【2】
第10話 互いを思うがゆえに
それではみんな揃ってところで改めまして~! と、玲が明るく切り出した。
「お茶しよう、お茶。お兄さんがおごるから。お兄さんこれでもね~、新聞記者と警察で給料二重に受け取ってるから、学生たちにご馳走するのはわけないんだよ。遠慮しないで」
「おごられるいわれはない。この格好で、
可憐な着物姿の敦が、あっさりと玲を袖にして、歩き出す。
「あの、兄様。あの方が絹さんと同一人物っていうのは、本当なんですよね?」
目の前まで歩いてきた敦に肩を寄せて、胡桃は今一度尋ねた。目を瞬き、涙の気配を振り払う。
質問に答えたのは、会話を聞きつけた玲で「本当に本当だよ、胡桃さん。初対面のふりをして、ごめんね。いつも一緒に勉強している絹だよ」と愛想よく言ってきた。
どうにも納得できないまま、胡桃は玲に対して改めて尋ねる。
「星周様もお知り合いとのことですし、絹さんのお兄様? が、そんな冗談を言うわけがないと思うので、おそらくまことなのでしょうけど……。玲様と絹さんは、どちらが本物なのでしょうか?」
玲は「どちらかと言えば、
「年齢は二十二歳。生まれ育ちは葉室玲だ。絹はね、女学校へ潜入するために作った姿。学校にいないときは、こっちの姿でいることの方が多いよ。ほら、記者と妖魔討伐、二足の草鞋だから」
やはり、胡桃の友人の絹という人間は、いないのだ。
喪失感をうまくやり過ごすことができないまま、胡桃は重ねて「どうして」と質問を続けた。
「なんのために、女学生を始めようと思ったんですか? 何か目的があったのだとして、玲様のお姿のままで、学校へ立ち入るのではいけなかったんですか? 男性だから、難しいというのはあるかと思いますが……」
玲は、口の端をつりあげて、笑った。
「俺があの学校に狙いを定めた理由は、おそらく妖魔が潜伏しているから。人間の姿になることができるけど、人間の情緒を解することができない妖魔は、人間にまぎれて一緒に勉強しながら『学んで』いるんじゃないか――痕跡を追いかけていたときに、あの女学校にたどりついた。だけど残念ながらまだ、女学校の『誰が妖魔か』は、見当もついていない」
無言のまま、敦が肩越しに玲を振り返る。
星周もまた、じっと玲の顔を見ていた。胡桃も含め、全員の視線を集めた上で、玲は場違いなほど明るい笑みを浮かべて続けた。
「今追いかけている妖魔は、俺を産み落とした個体かもしれないんだ。俺の母上様ってこと。だから俺は、自分で探っている。まだ誰か全然わからないから、高槻の家に間借りさせてもらったときはこれ幸いと君たちを調べ尽くした。敦君から『絹さんをお慕いしています』と交際を申し込まれて、快く受けたよ。だって、男女の双子なんか俺からすると怪しいだけだ。俺と同じ理屈で、同一個体が変化しているだけか疑ったし、いまも君たちのどちらかが偽物の可能性を考えている」
玲の体から、殺気のようなものが滲み出す。
ハッと息を呑んだ敦が胡桃の前に立ち、その横を星周が風のように通り過ぎた。
双子を自らの背にかばうようにして、玲と対峙した星周は、緊迫感の滲んだ固い声で言った。
「玲さん、胡桃さんは違いますよ。妖魔でないことは、俺が確認しました」
ちり、と張り詰めた空気に火花が散る気配があった。殺気に反応した星周が、いまにも異能を使おうとしている。玲が何かをしたら、すぐに動く心積もりだろう。
胡桃は、星周の広い背中を見上げた。かばわれている。玲という、脅威から。
(玲様は、私を妖魔だと考えているの?)
絹として、胡桃に近づいてきた玲。高槻家を調べ、敦と親交を持ちながら見張っていたのは「女学生の胡桃」の方だったというのだろうか?
玲の楽しげな声が、辺りに響いた。
「へぇ? 星周、興味深いことを言うね。俺は俺で、敦君に散々揺さぶりをかけた上で、ようやくこれは本当に人間だろうなって納得したところ。星周は、どうやって胡桃さんを人間か妖魔か見極めたんだ?」
わずかな間、星周は玲と向き合ったまま無言になっていたが、不意にくるりと振り返って胡桃の元まで来た。そして「ごめんなさい」と言いながら、胡桃の黒髪をかきわけて、うなじに触れた。
今日二回目の、指と手のひらの感触。
息を呑んで固まった胡桃の横で、敦が「あーっ!」と非難がましい声をあげる。
星周は、胡桃の細いうなじに手をかけて掴んだまま、きっぱりと言った。
「妖魔が、これを許すわけがない。胡桃さんは、あまりにも妖魔の生態に無知で無防備です」
これはきっと、暴れて遮ってはいけない場面だと理解しつつ、胡桃は手の感触に耐えながら蚊の鳴くような声で星周に訴えかけた。
「許しているわけではありません……」
できれば、離してほしい。
他人に触れられるなど想像もしていないところを、しっかりと厚みのある男の手で押さえられていて、しかも玲や敦に目撃されてしまっているだなんて。羞恥心で頬に血が上ってきて、体中が熱を帯びている。それでも、妖魔ではない証明に必要なのかと、必死に耐えているだけだ。
玲は、まるで納得していないように首を傾げた。
「どうだろう。そこを噛んでみた? それで何もなければ、人間なんだろうけど」
「噛む……胡桃さんを噛む……」
星周が、気まずそうに見下ろしてくる。視線がぶつかった瞬間、胡桃はたまらずに叫んだ。
「噛まないでください! 人間ですけど、嫌なものは嫌です! どうしてあなたに噛まれないといけないんですか! 噛む方が妖魔じみていませんか?」
隣で、敦がうんうん、と頷きつつ「もういいだろ」と星周の手を叩き払った。
そして、剣呑なまなざしで星周と玲を睨みつけ、陰々滅々とした声で告げる。
「だいたい、胡桃が玲の探している妖魔だとしたら、玲の生みの親ってことになるんだよな? 胡桃が。一児の母。息子は成人済み。本気で言ってるのか?」
パリパリ、と敦の周りでも細かな稲妻のようなものが閃く。見るからに、大変怒っている。
玲は、敦の怒りを目の当たりにして、それ以上の追求をやめたように肩の高さまで両手を上げ、手のひらを向けながら「わかった、わかった」と答えた。
「高槻兄妹は妖魔ではなく、ただ単にときどき入れ替わりをしている男女の双子、ひとまずそういうことにしておこう。胡桃さんが敦君になるところは見ていないけど、敦君の変装術はよくわかった。その上で、ひとつ提案がある」
敦は無言で、玲を睨みつけた。話を遮らなかったのは、聞くだけ聞く、という意思表示のようである。
星周も胡桃も言葉を挟まなかったことから、玲は笑みを浮かべて続けた。
「明日からも、入れ替わりを続けてくれないか? 女学校の妖魔を探るのに、『どんな不利な状況でも、絶対に人間を裏切らない』確実に人間で仲間だとわかっている敦君の力を、借りたい。万が一の危険が胡桃さんに及ぶのを避ける意味でも、敦君はこの提案を断らないと俺は確信している。どう?」
「僕に女学校へ通えってこと? その間、胡桃は……」
ちらりと、敦は胡桃と星周へ視線を向ける。それを受け止めて、胡桃はめまぐるしく考えていた。
(学校のある日も、兄様と入れ替わりを続ける……! 十日以上あるのなら、私が柿原家の婚約お披露目の会に出席するのも、兄様に打ち明けることなく実行できるかしら?)
女学校に妖魔の危険があるとして、敦が自分の代わりにその対応にあたるというのは、心配だ。しかし、聞いた以上敦はやると言い出すだろう。
その上で、今日胡桃が星周と行動をしている件について、必ず聞いてくる。
柿原家のお家騒動に、敦の代わりに胡桃が巻き込まれかけていたと知れば、激怒して「そちらも自分が行く」と言い出すのは目に見えていた。
結局のところ、両方の危険を敦が一手に引き受けようとする、それを避けるためには。
せめて片方は、敦に知られぬうちに自分が対応にあたろうと、胡桃は決めた。
「わかりました! それでは、さしあたり入れ替わりを続けるのが良いと思います。私はその間、敦兄様として過ごそうと思います。今日こうして星周様とお知り合いになったのも何かの縁、わからないことはすべて星周様にお聞きしますので、こちらはお構いなく!」
「そうだ。そっちの二人はどうして。だいたい、胡桃は僕と入れ替わっていたはずなのに……」
敦が、早速星周に問い質そうとするが、胡桃は「兄様、その件はあとで」と話を遮った。
「いつまでもここで立ち話をしているわけにはいきません。私と兄様が『胡桃』の姿でいるときに、知り合いの方と会ったら大変です。先に、玲様とどこかお茶を頂けるところへ向かってください。私は、星周様と後から向かいます」
星周に対し、いまは私に任せてくださいねと視線を送りつつ、胡桃は早口でその場を仕切るような発言をした。
胡桃としては、どうにか、今日のことと今後について星周と口裏合わせをしたいのだ。まずは、その時間がほしい。
敦はなおも何か言いたそうにしていたが、路地に人影が現れたところで「二人揃った状態で知り合いに会ったら大変」という胡桃の言い分を、受け入れることにしたらしい。いつ、誰に見られるかわからない状況というのは、やはり危険だ。
「わかった。いったん別れて、部屋のある店で落ち合おう。明日以降、入れ替わりをするにして、四人で話をすりあわせた方がいい」
了承して、店を決めると、大変嫌そうな顔をしつつ玲と連れ立って先に歩いて行った。
その背を見送ってから、胡桃は星周に向き直り、「兄には内密に、話しておきたいことがあります」と、自分の考えを打ち明けた。
このまま、胡桃本人としての自分が、あなたの恋人役を続けたいのです、と。
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