20 計画


 夜勤を終えた逢坂は、「異常なし」ということを格式ばった書類に長々と記録し、引継ぎの研究員に畏まって報告した。こういうとき、自分が組織に所属する人間なんだと改めて実感する。


 制服を着替えてロッカールームを出ると、久我が壁に寄りかかりながら立っていた。珍しく帰宅するつもりのようで、私服に着替えている。久我は逢坂に気付くと、眺めていたスマホをポケットにしまって、近付いて来た。


「まさかと思うけど、私のこと待ってた?」


「悪いか?」


「何が目的?」


「疑うのは疲れるんじゃないのか?」


「そうよ、ましてや夜勤明けだもの。疲れてるときに疲れることさせないで」


「腹減ってるだろ?」


「奢らせる気?」


「その逆だ。奢ってやる」


 久我は「付いて来い」と言わんばかりにスタスタと歩き出した。


「……ホントに、何が目的?」


「疑り深いな。奢るって言ってんだから素直に喜んどけよ」


 勝負や賭けに負けたわけでもないのに、久我が奢ることを前提に食事に誘ってくるなんて、これほど奇妙なことはない。奢ったことを交換条件にとんでもない企みに利用されるのではなかろうか。逢坂は、学生時代、夕食を奢ってもらった見返りに、レポートのゴーストライターをさせられたこともあったし、合コンの人数合わせに付き合わされたこともあった。その度に、久我に奢ってもらったことをひどく後悔したものだ。


「落とし穴に突き落とされそうになったら、返り討ちにしてやる」


「人を疑って生きる人生は、確かに疲れそうだな」


 奢ると見栄を切ったところで、どうせいつもの社員食堂だろう。と思っていた逢坂は、久我が局を出て、しばらく歩いた後、細い路地にひっそりと佇むおしゃれなカフェのドアを押し開けたとき、度肝を抜いた。


「あ、久我さん。お久しぶりです」


 しかも、出迎えた学生風の女性店員が、久我に親しげに話しかけたのを見て、開いた口が塞がらなかった。


「どうも。モーニング2つ」


 逢坂の希望も聞かないまま、久我は慣れた様子で注文した。


「お飲み物は?」


「コーヒー、ホットで」


「2つとも?」


「うん」


「かしこまりました」


 女性店員は茶髪のショートボブが似合う可愛らしい子だった。「お好きな席でお待ちください」とにこやかに言うと、久我に番号札を渡した。久我はそれを受け取りながら、ドアの前から動けないでいる逢坂を振り返った。


「いつまでそこに突っ立ってんだ?」


「そこまで歩いて行けるほど気持ちが追い付いていかないのよ」


「何に?」


「久我がオッシャレ~な店の常連になってることに」


「やっぱり奢るのやめようかな」


 低い声で呟くと、久我は席を探しに歩き出した。逢坂は置いて行かれないように慌てて追いかける。


「オッシャレ~な店に私を連れ込むなんて、どういうつもり?」


「朝飯食うだけだ」


「だったら食堂でいいじゃない」


「こっちの方が静かでいいだろ」


 ため息混じりに言いながら、久我は窓際の席に腰掛けた。逢坂はおずおずと久我の正面に腰掛ける。客は他に、テラス席に座っているサラリーマン風の男性だけだ。静かな店内には軽やかなジャズミュージックが流れている。


「逢坂」


 久我が名前を呼び、そして、真っ直ぐに逢坂を見つめた。


「な、なに……?」


 いつになく真剣な久我の表情に、背中がむず痒くなる。


「……これは、逢坂が優秀な研究員であり、俺が最も信頼している人間だから話すんだが」


「虚言だらけの前置きをどうも」


「真面目に聞け」


「だったら真面目な前置きをしなさいよ」


「しただろ」


「どこが」


「信頼してるんだよ、逢坂のこと」


 言えば言うほど嘘臭い。


「俺は、あのミッシュとかいう地球外生命体を利用して、やりたいことがある」


「やりたいこと?」


「地球外生命体との交戦交渉だ」


 久我がなぜ社員食堂ではなく、わざわざ局から離れた店を選んだのか、逢坂は合点がいった。そして、その目論見を唯一打ち明ける相手が自分である必要性も理解した。


 たくさんの局員が行き交う食堂で、地球外生命体との交戦交渉なんて突拍子もない話をしていたら、他の局員に聞かれてしまう。もし上層部の耳に入ったら、決行する前に圧力によって潰される。


「これは逢坂にしか明かしていない俺の考えだ。他の局員には他言するな」


 久我は、他人に自分の計画を打ち明け、あまつさえ協力を仰ぐことは基本的にしない。用心深い上に、他人に任せるより自分でやった方が楽な質なのだ。そんな完璧主義の男が計画を打ち明けたということは、久我の計画は協力者がいなければ実現できないということだ。しかし、協力者の人選を誤れば、計画は水の泡となる。久我は逢坂を「最も信頼している」と言ったが、「最も操りやすい」とも言い換えられる。


「安心して? 脅されなくても従ってあげるから」


「脅してねぇだろ」


「私が従わないなら脅すつもりだったでしょ?」


「分かってんなら言う通りにしろ」


「それ、れっきとした脅しよ」


「俺に協力するか?」


「計画を聞かされた以上、私は協力者に成らざるを得ない」


「話が早くて助かる」


「もし計画が上層部にバレてもかばわないからね? 無理矢理協力させられたことにして裏切るから」


「上等だ」


「じゃ、交渉成立。詳しく聞かせてもらおうじゃないの。久我の計画」


「まず、ミッシュを地下室から誘拐する」


 わぁ、初っ端から大胆。


「地下室には警備係が常駐してるのよ? 誘拐なんてできるの?」


「あの警備はミッシュの脱走を阻止する配置になっている。外部からの侵入は想定されていない」


「だから?」


「誘拐するのはさほど難しくない」


「簡単に言うわね」


「実際簡単だからだ。そんなことより問題なのは、ミッシュを連れ出す口実だ」


「地球の面白いものを見せてあげるとか言ってみれば?」


「アイツは俺を警戒している。俺が急に親切になったら怪しんでノッてこないだろ」


「じゃ、私が交渉する?」


「逢坂みたいな真面目そうなやつが『規則違反だけど外に出ちゃお!』なんて誘ってきたら、それこそ怪しまれる」


「じゃぁどうすんのよ?」


「アイツに警戒されてなくて、且つ規則違反しても意外ではない人……」


「そんな人いる?」


「まぁ、アイツはもともと地球に興味があって、基本的には人間を警戒していないが……」


「地球外生命体専門対策局なんて格式ばった規則だらけの組織だものね。そんな組織に属しているのに規則違反しても意外じゃないってことは、規則違反の常習者ってことでしょ? そんな人……」


 逢坂と久我は腕組みをしながら俯いた。う~んと唸りながら、知り合いたちの顔を順番に思い浮かべていく。


「いるなぁ」


 そして、思い当たる人物がいた久我は、顔を上げて呟いた。


「いたわねぇ」


 久我が呟いたのと同時に、逢坂もある人物を思い浮かべた。国際機関である地球外生命体専門対策局の局員にも拘わらず、規則違反の常習者なんて、あの人以外にいない。



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