第19話 激震

「……そうね。あの至近距離でシロヤマを止めるには、ああするしかなかった。でも……」

 身体の底から湧き上がって来る熱いものをぐっと我慢したまりんちゃんはそこで一旦区切ると、

「これがすべて、幻だったらいいのにって思わずにはいられない。こんな残酷なことってないよ。シロヤマに矢をったのが細谷くんじゃなかったとしても……こんなにも、胸が張り裂けそうになることもなかったのに!」

 左手で胸を押さえながら、涙が浮かぶ切ない顔をして、言葉を付け加えたのだった。


 真一文字に口を結ぶ細谷くんは、返事をすることなく沈黙していた。決して下を向くことなく、まりんちゃんを見詰める細谷くんには、切実に訴えるまりんちゃんの声がしっかり届いていた。

 ただ今は、まりんちゃんの胸中を察しながらも、自分自身がしたことを踏まえると細谷くんは何も言えないのである。

 赤園が、苦しんでいる。俺が、シロヤマに手を下したから。

 ……これも、望んだことなのか?

 前を向いたまま、細谷くんは自問自答した。

 いや、違う。赤園を悲しませ、苦しめて傷つけるのは、俺が望んだことじゃない。それは、シロヤマも同じだ。俺はあくまで、シロヤマの望みを叶えただけ……なのに……なんでこんなにも、罪悪感でいっぱいなんだ。


「大丈夫?」

 どこからともなく現れた美女が微笑み、後ろから細谷くんの顔を覗き込む。夏物の白いコートを着込み、両手を後ろに組んで心配そうに具合を訊いて来た美女に、はっとした細谷くんは思わず身じろいだ。

「難しいわよね。この場合……大人だって、どうしたらいいのか、分からないもの」

 よく澄んだ美声でそう言うと美女は、コツコツと靴音を響かせ、まりんちゃんの方に歩み寄る。

「ごめんなさいね。あなたにまで、迷惑をかけてしまって」

 きょとんとするまりんちゃんの頭を撫でながら、申し訳なさそうに詫びた美女は微笑むと、まりんちゃんから離れてシロヤマの方へと向かう。

「他にもやり方はあった筈……それなのに、自らほろびの道を選ぶなんて……なんておろかで滑稽こっけいなのかしら」

 左胸に矢が刺さったまま、屋上に倒れ込むシロヤマを眼下に、冷めた顔をして佇む美女は蔑視べっしする。


「あなたには、死神生命を懸けてまで護りたい、大切な女性ひとがいるんでしょう? だからこそ、楽な方へ逃げ込もうとしたあなたを、天の神様は許さなかった」

 おもむろにしゃがんだ美女はシロヤマに手を伸ばし、すっと白羽の矢を抜いた。

「さあ、ガクト。目を覚まして。あなたの言葉で、ここにいる全員が納得の行く理由を聞かせてちょうだい」

 静かに引き抜いた白羽の矢を右手で持ち、呼びかけた美女の言葉に、依然として屋上に横たわるシロヤマに返事はない。

「……そう。分かったわ。あなたが、その気なら……私が目覚めさせてあげる」

 残念そうにゆっくりと立ち上がった美女はすー……と大きく息を吸い、

「いい加減……目を覚まさんかい!!」

 心の底から思い切り叫び、同性のまりんちゃんが羨むほどの細長い美脚で以て、シロヤマを蹴り飛ばしたのだった。


「……っ??!!」

 つやのある黒髪ショートヘアが良く似合う美女が履いている、黒くて頑丈な厚底ロングブーツが、シロヤマの腹にクリーンヒット。弾みでシロヤマの身体が宙を飛び、衝撃音とともに屋上に転げ落ちる。

 サッカーボールを蹴り飛ばす要領でシロヤマをぶっ飛ばした美女。かなり見た目とギャップがあるその姿に、その場で佇みながら、放心状態と化すまりんちゃんと細谷くんの二人は激震した。


 以下、まりんちゃんの心の声である。

 イヤ待って。よく分かんないんだけど。あの美女ひといま、死神死人を蹴り飛ばしたよね? しかも美人なのに、どうでもいいボケをかます相方に、切れ味抜群のツッコミを入れる芸人張りの大声あげなかった?

 以下、細谷くんの心の声である。

 つか、なんかいろいろおかしくない? そりゃまァ、相手は死神だし? もとは死人なんだから、蹴り飛ばしたところで痛くも痒くもないだろうけどさァ……

 以下、まりんちゃん、細谷くんの心の声である。

 やっぱ、ダメだろ。どんな理由があるにしろ、死人を蹴り飛ばすのは人としてやっちゃいけない。絶対に良くない!

 面前で起きた状況を冷静に分析し、混乱した頭の中を整理したまりんちゃんと細谷くん。互いに顔を見合わせ、こくりと頷く。


「あ、あの……」

 固唾かたずを呑んで見守る細谷くんを背に、まりんちゃんが緊張の面持ちで第一声を放つ。まりんちゃんの声に反応した美女が、ゆっくりと振り向く。

「お気持ちは察しますがその……今のはさすがに、やりすぎでは……」

 当たり障りのない口調で、しごくまっとうな意見を述べたまりんちゃんと向かい合う美女はいささか残念そうに微笑むと返事をする。

「……もうとっくに、気付いていると思っていたわ」

「えっ……?」

「これは、他の人達も同じなのだけれど……死神はね、消滅する時はその魂が無に還るの。つまり……魂が消滅するのと同時に、それが宿る本体も消えてしまうのよ。それなのに、消滅した筈の彼の身体が消えずに、現世に置き去りのまま……おかしいと思わない?」

 意味深な美女の言葉には、妙に信憑性しんぴょうせいがある。何もかも見透かしたような笑みを浮かべて問いかけた美女の、言葉の意味を考えているうちに、ある可能性を見出したまりんちゃんは思わず、息を呑んだ。

「ま、まさか……」

「その、まさかよ」

 ようやっと気付いたみたいね。そう言いたげに微笑んだ美女が、まりんちゃんの呟きに応じる。

「彼はまだ、生きているわ。今まで気を失っていたようだけれど、今のでばっちり目が覚めた筈よ」


 思い返せば、確かにおかしかった。シロヤマが細谷くんに射ぬかれて倒れた時、ここにいる大人たちは誰一人、その場から動かなかった。まりんちゃんが思うに、大人たちはとっくに気付いていたのだろう。単に白羽の矢を受けたショックで、シロヤマが気絶しただけであることを。なぜ、そんな簡単なことに気付なかったのか。

 死神と言えど、面前で人が一人倒れ、愛する人が手に掛けたことのショックで周りが見えなくなり、肝心なことを見落としていた。それは、シロヤマの望みを叶えるため実行に移し、結果的にまりんちゃんを傷つけてしまった細谷くんにも同じことが言えるだろう。まりんちゃんと細谷くんがその事実を知るのは、これよりだいぶ後になってからのことである。

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