第9話

どちらへ行けば戻れるのだろうと途方に暮れて、しばらく歩き回った末にちょっと鼻を啜りながら回廊の中庭の花々を見つめた。


「どうしたの?」


 誰だろう。

 風に乗ってどこからか囁くような声が聞こえた。


「誰?どこにいるの?」

「あなたはだあれ?」


 また、どこから聞こえるのやら分からない。でも鳥も喋るのだから、虫の類だって喋るのかもしれない。地面の辺りをキョロキョロと見回してみるのだが。


「わたし、ここよ。」

「ここ?って、どこ?」

 蟻かなにかかと思い至ってしゃがんで地面を見回すと、今度は頭より上から声がする。

「こっちよ、ここ。ほら、こーこ。」

「…?」


 視線を再び中庭に向けると、薄紫色の大きな花が不思議と目を惹いた。

「私は富貴草ふうきそう。」

「…え?」

「あなたはだあれ?」

「うそぉん…花が、喋ってる…」

「当たり前でしょ。ははあん、あなた、せんに連れられて来た子ね。聞いてるわよ、雪花って名前なのにしっかり踏んづけていくんだから、って。」

「えぇっ?そ、そっか、花が喋れるってことは、花園の花もみんな…わぁぁごめんなさい、ご主人様みたいに歩けなくて」

「うふふ、みんな気にしてないわ。あの御方がお喜びになったから、私たちあなたのことは大歓迎なの。」

「ほんとう?みんな踏まれても痛くないの?」

「そりゃ重いんでしょうけど。でもあなた人の子なんでしょ?じゃあしょうがないわよ。」

「はぁ…まぁ、ね、自分でもそう思いますけど。」 

「だからあなたのことは助けてあげる。で、迷子なの?」

「あ…はい。」

「ここは広いし、栴がそのつもりで作ったんだから仕方がないわよ。」

 そう言うと、花はゆらゆらと揺れた。






「栴様は、どうしてこんな入り組んだ御殿を作ったの?」

 花の次の言葉を待っていたのだが、返事は思いがけず隣から返ってきた。

方々ほうぼう心安く過ごす為のちょっとした工夫だ。」

「おぉぉわ!でゅえっずえっ栴様!」

 驚きすぎて内臓飛び出るかと思った。

「すすすすみませんっ道に迷って!」

 栴様は、こちらが噛みまくったのも特に気に留めない。ただただ綺麗な顔のままで、あっさりと話す。

「生家に帰りたいのか?」

「えぇぇえ?!ちゃんと冬の終わりまでお勤めはしますよ!ただ歩き回って迷子になっちゃっただけです!」

 歩き回っていたのは純粋に好奇心からで、正直に言うと家族のことはもうそれほど心配もしていない。だってあんなにたくさんの食糧をもらったのだし。

「ふうん。」

 だけれども栴様ときたら、また興味の無さそうな。

「なんなんですか…そんな簡単に帰りませんよ。」

「帰してやるぞ、いつでも。」

「えぇ?!で、でも、冬越しの米だってもう食べちゃってるかも」

「食えばいいだろう。報酬なのだから。」

「だってだって今帰ったらお仕事はやってないままで…栴様、返されるのも面倒だなって思ってます?」

「そうだな。」


(なんじゃそりゃ。)

 富豪の考えることは訳がわからん。ぽかんとしていると、栴様はすっと中庭に入っていった。

 そして私に話しかけてくれた富貴草に手を伸ばして。


「わわわぁっ!なんで抜いちゃった?!」

 なんと、一息に根ごと引っこ抜いてしまったのだ。思わず悲鳴を上げた私の方を振り返って、栴様は土の滴る富貴草を片手に持ったまま「行くぞ。」と言って地面を指し示す。

 ぼんやりと地面の上に一本の線が光って、栴様の後ろについてそれを跨ぐと。

 ご主人様のいる花園へと戻ってきていた。



「雪花…」

「ご主人様ぁぁあ〜!迷子になりましたごめんなさい!」

「富貴草が教えてくれたのよ。」

「そうっそうなんです、道に迷ってたら花が話しかけてきて栴様が来てくれて!で、で、でも栴様がその花を引っこ抜いちゃったんです!」

 栴様を止めてほしくてご主人様に伝えたいことがたくさんあったのだが、その間にバキッと音がしてまたまたびっくりして振り返ったら、なんと今度は栴様が茎を折っているところだった。

「うわぁあ〜栴さまぁー!その花は私を助けてくれて…なのになんで、そんな」

 富貴草はもはや茎の途中で見事に折られてしまった。

(さっきまで…喋ってたのに)


「雪花、おいで。」

「ご主人様…あの花は私が迷ってるのを助けてくれたんです、なのにどうして…」

 ちょっと涙すら滲んでしまいつつ、おひざ元へ駆け寄ってあの富貴草が私を助けてくれたことをなんとかご主人様に伝えようと必死にそのお顔を見つめた。ご主人様はただ微笑んで、頷くだけだ。栴様を止めようとはしてくれない。

(富貴草…富貴草!ありがとう…助けてくれて。あなたも私も同じだわ、上の人の気分次第で行く末が決まっちゃうんだもん、きっと私も…はりゃ?)

 


 栴様は、茎をボキボキと折った末に何食わぬ顔でご主人様に歩み寄って、手に持っていた大輪の花を髪に挿した。

 ご主人様はふんわりと笑って、その花を撫でながらそっと話しかける。

「雪花を助けてくれて、ありがとう。」

「貴い御方、御髪に挿していただけるなんて!なんて幸いなことでしょう、ああ嬉しい!こんな日が来るなんて、私はずっとお庭の番と諦めておりましたのに!」

 元気そうな富貴草の声を聴いて拍子抜けした。

(なんだぁ、いいことだったんだ…)


 栴様がまだバキボキと枝を折っているのだが、ご主人様は気にせず富貴草に話し続ける。

「富貴草、あなたの根の部分を他所へやってもいいかしら。とても役に立つお薬になるのよ。」

「はい、富貴草は皆存じております。貴女様にお喜びいただけるならば、このうえない幸せ。」


 富貴草がそう言うと、栴様は茎の下の方でまたブチっと引きちぎった。一応聞き届けるのを待っていたのだろうか。根っこの方はひとまず横へ避けてしまって、たっぷりの葉をつけたままの茎を両手で挟んで持つと、これは本当に目を疑ったのだが、次の瞬間には栴様の手のひらの中にすうっと吸い込まれてしまった。あっという間に消えてしまったのだ、もともと私の肩くらいまで草丈があったし茎もしっかり太くて大きな株だったのに。信じられない気持ちでじっと見ていると、栴様は重ねていた手を離して、手のひらに乗っている小さなきらきらした粒をご主人様に見せる。

「な…なんじゃそりゃ…!」

「富貴草の茎はそのままだと固いから、栴が食べやすくしてくれるのよ。」

 ご主人様はそう言うと、富貴草の茎からできたらしいそのきらきらをつまんで、ぱくっと食べてしまった。











「栴様って、なんであんなになんか色々できるんですか?すごくないですか?」

「栴にとっては簡単なことばかりです。」

「はぁ~。でも茎をボキボキ、ブチッっていうのはなんだか見た目に似合わない力技でしたよね。なんで刀使わないんだろうって思いました。あはは。」

「御前で刃物を出しては、御魂様が心配なさいます。」

「ああーなるほど。そうですね、栴様が怪我したらご主人様も悲しいですもんね。」

「違います。栴はそんなことで怪我などしません。」

 ちょっと怒り気味なので思わず謝った。神鷹さんはすぐにいつもの神鷹さんに戻った。

「御魂様は栴の立場を気にかけておられます。だから栴は御魂様の前で刃物は出しません。」

(栴様の立場…なんかわからんけど)

 瑞穂の国にもいろいろあるんだな、と黙って納得した。



「神鷹さんにとっても栴様はすごいですか?ですよね?」

「当たり前です。だから主人あるじと決めたのです。」

 いつも通り素っ気ないのだが、神鷹さんがどこか誇らしげなのが分かる。


「私も、ご主人様のそばにいられて幸せです。」

「ごく一般的に言って、雪花は幸運をひいたと言えるでしょう。本来は近寄ることすら叶わない御方です。」

「えへへ…なんか訳わかんないこといっぱいありますけど、毎日たのしいです!冬までなのが惜しいくらい。」

「そうですか。」


 神鷹さんはそれだけ言うと、こちらの目元の化粧を直しにかかった。ただ身を任せると、無駄の一切ない動きで少しだけぱぱっと手を加えられた。

(おぉ…)

 神鷹さんに手直しされると、鏡に映る自分の顔がまるで違って見えるのだった。

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