第3話 え? なんだか重くないですか?
位置関係のせいとはいえ、圧倒的な体格差を実感する。
(私も、兄様のふりがつとまる程度には、小柄でも華奢でもないのですが……っ)
それは、彼の持つ「異能」の濃厚な気配のせいもあるに違いない。
目の前に立たれただけで、凄まじい威圧感がある。
だが、それでもいまの
自分の持つすべての「強がり」をかき集めると、ひょいっと姿勢を正して座り、にやにやと笑いながら星周を見上げる。
「どうしたんだ、いつもの星周らしくないよ。落ち着いて話そうじゃないか」
こわばった表情を浮かべていた星周は、ため息をついて目を閉ざした。
長いまつ毛が、強調される。端々の造形までが美しく整っていて、憂い顔さえこうも華やかに人目を引くものかと、胡桃は束の間感心して見つめてしまう。
星周は、うっすらと目を開けて胡桃を見下ろしてきた。
「すまない。どうも、胡桃さんのこととなると、冷静ではいられないようで」
「なんでだよ」
ぼうっと見惚れていたせいか、敦を装いつつも油断して、思ったままの感想が口をついて出てしまった。
言ってしまったものは、引っ込めることができない。
(だって私、あなたからそこまで想いを寄せられる覚えが、まっっったくなくて、ですね……なぜ!?)
やぶ蛇と思いつつ「星周の本気がそこまでとは、思わなくて」と余裕ぶった態度で付け足す。
案の定星周は「そこまでとか、それは実際にどこまでなのかと言われると……」と顎に手をあて、視線を横に流して考え込んでしまった。
(完全に、余計なことを言ってしまいました……)
胡桃は、冷や汗を浮かべながら返答を待つ。
結論が出たらしい星周は、厳粛な面持ちで言った。
「駆け落ちしたいくらいだな」
胡桃は、力なく笑った。
(……重い……。予想以上に重い。どういうことですか?)
ここまで聞いてしまった以上、いまさら「実は私、胡桃です!」と言うことなどできるはずがない。
心境としては、毒を喰らわば皿までの気持ちで重ねて尋ねた。
「そこまでいくと、胡桃との結婚は、もう柿原の家も関係ないってことにならないか?」
星周は、姿勢の美しさを保ったまま畳に片膝をつき、胡桃の目を見つめてきた。
琥珀色の澄んだ瞳に、苦笑いを浮かべた自分の姿が見えたようで、胡桃はわずかにうろたえる。本当に、自分はいま、兄のふりができているのか? と。
その不安をかきけすように、星周は切々と語りかけてきた。
「まず、義母の一族による柿原家乗っ取りは阻止する。それが俺の意向だ。十日後の婚約披露が企てられている夜会に、胡桃さん本人ではなく敦に出席して欲しい理由は、義母の手の者に何か仕掛けられるのが確実だからだ。胡桃さんを、危険にさらすわけにはいかない。これは敦の身を軽んじているのではなく、能力を買っているという意味だ。敦の『異能』は、
「胡桃の
少し、むっとして言い返してしまう。
(
兄と親友の
ただ、星周が持ちかけてきた身代わり話は、彼の言う通りであるのなら、かなりの危険を伴うことが予想される。
それを知りながら、話を聞くだけ聞いた後に敦にその役目を譲り渡し、自分は安全な場所で高みの見物を決め込むなど、できるはずがない。胡桃にとって、敦は大切な兄なのだ。
むしろ、絶対に敦には知られないように当日まで敦に成り代わりつつ、自分の手で始末をつけるべきだと、早々に腹を決めてしまった。
なにしろ、星周が必要としているのは「胡桃」なのだ。ならば胡桃本人が出て行くことに、不足などあろうはずもない、という勝ち気な思いがふつふつと湧いてきている。
星周は、敦に扮した胡桃の顔を見つめて「胡桃さんが、薙刀を使えるとしても」と断りを入れてきた。
「柿原の家は、異能の使い手だらけだ。薙刀が強いだけでは太刀打ちができないし、胡桃さんにも異能があるとは思うが、身内でもない俺が詳しく聞くわけにはいかないだろう。その点、敦の能力ならよくわかっている。いざというときの連携も、敦なら安心だ」
俺とお前の仲じゃないか、とばかりに親密さを思わせる文言を並べ立てられて、胡桃は一瞬気が遠くなりかけた。
(兄様は星周さんに、異能の詳細まで打ち明けているってこと? その力を見込んで、柿原家の陰謀を打ち砕く手助けをしてほしいと……「胡桃」の姿で)
なぜなら、厄介事とは別に、本来期待されているのは「恋人」としての立ち回りであり、行き着く先は結婚だからだ。
その場に、どうしても敦ではなく「胡桃」が必要だというのも、理屈としてはわかる。
わからないのは「駆け落ちしたいほど」の執心だ。心当たりがない。
「そこまできちんと本家乗っ取りの陰謀とやりあうつもりなら、その後駆け落ちして家を捨てるのも辞さないというのは、どうにも納得がいかない。星周は、柿原の家を守りたいんだよな? 胡桃と駆け落ちしてどうする。僕を納得させられるか?」
兄のふりをしたまま「その胡桃への思いは、いったいどこからきたんだ」と問い質すと、星周は清涼感のある目を訝しげに細めて「敦?」と逆に聞き返してきた。
「胡桃さんへの思いを語ってほしいという意味か? 長くなるぞ? 聞いてくれるのか、そうか」
瞳が、煌めいている。
しかもなぜか、にじり寄るようにして距離を詰めてくる。
あまり近づかれては、なりすましているのがばれてしまいかねないと、胡桃はあっさりと降伏した。
「いや、わかった。いい。それはなんというか、本人にまず言ってくれ……。兄として、聞きたくない。関わりたくない!」
「そうか? 話したかったんだがな。なにしろ、敦は胡桃さんとよく似ているだろう。胡桃さんに話す前の練習として」
「僕で練習するなよ! 本番があれば十分だろ!」
逃げを打って胡桃が立ち上がると、星周もすばやく立ち上がり、にこりと微笑みかけてくる。
「そういうわけで、敦。早速だが今日はこれから、夜会に身につけるものを
「『つい』で口説くな。遊び人か、見損なったぞ。まあ……異能持ちともなれば、誘惑も多いだろうが」
重々しい話をするわりに、軽佻浮薄な男だと、胡桃は星周を睨みつける。
(それなりにびっくりして、ドキドキしたのに。中身はただの好色……)
真剣に考えて損をした、と気持ちを切り替えようとしたところで、星周の手がのびてきて、肩に流していた胡桃の髪に指先で触れた。
びくっと胡桃は肩を震わせて、星周の目を見る。
ひどく真摯なまなざしで、星周は囁きかけてきた。
「口説きたいのは、君だからだ。胡桃さん――って言ったら、胡桃さんはどういう反応をしてくれるかな。敦、兄としてぜひ意見を。いまの俺はいい線いっていたと思うか?」
「知るか!」
無駄に声が良くて、困る。
さほど広くもない部屋で、触れ合うほどに距離を詰められて、心臓の音が聞こえてしまわないかと、焦る。
どうにか叱り飛ばして睨みつけると、星周は実に魅力的な笑みを浮かべて「それじゃ、出かけるにあたり、胡桃さんの着物を借りてきてくれ」と言い出した。
「なんだって?」
中身が胡桃だというのに、胡桃の着物を着てしまった日には、完全に胡桃になってしまう。
男装した女性が女装をすることにより「本人」になるけれども、同行者の星周に対してはあくまで成り代わった相手である「敦」として振る舞い続けるというのは、つまりどういうことだろう? と胡桃は思い描こうとした。何やら、非常に不毛な気配がするのは、気のせいではないはずだ。
その心を知るよしもない星周は、まるで当然とばかりの口ぶりで言うのであった。
「女人の服を用立てるのに、敦の格好のまま出かけられないだろう。胡桃さんに化けてきてくれ、デートだ」
「中身は、僕だぞ。口説くなよ」
一応、そこは忘れないで欲しいという気持ちを込めて、胡桃はきっちりと主張しておいた。
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