21 信頼
「え!? ミッシュを誘拐!? なんで!?」
極秘任務の超機密情報にも拘わらず、半径10メートル圏内に聞こえそうなボリュームで、穂浪は逢坂に聞き返した。もしここが局の廊下や社員食堂だったら、慌てて穂浪の口を両手で塞ぐところだが、ここは久我の自宅アパートのため、その必要はなかった。
「私にもよく分からないんです。何せ計画の立案者が秘密主義なもんで」
と、逢坂はキッチンをチラリと見た。本人に聞こえていないか心配したが、久我は夕食作りで忙しそうで、こちらの会話は聞こえていない様子だ。
「誘拐できたとして、その後はどうするんです?」
「地球外生命体との交戦交渉をするのが最終的な目的だって、久我は言っていました」
「交戦交渉? 『地球外生命体とはもう戦わない』って交渉するってこと?」
「もし『もう戦わない』という内容の交渉なら、『停戦交渉』の方がしっくりきます。でも、久我は『交戦交渉』と言いました」
逢坂の説明に、穂浪は顔をしかめる。
「つまり、どういうこと?」
「『そっちがその気なら、こっちだってやり返すぜ』的な」
「地球に危害を加えなければ無傷でミッシュを返すけど、危害を加えるなら戦いを仕掛けるもの
「たぶん」
「やられたらやり返す銀行マン的な?」
「久我の場合、倍返しじゃ済まなそうですけど」
「まさか初っ端から10倍返し!?」
「穂浪さんも気を付けた方がいいですよ? アイツ、一度怒らせたら来世まで呪う勢いで根に持ちますから。敵に回さない方が身のためです」
「……敵に回さない方がいいって、誰が?」
ここは久我の自宅であり、夕食に招かれた客は逢坂と穂浪だけである。だから、逢坂と穂浪の会話に割って入って来た人物が誰なのかは分かり切っている。しかし、逢坂は背後に立っているのが久我ではないことを心の底から祈った。
顔を見なくても伝わってくる殺気を背中にビシビシと感じながら、逢坂は恐る恐る振り返った。祈りも空しく、そこには鬼の形相の久我が立っていた。
「も、もしかして自分のことだって思ってる? 心当たりがあるってこと~?」
こういうときは笑い話にして誤魔化すのが一番だ。逢坂は冗談ぽく笑いながら、目の前にある久我の膝をバシバシと叩いた。しかし、久我の表情は変わらない。
「誰が敵に回さない方がいいって?」
「……久我のことじゃないわよ?」
「だろうな」
低い声で言うと、久我はテーブルに料理を並べ始めた。
「て、手伝おうか?」
「いい」
逢坂の気遣い(という名の起死回生)は1秒にも満たない速度で一蹴された。
「飲み物用意するね」
「黙って座ってろ」
久我に止められたが、逢坂は立ち上がった。キッチンに逃げ込み、冷蔵庫を開ける。中には差し入れで買ってきた缶ビールが入っていた。よく冷えたそれを3本手に持ったとき、久我がキッチンにやって来た。かと思うと、缶ビールが1本取り上げられた。
「逢坂は呑むな」
「なんでよ?」
「お前、酔うと面倒臭ぇんだよ」
「ちょっとなら大丈夫だって」
逢坂は意地になって、缶を奪い返した。久我は呆れたように「どうなっても知らねぇからな」とため息交じりに言って、冷蔵庫を閉めた。
「なんでそう俺の言うことは聞かねぇんだ?」
「どこがよ? いつも私の方が譲歩してるわ」
今回の交戦交渉計画にも協力させているくせに、そんな言い方しないでほしい。人間なんだから自分なりの意見をもつし、それを主張することだってある。久我が間違っていると思ったら間違っていると言うし、自分の実力が久我の予想の範疇を越えていれば、「私はここまでできる」と実際にやって見せて訂正する。それを「久我の言う事を聞かない」という曲がった見方で片付けてくれるな。
「計画のことは他言するなって言っただろ」
言いながら、久我は缶ビールを開けてグラスに注いだ。リビングにいる穂浪に聞こえないように、声を抑えている。
「でも、穂浪さんも計画の実行に必要な人でしょ? 遅かれ早かれ話すんだから別にいいじゃない」
「穂浪さんはミッシュを誘い出すためのただピースだ。計画全体を知らせる必要はないし、もしその必要があったとしても全て俺から話す」
「ただのピース」という言葉が、逢坂は気に食わなかった。
「穂浪さんも仲間でしょ? なんでそんな冷たい言い方するの?」
「事実を言ったまでだ。それを冷たいと感じるのは逢坂の感性によるものであって、俺は冷たいとは感じない」
逢坂が詰め寄っても、久我の飄々とした態度は変わらない。
「とにかく計画については俺から穂浪さんに話す。逢坂は何も喋るな」
「喋りたくても喋れないわよ。計画の全貌を教えてもらえてないんだから」
「それはよかった。他人に喋らずに済んで好都合だ」
「なんで私にも話してくれないの?」
「話す必要がないからだ」
「私もただのピースってこと?」
「違う。言っただろ、一番信頼してるって」
「だったらなんで話してくれないのよ?」
「だから、それもさっき言った。話す必要がないからだ」
「計画の全貌を教えてくれなくちゃ、状況に応じた最善の行動が取れない」と言い返す台詞を思い付いたのに、それをぶつける前に、久我はグラスを持ってキッチンを出て行ってしまった。
キッチンがシンと静まり返ってから、逢坂は手の平が冷え切っていることに気が付いた。缶ビールを握りしめていたせいだ。頭に血が上って体は火照っているのに、手の平だけが他人のもののように冷たい。額に触れると、冷えた指先から熱が吸い取られていくような感覚がした。同時に、久我に言い返せなかった苛立ちと、説得できなかった無力感で、胸が苦しくなった。
「何が『信頼してる』よ……」
リビングから久我と穂浪の声が聞こえてくる。逢坂の小さな呟きは、二人の話し声に負けてしまって、誰に聞かれるでもなく消えてなくなった。
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