34 アタッシュケース


 アタッシュケースの中身がミッシュだと、牧下総司令も佐伯二等空佐も確信を持って疑っている。しかし、状況証拠ばかりで物的証拠は何もない。逆を言えば、証拠が見つかってしまえば、久我も穂浪も身柄をAMLに明け渡されてしまう。そんなことになっては、逢坂を助けに行くどころではなくなる。


 それが分からない久我ではないはずなのに、アタッシュケースを開けるように言う意味が、穂浪には分からなかった。自分らが犯人である証拠を自らさらすなんて、一体どんな大博打だ。久我のことだから何の考えもないわけではないと思うが……というか、そう思いたいが……。


「久我さん、いいんですか……?」


 何とかアタッシュケースを開けない方法はないか、穂浪は考えてみた。しかし、今の状況で開けるのを拒んだら、それこそ「中身はミッシュです」と言っているようなもんだ。先程、佐伯二等空佐との会話で学んだ。


「お、俺、鍵失くしちゃって……」


「鍵なんて付いてないですよ」


 やっとのことで絞り出した妙案を、久我はいとも簡単に踏み潰す。


「穂浪さん、開けてください」


「でも……」


 穂浪はチラリと牧下総司令を見た。真っ直ぐな瞳が、「開けられないのですか?」と問い詰めてくる。


「え? ホントに開けますよ?」


「どうぞ」


「いいんですね?」


「はい」


「後悔しない?」


「穂浪、早く開けろ」


 一向に進まない穂浪と久我のやりとりに、佐伯二等空佐が痺れを切らして口を挟んだ。これ以上は誤魔化せない。穂浪は「えぇい! どうにでもなれぇい!」と心の中で叫びながら、「あ、でも、逢坂さんは絶対に俺が助ける!」と頭の片隅で思いつつ、アタッシュケースを開けた。


「……まったく、あなたにはいつも驚かされます」


 ため息交じりに呟くと、牧下総司令は椅子の背にもたれた。


「空のアタッシュケースを持ち歩くなんて、高尚な趣味だこと」


「あ、あれぇ……?」


 アタッシュケースを開けて一番驚いたのは、穂浪本人だった。中に入っているはずのミッシュがいないのだ。


 なぜミッシュがいないのか全く分からない。しかし、動揺したら怪しまれてしまう。穂浪は「空のアタッシュケースを持ち運ぶ変な人」を演じることにした。


「我々が結託し、地球外生命体ミッシュの逃亡を手伝ったとお考えのようですが、それは誤解です」


 牧下総司令は椅子の背にもたれたまま、久我に視線を移した。


「では、あなた方は何の目的で地下室へ行ったのです?」


「CILは、質疑応答を続けても有力な情報を得られないことから、ミッシュの目的は本人の証言通り、『地球への観光』と結論付けようとしていました。しかし、その判断は性急過ぎると私は考えました。そこで、ミッシュへの尋問を行うため、第一発見者である穂浪さんに協力を仰ぎ、地下室へ行きました」


「それは、毛利室長からの指示ですか?」


「いえ。私の独断です。毛利室長を始め、FPLの研究員は関係ありません」


 と、そこまで言ってから、久我は口をキュッと結んだ。その些細な変化を、牧下総司令は見逃さない。


「地下室に行った理由はよく分かりました。しかし、あなた個人が勝手に動いていいことではありませんよ」


「はい。その点については、申し訳ございません」


「では、ミッシュの居場所を知らないのですね?」


「はい」


「穂浪三等空曹、あなたも?」


「は、はい……」


「しかし、心当たりならあります」


 久我の言葉に、牧下総司令の瞳が鋭く光る。


 佐伯は、牧下総司令の眼光にひるむどころか、会話を組み立てながら自分のペースにもっていく久我に、感心を通り越して末恐ろしささえ感じていた。


「先程、FPLの研究員は関係ないと申し上げましたが、訂正させてください。一人、関係している者がおります」


「それは誰ですか?」


「FPL研究員、逢坂せつなです。今朝、出勤中の逢坂の前に、地球外生命体の集団が出現しました」


 久我が淡々と告げた後、佐伯二等空佐が驚嘆の声を上げた。


「地球外生命体の集団? そんな報告どこにも……」


「姿を見たのも声を聞いたのも逢坂だけです。その場に居合わせた穂浪さんにも、地球外生命体の姿は見えなかったそうです」


 牧下総司令と佐伯二等空佐の視線が、穂浪に注がれる。何も訊かれなくとも、二人の言いたいことは分かった。穂浪は急かされるようにコクコクと頷いた。


「地球外生命体たちはミッシュを探しています。逢坂とミッシュの身柄を交換するという取引を穂浪さんに持ちかけ、逢坂を連れ去りました」


「穂浪! そんな重大なことをなぜすぐに報告しなかった!?」


 佐伯二等空佐の野太い怒号が、その場に轟いた。「ひぃいっ……!」とすくみ上がる穂浪の代わりに、久我が説明する。


「それも私の判断です。地球外生命体が10体程の集団で出現しただけでなく、姿が見えないように細工し、人間を連れ去ったとなれば、大きな騒ぎになることは容易に想像が付きました」


「でしたら尚のこと、すぐに報告すべきだったのでは?」


 相手が他部署の室長補佐ということもあり、佐伯は丁寧な言葉遣いを心がけていたが、声色や息遣いからは憤りを隠しきれなかった。


「地球外生命体たちの目的はあくまでもミッシュの回収であり、地球への攻撃の可能性は低いと考えられます。また、通常通りの手続きで報告すれば、ブループロテクトに出動要請がかかり、我々は地球防衛に徹しなければなりません」


 久我がそこまで言うと、それまで黙って聞いていた牧下総司令がゆっくりと目を閉じ、「なるほど……」と呟いた。


 何が「なるほど」なのか、穂浪は分からなかった。チラリと佐伯二等空佐の顔を見てみると、どうやら分かっていないのは自分だけだと察した。「分からないことは聞いてみる」精神の穂浪は、臆することなく尋ねた。


「久我さん、俺、話がよく見えないんですけど……」


 その問いに答えたのは、久我ではなく牧下総司令だった。


「つまり、久我室長補佐は、地球外生命体への対応よりも、逢坂研究員の救出を優先させるために、敢えて出現報告をしなかったということです」


 説明が付け加えられても、穂浪には何のこっちゃ分からない。頭の上に「?」を浮かべていると、佐伯二等空佐が補足した。


「もし、地球外生命体の出現報告があった場合、規約に従って、我々は次の手順で動くことになる。第一に、逢坂研究員を連れ去った地球外生命体全個体・・・の捜索。第二に、CILによる、発見した地球外生命体全個体の特性の解析。第三に、CILの見解をもとにした、ブループロテクトによる防衛作戦の開始」


「第二と第三はいつも通りっぽいですけど」


「そうだ。問題は地球外生命体全個体の捜索。相手は姿が見えない上、10体程度というだけで明確な数は分かっていない。全個体を見つけ出すには、かなりの時間を要するだろう。まぁ、全個体が一箇所にまとまっていれば話は別だが」


「そっか、そんなことしてたら逢坂さんの救出が遅れる……でも、ミッシュと逢坂さんを交換するって、地球外生命体たちと約束したんですよ? 逢坂さんはいわば人質なんだから、さすがにミッシュと交換する前に危害を加えられることはないんじゃ……」


「俺も最初はそう考えました。しかし、現在、ミッシュは行方不明。逢坂と交換する前にミッシュが奴らの手に渡ってしまうかもしれない。そうなれば、我々との約束に従う必要はなくなる。つまり、逢坂は用済みになる。最悪の場合、殺される可能性だってある」


 久我がそこまで言ったところで、その場は沈黙に包まれた。


「……それで?」


 沈黙を破ったのは牧下総司令だった。


「久我室長補佐、あなたはこれからどうするつもり?」


 試すような口ぶりだった。返答次第では、牧下総司令の久我への対応も変わる。下手したら拘束されてしまうかもしれない。久我は慎重に言葉を選んだ。こちらに有利な言葉を引き出せるように、何手先も見通して会話を組み立てていく。


「調査の結果、逢坂は臨海公園にいることが分かりました」


「他の地球外生命体も一緒ですか?」


「分かりません。見張り役がいたとしても、全個体がそこにいるかは不明です」


「では、情報収集室にミッシュ及び逢坂研究員を連れ去った地球外生命体の捜索を要請し……」


「それはまだ待ってください」


「なぜです?」


「このことを公にしたくないからです」


「理由になっていませんよ」


「俺は平和主義なんです」


「久我くん、もう少し分かりやすく説明してくれないか」


 久我のもったいぶった言い方に、牧下総司令を援護するように佐伯二等空佐が口を挟む。


「先ほどの尋問で、ミッシュが地球に来た理由が、故郷からの亡命だと分かりました。ミッシュは故郷で死刑に処される予定だそうです。……で、これは俺の勝手な想像ですが、逢坂を連れ去った地球外生命体たちの目的は、ミッシュの死刑執行だと思われます。つまり、このままミッシュの身柄を明け渡せば、ミッシュは殺される。しかし、地球の未来のためにも、それは阻止すべきです」




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