第29話
「そ、そろそろ下校時刻だな」
気まずい沈黙に耐えられなくなってきた俺は、わざとらしくて元の時計に視線を落としながら言った。
「そうだね」
星宮は相変わらずじーっと俺のことを見つめながらそう言った。
「とりあえず今日のところは帰ろう」
そう言って立ち上がって昇降口の方向へ歩き出そうとした俺を、星宮が呼び止める。
「待って、加賀美くん」
「…?」
「ちょっと付き合ってくれないかな?」
「…何を?」
「下校時刻まで、15分ぐらいはあるでしょ。さっき手助けしてくれるって言ったよね?」
「言ったが…俺は何をすればいいんだ?」
「練習に付き合ってほしい」
「練習?」
「加賀美くんに宮代まことを演じてほしい」
「お、俺が宮代まことを…?」
驚いて聞き返す俺に、星宮が頷いた。
「うん。明日の練習、しておきたいから」
「で、でも俺は演技とかは全然できない
ぞ?」
「セリフをなぞってくれるだけでいいよ。ほら、これの通りに」
星宮がスマホを渡してくる。
それは台本をデータ化したもので、宮代まことのセリフが書かれてあった。
「私と廊下を歩きながら、その通りに読んでみて」
「わ、わかった」
星宮の手助けをすると言ったのは俺自身だ。
正直、俺なんかが恋愛ドラマのイケメン主人公を演じるのは合わないというか、小っ恥ずかしかったが、星宮のために一肌脱ぐことにした。
「それじゃあいくよ?」
「お、おう」
俺と星宮は廊下の端っこに移動して、つい1時間ほど前、三浦と星宮がそうしていたように一緒に歩きながらそれぞれ、互いのことを意識しあっている主人公とヒロインを演じる。
『ねぇ、宮代くん…この間は助けてくれてありがとう』
『どういたしまして。でも、びっくりしたぜ。ふらっと出かけた先で藍沢が襲われてんだもんな。これからはああいう危ない奴には近づいちゃダメだぜ。藍沢は可愛いんだから、隙を見せるとああ言う連中に食われちまうぜ』
『か、可愛くなんてないよ私。地味だし』
『そうかぁ?俺は可愛いと思うけどな。二年に上がって同じクラスになった時はラッキーって思ったぜ』
『ほ、本当?』
『ああ、本当だ』
『私も…宮代くんと同じクラスでよかったかも』
『マジで?俺のこと、怖くねぇの?』
『怖い?どうして?』
『みんなに言われるからよ。背が高すぎたり、目つきが悪すぎるせいだな。一年の時は、女子は誰も近づいてこなかったな。お前は俺のこと怖くねぇの?』
『怖くないよ。だって宮代くん、優しいもん。どこか犬っぽいところあるし…』
『犬?なんだそりゃ。そんなこと言われたの初めてだ』
『へ、変な意味に受け取らないでね…?か、可愛いって言う意味で犬って言っただけで…』
『可愛い?俺が?ははは。マジかよお前。俺のどこが可愛いんだよ』
『じょ、冗談じゃなくて本気だからね!?』
『余計おもしれーよ。ははははは。そんなの言われたの初めてだぜ。藍沢っておもしれーな』
『お、面白くないから…私は真面目だから…』
藍沢ひよりを演じる星宮が、照れくさそうに頬を染める。
星宮は本当に演技が上手い。
まるで別の人格が憑依したみたいに、完璧に星宮を演じ切っていた。
俺はそのまま、イケメンにしか似合わないような小っ恥ずかしい台本をなんとかこなして、星宮と共に廊下を歩き終わった。
ようやく終わったと一息ついていると、隣で星宮が肩を揺らして笑っていた。
「ぷふふっ」
「ほ、星宮…?」
「ごめんっ…でも、おかしくて…っ」
「な、何がだよ…?」
「加賀美くんが…女の子に向かって…おもしれー女だって…全然似合ってなくて…あははっ」
「ちょ、お前なぁ!?」
途端に恥ずかしさが込み上げてくる。
こっちは恥ずかしいのを我慢して全くキャラでもない宮代まことを演じたのに、星宮に笑われて俺は腹が立ってきた。
「あははっ…待ってっ…笑い止まんないっ…」
「…っ」
だが星宮はよほどおかしかったのか、腹を抱えて目に涙を溜めて笑っている。
星宮の爆笑している姿を見て、俺は怒る気力も失せてしまい、白けた表情で星宮が笑っている姿を見守る。
しばらくしてようやく落ち着いたらしい星宮が目尻の涙を拭いながら言った。
「ごめん、加賀美くん…でも、おかしくて」
「もういいよ。お前が元気になったなら俺はそれで」
「うん。おかげさまで気分はかなり上がったかな。色々ありがとね」
「…もう二度とやらないからな」
「あはは。私はもう一回見てみたいけどね、加賀美くんが演じる宮代まこと」
「俺は二度とごめんだ」
「でも、ありがとう。なんだかコツは掴んだ気がする」
「…本当か?」
「うん。加賀美くんと練習してみて、自分に何が足りないのか気づけたかな」
「…本当か?」
「本当本当。明日は多分、監督にオーケーをもらえる演技が出来ると思う」
「そうか。それならよかった」
よくわからんが、大根役者の俺が演じる宮代まことも一応星宮の役に立ったらしい。
だとしたら恥をかいた意味が少しはあったかなと、俺は溜飲を下げておくことにした。
その翌日。
再び同じロケーションで撮影が行われた。
昨日とは打って変わって、監督は星宮の演技を絶賛した。
「いいぞ星宮!昨日とは別人みたいだ!これこそまさに俺がみたかった藍沢ひよりだ」
監督は興奮気味にそう言って、一発で星宮の演技にOKを出した。
「おめでとう星宮さん!」
「星宮さん、おめでとう!」
「演技すごかったよ!!」
「お疲れ様星宮さん!」
「よかったね星宮さん!」
女子たちが星宮の周りを囲み、撮影がうまく行ったことを祝福する。
星宮は笑顔で彼女たちにお礼を言っていた。
よかったな星宮。
俺がそんなことを思いながら遠巻きに眺めていると、星宮が女子たちをかき分けて俺の方へやってきた。
「ありがとう、加賀美くん。おかげさまでうまく行ったよ」
「俺は何もしてないぞ。星宮の頑張りの成果だ」
「ううんそんなことない。昨日の練習でコツを掴んだのは本当だから」
「…まぁ役に立てたのならよかったよ」
「うん。本当にありがとうね」
星宮が俺に対して笑顔を向ける。
星宮の誰に対しても笑顔を向ける性格をわかっていても、思わずドキリとしてしまうほどの屈託のない笑みだった。
「どう言うことだい華恋」
と、その時、三浦が俺たちの間へ割り込んできた。
撮影がうまく行って周囲はお祝いムードだったが、三浦はどこか不機嫌そうだ。
「昨日とは随分演技の質が違ったみたいだったけど…昨日のはわざとだったのかな?」
「違うよ、三浦くん。昨日、加賀美くんに手伝ってもらって私なりに演技を改善したの」
「はぁ?それはどう言うこと?」
三浦が俺に見下したような冷たい目を向ける。
「素人に君の手助けができるとは思えないけど」
「そんなことないよ。加賀美くんのおかげで、大切なことが色々わかったし。昨日はごめんね。私のせいで何回も撮り直しさせちゃって。多分、今後はもうこう言うことはないから安心してほしいかな」
「当たり前だよ。僕たちはプロなんだ。昨日みたいなことが何度もあっちゃ、たまったものじゃないよ」
三浦は苛立ったように後頭部をかいた。
「まぁそれは今は置いておくとしよう。それよりも大切なことがあるだろう」
「大切なこと?」
「惚けないでくれよ。例の件だよ。答えを近いうちに出してくれって頼んでおいただろう?」
「あぁ…うん。そうだったね」
星宮は一瞬俺の方を見た後、ニコッと笑って、それからどこか吹っ切れたような表情で三浦に行った。
「お断りします」
「…っ!?」
三浦が大きく目を見開いた。
愕然としたように硬直し、口をぱくぱくとさせる。
「三浦くんの言いたいことはわかるよ。確かに三浦くんの言う通りにすれば話題にもなると思う。ドラマだって盛り上がるかもしれないし、お互いの事務所も喜ぶかもしれない。
でも…私自身がそうしたくない。だからこの話はお断りさせていただきます」
一体なんの話をしているのか、俺にはわからなかった。
だが星宮の返事が、三浦にとって衝撃だったのは理解できた。
三浦はわなわなと唇を震わせていたが、ふと我に帰り、視線を厳しくし、星宮に対して吐き捨てるように言った。
「絶対に後悔するよ華恋」
「…そうかな?」
「絶対に…絶対に後悔する…後悔させてやる…」
「…しないと思うけど」
三浦がくるりと踵を返して歩いて行った。
驚いた様子の女子たちが三浦に道を譲る。
「んべっ」
星宮はそんな三浦の背中に対して、ペロリと舌を出した。
「…?」
一体二人がなんの話をしていたのか、全く見当のつかない俺は、すっかり取り残され、去っていく三浦と星宮を見比べて一人首をかしげるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます