第10話

「雪花…どうして笑うの」

「だって…ふふふ」



 栴様がどこかへお出かけだということで、今日は久々にご主人様とふたりきりだ。

 で、ご主人様のお話し相手になっているのだが。

「ご主人様はほんとに栴様のこと好きなんだなぁー、って思いながら聞いてます。」

「雪花ったら…そんな、それは…」

「そうですね。素直に好きって言えばいいんですよ。」

 そう言うと、ご主人様は更に赤くなった。


 久しぶりにご主人様が意を決したように話し始めたと思ったら、今朝も栴様がお花を贈ってくれたのが嬉しいという、つまり惚気話だった。なので、見てりゃ分かるよと微笑ましく頷く。

 身分が高いと好きっていうのも難しい、なんてことなのだろうか。大変ですね。


「そういえばご主人様、髪飾りのお花がまた紫ですね。お好きなんですか?」

「紫は…栴に昔、似合うって言われて…だから好きなんだけど」

「栴様の好みに合わせたいと。」

「栴の好みかどうかは…ただ、栴がそう言っただけで」

「じゃあご主人様は、栴様からもらえれば何色でも嬉しいと。」

「…うん。」

「ひへへっあ、すみません変な声が出ました。もじもじするご主人様がかわいすぎて。」

「もう、雪花…」

「あー楽しい。こんなに楽しいの、今まで生きてきて初めてです。」

「そう…」

 真っ赤になりながら、本当はもっと吐き出したいんじゃないだろうかと思わせるご主人様なのだった。だって、どことなく楽しそうだから。



 だから、ちょっと突いてみようと質問することにした。ちょっとくらい、駄目ってこともないだろう。

「栴様って、ご主人様から見て困ったところとかないんですか?あんまり完璧すぎると思うんですけど。」

「栴が、完璧?」

 ご主人様はくすくすと笑い出した。

「栴だって、完璧じゃないわ。御衣だって御饌だって、栴のことは私が」

 ご主人様はそこまで言って急に元気がなくなった。なんだか心配になって、できるだけ明るく拾い上げる。

「ご主人様がやってあげてるんですよね?」

「ううん、私は」


(やってあげてるって、いいたかったのかな。)

 ご主人様は何も言わない。だけれども、その間に段々と顔色が落ち込んでいくのは分かった。


「私じゃなくたっていいのよ、もう」

「ご主人様」

「いいのよ、もう私がいなくても、栴はやっていけるの。」

 ご主人様の目は少し潤んでいるように見えた。



「ご主人様、栴様はご主人様以外興味無いと思いますけど。そんな風に切り捨てたらかわいそうじゃないですか?」

「切り捨ててなんかないよ!この間も、雪花はそう言っていたね…なぜそう思うの?」

「あのー、誰が見たって栴様がご主人様一筋なのは分かると思いますけど。」


 ご主人様はじっと考えてから、ぽそぽそと呟く。

「栴と一緒にいたいと思っているの。思っているだけよ…雪花、私が言ったことを誰にも言わないでね。」

「はいはい、内緒なのはよく分かってますって。」

「ごめんね、雪花」

「なんでごめんなんですか?ちゃんと内緒の約束は守りますよ。だからほら、今のうちになんでも吐き出してください。」

 ご主人様は目を丸くすると、また真っ赤になって困った顔をする。


 が。またもじもじするだけなのだ。

(言わないのぉ…?も〜、こうなったら)


 ちょっとだけ促すつもりで、お情け頂戴のハッタリをかましてしまえと腹を括る。

 時にはこういう度胸も必要だ。だって、このまま受け身で話を聞いているだけだと、ご主人様は大体自虐的な方向に下っていくのだ。「私が一緒に居たいだけ」とか「栴は私が居なくてもやっていける」とか。


 でもたぶん、ご主人様が本当に打ち明けてしまいたいのは、栴様への好きの気持ちなのだ。だからいつも、言ってから「内緒ね」と念押しする。

「私、栴様に帰ってもいいって言われちゃったんです。役に立たないって思われてるんですよね、きっと。ご主人様が心安〜く気兼ねなく!何でも溢せるようにって、栴様は私を連れてきたはずなのに。私が頼りないのは分かりますけど…ご主人様のお気持ちを、もっとお話しして欲しいんです!じゃないと私、私…」

 ちょっと声を震わせて、そこで言葉を切って顔を覆う。我ながら、泣き真似がすこぶる下手だなぁと羞恥でちょっと頬が熱い。


 が。

「雪花!心配しなくていいのよ、あなたがいてくれて私は本当に嬉しいの。ただ…自分の気持ちを話すのは、なんというか、恐くて」

 まさかの、ご主人様はちゃんと信じてくれたのだった。こんなの、妹の泣き真似を思い出してやってみただけなのに。

「なんで恐いんですか?」

「だって…悲しむひとがいる、かもしれないし」

「それはー…?」

 ご主人様はフワッと笑う。

「栴は雪花のこと役に立たないなんて思ってないわ。安心してね。」



 なんだかもう話し終えてしまった感じのご主人様をじいっと見ながら、どういう意味かと必死で頭を捻る。

(うぅーん、正直自分のことはもう何も心配してないんだけど…悲しむひと?ご主人様と栴様が仲良くしていて、都合が悪いひと…もしや栴様には既に正妻がいてご主人様は愛人とか?!)


 ふたりの仲睦まじい姿を思い返して、確かに生活感が一切無いよなと訝しむ。

(それでつまりこんな人目のないところで、こっそり静かに暮らしてるってこと?今日も、ご主人様は栴様が帰ってくるのを待つばかり…。)

 瑞穂には数多の鬼がひしめいているのだというおとぎ話がどれほど信じられるのか疑問だが、流石に栴様とご主人様と神鷹さんだけってことはないのではないか。それじゃあ私の弟妹のほうが頭数が多いくらいだ。

 つまりここは栴様によってひと知れず築かれた秘密のお屋敷で、ひと前では開けっぴろげに一緒に居られないご主人様と栴様が、静かに愛を育む場所だったのか!

(そうか…内緒って、そういうことなのね。)




 ご主人様はすっかりいつもの微笑を取り戻していた。

(なんて心根の穏やかな御方なんだろう。)


 そんなご主人様を半ば騙して脅かしたことに対して羞恥と後悔の念でいっぱいになり、なにか訳のわからない激情に突き動かされて詰め寄った。こうなったら絶対惚気まくらせてやる!と、謎の決意を胸に全力で詰め寄る。

「いいじゃないですか、良いとこどりだって。」

「…え?」

 ご主人様は驚いていることだろう。ずいと更に詰める。

「冬の間だけなんですよ、私がご主人様のところにいられるのは!好きなの?本当は好きじゃないの?!どうなの、はっきり言ってください!」

「す、好きよっ」

 今にも額がぶつかりそうなくらい距離を詰めると、ご主人様はびっくりしてこちらの勢いに呑まれたように少し大きな声が出た。それを自分で驚いて口を手で隠しながら後退りする。

(逃すものか!)

「どこが好きなんですか?!顔?!声?!中身?!」

「えっ…えっと」

「どこが好きなんですか?!全部?!」

「う、うんっぁっ私ったら」

「じゃあ全部好きってちゃんと言ってもらえませんか?!私のお役目なんです!聞かないといけないんですっ!」

「え?!ぜ、ぜ、ぜんぶすきっ!え?!聞かないといけないって、どうして」

 狼狽えるご主人様を見ながら、押して押して押しまくれば結構何でも答えてくれるんじゃないかと希望を見いだす。次の手をすかさず繰り出した。

「栴様のいいところは?」

「そ、それは」

「栴様って優しいと思いますか?優しくないですか?!」

「栴は優しいのよ!…あまり、気づくひとは多くないけれど」

「どんなところが優しい?」

「栴は弱い者を虐めたりしないし、ひとの足元を見たりもしない。」

 ご主人様は迷いなく言い切った。


 確かに、分かりにくいけれどそんな気がした。

 崑崙丘で私が仙人にいたぶられていた時にも来てくれたし、そのあと痛みに苦しむことなくご主人様のところまで来れたのも、今になって考えてみれば栴様の不思議な力のおかげだったのかもしれない。

「そうですね。分かりにくいけど。」

「ふふっ」

 ご主人様は心底嬉しそうに笑った。


「じゃあ、かっこいいなって思うのはどんなところですか?」

「まだ続くの…?」

「当たり前です。私のお役目です!」

「ほ、ほんとうに…?」

「さあ答えてください!どんなところがかっこいいですか!」

「そんなこと聞かれても」

「多すぎてどれから答えて良いか分からないと?」

「〜…!」

 ご主人様は真っ赤っかに茹で上がって、それでも健気に小さく頷いた。

 はあ、とため息をついて困ったなあという素振りをする。ご主人様が可愛いので困る。なんというか、うっかり主従関係を忘れて妹のように可愛がってしまう自分がいるのだ。

「まぁーそれじゃあしょうがないですよね。ご主人様は栴様のこと何から何までかっこいいと思ってるんですね。」

「まぁ…そう…かもね…」

 ごにょごにょ言うご主人様がとにかく可愛い。

「じゃあ初めて『わぁかっこいい!素敵!』って思ったのはどんな時でしたか?」

「ぇぇ…?」

「馴れ初めですね!」

「内緒よ…?」

「うん!うんうん!」


 ご主人様は、観念したのか吹っ切れたのか、自分から耳元に顔を寄せた。

「あのね…栴は小さい頃からとても優秀なひとだったの。なんでもすぐに覚えて、出来るようになってしまうのよ。まだ子どもだったからままならないことも、あったけれど…でも栴は諦めないで、必ず最後にはやり遂げるひとだったの。それがいつも、凄いと思っていた。それにね、栴は私とはほんの六つしか違わないのに、いつでも私のことを大事にしてくれて…どんなときも、私を想ってくれた。それは、難しいことだったでしょうに。それが、私を支えてくれたの。私ね、ずっとずっと、栴のことが好きだった。…誰にも内緒よ、雪花。」

「はいはいっ」

「だけど初めてかっこいいとおもったのは…もっと前だわ。」

 ご主人様は遠くを見るような目で懐かしみながら、穏やかに続ける。

「いつだったか、栴が野辺を走り回るのを見ていたの。足の速い獣たちと駆けっこをしていて、栴はその中じゃ一番遅かったはずなんだけど、ずっと走っているうちにどんどん速くなっていくのが、見ていてワクワクしたのを覚えてる。それでその後は獣の背に乗って、びゅんって風のように通り過ぎて、笑い声が遠くの山で聞こえたと思ったらまたもどってきて、笑って…まだ私が、話せもしないくらい幼かったころ。栴が楽しそうに走り回るのが、今でもぼんやりと記憶に残ってる。あの頃からずっと特別なの、あの御方は。」


 言い切ってからゆっくり嘆息して、ご主人様は涙で潤む瞳で照れ隠しのように笑う。それが今までよりもすっきりと清々しい笑い方だったせいか、あれこれ難しいことを取り払ってしまったあとの、ご主人様そのものの笑顔なのかなと感じた。

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