第8話 万が一は、意外とあり得る
馬車は大通りへ向かい、混雑を避けて道の端で止まった。
先に降りた星周が、手を差し出してくる。胡桃はその洗練された仕草に戸惑いつつも、助けを借りながら石畳へと草履で降り立った。
近くには大きな橋の架けられた川が流れており、さわやかな風が吹き抜ける中、人が行き交う道へと目を向た。
知った顔がないか、探してしまったのだ。
(呉服店や百貨店の多い界隈……。兄様たちがデートをしているはずの煉瓦街からは離れているから、鉢合わせすることはないと思うだけれど)
胡桃がもう一人現れてしまえば、ややこしいことになる。
星周からすると、こちらは「胡桃に扮した敦」で、もう一方は「胡桃本人」になるはずだが、ただでさえ妙な疑われ方をしているときに、双子が揃ってしまうのはあまりよろしくない。並んでしまえば、どうしても入れ替わりには気づかれてしまうだろう。
万が一ということも考えられるので、さっさと店へ入ってしまおうと、胡桃は先に立って歩き出す。
「早く用事を済ませよう。店の目星はつけてあるんだろ?」
正面から、ろくに周りを気にかける様子もなく早足で近づいてくる男がひとり。星周は、立ち止まってから軽く胡桃の腰に手をかけて、自分の方へと引き寄せる仕草をした。
着物の上から指の形を感じて胡桃はハッとしたが、星周は男が通り過ぎると、何事もなかったようにすぐに胡桃を放した。
「事情通の知人がいて、いくつか人気の店を教えてもらったんだ。先んじて出向いて、胡桃さんに似合いそうな品も見繕ってある。ただ、着物はともかくドレスはやはり試着してみなければ、細かい調整が難しいらしい。当日その場で着てみて、すぐに直すというわけにもいかないだろうから、今のうちに直しを」
「いつの間にドレスに決まったんだ? 振り袖じゃないのか」
「もちろん、どちらでも好きな方で構わないんだが、ドレスのほうが足さばきが自由じゃないか? 敦の異能は後方支援型だけど、戦闘になったときは動きやすい方がいいだろ」
あっ、はい、と胡桃は失念しかけていたことを思い出した。
(戦闘用でした……! すっかり、婚約お披露目パーティーに乗り込む恋人役のつもりでしたけど、恋人と名乗っただけで戦闘になるお家柄でした、柿原家は)
それならドレスのほうがいいのかな? と思いつつも、実はこれまで着物以外に縁がなかった胡桃としては、勝手がわからない。女学校で身につけている生徒もいるが、学校向けと夜会向けでは違うように思う。
「夜会向けのドレスって、肌が出たりしないか?」
警戒しながら確認すると、星周は「そうだな」と頷きつつ答える。
「ローブデコルテはたしかにそうだが、合わせた上着を羽織れば良い。肩が出ると胡桃さんではなく敦に見えてしまうかもしれないから、露出は少ないほうが良いだろう。君の肌は他人に見せるものではないし、見るのは俺だけでいい」
「ひとこと余計だ。僕と胡桃を混同しているし、第一お前はまだ、胡桃と将来を誓いあった恋人でもなんでもないんだぞ」
厳しい口ぶりで釘を刺すと、星周も真面目な顔で見返してきた。
「胡桃さんに、認めてもらえるような男にならなければ。まずは敦に認めてもらうところからだ」
「僕は、将を討つ前に射られる馬か。お前とは友達のつもりだったのに、利用前提でいたとは、ひどい話だ」
星周には冗談を言っている気配がないのをひしひしと感じつつ、重めの慕情を受け止めきれない胡桃は、のらりくらりとかわしておく。
(星周様がどうして「胡桃」に思い入れがあるのかもわかりませんが、婚約お披露目会が雌雄を決する決闘で滅茶苦茶になる予定なら、いかに「釣り合いのとれた娘」として高槻胡桃が恋人と名乗りをあげたところで、後日破談になるかもしれませんよね。柿原家は、物騒すぎます)
知ってしまった以上、胡桃としてはどうしたってこの件に敦を巻き込みたくない気持ちが、ますます強くなっていく。
「それじゃあ、まずはドレスの試着かな……。どこの店だ?」
「そこの百貨店。行こう」
再び目的地へ向けて歩き出してはみたものの、人の出が多く、道はそれなりに混雑していた。
星周は、周りより頭ひとつ高い長身なので見失うことはなさそうだったが、ひっきりなしに、ぶつかりそうな勢いで迫ってくる者がいる。胡桃は、さっとよけてから、顔を上げる。
一瞬で、見失うつもりのなかった星周の姿が、消えていた。
あれ? と探そうとしたところで、視界を妙なものがかすめた。
「……絹さん?」
ひとの間を縫うようにして、走っている女性の姿が、遠くに見えた。はっきりと視認できたわけではないが、背格好を含め、よく見知った友人の姿だったように思う。
追い剥ぎにでもあったのだろうか? と視線をめぐらせば、そのすぐ後からさらに、見知ったどころではない顔が彼女を追いかけている。
(兄様……!)
二人で追いかけっこ? どういう状況? と理解に苦しんでいたところで「胡桃さん」と星周から名を呼ばれた。
胡桃の前に姿を見せて、申し訳無さそうな表情で言う。
「ごめん、こうもひとが多くては、はぐれてしまうね。差し支えなければ、どこでもいいから俺を掴んでいて欲しい。上着の裾でもベルトでも」
「ええと……」
せっかく星周が、周囲を気にして「胡桃」への演技をしてくれているが、表情を作り損ねたまま、胡桃は返答に詰まる。
走り去った二人が気になって、それどころではないのだ。
(どうして? 何があったの? 喧嘩? 兄様は、絹さんを追い詰めて何をするつもりなの……!?)
一見すると女性が二人、大急ぎで通り過ぎただけと見えなくもないが、追う敦は男だ。胡桃は敦を信用しているが、絹はか弱い女性の身であることを考えると、手放しに兄に加勢することもできない。
まずは、二人から事情を聞かねば。
一方で、星周にはどう言い訳をしてこの場を立ち去るべき!? という悩みで頭がいっぱいだった。
だが、胡桃の心配をよそに、星周もまた、空気の流れから何かを察知したようで、二人が去った方へと目を向けながら「いまのは?」と呟いている。
それを耳にしたことで、胡桃の中では方針が定まった。
「知り合いが、何か面倒事にあっているみたいだった。僕は追いかける!」
「俺も行く」
振り切るのは無理だろうと思っていた胡桃は、「了解」と答えて走り出した。
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