第4話 恋バナ

 今から語ることは、フラワーデザイナーを目指し、地元の中学校を卒業後、日本海側の、海沿いに面した新森にいもり県新森市内から縦浜市内へと上京したまりんちゃんがまだ、高校生だった頃の話である。


 日本海側の、海沿いに面した新森県新森市内にある、海山町うみやまちょうと言う名の小さな町に、まりんちゃんは住んでいた。海山町は新森市内の中でも一番人口が少なく、片田舎と言うのに相応しい故郷だった。

 幼稚園を卒業後、小中一貫の学校で、クラスメイトとなった細谷くんとまりんちゃんは出逢った。

 まりんちゃんが細谷くんのことを、異性として意識し始めたのが高校三年生の頃。

 当時、実家で飼っていたトイプードルのララが老衰ろうすいのため、知らせを受けて帰省したまりんちゃんとその家族に見守られて息を引き取った。爽やかな五月の風か吹き抜ける、初夏のことだった。

 まりんちゃんは、ララのことをとてもかわいがっていた。だから頭で分かっていても、ララと別れるのはとてもかなしくてさびしかったのである。

 海山町内で葬儀を執り行い、家族とともに最愛のララを天国まで送り出して数時間後。まりんちゃんは一人、家を出た。

 まりんちゃんには時に厳しく、時に優しい両親と、仲良しの兄が二人いる。そんな家族に行き先を告げずに家を出て来たのは、これが初めてだった。

 誰とも話したくなくて、誰もいないところに行きたい。ただ一人になれる時間が欲しくて、それができる場所を求めてまりんちゃんは、実家から徒歩三十分圏内にある浜辺へとやって来た。

 澄み渡る青空が広がり、緩やかな潮風が吹き抜ける浜辺にはまりんちゃん以外、誰もいない。

 穏やかな波と潮風の音、それ以外は何も聞こえてこない。先が見えないくらい、果てしなく続く海原を、暗い表情で見詰めるうちにまりんちゃんの目から、大粒の涙がとめどなくあふれ出た。


 まだ、人生の半数も生きていない自分よりも早く天国へ旅立った、最愛のララを想いひとしきり泣いた後、手の甲で涙を拭ったまりんは、もっと近くで海原を眺めようと歩き始めた時だった。慌てて浜辺に駆け付けた誰かがガシッと、まりんちゃんの左手首を掴んだのは。

「細谷くん……?」

「……いきなり、ごめん。俺も今、帰省中で……たまたまこの近くを通り掛かったら砂浜に、絶望的な顔をした赤園が立っているのを目にして、海に向かって歩き始めたから、思い留まらせようと思って」

 真顔で手短に要件を伝えた細谷くんは何か、とんでもない勘違いをしているらしい。息を弾ませているところを見ると、慌てて砂浜を駆けて来たのだろう。そんな細谷くんに腕を掴まれ、引き戻されたまりんちゃんは微笑むと、

「ありがとう。でも大丈夫。私は、命を粗末にしたりなんかしないから。ララの分まで生きるって、たった今、天国にいるララに向かってそう誓ったばかりなの」

「ララ……?」

 まりんちゃんが口にした『ララ』の名前を耳にし、怪訝な表情をした細谷くんに、まりんちゃんは天国へと旅立った愛犬ララのことを話して聞かせた。

「そうか……そんな事情があったんだな」

 まりんちゃんからララの話を聞いた細谷くんは沈痛な面持ちでそう言うと、

「なぁ、赤園……迷惑じゃなきゃ、今から赤園の家に行ってもいいかな? 俺もララに、線香をあげたいんだ」

 真剣な面持ちでそう、いま抱えている率直な気持ちをまりんちゃんに打ち明け、切願した。

「いいよ。細谷くんならきっとララも喜ぶし、うちの家族も賛成してくれる筈だから」

 ふと優しく微笑んだまりんちゃんはそう返事をすると、細谷くんの申し出を快諾したのだった。


「今日は本当に、ありがとうね」

 自宅前まで細谷くんを見送りに出たまりんちゃんはそう、控えめに微笑みながらも礼を言った。

「いや、俺の方こそ……ララのこと、話してくれてありがとう。ずっと前に家で二匹の猫を飼っていたことがあって……だから、ララを亡くした赤園に共感したんだ」

 細谷くんがそう、まりんちゃんと同じく控えめに微笑みながら返事をする。

「そうなんだ……良かった、少しでも細谷くんと気持ちがシェアできて」

「赤園と気持ちをシェアできて、俺はすっごく嬉しいよ。だから……泣きたくなったらいつでも、俺のところに来ていいからな。大きい悲しみも、小さい悲しみも全部まとめて受け止めるから。また、お互いの気持ちがシェアできるといいな」

 これが細谷くんなりの、気遣いなのだろう。細谷くんは小学生の頃からしっかり者であったが、高校生になってから一段としっかり者になっているような気がする。高校でも同じクラスで身近な存在だからこそ、まりんちゃんはそれを感じていた。

 細谷くんとは単なる仲の良いクラスメイトの印象しかなかったが、この時からまりんちゃんは細谷くんのことを異性として意識するようになったのである。



 基本、泣きたくなったら一人きりになれる場所で思い切り泣く。それでも足りなければ細谷くんのところへ行って事情を話すと、細谷くんは何も言わずに抱きしめてくれるようになった。

「こうすれば、何も見えないから、思い切り泣けるだろう?」

 細谷くんがそう、人前で泣くことを恥ずかしがるまりんちゃんに配慮してのことだった。

 仲の良い友達にも言えないまりんちゃんの悩み事も、時々相槌あいづちを交えて細谷くんは聞いてくれる。哀しいことも、楽しいことも、嬉しいことも、まりんちゃんは細谷くんと気持ちをシェアした。

 気持ちをシェアするうちに恋が芽生え、最初は友達同士で遊んでいたまりんちゃんはいつしか、細谷くんと二人でいることの方が多くなった。

 そんなある日。四人組の班に別れてカレーを作るための調理をしていたまりんちゃんはタマネギを切っている最中、うっかり包丁で指を切ってしまった。家庭科の授業で、一階にある調理室にて実習をしていた時のことである。

 細谷くんとは班は分かれていたが、保健委員ということもあり、細谷くんが保健室までまりんちゃんにつき添って行くことに。

「細谷くんありがとう。ごめんね……手当までしてもらっちゃって」

「いや、気にしなくていいよ。俺が勝手にやったことだから……けど、このくらいの怪我で済んで良かった」

 控えめに微笑んで、申し訳なさそうに詫びたまりんちゃんの、左中指に絆創膏ばんそうこうを貼った細谷くんがそう、気さくに笑って返事をした。

「細谷くんって、本当に優しいね」

「相手が、赤園だからだよ。俺は、他の人にはこんなに優しくないから」

「え? それって、どう言う……」

 その後の言葉は、不意に顔を近付けてきた細谷くんに遮られてしまった。

「こう言う……ことだから」

 まりんちゃんの唇にキスをした細谷くんは、いきなりのことに頬を赤く染めてきょとんとするまりんちゃんの目を見詰めながらもそう返事をした。

 真顔を浮かべる細谷くんの頬も赤く染まっている。これがまりんちゃんにとって、細谷くんとのファーストキスだった。

 それから時が流れて、縦浜市内に移り住むまりんちゃんと細谷くんはこの春、公立大学で唯一認められた、フラワーデザイナー専攻がある美南川県立美舘山みながわけんりつみたてやま大学に入学、学生バイトとして自宅近所の花屋で働きながら、学業と両立した生活を送っているのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る