第18話 詭弁

 いきなり雷に打たれたような、言葉にならない衝撃を受けるまりんちゃんに、死神の弱点を教えた村雨蒼司氏の言葉には、絶望感が漂っている。そして重苦しい沈黙が、二人の間に流れた。

「一体、誰が……」

 辺りがしんとするなか、不意に俯き、自力でその場に佇むまりんちゃんが沈黙を破り、重い口を開く。

「誰が……白羽の矢を撃ったの?」

 混乱した気持ちがしずまり、冷静さを取り戻したまりんちゃんがぽつりと疑問を口にした時だった。

「俺だ」

 極めて冷静に回答する声が背後で聞こえ、はっとしたまりんちゃんの顔に緊張が走る。


 妙な胸騒ぎがしたまりんちゃんは、ゆっくりと振り向いた。その視線の先に、冷酷な顔をして佇む細谷くんの姿があった。

「俺がこの手で、シロヤマに白羽の矢をった」

 左手に弓を携え、細谷くんは冷酷にそう告げた。思わず目を丸くしたまりんちゃんに再び、言葉にならない衝撃が走る。殺伐とした雰囲気を漂わす細谷くんがまるで、目的のためなら手段を選ばない、残忍な狩人ハンターのように見えて、氷のように立ちすくむまりんちゃんは戦慄せんりつを覚えた。



 肌を刺すような冷たい風が、廃墟ビルの屋上を吹き抜ける。敵と味方、地上と上空とに別れる大人達もそこから動く気配はない。不気味なほど静寂している屋上で向かい合う、男女二人の学生を、口を閉ざす大人達はただ見守っていた。

「……答えて」

 冷静を装い、ポーカーフェースでまっすぐ細谷くんを見詰めながら、まりんちゃんは重い口を開くと尋ねた。

「どうして……弓矢を使ったの?」

 切なさがにじむまりんちゃんの問いかけに、細谷くんはやおら応じる。

「赤園を助けるためには……いや、シロヤマを止めるには、こうするしかなかったんだ」

 そう、毅然とまりんちゃんを見詰めながらも細谷くんは言った。

 最初の言葉は、ただ細谷自分を納得させるための詭弁きべんである。

 本当の意味は、細谷くんがまりんちゃんに言った、最後の言葉にあった。


***


 ブラックスーツ姿のシロヤマが、穿いているパンツのポケットに両手をつっこんですたすたと、細谷くんの方へ向かって歩いて来る。

 ぐっと身構えた細谷くんの脇を通り過ぎる直前、俯き加減で前を向いたまま、シロヤマは口を開く。

『俺が彼女に鎌を向けたら、一発で仕留めろ』

 素っ気ないこの言葉に、はっとした細谷くんは目を瞠った。

『待て! シロヤマッ……!』

 衝撃が走り、いま置かれている自分の立場を忘れて、振り向きざまに叫んだ細谷くんの顔が激痛に歪む。

『一瞬の隙が、命取りになる。加えて敵に背中を向けるのは、自殺行為に等しい……戦闘における基本中の基本を、あなたはまだ、習得しきれていないようですね』

『くっ……』

 冷酷なセバスチャンさんからの不意打を食らい、負傷した左肩を右手で押さえながらも細谷くんは歯噛みした。


 万一に備えて普段から持ち歩いている煙幕弾を、屋上の床上に叩きつけて破裂させ、珍しく見せたセバスチャンさんの、ほんの一瞬の隙をつき、思い切り地を蹴って宙を飛んだ細谷くんは、上空に張られている球体状の、金色の結界の中に飛び込んだ。

 まるで、細谷くんが結界の中に飛び込んで来るのを予測していたかのような口振りで、老剣士が静かに呟く。

『やっぱり、来やがったか』

『しょうがないだろう。今の俺じゃ、力不足なんだからよ』

力不足それを実感して、こっちに避難してくるたァ、お前さんにしては賢明な判断じゃねェか』

 にやりとした老剣士はそう、嗄れ声で振り向かずに返事をした。この老剣士、見た目は厳ついが、相手のことを思う優しさを兼ね備えている。

『あんたが張る結界の中が一番、安心だからな』

 静かに返事をした細谷くんはそれ以降、口を閉ざした。

 今は、これでいいんだ。ここで、時が来るのを待つ。


――俺が彼女に鎌を向けたら、一発で仕留めろ――


 通り過ぎる直前に言い放ったシロヤマの言葉が、細谷くんの脳裏を掠める。

 一時休戦モードに入った細谷くんは、何を考えているのか分らないシロヤマを訝りながらも、焦る気持ちを抑えて平常心を保つと、時が来るのを待った。


『いい加減、諦めたらどうだい?』

『イヤよ!』

 フンッと意地悪な笑みを浮かべて降参を勧めるシロヤマに、まりんちゃんが憤然と拒否。

『そっちこそ、諦めたら?』

『そんなのお断りだね』

 素っ気なく勧めたまりんちゃんに対し、シロヤマがポーカーフェースで断る。

 紅蓮の炎の朱雀を操るまりんちゃんの気力、体力が尽きるのも時間の問題だ。チャンスはすぐにやって来る。

 この時のシロヤマは、普段以上にやる気満々になっていた。

 そんなシロヤマの動きを、上空から、真剣な表情で細谷くんは見ていた。

 赤園が隙を見せたその一瞬……シロヤマは、確実に仕留めにかかる。その時が狙い目だ。

 魔力が発動し、右手に持つ槍がぐにゃりと弓矢に変形。木製の弓に白羽の矢をつがえ、細谷くんはシロヤマに狙いを定める。

 望み通りにしてやるよ。悪鬼あっきと化した、この俺の手で。


 限界を悟ったまりんちゃんが最後の力を振り絞り、操っていた紅蓮の炎の朱雀を凍らせた。

 爪先から頭のてっぺんにかけて分厚い氷の中に閉じ込めた朱雀にひびが入り、バリンと音を立てて破砕。シロヤマが操っていた、紅蓮の炎の不死鳥も分厚い氷の中に閉じ込められ、朱雀と同じ運命を辿った。

 再び静寂した屋上で、すべての力が尽きたまりんちゃんの身体がぐらりと傾く。それを見逃さなかったシロヤマが大鎌を手に突進。間髪入れず、倒れかけたまりんちゃんの身体を、駆け寄った村雨蒼司氏が後ろから支え、瞬時に結界を張る。

 時は来た。

 細谷くんは、番えた白羽の矢をぐっと引く。ついに、まりんちゃんの目と鼻の先まで迫ったシロヤマが、大鎌を振り上げた。

 今だ!

 細谷くんはタイミングを見計らい、地上にいるシロヤマめがけ、上空から矢を撃つ。


 ドスッ


 駆け寄った村雨蒼司氏が、倒れかけたまりんちゃんを抱いて低い姿勢になったその一瞬、老剣士が張る金色の結界を突き抜け、上空から飛来した一本の矢がシロヤマに命中。

 左胸に白羽の矢が刺さり、振り上げた大鎌が手から滑り落ちる音が屋上に響く。ガクッと、膝から崩れ落ちたシロヤマは、そのまま横向けに倒れて動かなくなった。

 これでいいんだ。これが……シロヤマあいつが望んだことだから。

 いろいろな感情が渦巻うずまくなか、細谷くんは必死でそう自分に言い聞かせた。手の平に指の爪が食い込むほど、右手をきつく握りしめて。

 ふぅー……と深呼吸をした後、意を決して結界から飛び出し、屋上に降り立った細谷くんは、驚愕のあまり青ざめるまりんちゃんと対面したのだった。


***


「赤園を助けるためには……いや、シロヤマを止めるには、こうするしかなかったんだ」

 そう、毅然とまりんちゃんを見詰めながら口にした細谷くんの言い分はもっともそうに見えてやはり、詭弁なのであった。

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