第29話 復元

 閉じていたまぶたをゆっくりと開けた瞬間、田園風景が視界いっぱいに広がっている。気付くと俺は、日本海側の、海沿いに面する、とある町の中にいた。

「この見覚えのある風景……海山町うみやまちょうか?」

 アスファルトで塗装とそうされた田圃たんぼ道のまんなかで佇む俺の他に誰もいない。ただ、人も車も往来していないその場所には見覚えがある。

「とにかく、進んでみるか。俺の勘が正しければ……この近くにある筈だ。江戸時代から続く、由緒ある長者屋敷がな」

 目的地がはっきりとしているぶん、なんの迷いもなく前へ進みやすい。一路、長者屋敷へ向けて、俺は歩き出す。


 目にする田圃たんぼと言う田圃に入水されておらず、土が耕された状態で放置されていた。田圃の状態や、道に沿って植えられている桜の木から推測するに、今は大体、三月から四月頃だろう。俺がいた時はまだ、寒い冬の季節だったから、少なくともそこから時が経った場所にいるのは間違いない。

 不安半分、期待半分で、黙々もくもくと歩を進めること数分。不意に視界が開けた場所までやって来た俺は、ついに目的地へと辿り着いた。穿いているパンツのポケットの中に手をつっこんで佇みながらも、気取るような含み笑いを浮かべるその面前に姿を見せた物……その正体は、町外れにそびえる、古い日本家屋だった。



 海山町に、古くから伝わる噂話がある。この屋敷は江戸時代に建てられたもので、先祖代々、受け継がれてきた長者が住まう屋敷だった。

 そして、屋敷の地下にはほこらがあり、天と地を揺るがすほどの強大な力を持つ堕天使だてんしが封じられている。

 堕天使は、町に災いをもたらす負の象徴として恐れられており、屋敷を管理する長者は、先祖代々続く、強大な霊力を持つ退治屋としても知られ、先祖が封じた堕天使が再びこの地に復活することがないよう、祠の上に屋敷を建てて監視をしていた。

 以前、不治の病で寝たきりになっていた長者からこの話を聞き、その真偽しんぎを見極めるために噴水に飛び込んだのだが……どうやら、時を越えることに成功したようだ。ほくそ笑んだ俺は、歴史を感じる、立派な門構えの屋敷の中へと、足を踏み入れた。


 そこはすでに廃墟と化していた。長者が住むに相応しい、大きくて立派だったかつての面影を残すこの屋敷の所有者は既に病死している。以降、ずっと空き家になっているらしく、廃墟と化す屋敷の外壁のところどころはヒビ割れ、瓦屋根かわらやねや庭が荒れ放題になっていた。屋敷の荒れ具合がら推測するに、十年は経過しているだろう。

 長い間、風雨にさらされ続け、手入れが行き届いていない荒れた屋敷と庭園、まっ昼間だが、今にも自分以外の、人ならざる者が出てきそうな、不気味で陰湿な空気が漂っている。

「冥界一怖いと言われるお化け屋敷も好きだけど、リアルお化け屋敷みたいな、こう言うところの雰囲気も好きだなぁ、俺……」

 お化け屋敷よりも怖い雰囲気を纏う屋敷に好奇心がくすぐられ、俺はるんるん気分で屋敷の敷地内を調べてみることにした。


 正面玄関から左回りに屋敷を半周すると、地下へと通じる石段が姿を見せる。石垣に囲まれた石段を覗き込むと、夜のとばりよりもはるかに深い漆黒しっこくの闇が広がっているため、先が全く見えなかった。

 スマホの灯りを頼りに石段を降り、細い通路をまっすぐ進むと、鉄製の扉が姿を現した。地下室への入り口である。

 なんとも不気味さ漂う扉の前で立ち止まると手を伸ばし、分厚い埃に覆われた扉を開ける。それはまるでギリシアの首都、アテネにある古代ギリシアの、パルテノン神殿の一部を切り取ったような造りの広い、大理石の祠だった。表と違い、大理石の床に自分自身が映るほどに、祠の中はピカピカに磨き上げられている。


 全面に広がる床の中央には、十字架に組まれた大理石の柱があり、俺の目は、十字架に組まれた柱に注がれた。吸い寄せられるように中へと足を踏み入れ、柱の前で立ち止まる。

 長者の話では、この柱に白色の像となった堕天使が、短剣により打ち付けられている……とのことだった。その後で写真も見せてもらったが、俺が見る限り、この柱に堕天使が打ち付けられていない。と言うより、堕天使そのものの姿がそこにないのだ。

「……もう既に、堕天使の封印が解けてしまったのか? もしそうなら、堕天使の封印を解いた人物がいるってことになるけど……」

 そう推測した俺は、注意深く祠の中を見廻みまわした。十字架に組まれた柱しかない、だだっぴろい祠の中には自分以外、誰もいなかった。


「さすがに、この中にはいないよな……」

 となると、堕天使とその封印を解いた人物は既に、ここから外へ出ている。それなら……

「しゃーない……乗り掛かった船だ。該当者がいとうしゃ達を、捜しに行こうじゃないの」

 かくして、長者屋敷の地下にある祠に封じられていた堕天使と、封印を解いた人物をさがすことにした俺はふと、あることを思い出す。

「そーいえば、あの時……長者が言ってたな。『私には身寄りがなく、後継者もいない。長きに渡り、堕天使を封じる祠を管理してきたが……それも時期にできなくなってしまう』……て。

 長者が逝去した後、冥界のあの人が長者の遺志いしあとを継いで祠を管理しているんだよな」


 現在、祠を管理しているのは生前、長者から引き継いだ厳格な冥界の人間……このままにしておくと、堕天使の封印を解いた人物が処罰の対象になりかねない。もしもそうなってしまったら、なんで堕天使の封印を解いたのか、理由が聞き出せなくなる。

 危険だが、ダミーを置いておこう。そんで、バレないうちに堕天使を見つけ出して封じる……それしかない。

 頭のきれる、厳格な祠の管理人さんの目をどこまであざむけられるか自信はないが、やらないよりはましだ。

 そうして俺は、記憶を頼りに神力で以て、びた短剣で柱に打ち付けられた美しき青年の天使の像を復元したのだった。

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