第12話 言葉という計算式
言葉とはなんだと思う? と玲は敦に問いかけた。
すっかり普段の
「何を聞きたいんだ? 意図をはっきりさせてくれ」
座布団に胡座をかいていた玲は、薄く笑って「ごめん」と謝って話を進めた。
「俺や柿原みたいな異能は、直接の殴り合いだから、力が強いかどうかが重要であって、それが効くとか効かないって理屈がそもそもないんだ。側まで近寄って、攻撃を加えて、相手の息の根を止める。だけど、敦君のように言葉や文字で戦う異能というのは、実のところ何なんだろうって、俺にはずっと不思議なんだよ」
「なんだその、言葉への興味は、お前の……」
思わず言いかけて、続きを言い淀んだ敦が、何を思い浮かべたのか。玲は正確に察した様子で「そこは、気を遣わなくて良いよ」と笑った。
「俺の母親は、特殊な妖魔なんだろう。言葉へ興味を持ち、人間と積極的に関わろうとしている個体というのは。まるで、心がある生き物みたいだ」
「あると、思っていないのか?」
「妖魔だよ」
そう言いながら、玲は自分の胸元に手をあてる。まるで「自分も」とでも言うような仕草に、敦は顔をしかめた。
(母親が妖魔というのは、つくづく根の深い問題だ。母親の胎内から産まれたことによる「親子関係・血の継承」は、子にとって疑いようのない事実だ。妖魔が人間の女性と交わって「産ませる」形をとらなかったのは「確実に妖魔の血を継ぐ人間を同定する」ためだよな)
その上で、玲を妖魔の世界に連れ帰らなかったのは「人間に育てさせるとどうなるか」確かめようとしたのではないか――そこまで考えると、敦は暗澹とした気持ちになる。
どうあっても、玲の存在は妖魔側の「実験」としか思えない。だとすると、必ず近くでその成長を見ているはずだ。
しかも、実験するからには、その先になんらかの目的があるのは間違いない。
それが「きたるべき日に妖魔側に寝返らせる」という内容であろうことは、誰でも思いつく。
きっかけや方法はわからないが、玲は妖魔にとってここぞという使い所で利用される可能性が非常に高い。
それを、本人が一番わかっているはずだ。
玲は、卓の上にあった湯呑みを手にしてひとくち茶を飲んでから、さりげない調子で話を再開した。
「敦君は、対妖魔で祝詞を使うだろ。それが有効だと知っているから。ところで、この国と海の向こうの国では、使っている言葉が違う。そして、異国においても、妖魔に有効な『祈りの言葉』があるんだけど、聞いてみても俺にはさっぱりわからないんだ。それでも、妖魔には効くらしい。それは、何を意味しているんだろうか。言葉で戦う異能が現れた頃から、妖魔は人間の言葉を理解していたんだろうか」
敦は、すぐには答えず、畳の縁の模様にすっと視線を流して、心の中で祝詞を唱えてみた。
(今の
玲は、低い卓越しに敦に手を差し伸べると、笑顔で「シェークハンズ」と口にする。
その手を、敦は眉間に皺を寄せてじっと見つめた。
異国の言葉を学んでいるので、それが手を握る挨拶のことだとわかる。もし意味を知る前だったら、何をしたいのだろうとぼんやりしたかもしれない。
言葉がわからないというのは、そういうことだ。
それでは、言葉がわかるとはどういうことだろう?
敦は考えながら、答えた。
「言葉というものは、その身に取り入れれば取り入れるほど、自我の形成が避けられないはずだ。『自我がないまま操れる道具』ではないんだ。物の名前くらいなら、覚えられるかもしれないが」
しかし、実際には物の名前を知っただけでは、会話を成立させることは不可能だ。
(すべての物に名前があり、「動く」「走る」「話す」といった動作にも名前があり、「赤い」「青い」「高い」「長い」といった状態を示す表現があり、「過去」「現在」「未来」という時間の区分があり、「好き」「嫌い」「楽しい」「悲しい」という感情もある……。それらを文章中で正確に組み合わせるというのは途方もない作業であり、極力単純化して計算式に置き換えるとしても、膨大な量になるはずだ)
物+動作+形容詞+時間+感情
着物を着る。以前は赤かったけど、色褪せてしまって、悲しい。
言葉を使って会話している人間は、組み合わせの計算式を意識することなく使いこなすことができている。
一方で、犬や猫といった、人間のすぐそばで暮らす生き物が、いつまでも言葉を話すことがないのは、声帯や発声だけが理由ではないはず。
たとえ声を手に入れても、同じように膨大な数式を適切に組み合わせて何時間も会話を続けるのは難しいのではないだろうか。
敦が、自分なりにそう告げると、玲は満足したように「そうなんだよ」と微笑を浮かべて頷いた。
「言葉を話すことは、いわば計算式の連続だ。人間に紛れた妖魔をあぶりだすためには、結局のところ複雑な会話をしかけてボロを出させるしかない」
「……女学校で? それを? 本当にそれをする気なら、僕より胡桃の方が……。いや、胡桃に任せるつもりはないが、女子の真似事ができず、怪しくなるのは僕かもしれない。玲さんはできるのか」
「ずーっと『絹』していたから、自信あるよ~! 女学生!」
「うん……」
それはその通りなのだろうが、男そのものの姿の玲に言われても、心情的に納得しにくいもののある敦である。冴えない返事をしたところで、玲が「大丈夫だって、女子付き合いは俺がうまくやるから、敦君は気軽に身を任せて!」と言ってきた。
さらに、頷くのに抵抗を覚えて、敦はついに押し黙る。
その敦に対して、玲は友好的な笑みを絶やさぬまま言った。
「敦君は、言葉の専門家として、近くで会話を聞いていて、何か気づいたことがあったら俺に教えて欲しいんだ。それと、これは君にしか頼めないことなんだけど」
そこから続く内容を、敦は言われる前からおぼろげに予測はついていた。
案の定、玲は想定通りのことを言った。
「胡桃さんのことも、よく見てみて。先入観を捨てて」
「……疑っているのか」
「たぶん、俺だけじゃない。柿原もひとめ見たときから疑っていたんじゃないか。彼女、なんだか、人間とは思えないところがあるんだ」
そして、続けて尋ねてきた。
胡桃さんの異能って、どういうものなの? と。
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