【3】

第13話 玲

 鬼や妖魔と言われる異形の存在が現れた頃、人間は圧倒的に弱く、狩られるだけの存在だった。

 狩り尽くされなかったのは、妖魔が必要とするよりも人間の数が多かったことと、「異能」によって妖魔に対抗する力を持つ者が人間の中に現れたからだ。


 妖魔には意思伝達の手段や徒党を組むなどの行動が見られず、人間はそこに勝機を見出して、多大な犠牲を払いながらも追い詰めていくことに成功した。

 転機が訪れたのは、まさにここ数年のこと。


 人間が持つ異能に個人差があるように、妖魔の能力にも個体差がある。その中に、人間に外見を似せることができる妖魔が現れたのだ。


 それらもしくは「それ」は、当初言葉を話すことがなかった。


 山奥などの人里離れたところに、女性や子どもといった「か弱き」姿で佇んでいて、不審に思って近づいた人間を食らっていたらしい。

 すぐに巷に情報が出回らなかったのは、被害者が毎回死亡していたことにより発見が遅れたためである。

 また、それらしい事実が生き残りの口から知らされた段階でも、周到に伏せられた。「人間にしか見えない外見の妖魔がいる」と噂になれば、人々の間に疑心暗鬼が生まれて、世情が不安定になる。その混乱を避けるためであった。


 もちろん、政府の妖魔対策部門は重大案件と認識しており、異能持ちが対応にあたっていた。

 葉室玲の父親である葉室かなめも、そのひとりだ。要は、目撃情報のあった場所を探索していうちに、やがてそれらしき妖魔と出会った。


 できれば生け捕りという命令が下っていた中で、それは片言ながらも言葉を使って要に話しかけてきたのであろう。警戒心が強く、距離を詰めることはできないままであったが、要は「それ」とそのまま山奥で暮らした。


 その個体は、女性の姿をしていた、という。


 出会った頃、話し方は下手であったが、要が話しかけるとその言葉を繰り返し、話そうと努力する様子を見せた。


「おはよう」“おはよう”

「ありがとう」“ありがとう”

「ごめんなさい」“ごめんなさい”


 これまで実態を知ることができなかった相手と、話すことができたとき、ひとは「意思疎通が可能」と考え、戦いではなく対話を選びたくなるものだろう。

 生け捕りはできなかったが、そのかわり要は一緒に暮らすことで、相手から情報を得ようとしたのだと考えられる。


 他の異能持ちが、行方を絶った要を追いかけ、見つけたときには要はすっかり相手にほだされている様子だったとのこと。


「ずいぶん言葉を覚えたんだ。いまはもう、簡単な会話が成立する」


 上機嫌そうにこれまでの経緯を説明する要の背後で、「それ」の姿は溶け崩れ、ひとにあらざる姿になった。

 仲間たちがその異様さに気づき、要に対してそばから離れろと叫んで攻撃を仕掛けようとすると、要は明らかに「それ」をかばい、仲間に敵対的な行動すら取った。


 その要に対して、「それ」はいっとき人間の女の姿を取り戻して言ったのだ。


“助けてくれてありがとう”

“人間、大好き”

“本当は、戦いたくない”

“ぼくを殺して”

“弱点はここだよ、ほら、早く!”

“もう誰も傷つけたくない! 君の手でぼくを殺して!”


 要が「殺せるわけがない」と、そう言った次の瞬間、要は「それ」の手によって首を飛ばされて、血を噴き出しながら膝を折って、ゆっくりと倒れた。


 仲間たちの前で、「それ」は要を咀嚼して喰らい尽くした。

 誰も止めることができなかった。


 人間とも妖魔とも知れぬ姿をした「それ」の暗い洞のような眼に見つめられると、身動きはおろか呼吸もろくにできなくなり、歴戦の異能持ちであっても、なんら力を発揮することができなかった、という。


 要の血に塗れた「それ」は、悠然とその場を立ち去った。


 悪夢のような時間が過ぎた後、要と「それ」が暮らしていたと思われるあばら家から、赤子の泣き声がすると、ひとりが気づいた。


 生まれたてのように見えたその赤子は、葉室家によって引き取られ、育てられる。


 見た目は人間同等だったが、赤子は数年間性別のない存在だった。物心がつき、自我が芽生え、男女の違いに気づいたとき、その子は最初に男の姿を選んだ。


 それはまるで、理解していなかったものを理解した瞬間のようであった、という。


 人間の間で育ったその子は、外見上目立った特徴はなかった。だが、身体能力は高く、きわめて珍しい「変化」の異能を持っていた。


 本人の申告によると、試した範囲では性別や年齢をある程度の幅で変更できるだけの能力とのことだった。


「妖魔の姿になれるのかもしれないけど、試してみたことはないんですよね。それをしたときに、自我を保てるのか、自信がなくて。俺を確実に仕留められる異能持ちがそばにいるなら、試してみても良いのかもしれませんが」


 研究機関で定期検査を受けていたとき、葉室玲は、明るい声でそう言って、なんでもないことのように笑った。

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