4 問題児


 長く静かな廊下を真っ直ぐに進んでいくと、木製の重厚な扉が見えてきた。「総司令室」と書かれたその扉の前で、穂浪は足を止める。


「ここは何度来ても緊張するな……」


 と言いつつ、欠伸をしながら、トントントンッと軽い調子で重々しい扉を叩く。


「どうぞ」


 ドアの向こうから、落ち着いた女性の声が聞こえた。


「失礼します」


 司令室に入ると、窓際の大きなデスクに、牧下まきした総司令官が着席していた。その脇には、穂浪の監督官である佐伯二等空佐が佇んでいる。


 地球外生命体専門対策局は、地球外生命体への対応の一切を任されている国際機関である。200年前に初めて地球外生命体が出現した東京を本部とし、世界に8か所設置されている。


 牧下総司令官は、地球外生命体専門対策局・東京支部における司令塔だ。当時歴代最年少で初の女性総司令官になった。一部の幹部は女性・・総司令官の誕生に納得しなかったが、世論が後押しする形で実現した。佐伯二等空佐は、穂浪の監督官を務めるベテランパイロットであり、その実力もさることながら、強面で192センチの長身という威圧感のある風貌からも部下に恐れられている。タイプは違えど、どちらも恐ろしい人物だ。


「いらっしゃい」


 静かな視線と、冷たい声。それが空気となって、穂浪の全身を突き刺す。長年お説教をくらってきた経験から、穂浪は理解した。今の牧下総司令に冗談は通じないと。


「今日は俺、何も心当たりないんですケド」


 ドアを閉めながら、穂浪はへらっと笑った。無駄な冗談を言わないにしろ、この雰囲気の中でフラットにしていられるのが穂浪泰介である。


「おい、穂浪。口を慎め」


 地から這い上がってくるような佐伯の低い声が重く響いた。さすがの穂浪もドキリとした。


「すみません。でも、俺、なんで呼び出されたんですか?」


 謝りながらも変わらない穂浪の態度に、佐伯は悩ましげに項垂れた。


「総司令、申し訳ありません。私の教育が行き届かず……」


「構いません。そろそろ私も慣れました」


 言いつつ、牧下総司令は小さくため息を吐いた。一方の穂浪は、ズボンのポケットに手を突っ込み、壁に掛かっている絵画に目をやっている。


「総司令、あそこの絵、また変えました?」


「穂浪泰介」


 フルネームで呼ばれ、穂浪は振り向いた。ジャケットの襟は立ったままだ。


「あなたを呼び出した理由は、今朝の騒動のことです」


「今朝? 俺、何かしました?」


「ン゛ッン゛ッ!」


 佐伯はわざと咳払いをし、威圧感たっぷりに穂浪を睨んだ。これはいよいよまずい。穂浪はポケットからそろそろと手を出して、気を付けの姿勢をした。


「俺……じゃなくて、僕が何かしましたでありますか?」


「今朝、廊下で倒れた研究員を助けたと聞きました」


「そうですけど、それが何か?」


「なぜ助けたのです?」


「なぜって……俺がぶつかったせいで倒れたんだから、助けるのは当たり前です」


「しかし、そのせいであなたは任務に遅刻しました」


 今朝、廊下で女性研究員とぶつかる直前、地球外生命体の出現が報告された。穂浪は直ちに搭乗準備に向かわなければならない状況で、女性研究員を医務室まで運んだ。そして、任務に遅刻した。


「それは……すみませんでした。だけど、俺があのまま助けなかったら……」


「近くの人に頼んで、医務室まで運んでもらえばよかったはずです」


「でも、俺がぶつかったせいなのに、」


「誠意を全うするためなら遅刻してもよいと?」


「そうは言ってません。任務に少し遅れるのと、人を床に倒れたままにするの、どっちを優先するかって言われたら……」


「『少し遅れる』?」


 棘のある牧下総司令の声に、穂浪は喉がつかえるような感覚がした。


「その少しの遅れが、全体にどれだけの支障を来たすと思っているのです。私が言っているのは、あなたのその甘さです。自分の行動に責任を持ちなさい」


 牧下総司令の指摘が正しくなかったことはない。その事実が、穂浪を突き刺す。


「あなたが任務に少し遅刻・・・・したことで、整備士はあなたが搭乗する機体の最終チェックが始められませんでした。それにより、飛行経路の伝達、一・二号機のパイロットとの最終打ち合わせ、全てのスケジュールが後ろ倒しになりました。そして、出動が2分遅れました。たった2分ですが、その間に怪我をした少女がいます」


「えっ……」


「まぁ、逃げようとした拍子に転んだだけなので、かすり傷程度です。大事ありません」


「でも、俺が遅刻しなければ、痛い思いも怖い思いもしないで済んだ」


 穂浪は唇を噛みしめ、俯いた。


「事の重大さが、ようやく分かりましたか」


「……すみませんでした」


 シュンとしおらしくなった穂浪を見て、牧下総司令はゆっくりと立ち上がった。


「そういえば、廊下で倒れた研究員が持っていた茶封筒ですが、あなたが所持しているのですか?」


「あ、いえ、室長に渡しておきました。宛名が機体操縦室だったから」


「結構です」


 牧下総司令は穂浪の前まで闊歩し、足を揃えて止まった。


「茶封筒を無事に届けたことと研究員を助けたことを考慮して、今回はこのくらいにしてあげます。しかし、もう次はないと思いなさい。もしまた任務を軽んじるようなら、高専からやり直していただきます」


「えぇっ!?」


 ブループロテクトのパイロットになるためには、高等専門学校に4年間通い、資格試験に合格した後、研修生として2年間の実務経験を積まなければならない。資格試験の合格率は8%と低く、穂浪はかなり苦労した。


「一回りも年下の学生と一緒にお勉強となれば、さすがのあなたもこたえるでしょう」


「確かにキツイですね、プライド的に……」


「では、今後このようなことのないよう、肝に銘じてください」


 牧下総司令は、ジャケットの乱れた襟をキュッと整えてやった後、穂浪を帰した。




「総司令は、やはり穂浪に甘いですね」


 穂浪が司令室を出て行った後、佐伯は困ったように笑った。


「私はそんなつもりありませんよ」


「そうですか?」


「そうです」


 牧下はデスクに腰かけ、お説教中も増え続けていた仕事に取り掛かろうとした。そのとき、ふと壁に飾ってある絵画が目に入った。司令室を出入りした人物は多くいるのに、絵を変えたことに気付いたのは穂浪だけだった。



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