12 生態


 日々の仕事をこなしながら意見交換会の資料を作るのは、なかなか難儀だった。提出期限のためなら三徹もいとわない逢坂でさえ、ここ数日の疲れはかなり溜まってきている。それは穂浪も同様だった。


「穂浪さん、お休みになってますか?」


 定時間際、明日に迫った意見交換会のプログラムの最終確認にやって来た穂浪の目の下には、濃いクマができていた。


「はい、大丈夫れす……」


 と、へらっと笑う穂浪は、顔色が悪い。


 逢坂は意見交換会の担当になったことで、少しずつ穂浪泰介という人が分かってきた。


 【穂浪の生態① 嘘を吐くのが下手】それは、嘘を吐くつもりがあるのか疑いたくなるほどに。


「逢坂さんに体調を心配される日がくるとは思いませんでした」


「ちゃんと寝てるんですか?」


「寝てますよ」


「どれくらい?」


「えっと……」


「睡眠はしっかり取ってください。資料作りなら私もお手伝いしますから、一人で抱え込まないでください」


 プログラムを確認しながら逢坂が言うと、穂浪は眉を八の字に曲げて、泣き出しそうな顔になった。


「逢坂さん……今、そんな優しくされたら、俺、逢坂さんのこと好きになっちゃう……」


 【穂浪の生態② 人懐っこい】すぐに人のを好きになる。そして、それをごく自然に口に出す。


 あれは、初めて意見交換会の打ち合わせをしたときだった。穂浪が「俺、逢坂さんが好きです」と言い出した。なぜ急に告白? と思ったが、その後の言動から、「俺、逢坂さん(の真面目なところ)が好きです」という意味であり、恋愛的な感情は全くないことが分かった。穂浪にとって「好き」という言葉は、「尊敬」とイコールなのである。それを理解してから、逢坂は穂浪の「好き」にいちいち反応しなくなった。


「泣くほど追い詰められてたんですか?」


「緊急時の対応についての意見書がまだまとまってなくて……」


 プログラムのチェックが終わっても、資料作りが残っているのか。それは泣きたくもなる。


「FPL側の資料は作り終わってるので、私にできることなら手伝いますよ」


「逢坂さんって女神?」


「いいえ、人間です。資料のデータはありますか?」


 穂浪は「ここに」と小脇に抱えていたノートパソコンを差し出した。逢坂はそれを受け取り、自分のデスクに向かった。穂浪もてくてく後を付いて来る。デスクの上でノートパソコンを開き、逢坂は椅子に腰掛けた。


「そこの椅子、使ってください」


 穂浪が居場所なく突っ立っているので、逢坂は空いている椅子を勧めた。穂浪は椅子を引き寄せ、逢坂の隣に座った。


 【穂浪の生態③ パーソナルスペースが狭い】穂浪は常に、距離が近い。今も、一緒にパソコン画面を見ているだけなのに、椅子も近ければ顔も近い。しかし、本人は全く気にしていないし、意識していると思われるのも釈なので、逢坂は平生を装っておくことにした。


「なんだ、結構できてるじゃないですか」


 データを開いてみると、箇条書きではあるものの文章はできていた。逢坂は感心した声を出したが、穂浪はため息を吐いた。


「でも、どうやってまとめればいいか分からないんです。パイロットの中でも色んな意見が出ちゃって、一つの答えを出すのが難しくて」


「一つの意見にまとめる必要なんてないんじゃないんですか? 意見交換会ってそういうもんですよ?」


「そういうもん?」


 逢坂の発言に穂浪はきょとんとする。


 【穂浪の生態④ 具体的な説明がないと理解できない】


「お互いの意見を出し合うことを目的としているんだから、最初から意見がまとまっている必要なんてないんですよ」


「え? そうなんですか?」


「そうです。機体操縦室ではこんな意見が出ました。FPLの意見はどうですか? これでいいんです」


「いいんですか?」


「いいんです」


「じゃぁ、この資料は完成で……」


「いいんです」


 逢坂が大きく頷くと、穂浪は「なぁ~んだぁ~」とふにゃりと顔を緩ませた。が、すぐに真剣な顔になって、


「でも、できてない資料はまだあってですね」


 と、マウスを操作して、また違うデータを開いた。


 【穂浪の生態⑤ 資料を作るのが遅い】


「……意見交換会、明日ですよ?」


「分かってますよ! だから切羽詰まってるんじゃないですか!」


 なんで私が怒られるんだ。と思ったが、今は言い合いしている場合ではない。それに、穂浪の本業はパイロットだ。資料作りには慣れていないのだから仕方ない。そう。断じて穂浪に文才がないわけではない。


 資料作りは予想以上に時間がかかった。穂浪が、担当していた資料の作成をいくつか忘れていたのだ。二人で手分けしても、結局資料作りが出来上がったのは21時半。もちろんラボには逢坂と穂浪以外に誰もいない。いつも通りといえばいつも通り、残業である。そしてこの後には会場準備もしなければならない。


「さて、次は会場準備ですね」


「本当にすみません……」


 こんな風に男性に頭を下げられたのは、学生時代、定期試験で逢坂より高得点を取れなかったら土下座すると豪語していたくせに、結果、逢坂の得点を2点下回っていた久我に頭を下げさせた以来だ。


「構いません。通常の仕事がある上にこんな大量の資料作りを一人で抱え込めば、ミスの一つや二つあるでしょう。まぁ、私は同じ状況下でもそんなミスしませんでしたが」


「逢坂さん、俺のこと慰めてるの? 貶してるの?」


「愚問ですね。前者に決まっています」


 心理的にも物理的にも重い腰を上げながら、逢坂は明日の会場である第二会議室まで向かおうとした。そのときだった。2人しかいない静かなラボに、館内スピーカーから警報が鳴り出した。


『地球外生命体が出現。繰り返す。地球外生命体が出現。各部署、持ち場につきなさい』



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