第9話 シェークハンズ!

 一日の終わりに「今日は散々だった」と言えるなら、まだマシなのかもしれない。


 次の日は、最悪に終わった前日を取り返すべく、もっと良い日にしようと頑張れるはずだから。


(底の底まで落ちたら、上がるしかない。伸びしろしかないってやつ。終わらない限り、人生はいくらだって取り戻せるわけだけど……!)


 敦は、葉室玲の姿をした得体の知れない相手に鋭い視線を向け、油断なく身構えながら呼吸を整える。

 今日この場で、敦の命運は尽きるかもしれない。


 玲に指摘された通り、敦の異能は直接攻撃向きではないのだ。

 得意分野は、平時における加護の呪符作り。戦場においては治癒術及び、近接戦闘向きの異能持ちに身体強化の祝詞を唱えて送り出すこと。一般人に比べて妖魔の攻撃に耐性はあるが、ひとりでは防戦一方になるのが目に見えている。

 あいつがいれば、と親友の顔を思い浮かべながら、この場にいないものは仕方ないと割り切って、自分が使えるほとんど唯一の「穢れをはらう」祝詞を口にする。


科戸しなとの風 天の八重雲を貫き吹き払うが如く」


 はじまりの言葉を耳にしただけで玲は、笑顔で遮った。


「それ、俺には効かないよ。俺は穢れじゃないから」


「朝夕の御霧みきり


 構わず、敦が続けたところで「朝夕の風の吹きはらう事の如く」と玲が敦の声に自分の声を重ねて祝詞を唱え、敦を閉口させる。


「だから、効かないって言ったよ? 俺は穢れじゃない」


 余裕綽々の笑顔を前に、敦は黙り込んで次なる手を考えることになった。

 玲には、違和感がある。その正体が、まだ掴めない。


(祝詞を覚えて、唱える妖魔? 言葉を覚えて人間の世界に溶け込んでいるなら、それも可能だろうけど。異界から穢れとしてこの世に顕現する妖魔は、この祝詞を耳にしただけで身が捩れるような痛みを覚えるはずなのに、自ら口にすることなんてあるのか?)


 これまでの敦の常識では、およそ考えられない、ありえないことだった。

 しかし結論としては、あるんだろうな、となる。

 実際に、目の前にいるのだから。まったく平気そうでぴんぴんしているのが解せないが、そういう生態の妖魔が新たに出現したというのなら、今後はこれまでとは違った対処法が必要になってくるのだろう。


「高槻の家系はもったいないよねえ。潜在能力は高いのに、使い途が限定されているから。そこで俺だよ。柿原から乗り換えて、俺と組めばいいのに、やっぱりだめ? 何が不満?」


 玲は、実に親しげに声をかけてくる。まだ妖魔側への勧誘、もしくは親密なお付き合いを諦めていない様子に、敦は遠い目になりながら答えた。


「全力で断っているのに、一切ひとの話を聞かないところが嫌だな……。脈がない相手に、しつこい……。しつこい男は嫌だ」 


「粘り強いと言ってほしい。これは長所だよ」


 胸を張る玲を前に、敦はうんざりとして吐息をした。そのとき、どこかから近づいてくる足音を、耳が拾った。

 二人いる。


 敦は目を見開く。

 この音を、聞き違えることはない。他の誰かと、混同することもない。聞き慣れた、双子の片割れの足音。そして、もうひとつ。


 背後に到達する間際、敦は振り返って叫んだ。


「星周、妖魔だ! 力を貸せ!」


 * * *


 走り込んだ胡桃は、どこからどう見ても完璧に自分に擬態している、着物姿の双子の兄を見つける。その正面には、初めて目にする男性。だが、妙に見覚えがある。


「どーもー、いつも妹の絹がお世話になってまーす。兄の葉室玲でーす」


 誰かに似ていると探る間もなく、相手から名乗られた。なるほど絹さんのお兄様ですか、と納得して「はじめまして、高槻胡桃です」と名乗ってから、胡桃は辺りを見回す。

 敦はいま、叫んだはずだ。妖魔がいると。


(妖魔? 絹さんを追いかけてきたんですけど、見当たりませんね。絹さんも妖魔も)


 一方、敦は敦で、胡桃を見て首を傾げていた。


「胡桃……だな」


 その短い言葉を聞いただけで「入れ替わりの日なのに、どうして『胡桃』の姿で現れたんだ?」と言いたいのだと、すぐに理解する。そして、自分と一緒にいる男性の姿を目にして「そもそも、なぜ星周が胡桃と一緒なんだ?」と聞きたいのであろうということも、わかる。

 胡桃は、おそるおそる星周を振り返って、その表情をうかがった。星周は、瞠目して二人の胡桃を見ていた。


「胡桃さんが、増えた……。そうかなと思っていたけど、やっぱりそうなのか。そっちがほんものの、敦だな」

「うん。敦だよ~」


 星周の確認に対し、敦が手をひらひらと振りながら、実に投げやりな口ぶりで答えた。もはや隠せるものでもないと諦めた空気を、ひしひしと感じる。

 それを見て、星周は無言のまま、大きな手のひらで顔を覆ってしまった。長い指の間から「うぅ……」という苦しげな呻き声が聞こえた。


「星周、落ち込んでいるときに悪いけど、妖魔。あれ妖魔! 倍速と身体強化をかけるから、この場からあいつが逃げ出す前に潰せ」


 敦が、容赦なく指示を出しながら、祝詞を唱え始めた。さすがに星周が気の毒になり、胡桃は「兄様、お待ちください」と声をかける。


「人遣いが荒いです。妖魔とは、どこです? それと、絹さんは?」


 玲と目が合い、再び会釈をしてから、胡桃はあらためて周りを見回す。

 親友の安否が気になるのは、当然だ。


(玲様も、お兄様も、絹さんのことを気にしていないのは、どういうこと?)


 敦は、玲が攻撃をしかけてくる様子がないのを横目で確認し、祝詞を中断して胡桃に早口で言った。


「胡桃。残念な知らせだが、葉室兄妹は妖魔だ。お前の友達の絹さんというひとは、この世に存在しない。妖魔だったんだ」

「絹さんが妖魔? 兄様、だから追っていたんですか? それで、本物の絹さんはいまどこです? 無事なんですか?」


 胡桃には、状況がまったくわからない。

 遠巻きに見ていた玲が、離れた位置からすかさず「まぎらわしくてごめんね~!」と口を挟んだ。敦は、いまにも舌打ちせんばかりの、苛立った目を玲へと向けた。


「話に入ってくるな、ややこしくなる。少し待ってろ。言葉がわかる妖魔なら待ての意味くらいわかるだろ?」

「はーい。可憐な乙女が二人揃ったところで、見ているだけで眼福だから待てるよ」


 敦の体から、怒りが揺らめいて立ち上るのを、胡桃は見てしまった。

 それまで、暗い顔をしてうなだれていた星周が、ここでようやく発言をする。


「敦、あのひとは妖魔じゃない。警察の特務機関所属の、葉室玲さん。攻撃型だから、俺はときどき妖魔討伐現場で顔を合わせている」

「ひとの姿をした、妖魔だ。討伐対象だ。滅ぼせ」


 星周の言い分を完全に無視しつつ、敦は真顔で迫る。星周は、敦をしげしげと見て「やっぱりこっちが敦だな。入れ替わりだったんだ、変化へんげとかじゃなく」とたしかめるように呟き、胡桃に視線をくれた。

 なんともきまずそうなその表情を見ながら、乙女のうなじを触った後悔だろうか? と思いつつ、胡桃は頷いてみせる。そちらが兄で間違いありませんの意味をこめて。


「変化?」


 敦が、説明を促すように、星周へ鋭く聞き返した。

 星周は、ちらりと玲へ視線を向ける。待ってましたとばかりに「全部言っていいよ!」と玲が言ったことで、重々しく口を開いた。


「玲さんは、特殊な、変化の能力を持つ。高槻家もそうなのかもしれないと思ったけど、違うんだな。こっちの胡桃さんが敦で、あっちの胡桃さんが……今日敦の状態で出会ったほうが本物の胡桃さん……」


「そうだよ、それで葉室玲がなんだって?」


 話が逸れそうな雰囲気を敏感に察し、敦が強い口ぶりで星周を引き戻したところで、音もなく近づいてきた玲が、愛想の良い笑みを浮かべて口を挟んだ。


「人間の間で暮らしている妖魔がいるというのは、嘘じゃない。俺の場合は、母親が妖魔。子どもを産み落として、すぐに消えたらしいけどね。おそらく『人間との間に子どもができるか』試してみていたんじゃないかって話。おかげで、俺は母系遺伝で妖魔の力を継いだらしくて、変化ができる。新聞記者の葉室玲と、女学生の絹を使い分けて生きているんだ、どっちも本物だよ」

 

「星周」


 あくまで玲とは話したくないと態度で示して、敦が星周に問いかける。


「俺の知っている経歴と一致する。葉室玲さんは、半分妖魔で半分人間、人間の間で育ったので人間側、そういう認識だ。異能で妖魔と戦っている」


 敦は、いかにも渋々といった様子で玲へと視線を向けた。玲は、そこに込められた物言いたい空気に気づかないわけがないだろうに、笑顔のまま敦の手を取ると、明るい声で言い放った。


「シェークハンズ! ということで、俺の秘密を知ってしまった君とは末永い付き合いになるだろう。よろしく!」


 男性陣のやりとりを、胡桃は少し離れた位置から見ていた。

 その胡桃の元へ、星周が大股に歩み寄る。胡桃の目の前に立つと、自分のうなじに手をかけて言った。


「人型に近い妖魔は、番になるときにこのへんを噛むと聞いたことがある。もし胡桃さんが妖魔だった場合、触られたら本性が出るのではないかと……。ただ、妖魔ではないようだったし、敦とも思えなくて、じゃあ何なのかっていうのがどうしてもわからず、もしかして玲さんの同類なのかと」


「それで、変化の術かと聞いたんですね。すみません、私は私で、ごまかすのに必死で、ろくに取り合わないで流してしまいまして……」


 胡桃は自分の事情を知っていたが、何もわからないまま馬車に同乗した星周は、ずっと胡桃が何者なのか考えていたのだろう。赤くなったり震えたりして、ずいぶん怖がらせてしまったのだろうな、と胡桃は申し訳なく思った。


「兄と入れ替わりしていた事情など、この上秘密にする必要は無いようですので、なんでも聞いてください。私も……いま少し混乱しているんですけど」


 親友である絹が玲と同一人物ということは、今までの自分との付き合いはいったいなんなのだろう? と腑に落ちていない。しかも、兄は絹がいなくなったことに関しては、全然気にしていない様子だ。好きだと、言っていたはずなのに。

 悔しいような悲しいような、言いようのない気持ちが込み上げてくる。

 感情がたかぶったせいか、自然と涙が込み上げてきてしまい、星周に見られないようにと顔を背けた。


 口を開きかけていた星周は、会話の糸口を失い、胡桃の細い背を見つめて唇を引き結んで押し黙った。


 二人の間に漂う淡い空気をかき乱すように、敦が「もー、僕はこの胡散臭い男と仲良くするなんて絶対に嫌だ!」と騒ぎ、玲が「逃さないよ~!」と空に届くような高笑いを響かせていた。



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