第6話
ふわふわ。
あーいい気持ち。
んふふ、いい匂い。
いっぱい吸い込んじゃう。
ああ、これは夢だな。
それにしても良い夢だぁ。
とびっきり甘くて、とびっきり幸せな夢。
朝まで、ゆっくりしよう。
朝まで。
がばっと起き上がり、絶望する。
「朝?!?!」
寝床から飛び出して髪を結び、寝衣の皺を叩いて急いで紐を結ぶ。部屋を駆け抜けて廊下に出た。どっちだったっけと慌てふためきながら回廊に出ると、今日も花々が咲き乱れていた。昨日初めてご主人様と出会ったところかどうかは定かでないが。
そしてなんと、空にはまたも星が瞬いている。どういうことだ、丸一日寝こけていたのか。
「ど、ど、ど、どうしよう」
考えてみれば、朝起きてから何をすればいいのか分からない。どこへ行けばいいのかも分からないし、ご主人様がどこにいるのかも知らない。
(困ったぁ〜どうすればいいの?!)
「雪花」
「ご主人様!」
後ろを振り返ると、昨日と同じようにご主人様がにっこりと微笑んでいた。
「ご主人様ぁっ…」
「よく眠れた?」
「はい!それはもう!」
「良かった。」
やっぱりお心が広いお方だ。朝の支度に間に合わなかったどころか丸々一日寝ていた召使いに小言一つ言わないなんて。
「いつまでも寝こけてて申し訳ありませんでした!!なんなりとお申し付けください!」
「雪花、眠かったら、いつでも寝ていていいのよ。覚えておいてね。」
「はぁ…」
「それで、雪花にお願いがあるのだけれど」
「はい!」
「でもまずは、あなたの衣を整えましょう。」
「…はい。」
ご主人様にゆったりと諭されて、急に恥ずかしさに襲われる。今まで身なりなんて気にしたことがなかったから何も考えずに飛び出して来てしまったけれど、首から下を眺めて、これじゃあご主人様の後ろなんて歩けやしないと気がついた。ご主人様は一羽の鳥を呼び寄せて、衣装のお部屋へ行きましょうと言って歩き出した。
衣装の置き場らしい部屋へはいると、まずは新しい肌着を一枚もらった。柔らかい肌触りにるんるんと気分が上がる。
「今はここには瑞穂風の衣しかないのだけれど」
と言いながら、ご主人様は見るからに上等な衣類を見せてくる。
ただただ、汚しちゃったらどうしようということばかりが頭を占める。
「こんなのでも、今は着てくれるかしら。これから雪花の好みのものを誂えましょうね。」
「ご主人様、汚れてもいいものはありませんか…?恐くて着れません。」
「泥でもなんでも大丈夫よ、すぐに落ちるの。」
「うそぉん」
恐くて袖に手を通せずにいると、一緒について来た鳥にペチペチと頭をはたかれた。首の部分を嘴で持ち上げ、早く着ろと急かすのである。穴が空いたらどうするんだと慄きながら、助けられてなんとか上衣を羽織った。ここを結んで、そこに紐を通してと鳥に教えられながら、なんとか一通り身につけることは出来た。
出来たが。
(明らかに釣り合ってない。)
衣が上等すぎて、ただただ落ち着かないのだった。
「あとは、髪結をして、紅をさしましょう。」
ご主人様は楽しそうに鳥に向かって話しかける。鳥は従順にはいと答えて、それから。
(〜っ…!!)
それから、くるりと回ったかと思うと立派な侍女のなりをして地面に降り立った。
そしてこちらを上から下まで視認して、抑揚なくご主人様に答えた。
「少々お待ちください。顔を洗うところから始めます。」
ご主人様に「いってらっしゃい」と見送られ、鳥だった侍女についていくと、水の湧き出ている盆のところまでやって来た。言われた通りに顔を洗い、髪を濡らす。なんだかあれこれたくさんの道具で髪が結い上げられ、なんだかいい匂いのする粉や紅で顔を作られ。「これを遣るから明日からは自分でやりなさい」と言いながら箱ごと渡されてしまった。
箱がまた細かい木の寄せ集めたみたいな線がいっぱいの箱で、なんだかよく分からない金物が付いていて。そもそも開けられなかった。
怒られやしないかとビクビクしながら、仕方がないので質問する。
「あのー…開けられません。」
「その錠はこう、右にずらして外す。」
「わぁー開いた!」
「まずはよく観なさい。飾り程度の錠は、作りは単純です。」
「はい。あのー…お化粧もやったことないんですけど」
「今やった順番でとりあえずやってみなさい。」
「えっ覚えてないです」
「まず土台を整えて、粉で仕上げ、色味を足して完了です。箱の中身を確かめなさい。」
「最初は肌になんか塗りましたよね…これですか?」
「違います。今は時間が足りません、明日またここへ来なさい。」
「はい。」
恐る恐る見上げてこっそり様子を伺うと、端正な顔立ちがきつそうな印象を与えているが、意外と怒っているわけではなさそうだった。
考えてみれば突き放されたわけでもない。実は良い人(鳥?)なのかも、と何となく思った。
「あのー、あなたのお名前教えていただけますか?」
「名前はありません。」
「は?どういうことですか?」
「私の名前を聞いたのでしょう。私に名前は無いので無いと答えたのです。」
「へ…?じゃあご主人様はあなたを何と呼ぶんですか?」
「『来い』と言われれば事足ります。」
「ご主人様が『来い』なんて言うんですか?!『ねえちょっと』とか、『いらっしゃい』とかですよね?」
「私の
「栴様、ということは…ん?でも私のご主人様に呼ばれて来ましたよね?」
「
「御霊様とお呼びするんですね!そもそもお名前も知らないままで、あはは。でも、やっぱりそうなんだ〜!栴様と私のご主人様はご夫婦ってことなんですよね?それともまだ許婚ですか?お似合いですよね!私、おふたりの姿を見てうっとりしちゃいました、ここに来れてすごく幸せだなって思ってるんです!」
言いながら同意を得られると確信して顔色を伺うと、予想に反して冷ややかに返されてしまった。
「お前は冬の終わりに里へ帰るのだろう。余計なことは詮索してはいけません。御霊様のことは、今まで通りお前の思うようにお呼びすればよろしい。ただしお名前を伺ってはいけません。」
はい、と辛うじて返事はした。
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