33 乱入


「ここは何度来ても緊張します……」


 目の前の重厚な扉を見つめながら、穂浪はため息を吐いた。


「緊張しているようには見えないが?」


 「ため息を吐きたいのはこっちだ」と思いながら、佐伯二等空佐は穂浪の曲がったネクタイを強引に整えた。きついくらいに締められたネクタイに、穂浪は「ぐえっ」とうめいた。


「第一、三等空曹ごときがそう何度も来る場所ではないんだよ、総司令室は」


「総司令、俺のこと好きなんすかね、アハハ~」


「それ、総司令の御前でも言えるか?」


 言いながら、佐伯はドアをノックした。


「すみません。黙ります」


「くれぐれも無礼のないように」


「心得ました」


 締め上げられたネクタイを少し緩めていると、中から「どうぞ」という声が聞こえた。


「……それから、穂浪」


「はい」


「如何なる状況でも、優先すべきことが何か見誤るなよ」


「え……?」


 佐伯二等空佐がドアノブを回す。


「佐伯さん、それってどういう……」


 尋ねても答えは返ってこなかった。ドアが開かれ、総司令の面前に出たからだ。


「失礼いたします。穂浪三等空曹を連れて参りました」


「二人とも、中へ」


 佐伯二等空佐は一礼し、前に進み出た。穂浪も続く。


 牧下総司令は何か書き物をしていた。相当忙しいようで、書類から顔すら上げない。


「総司令、俺に話って何ですか?」


 いくら待っても話が始まらないことに業を煮やし、穂浪は話しかけた。しかし、返事はなかった。その代わり、佐伯二等空佐が低い声で「口を慎め」とうなった。


「穂浪三等空曹、あなたは本当にせっかちですね。少しくらいお待ちなさい」


 呆れた口調で言いながら、牧下総司令は書き物を続けた。これ以上口答えすると佐伯二等空佐に本格的に叱られそうなので、穂浪は大人しくしていることにした。


 牧下総司令は、長々と文章の羅列された書類を書き上げると、捺印し、ペンを置いた。そして、やっと穂浪の方を見た。


「……今回は、さすがに心当たりがあるのでは?」


 突き刺すような視線が、穂浪に向けられた。穂浪はアタッシュケースを持つ手に、ぐっと力を込めた。


「ないと言えば嘘になります。でも、俺は、自分が悪い事をしたとは思いません」


 きっぱりと言い切る穂浪を、牧下総司令は目を細めてじっと見つめた。穂浪も負けじと見つめ返す。額に汗が滲む。


「つまり、何が言いたいのです?」


「他部署に迷惑をかけたことは認めます。申し訳ありません。だけど、俺は間違ったことはしていない」


「そのアタッシュケースの中身が地球外生命体だとしてもですか?」


「はい」


「穂浪三等空曹、あなたの目的は一体……」


 総司令がそこまで言いかけたときだった。廊下の方から何人かの騒がしい話し声が聞こえてきた。かと思うと、ドガーンッ!!という衝突音が、廊下に鳴り響いた。


「何事です?」


 牧下総司令は眉を潜めた。佐伯二等空佐が確認に向かう。ドアを開けると、そこには青白い顔でストレッチャーに横たわっている久我がいた。


「す、すみません! ストレッチャーがいうこときかなくてっ……」


 と、志田がペコペコと頭を下げる。


 まさかストレッチャーが激突した音だとは、さすがの佐伯も想像していなかった。ツッコミどころが多過ぎて、何からツッコんだらいいか分からなかった。あの冷静沈着な久我がこんなド派手な登場をしたことに驚くべきか、総司令室のドアをぶっ壊したことを怒るべきか……いや、しかし、そんなことよりもまずは……


「……怪我は、ありませんか」


 と、久我に手を差し伸べる佐伯二等空佐を見て、穂浪は「佐伯さん、ツッコミどころが多過ぎてテンパってるなぁ」と思った。


「久我さん、ここ、総司令室ですよ?」


「分かってます」


「久我さんって、意外と目立ちたがり?」


「俺だって好きでこんな登場を選んだわけじゃないです……」


 久我は佐伯の手を借りながら、よろよろとストレッチャーから降りた。そして、穂浪に言い返す元気がまだ自分にあることに、ほんの少し安堵した。久我にとって、総司令室に到着することがゴールではないのだ。これからやることが山ほどある。気を引き締めなければ。


「さて、僕たちは無事に送り届けたから、ラボに戻るよ」


「無事? どの辺りが?」


「じゃ、頑張ってね」


「いやいや、このドアどうするんですか?」


「久我くん! せつなちゃんのこと任せたわよ!」


「勢いで誤魔化さないでください。ちゃんと始末書提出してくださいよ?」


「ハイハーイ」


 志田は軽い調子で受け流しながら、久我を無理矢理総司令室に押し込んだ。「失礼しました」と安藤がドアを閉めると、騒々しかったその場が一瞬にして静まり返る。


「……あなたがFPLの室長補佐ですか」


 鋭く冷たい声が、ゆったりと久我に問いかけた。途端、さっきまでの吐き気が嘘のように消えていった。乗り物酔いなんて、そんなものには鈍感になるくらい強い緊張感が、久我の全身にまとわりついた。


 総司令官の席に着いている女性を見つめる。きっちりと一つにまとめられた漆黒の髪が印象的な、とても綺麗な人だった。世界中に地球外生命体専門対策局はあるが、女性が総司令官を務めるのは東京支部だけだ。それどころか、史上初の女性総司令官でもある。近くで見ると、やはりさすがの迫力だ。気を張っていなければ、呑み込まれてしまいそうになる。


「はい。飛行経路専門研究室室長補佐、久我碧志と申します。先ほどはお目汚し失礼いたしました」


 頭を下げる久我を、牧下総司令はじっと見つめた。言葉遣いや所作、身だしなみや表情などから、久我がどういう人間なのかを見定めているようだった。


「AMLの監視カメラを偽装したのは、あなたですね」


 「あなたですか?」という疑問形ではなく、「あなたですね」と断定した言い方をされて、久我は喉の奥が詰まるような感覚がした。この人、食えないタイプだ。たった一文字の違いで、それがはっきりと分かった。


「穂浪さん」


「はい?」


 久我の話術をもってしても、そう簡単に特別離陸許可を出してくれる相手ではなさそうだ。だったら、一か八か、やってみるしかない。


「アタッシュケースを開けて、お二人に中身を見せてください」



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