間見惚れていると、ご主人様の腕の間の糸が、泉の中に着々と溜まっていく。糸を引っ張らないように細心の注意を払いながら、言われた通りに桑の枝にそっと巻きつけていく。


 ゆっくり、ゆっくり。

 くるり、くるり。

 

「そう。雪花、上手。」

「えへへ。」

「雪花の手は優しいね。」

「そうですか?」

「引っ張らないで待ってくれているでしょう。」

「あ〜…」


 目の前の糸と枝をじっと見つめながら、生家で過ごした冬の間を思い出す。冬の間はすぐ日が暮れるし畑仕事もあまり出来ないから、こんなふうに糸を紡いだ。こんな良い糸じゃなかったけれど。


「妹がいるんです。いっぱいいるけど、一番歳が近いのとは、冬の間によく糸紡ぎをしてました。引っ張ると切れちゃうんですけど、妹はどうしても我慢できなくって。だから私がいつも巻き取る側でしたねぇ。」

 思い出しながら、つい笑いが溢れた。


「雪花は姉なのね。」

「はい。私が一番年長で、弟が4人、妹が5人です。」

「そう…雪花が居なくて、寂しがっているかしら。」

「寂しいなんてないですよ!とにかく九人も居るんですから。いつでも誰か喋ってるんです、ほんとに夜の寝る間際まで誰かの声が途切れないんですよ!寂しいなんて思う暇もないですよ。」

 ご主人様は、少し俯き気味に笑った。

「私にも姉様がいるのよ。…兄様も、いたんだけど。小さい頃はいつも一緒に眠ったわ。兄様や姉様と一緒だと安心して、よく眠れたの。」

 ご主人様は昔を懐かしんでいるのか、そのまま黙り込んでしまった。


「あぁ〜、分かります。小さい子と寝ると、あったかくてこっちも気持ちいいんですよねー。」

「そうなの?」

「きっとご主人様のお兄様とお姉様も、ご主人様がいるおかげで気持ちよく眠れてたと思いますよ、ふふ。」

「そうだったら…嬉しいな。」


 ご主人はまた黙り込んでしまって、しばらくは静かに糸を繰り続けた。




「雪花は、弟たちや妹たちがどんな風に過ごしていたらいいなって思う?」

「え?この冬の話ですか?そうですねぇ〜、いっぱい食糧は貰ったので、あとは喧嘩しないで助けあってくれてればいいですかね。」

「そう。分かった。」


 ご主人様は少し顔を上げて、風に乗せるように囁いた。

「雪花の家族は喧嘩しません。仲良く助け合って暮らしています。」

「ふふ、なんだかおまじないみたいですね。」

「…そうだね。ふふっ」



 ご主人様はそのあとも淡々と手を動かし続けた。糸を泉にくぐらせては、こちらへ向かって糸を送る。

 佳糸子が糸を吐ききってうとうととまどろみ始めた頃には、枝はたっぷりの糸でぐるぐる巻きになっていた。

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