第9話 危険度―リスク―

 これも、セバスチャンさんの手の内なら、まりんちゃんはその手の平の上で、見事に踊らされたことになる。結果、そうなったとしても、あれは紛れもない事実だ。いまさら否定したところでどうにもならない。

「その反応……図星ですね」

 見透かしたような笑みを浮かべるセバスチャンさんに向かって、まりんちゃんは必死で平静を装い、返事をした。

「そ、そんなわけ……ないじゃないですか」

「無理して、隠さなくても良いのですよ」

「無理なんかしてません! 本当のことですから!」

「では、細谷くんや赤い着物を着た男性とは、今のところ何もない……と?」

「そうに決まってるじゃありませんか!」

 むきになればなるほど事実を認めることになり、相手の思うつぼにはまるとは、このことだ。いまさら、どうにもならない。頭ではそれが分かってるのについ、思ってることと反対の言葉が、口を衝いて出てきてしまう。

「そうですか」

 あくまでも冷静に振る舞うセバスチャンさんは、あっさり折れた。

「でしたら、私にもまだ、チャンスはありますね」

「え?」

 きょとんとしたまりんちゃんはセバスチャンさんを見詰めた。セバスチャンさんは今や、不敵から自信に満ちた笑みを浮かべている。

「私ならば、細谷くんよりも遥かに、あなたを幸せにできる」

「やけに、自信があるんですね」

自信それがなければ、はっきりといいませんよ」

 冷静さを取り戻し、毅然きぜんと向き合うまりんちゃんに、顔色一つ変えず、セバスチャンさんは言った。

「赤園まりん。ここで、永遠の愛を誓いましょう。私のことはその後で、じっくりと知っていけばいい」と。


 気付くと、冷酷な笑みを浮かべるセバスチャンさんが、そこにいた。恐怖で顔を引きつらせ、逃げだそうとしたまりんちゃんの右手首を捕まえ、抱き寄せたセバスチャンさんは、

「御覚悟は、宜しいですか?」

 氷のように冷めた笑みを浮かべて、冷酷にそう言い放つ。

 情け容赦ないセバスチャンさんの顔が、だんだん近付いて来る。

 完全に逃げ場を失い、身動き一つ取れないまりんちゃんは、切に願った。

 助けて……細谷くん!

 その時、音もなく背後に忍び寄った細谷くんがガバッと、まりんちゃんの口を手で塞いだ。まりんちゃんの唇が、セバスチャンさんに奪われる寸前のことだった。

「させねぇよ」

 ぎりぎりのところで後ろからまりんちゃんの口を塞ぎ、最悪の事態を回避した細谷くんはそう言うと、セバスチャンさんを眼光鋭く睨め付けたのだった。



 神様を信仰しんこうしてるわけじゃないけれど、この世の中に、神様は本当にいるのかもしれない。

 祈りが天に通じた。奇跡が起きた。颯爽さっそうと現れた細谷くんの声に、胸を躍らせたまりんちゃんは心底安堵した。

「これはまた……いいところで、邪魔が入りましたね」

 細谷くんに邪魔され、一歩引いたセバスチャンさんがそう、冷やかな笑みを浮かべて呟いた。

「これが、邪魔をせずにいられるか!」

 セバスチャンさんを睨め付けたまま、細谷くんはすかさず、

「赤園は俺の大事な彼女ひとだ。気安く手を出すな」

 凄みを利かせて言葉を付け加えた。


「大事な彼女ひと……ですか。そう言う割には、できていませんよね。大事な彼女ひとを護ることが」

 冷酷な笑みを浮かべて最後に強調したセバスチャンさんの言葉が、はっとする細谷くんの胸に突き刺さる。その反応を見て、セバスチャンさんは図星だと悟った。

「実に分かりやすい。今の言葉で動揺してしまうようでは、容易に他人に心の中を見透かされてしまいますよ」

 腹が立つほどの正論を口にしたセバスチャンさんに、歯噛みした細谷くんはどすの利いた声で威嚇いかく

「黙れ」

「お気を悪くさせてしまい、申し訳ございません。お詫びの印にこれをどうぞ」

 片手を胸に当てて恭しく頭を下げたセバスチャンさんは、おもむろにジャケットの内ポケットから小箱を取り出すと、まりんちゃんを挟んで細谷くんに差し出す。

 まばゆい光を放つ、純金のリングにはまるルビーの指輪が、パカッとふたが開いた小箱の中に納まっている。

「この指輪を指にはめた瞬間、私など到底足下にも及ばない力が手に入ります。大切な彼女を護りたい。今のあなたなら、喉から手が出るほど欲しい代物でしょう。さぁ、お受け取り下さい」

 何かを企んでいるような、不敵な笑みを浮かべるセバスチャンさんからの贈り物。

 明らかに手にしてはいけない不審物。そして細谷くんの気持ちにつけ込む悪魔の囁き。決して耳を傾けてはならない。


 細谷くんに口を塞がれたまま、瞬時にそのことを理解したまりんちゃんは最大級の警戒心を持って、背後にいる細谷くんに注意を呼びかけようとした。その時だった。

「これは罠だ!」

 そう叫ぶシロヤマの声が、どこからともなく聞こえたのは。

「セバスチャンさんの言うことを真に受けるな!」

 必死の形相をしたシロヤマが、セバスチャンさんの背後から顔を出す。

「セバスチャンさんは俺が引き受ける。きみは赤ずきんちゃんを連れて、ここから逃げるんだ」

 シロヤマは毅然とそう言って、細谷くんを促した。


「逃げろったって……」

 シロヤマに促された細谷くんはきっと、こんな至近距離から、どうやって逃げろと……? と思ったに違いない。なにせ、右手で口を塞いだ状態でまりんちゃんを抱き抱える細谷くんと、不敵な笑みを浮かべるセバスチャンさんとの距離は大体、大人がひとり入れるかの狭さなのだから。一瞬でも隙を見せたが最後、セバスチャンさんに何をされるか分からない。

「安心したまえ」

 にんまりしたシロヤマが希望の光を照らす。

「セバスチャンさんはもう、俺の手の中さ。こうして、身体からだをガッチリ抑え込んでいれば何も手出しできない。後は俺に任せろ」

 力強い言葉で締め括ったシロヤマの顔に、自信に満ちる、気取った笑みが浮かんでいた。


「そこまで言うなら……」

 細谷くんは半信半疑でそう呟くと、まりんちゃんを抱えたまま後退あとずさり。セバスチャンさんから充分じゅうぶんに距離を取った後、まりんちゃんの手を引いて細谷くんは駆け出した。

 それでいい。

 敵とも言える相手に、思い切り背中を見せながら走り去って行く二人を、気取るような含み笑いを浮かべて見送りながら、シロヤマは心の中で細谷くんに応援の言葉を贈る。

 きみは唯一ゆいいつ、俺が見込んだ狩人ハンターだ。俺が傍についていなくても、きっと護り抜ける。まりんちゃんを、しっかりと護ってやれよ。

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