第8話
「ん?なんか失敗してる…?」
「そうですね。」
「どうしましょう〜?」
「やり直しなさい。」
「う…」
神鷹さんに化粧を教えてもらうようになってから数日。肝心の化粧の腕はなかなか上がらないのだが、一緒にいる間にめげないで神鷹さんに聞き続けて、少しだけご主人様と栴様のことを知ることができた。なんでもおふたりはずっと昔からの深い縁の間柄で、今はご主人様のお身体を休めるためにこの花園に滞在されているのだそうだ。
「やぁっぱりねー!ご主人様って、もうなんていうか『守ってあげなきゃ!』って感じの儚さ?っていうんですかねぇ。」
「御魂様に不敬な物言いをするなら首を刎ねますよ。」
「すいませんでしたー!なるほど、栴様のところで冬が終わるまでご主人様がゆっくり過ごせるように、私がお話相手として呼ばれたってわけですね。」
「栴はこの場所の主人ではありませんから、栴のところという表現は正しいとは思いません。」
「へー?じゃあここはご主人様のお屋敷なんですか。」
「ここは誰のものでもありません。上物は栴が御魂様の好みに合わせて用意しましたが。」
「??また訳が分かりません。」
「理解する必要はないでしょう。冬が終わるまで御魂様はここに滞在なさると仰いました。」
「はぁ…まあご主人様は栴様のおそばにいるって意味で、栴様のところにいると言ってもいいと思います!」
「ふうん。」
おや、と思った。神鷹さんがこちらの理屈を否定しなかったのだ。
「なんだかんだで神鷹さんもおふたりが仲良くしてれば嬉しいですよね?」
「私の主観は必要ありません。」
あっという間にいつもの神鷹さんが戻ってきた。
花園で寝起きするようになってから数日。
今まで生きてきた村とは決定的な違いを確信しかけていた。ここには太陽が昇らない。
小さな村の中で生きてきた身としては、やっぱり朝日と共に起きて日暮れまで動き回るのが性というか、瑞穂の国は得体の知れない土地だという不安を最初は抱いた。
が、何ごとも慣れである。自慢じゃないが、どんなところでも寝られる私だ。しかもどこを歩いても快適な御殿の中にいて、あっという間に身辺の不安というものを忘れてしまった。こうなったら、すっごく運良くこのお役目に巡り合わせたことに心から感謝してこのひと時を精一杯楽しもう、と心に決めた。食べ物は美味しいし、御殿中良い香りだし、右を見ても左を見ても細かいところまで本当によく装飾された御殿で見飽きることがない。
そして目下最大の楽しみは、なんといってもこれだ。
ああ、今日も目の保養。
今日のご主人様は、小さなせせらぎの畔に座って金銀の蝶たちと戯れている。その隣には当然、栴様がいるわけで。
時折り言葉を交わしたり、ただ黙って水の流れを一緒に眺めたり。時々視線を交わしては、ふわりと笑う。
(あぁ〜…ほんとに素敵…)
おとぎ話に出てくる、貴公子と高貴な姫そのものだった。
ご主人様が栴様と過ごす間に私は何をしているかというと、特にやらなければならないことも無く。好きにしていてよいといわれているのだけれど、物心ついた頃からずっとあくせく動き続けてきたせいなのか、どうにも落ち着かない。かといって、掃除しようにも汚れは見つからないし、料理はどこからかいつも届けられて食べきれないくらいだし。
私の仕事と言われた話し相手だって、だいたい栴様が御霊様と一緒にいるので、あまり出番が無い。
つまり、やることが無い。
それで、ここ数日は少し慣れてきたということもあって、起きてから支度を済ませると、ご主人様が栴様と一緒なのを確かめてから御殿の中を歩き回ってみることにしたのだった。
まず広い。村より広いんじゃないか。歩けども歩けども建物と花園が続く中に、扉が何度も何度も現れる。うっかり同じ場所をぐるぐる回っているのじゃないかと疑ったのだが、よく見てみると扉はどれも似たようでいて少しずつ違う。灯りも、柱の彫り模様も様々だった。
(上物は栴様が作ったって神鷹さんが言ってたけど…これ全部考えたってこと?)
振り返り、来た道を確かめる。柔らかな灯明に浮かび上がる御殿の細部を見て、ため息が出た。
(なんという凝り様。愛が深い。)
今日はふと思い立ち、ちょっと外から御殿を眺めてみようと花園に足を踏み入れた。
ご主人様が歩いた後は不思議なことに草葉一つ倒れていないのだが、私が歩くと当然花は踏み潰されて青臭い若葉の汁の香りが漂う。だけれど、やっぱり不思議なことに少しすると風に起こされる様に草も花も立ち上がり、また元のように何食わぬ顔で花園の一部に戻っていく。やがて自分がどこを踏んだのかも見分けがつかなくなってしまうのだった。
御殿はうす暗い宵の空の下で、この先もしばらく続いているようだった。というのも、灯明が点々と続いているのがまだまだ先まで見えるのだ。ともすると地面のぎりぎりに瞬く星とも見紛うような、幻想的な風景だった。
そして、花園へ立って御殿を眺めた時に、おや?と気がついた。御殿の向こう側の空が、ぼんやりと緋色に染まっているのだ。
「…あれ、お天道様?!」
すっかり静かな宵空に慣れていたせいで、それがまるで遠くの火事の明るさかのように目に映った。
「ここは…いったい何なんだろう?」
呆然と立ち尽くし、ただその空の色の移り変わる様を眺める。どうも沈みかけだったようで、空は段々と濃い青に染まっていく。
もう少し確かめようと思って、御殿に駆け戻って日の沈んだ方向を探してみる。が、通路を抜けても抜けても、折れて曲がって折れて曲がってとくねくねと行く手を阻まれ続けた。
やがて混乱してどこから来たのかも覚束なくなってきた。
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