第3話

ああ、短い一生だった。

 

 なんて恐ろしい相貌なのだろう。

 少しだけ、ちらっと見ただけでも異様なのが分かった。人の衣から生えている頭には白い毛がびっしりと生えていて、およそ人の首ではない太さだった。手足は衣に隠れて見えないけれど、どんなに鋭い爪を隠し持っているのだろう。刃向かえばどうなることか。

 頭からムシャムシャと食べられてしまうのだろうか。

 もしくは少しずつ身を裂かれていたぶられたり。

 生きたまま、手足から食べられるとか。


(うぅ…まだあのワガママ姫様の方が良かったぁ)

 こんな化け物に、私は首根っこを捕まってしまったのだ。



 今にも泣き出しそうな気持ちで必死に足を動かしていると、また誰かに声を掛けられて獣は立ち止まる。

「栴の宰相殿、娘娘にゃんにゃんがお呼びです。お帰りの前にご挨拶を。」


 爽やかに現れた貴公子然とした人物に獣は黙ったまま一瞥した。貴公子がちょっとビクッとなったのを見てしまい、これでは助けを求めても残念な結果になるだろうことが簡単に分かってしまった。

(身なりは良いのに…残念貴公子野郎…)

 誰でも良いから助けてくれ、と心の内に嘆いていると、獣が貴公子に何か言って方向を変えて行ってしまった。


 着いていこうと方向を変えると、足で脛を蹴られて蹲った。

「おい、ここで待ってろと言われただろう。」

 残念貴公子は獣の前とは打って変わって冷たい目をしてこちらを見下してくる。

「ちゃんと聞いていろ、愚図な娘だ。こんな貧相なものをありがたがるなんて、東方はどれほど貧しいのやら。」

(なんだ、こいつ。)

 外面ばっかり、身なりばっかりだ。中身なんか腐ってるんだ、こっちは今にも泣き出しそうなのを堪えてるのに。恨めしい気持ちをいっぱい込めて睨み返した。

 

 残念貴公子は、袖から出た私の手を踏みつけて愉しそうに笑いだした。

「ああいやだいやだ、娘娘も珍妙なものを面白がってお近づけになられて、瑶池ようちが獣くさくなったらどうするおつもりなのやら。あんな野蛮な獣が宰相だなどと重宝されるなぞ、私が瑞穂ルイホの臣だったら恥ずかしくてすぐにでも他所へ逃げ出すけれどね。未開の辺境は、臣下も地の民も愚鈍、愚鈍。」

「瑞穂?」

 ドキッとして思わず声に出た。腐れ貴公子はにたあっと口角を歪める。

「お前、知らずに着いていこうとしていたのか?いよいよ正真正銘の愚図だな。あの獣は瑞穂の国からやってきたのだ。まあ、お前のような貧相なのにはお似合いだな。なんでも、わざわざ田舎育ちで作法も知らなそうな娘をとお望みだそうな。喜べ、お前は公主たちのお役に立てるのだ。」

「…」

 何て言い返せばいいのか分からなくて、ただ必死に耐えた。外道貴公子はぐりぐりと手を踏みつける足に力を入れてきた。訳がわからないけど、声を出すもんかと意地になっていた。

「お前は私の領から献上するのだぞ。少しでもご不興をかったらばどうなるか、分かっているだろうな。私の顔に泥を塗ったら、お前の一族郎党、はりつけにして並べてやる。瑞穂でどんな扱いを受けるのやら知らんが、逃げ出そうなぞ考えるなよ。」


 瑞穂の国は、太陽の登ってくる方向にずっと進んだその先の、海を渡った向こう側にあるのだと聞いたことがある。

 おとぎ話の、鬼の住む島だ。


(あの獣も、やっぱり鬼なんだ…姫様も鬼の姫で、私は鬼へ差し出されたんだ。だって瑞穂の国だもの。私なんか行ったら、行ったら…やっぱり着いた途端に食われてしまうんだ。)


 手が痛いせいなのか、蹴られた脛が痛いせいなのか、とにかく目の奥が熱い。わがまま姫様にこき使われてボロ雑巾みたいになってでも、人並みの終わりを迎えたかった。どんな扱いを受けるんだろう。

(だからあんなに、たくさんの米や麦や…。)

 これが出稼ぎなんかじゃなかったとはっきりしてしまって、すっかり希望を見失ってしまった。





「趙の丞相殿」

 貴公子の足がバッと避けられる。貴公子はまた愛想よく獣に向かって笑顔をつくった。

「栴の宰相殿、これが逃げ出そうとしたので少し言い聞かせておりました。どうも根っからの嘘つき娘のようですが、土民は根が卑しいものですからね、ご所望の通りにお探ししたら致し方ないことですので。その分どのようにでもお望みの通りにお使いください。」


 噛みついてやろうと思った。こいつは碌でもない男だ、腐ってるんだと叫ぼうとした。

 が、不思議なことに自分の体が自分のものではないように行儀良く立ち上がって、黙って獣の後ろに従う。

(なんで?勝手に、体が)


 獣は静かに言った。

「娘娘から我が主人あるじへの贈り物、丁重にお届けしますと御礼申し上げてきました。怪我でもすれば、主人が悲しみますから。」


 口篭ってしまった貴公子を気に留める素振りも無く、獣が歩き出した。それに引っ張られるように、勝手に体がその後ろをついていく。




 花園を抜け、石畳を通り過ぎて巨大な門を潜ると、青い空が眼前に広がっていた。

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