第7話 勧誘
逃げる絹、追う敦。
人や人力車の間を器用にすり抜け、付かず離れず。見失わない程度に近いが、声をかける隙はない程度に距離があく。
(いっそ、「追い剥ぎです!」って叫べば、周りの男衆が手を貸してくれるかもしれないけど、妖魔の力を出されたら、普通の人間なんてひとたまりもない……!)
葉室兄妹として人間の中で生活していた妖魔が、変化の力以外にもどんな妖術を持っているかわからない以上、刺激したくない。
突然街中で正体を現されても、敦の手に余る大物の恐れも十分あるのだ。
助けを求めるなら、異能持ちだ。
退魔の能力に秀で、一個師団相当とも言われる柿原星周がこの場にいれば、迷わず討伐に移れたことだろう。いつも一緒にいるのに、必要なときにいないと、白皙の美貌を思い描いて八つ当たりめいた気持ちを抱く。
「敦君大丈夫? そろそろ息が上がってない?」
絹が振り返って笑顔で声をかけてきて、敦もまた笑顔で言い返した。
「ええ! もう倒れそうですわ! そろそろ休憩しませんこと?」
止まる気があるなら止まってくれと、すかさず主張すれば、絹はすぐ先の角を曲がって細い道に入り、立ち止まった。
追いかけて路地に飛び込んだ敦も、距離を置いて止まる。
辺りに、ひとの気配はない。
(仕掛けてくるか……!?)
人目のあるところで暴れなかったのは、これから先も「葉室兄妹」として、人間の擬態を続けていくつもりなのだろうと推測ができた。
しかし、事情を知った敦のことは、生かしておけないはず
さてどんなおぞましい攻撃がくるのかと、気を引き締めたところで、絹がふんわりと可愛らしく笑って言った。
「休憩を、ということですが……。このへんは連れ込み宿が多い界隈ですわね。敦お兄様がそのつもりなのでしたら、絹は操を捧げる覚悟はできてますわよ」
「はああ!?」
胡桃の姿をしていることも忘れ、敦は目を見開いた。そのまま勢いよく啖呵を切ろうとしたが、かろうじて思いとどまる。何やら妙にやりづらいと
「絹さんの姿で、絹さんの声で話されると、やりにくい。玲の方を出せ」
絹は笑みを深めて「承知」と玲の声で答える。そして、敦が見ている前でぐにゃりと溶け出し、またたく間に玲の姿となった。
(……本当なんだ。「変化」の術を使う妖魔というのは。取り憑かれているだけなら
聞くのと見るのでは、大きな違いだ。これで、もしかして葉室兄妹にからかわれているだけではないか、という線も残らず消え去った。
玲は、実にさわやかな口ぶりで語りかけてくる。
「俺はどちらの姿でも良いんだけど、男女のほうが連れ込み宿は入りやすいね。お供するよ、胡桃さん」
「そんな話はしていない。さっさと討伐されろ、このはぐれ妖魔が」
いちいち神経を逆撫でる男だと、敦が食ってかかれば、玲は声を上げて笑い出した。
「いや~……。正義感強そうだとは思っていたけど、想像以上だよ、敦君。この孤立無援の状況で、本当に俺と戦うつもり? 高槻家の異能は、補助系特化じゃないか。肉体強化付与とか。それこそ、柿原星周のような突出した異能持ちと組むことによって、真価を発揮する。君ひとりでは、たいした脅威にはならない」
向かい合った敦は、玲の達者な話しぶりに感心して、皮肉ではない笑みを浮かべて頷いた。
「本当に、言葉が上手いな。人間と話しているのと変わらない。心を解さないというわりに、機微に通じていて、煽りが的確だ。異能持ちの家系の情報もよく掴んでいる。後生だから教えてくれ、他に仲間はいるのか? 誰かと人間側の情報を共有し、来たるべき日に備えているんだよな?」
玲がさきほど語った「長期計画」を信じるならば、妖魔側は人間を駆逐するために連携していることになる。潜入しているのが、葉室兄妹だけとも思えない。
どこまで侵食を受けているのか、どの程度の規模で動き、いつを大攻勢の時期として想定しているのか、敦としてはぜひ知りたいところだった。
にこにこと聞いていた玲は、その表情のまま、敦の目をじっと見つめて言った。
「なるほどなるほど。対話を試みようとする冷静さと、度胸もある。可愛らしい見た目だというのに、その豪胆さには惚れ惚れするよ。君なら同士として申し分ない。敦君、ここで提案だ。君に選択肢をあげよう。我々の仲間に、ならないか?」
敦は、いっとき呼吸を忘れる。
何を言い出したのかと、呆気にとられたのだ。
「妖魔の仲間になれということか? 僕が? 人間を裏切って、お前らの側につけと? そんなことをして、僕になんの益がある」
「そうだな。たとえば我々は金目のものに、興味がない。君がほしいだけ取っていけばいい」
ああ、こういうところが妖魔なのか、と敦は奇妙に冷えた部分で納得していた。
妖魔は人間が金銭を欲しがると学習したのかもしれないが、その使い道をわかっていないのかもしれない。
(妖魔が人間の世界を埋め尽くした後に『人間から奪ったもの』として金銀財宝が余るとして……妖魔は人間の血肉にしか興味がなく、それ以外は不要だから。だが、人間が死に絶えたあとにひとりその場に残ったところで、いかに金銭を持っていても、なんの意味もないんだ。あれは人間に対して、意味を持つものだから)
大体にして、いかに人間側を裏切った者が妖魔に対して協力を惜しまずとも、それが妖魔ではなく人間である限り、妖魔が目的を達した後は「不要」になるのが目に見えている。相手には、心がないのだから。
決して、手を結べる相手ではなく、滅ぼし合うしか道はないのだ。
「この僕を買収しようとは、妖魔の浅知恵で考えたものだ。だけど、その誘いに乗ることはないよ。話せば話すほど、ぼろが出るみたいだ。人間に成り切るには、もう少し時間が必要そうだね」
「時期尚早ってこと? 忠告、感謝する。君は可愛いだけではなく、親切だね」
軽やかに笑われて、敦は吐息した。
「
「あはははは、じゃあ穴が空くほど見ちゃおう。ん~可愛い。風が吹けばその甘い体臭がここまで香ってくるようだよ、美味しそう」
ぱたぱたと手で風を起こすようにしてあおぎながら言われたが、妖魔的な感性で褒められても、おぞましいだけである。
敦としては、玲が会話に応じる間は情報を引き出すつもりであったが、そろそろ鳥肌が立ってきた。嫌悪感が強い。
(いちいち胡桃の姿を弄ってくるのが、天然なら嫌すぎるし、わかってやっているのなら、なかなか高度な会話術だ。人間にもいるからな、このくらい気持ち悪い奴は)
男の姿で向き合っていたなら、容姿を冷やかされてもさほど気にならなかった。しかし、こうも胡桃を汚される感覚を味わい続けると、敦の堪忍袋の緒は簡単に切れそうである。まことに、妖魔の煽りは功を奏していると言えた。
「妖魔の君は、時間に余裕があるのか? さきほどからずいぶん、会話を楽しんでいるようだが」
それとも、これはなんらかの時間稼ぎなのか。どこかに仲間がいて、合流してくるのを待っているのか。
苛立ちながらも、敦は根気よく質問を続ける。玲は、相好を崩したまま頷いた。
「今日は君のために一日確保してきたからね。じっくり話して、
「絶対お断りだ。昼日中とはいえ、胡桃が男と二人で出歩くわけがないし、まして外泊だなんて天地がひっくり返ってもありえない。僕はお前の誘いを振り切り、街路にアーク灯が点る前に屋敷へ帰る」
兄として守るべき一線は守ると宣言すれば、玲は敦の目を見つめて、きっぱりと言った。
「どうして帰れるなんて思ってるんだ? 帰すわけがないだろう。君はもう、俺のものだ。そう決めたんだよ、高槻敦君」
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