第2話 番(つがい)に適した間柄?

 一瞬、口説かれたのかと錯覚しそうになった。

 顔に血が上るのを感じたが、違う違う! と胸の中で叫ぶ。


(まだ、成りすましはばれていないはず。星周せいしゅう様の中では、「あつし」に打ち明け話をしているだけ、そうよね?)


 胡桃は、火照った顔を見られぬよう横を向きながら、ひとまず口を開く。


「……それならそれで、僕ではなく、まず胡桃くるみ本人に……。いや、二人には、接点が無いか」


 無い。

 自分で言ってみて、胡桃はすぐに思い知る。


(私は女学校ですし、星周様は兄と同じ帝国大学の学生として日々大忙し。両家が結婚を前提として交際をお膳立てしない限り、直接お目にかかる機会もなく……)


 名のある家ともなれば、結婚は惚れた腫れたではなく、家と家の力関係や利害の一致がそのすべてと言って良い。

 表向き「恋仲で」と言うことがあるとしても、それはあくまで綺麗事だ。そんなわけがない、と誰もが知っていても「それは素晴らしい。新しい時代は男も女も自由であるべきです」と茶番が繰り広げられるのが、昨今の風潮なのである。


 なにしろ「異能」と呼ばれる特殊な能力が顕現しやすく、存続させることが何より優先される家系に至っては、政府によって結婚を厳密に管理されているくらいだ。

 胡桃の女学校の友人の中にも、親の決めた婚約者の元へ、卒業と同時に嫁ぐと決まっている者が少なくない。


 すでに相手が定まっているとあらば、両家とも当然のごとく「若者に出会いは不要」と考える。

 登下校は送り迎え付きで行動範囲は制限され、遊び歩くなど以ての外。門限も厳しい。家族以外の男性とは口をきいたこともない、という女学生も特に珍しくはないのだ。

 社交界に顔を出すような付き合いが親にあるのなら、また話は違ってくるのかもしれないが、高槻家は両親が夜会に出席することはあれど、双子の兄妹を連れて行くことはない。


 これほど「自由恋愛」が入り込む余地のないご時世に、兄の敦が胡桃の友人である葉室絹はむろきぬと知り合ったのは、めぐり合わせというもの。

 ある日たまたま、家人の都合のつかぬときに、敦が胡桃の下校に合わせて迎えに来たのだ。どういうわけか、その日は待てど暮せど葉室家からの迎えの者が姿を見せず「それなら、家まで送って行きますよ」と敦が申し出て、三人で和やかに話しながら街歩きをすることになった。


 目的の葉室家についてみれば、屋敷から出火して上を下への大騒ぎの真っ只中。全焼は免れたものの、片付けに時間を要する……という窮状にあり「お嬢様は当家へ居候なさっては?」と高槻家から葉室家へ申し出たのだ。

 ほんの十日ばかりの期間であったが、その間に敦と絹は思いを通わせたらしい。


 絹が家に帰り、気軽に会うのが難しくなってから、敦は胡桃に入れ替わりを頼み込んでくるようになった。

 結婚話を進めれば、人目を忍ぶ必要もないのだが、葉室家側の事情で婚約すらすぐにはできないのだという。

 兄と親友、二人のためならばと、胡桃は身代わりを引き受けることを決めた。


(そのくらい、男女が知り合ったり、密会デートしたりするのは難しいわけでして……。胡桃わたしと星周様に関しても、高槻家と柿原家が積極的に動かない限り、出会いの機会すらないんですよね)


 双子の兄と親友が惹かれあっているのを見て、胡桃も男女の関係に幻想を抱いている向きはあるが、大切なのは当人同士の気持ちではなく、家の判断だ。星周が、胡桃本人より先に、まずは家族である敦に結婚の打診について話したのは、順次としてごく真っ当なのだった。

 胡桃の結論を見越していたように、星周が淡々とした口ぶりで言った。


「家の恥をさらすようなものだから、これまで敦にもあまり言わなかったんだが……。父の後妻である義母は、柿原本家へ影響を持ちたい分家筋の出身なんだ。もし義母と父の間に子が生まれていれば、俺はここぞとばかりに厄介払いされたかもしれない。だが、今までのところ弟も妹も生まれてはいない。当てが外れたことで、義母を本家へ送りこんできた一部の者たちが焦っているようで、そそのかされた義母が俺に狙いを定めてきたんだ」


 当主との間に跡継ぎが生まれなかったことで、次期当主を取り込もうとしていることだろうか? と、胡桃は腕を組んで考え込む。「異能」持ちの家系としては、騒ぎ立てるほどの悪手とも思えない。

 星周本人に、結婚に関して明確な考えがあれば、また別かもしれないが……。


「それは星周にとって、どうしても回避したい問題なのか?」


 敦を装った胡桃の問いに、星周が押し黙る。

 眼光は鋭く、眉間に皺を寄せて胡桃を睨みつけてきた。


(ええっ……怖っ……!)


 確認しただけなのに、と胡桃は泣きそうになったが、歯を食いしばって耐えた。そのくらい、美形の不機嫌もあらわな凄みには迫力があった。

 星周は、ハッとしたように瞬きをしてから、大きな手のひらで目元を覆う。


「すまない。この話は俺自身が平静でいられず、どうしても空気を重くしてしまう」


 重いどころか、強烈な敵意のようなものを感じたが、それは目の前にいる胡桃に対しての感情とも思えない。おそらく、本人にも制御できないほど複雑な思いがあるに違いない。よほど義母に手を焼いている、など。


(兄様との間で、気軽に話題にもできなかったということは、かなり思い詰めてらっしゃるのでしょうか)


 姿を兄と偽ったままで、これ以上踏み込んだ話を聞いて良いものかと悩みながら、胡桃はつとめて平静を装った声で言う。


「そういうことなら、無理はしなくて良い。気づかなくて悪かった。まずはお茶でも用意しよう」


 ひとまず仕切り直して空気を変えようと、胡桃は腰を浮かせた。

 星周は、ほっとしたように息を吐き出し、やわらかな笑みを浮かべた。


「気を遣ってくれて、ありがとう。だが、もともとここに長居するつもりはなかったので、取り次いでくれた女性にも、もてなしは不要と言ってきたんだ。それで敦、今日この後は、時間を取れるか?」


 流れるように質問が自分へと向けられて、胡桃はつい素で答えてしまった。


「今日は、このまま出掛ける予定もなく、夜までこの部屋で過ごす予定だった」

「そうか。じゃあ、その時間を俺にくれないか?」

「ん?」


 きょとんと目を瞬くと、星周は涼しい美貌に笑みを浮かべて言ったのだ。


「敦に恋人役を頼むにあたり、まずは『胡桃さん用』の着物を仕立てよう。振り袖とドレス、どちらが良い?」


 そういえばこの話、終わっていなかった、と胡桃は思い出す。


「待て。そもそもなんで、君は胡桃を借りたいんだ?」

「結婚したい」


 キリッとした真面目な顔で言われて、胡桃はよろめいて畳に腰を落とした。思わず後ろに手をつき、身を引く。


「く、胡桃の気持ち次第だって、さっき言っていたよな? 本人を差し置いて、先走るなよ」


 星周が、ゆっくりと立ち上がった。

 体勢と身長差のせいで、はるかな高みから見下される。


「柿原の分家筋が本家の血筋にこだわるのは、柿原の持つ異能のせいだ。柿原家は、鬼や妖魔との戦闘に本領を発揮する。本家は常に、一族最強の退魔師を輩出する責務を負う。当代最強は当主である父で、後添えとなった義母も分家の中では力が強いほうだ。つまり、異能を持たない人間は、近づくだけでも危ない」


 迫力に気圧されながら、胡桃は「う、うん」と頷く。


 鬼や妖魔――それは、異界からこの世へ現れるとされている、人間に対してひどく敵対的で残虐な行為に及ぶ者たちのことだ。

 その能力や外見は個体によって異なるが、たいていは人間とは似ても似つかぬ姿で、動物としてみようにも異常に発達した牙や爪、角などを備えていて性質は常に攻撃的、しかも会話は成立しない。


 小型の者でも凄まじい膂力を持っていたり、刃や銃による攻撃をものともせぬ頑丈な体をしていたり、その上目ではとらえきれない俊敏な動きをする者すらいるという。

 こうなると、並の人間では歯が立たない。出会ったら、瞬殺される。


 彼らと戦えるのは、特殊な「異能」を持つ者たちだけだ。

 五感とは異なるその能力は、誰もが持つものではなく、血によって継がれるとされている。強い「異能」が顕現する一族は非常に貴重だ。


 決して血を絶やさず、効率よくその能力を次世代に継ぐ――


 妖魔と戦う人類にとって、その優先度は高い。

 長い歴史の中で、退魔の力を持つ者たちが全国へその守備網を広げ、どうにか競り勝ってきたことで、今では人里での邂逅は稀となってきたが、依然として脅威が完全に消え去ったわけではない。

 いつまた、彼らが大挙して押し寄せるか、わかったものではないのだ。

 備えは、常に万全にしておく必要がある。


 しかし「異能」の悩ましいところは、必ずしも親から子へすべて継がれるわけではないというところにあった。

 強い異能の家系をかけあわせたところ、異能そのものが消滅してしまい、子の誰一人両親のどちらの異能も継がなかった例もあるという。


(こういった家系の管理は、政府の中でも重要な部署のひとつとしてあって……。兄様は、そこを志願している)


 膨大な蓄積から、最適な組み合わせを予想して、力のある「名家」となった異能持ちの次世代の当主たちに、婚姻を提案する役回りだ。

 力で従わせるのは不可能で、機嫌を損ねるわけにはいかず、すでにして莫大な富や強力な人間関係を形成し、事業なども手掛けて飛ぶ鳥を落とす勢いの者たち。この国に限らず、海の向こうの国でもたいていは「貴族」に分類される彼らに、世のため人のために尽くせと個人の思惑を超えた大義を押し付けるのである。大切な役目だが、生半可な仕事ではない。


 それでも敦がその仕事を志しているのは、「そこが腐敗したら、この国がだめになるからだ」と言っていた。


 すでに大学でその研究を進めている敦が、あるとき「胡桃は可能性として、柿原の家がいいかもしれないね」と言っていたことがある。

 そのときは「お兄様のご友人の、星周様ですか」と受け流し、遠目に本人を見かけたときも会釈をした程度で、強い関心を抱いたことはなかったのだが。

 

「まさか、君は兄様に何か言われて……いや、つまりその、僕の家系に関する研究を真に受けて、胡桃を欲しがっているのか……?」


 もしかして、敦は星周にも同じ話をしたのだろうか、と胡桃は思い至った。

 釣り合いがとれているだけでなく「異能」の組み合わせも良さそうだ、などと。

 それはより生々しい表現をすれば「つがって子を成すに適した男女」ということである。

 結婚した暁には、当人同士の気持ちはともかく、周囲からは「とにかく次世代の要となるように、早くたくさん子を作れ」と言われる関係だ。


「敦」


 呟きながら、厳しい顔をした星周が一歩踏み出してきて、胡桃の上に影が落ちた。

 逃げることもできぬまま、胡桃は「っ」と小さく息を呑んだ。

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