第5話 君と僕は違うはず

「場所を変えよう。その方が、お互いに良いはずだ。敦君の知りたいことには、きちんと答える心積もりはあるから、心配しないように。逃げないよ、表で待ってる」


 れいは敦にそう宣言し、さっさと勘定を済ませて甘味処を出た。

 その後ろについて店を出ようとしたところで、敦はふと背後を振り返って、店内を見回す。


 視線を感じた気がしたのだが、実際に居合わせた数名が胡桃の姿をした敦に視線を送っていた。ばちっと続けざまに何名かと目が合い、しかもこれ幸いと微笑みかけられて「阿呆くさい」との思いから、敦はにこりともせずに背を向けた。


(連れにあれほど見目の良い男がいて、親しく歓談していたというのに、つけこむ隙があるなんてよく思えるな。胡桃は、いつもこんな視線にさらされているのか。男の馬鹿さ加減に、腹が立つ)


 葉室玲は、男の敦も感心するほどの美青年であった。敦はこれまで出会った中では、親友の柿原星周かきはらせいしゅうを際立った美形だと認識していたが、玲も決してひけをとらない。

 その玲と、男遊びになど縁のなさそうな清楚で可憐極まる胡桃が睦まじく向かい合ってあんみつをつついていたのである。どう見ても将来を誓いあった婚約者だろう、秋波を送るなど無駄にもほどがある、と憤然と考えたところで、がっくりと落ち込んだ。

 胡桃に、言い訳が立たないほど申し訳ないことをしている。目に入れても痛くない、蝶よ花よと育てられてきた高槻の令嬢に、よもや男の影があると世間から誤解される行動を取るなど、兄失格であった。


「帰ったら、切腹だな。切腹しかない」


 前時代の最上級の謝罪を胸に、敦は暖簾をくぐって外へ出た。

 明るい日差しに射られて、一瞬瞼を閉ざす。それから、細く目を開いて、先に出た玲の姿を探した。


「胡桃さんっ。お待たせしましたわ」


 そこにいるであろうと当たりをつけた方角から、聞き覚えのある乙女の声が響く。


「絹さん!?」


 目を見開いて視線を向ければ、柘榴と花の描かれた銘仙に、深い緑色の袴を合わせ、ふんわりとした髪をリボンで結んだ柿原絹が、駆け寄って来るところであった。

 玲と、とてもよく似通った顔立ちをしている。

 なるほど兄妹なんだなと納得すると同時に、どうしていまここへ? という戸惑いが大きく、敦はひとまず絹の出方をうかがった。

 すぐ目の前で足を止めた絹は、絹の顔をしたまま、可愛らしく首を傾げて言った。

 玲の声で。


「なかなかのものだろ、この変化へんげの術というのは」


 ほんのわずかにでもその可能性を考えなかったといえば、嘘になる。

 敦は、すぐさま攻守に移れるように身構えつつ、注意深く絹の様子を観察した。


(葉室兄妹が、妖魔? いや、すぐに決めつけるのは危険だ。片方だけが乗っ取られたのかもしれないし、妖魔が兄妹のふりをしているだけで、本物はどこかで無事に生きているのかもしれない)


 思い込みでこうと決めつけないで、まずはできるだけ冷静に話して相手から情報を引き出そうと方針を定める。一方で、さきほど玲から聞いた妖魔の厄介な習性が、どうにも引っかかっていた。


 人語を解しても、心はそこにない。言葉でやり取りができるからといっても、相手はまったく違うことわりを持つ存在なのだという。

 そうであるなら、話し合うことにより幾ばくかの知識を得たところで、それをそのまま信じても良いものなのか。


 ものの数秒で、何通りもの思いを巡らせた敦の思考を読んだように、絹は玲の声で話を続けた。


「これが、妖魔が人間社会に溶け込むときに使っている術だ。敦君が気にしているようだから、もったいぶらずに教えてあげよう。葉室絹という人間は、もとからこの世に存在しない。いや……、実際は雌雄の区分がない一つの個体があり、場合によって使い分けていると言うべきか。あるときは兄の玲、あるときは妹の絹。ちなみに、玲はすぐそこの新聞社勤めの記者をしている。帝国大学を卒業してからね」


 つまり俺は、敦君の先輩だよ~! と、絹の顔のまま玲の声で締めくくられて、敦は口の端をつり上げて笑った。


「どうも、後輩です。殴っていいですか、先輩。殴ります」


 拳を握りしめれば、絹は「待ちなよ」と言った。声は、やはり玲のまま。


「往来で、女に手を上げようっていうのかい? 胡桃さんの姿のまま」


 見た目と声がまったく噛み合わない、その時点で頭がくらくらしてくる。思った以上に、惑わされてしまうらしい。

 気を強く持て、と自分に言い聞かせながら、敦ははっきりと宣言をした。


「あなたの息の根を止めた後、観衆がいるようでしたら、服を脱いで『高槻の双子の、男の方』だと示します。胡桃に迷惑はかけない」

「最終的に敦君だとわかるとしても、いきなり女学生を殴って脱衣する時点で、胡桃さんにとっては迷惑だろうなあ……。同じ顔なわけだし、兄である敦君が、胡桃さんの姿でふらふら出歩いていた事実は残るからね。敦君は、その擬態でいったい、何をしていたんだっていう」


 すうっと、敦は目を細めた。強く拳を握ったまま。


「言葉覚えたてなのでしょうか、妖魔の君は。ずいぶんおしゃべりが好きみたいだけど、僕が全然楽しくなさそうなのはわかってないみたいですね。さすが妖魔。人の心がわからないって、そういうことか」


 にこにこと聞いていた玲であり絹であるものは、「くっくっく」と喉を鳴らしていたが、やがて耐えきれなくなったように腹を抱えて笑い出した。


「敦君、いいねぇ~! その強気な感じ、惚れ惚れする。まさかこの俺と本気で渡り合えると思ってる? 高槻の異能は攻撃向きではないはずなんだけどね。それとも、近くに柿原君でもいるのか? さすがに彼が出てくると、分が悪い。なぜ俺がここまで情報通かというと、もちろん調べているからだよ、彼のことも」


 伊達に新聞社勤務じゃないよ? と、あくまで人間的な手法で調べたと言わんばかりの言葉を添えてくるが、敦としては何も信じる気にはなれない。

 それでも、心を解さぬ妖魔にもかかわらず、ここまで達者な会話ができるものかと感心しながら、言い返す。


「挑発に引っかかるほど、安い男じゃないつもりですよ、僕は。高槻が戦えないって、それどこの情報です? 死ぬ前に口すべらせて、もう少し詳しいことを教えてくれますか?」


「いいよいいよ、なんでも聞いて。言葉覚えたての妖魔、会話もっと楽しみたい……! ふふっ、面白いよなぁ、敦君は。俺の言うこと全部真に受けちゃって」


 余裕そうな態度を崩さずにそう言ってから、絹は不意にくるりと敦に背を向けた。


「は?」


 つい今しがたまで、いかにも交戦すると見せかけていた絹は、突然脱兎のごとく煉瓦の敷き詰められた道を蹴り、往来を駆け出す。


(まさか、逃げるのか!? この状況で!? 逃げないって、自分から言っていたのに!?)


 敵前逃亡は士道不覚悟の精神はないのか、妖魔には! と心の中で叫びつつ、見失ってなるものかと敦もまた駆け出した。


 ひとりで対応するのは手に余る恐れがあるし、どこかで援軍を頼めるならそうすべきである。

 それこそ、退魔の異能においては圧倒的強者である柿原という男を、知っている。

 敦もまた異能持ちだけに、妖魔からの攻撃には一般人とは比較にならない耐性こそあるが、玲の指摘どおり「高槻の異能は戦闘向きではない」のだ。直接の近接戦は避けたい。


 だが、いまはさしあたり、妖魔らしきものをこの昼日中の帝都で見失うことのほうが恐ろしい。彼の言うことを信じるならば、新聞記者やら女学生として人に溶け込んでしばらく生きてきたらしいが、なにしろ「次に何をするか、まったく読めない」相手なのである。

 今日まで人の間で人間として生きてきたからといって、明日以降もそのつもりとは限らない。

 

「待てと言って、待つわけないのはわかってる、けど。絹さん、足速いですわね!」


 自分がいま胡桃の姿であることを思い出し、胡桃のような言葉遣いで毒づきながら、敦はふと思う。

 絹の姿で玲の声で話す妖魔と、自分もあまり変わらないのではないかと……。


(違う、違う。全然違う。あれは変化の妖術で僕は女装。全然違う)


 自分でも若干納得いかない弁明をしつつ、敦は絹の背中を追いかけて、走り続けた。

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