第14話
「うがー。もう嫌だぁあああ」
それから1時間後。
数学の問題と向き合っていた有栖川が突然叫び声を上げた。
両腕を築き上げた後、ジタバタと子供のように暴れて、それから俺にうらめしげな視線を向けてくる。
「もう無理!飽きた!」
「…マジか。また1時間しか経ってないぞ」
どうやら集中力が切れてしまったらしい。
俺が手元の時計を見てまだ1時間しか経っていないことを確認し、有栖川の集中力のなさに呆れていると、有栖川はぐでんと机に突っ伏した。
「こんなに長い時間勉強したの初めて。頭がおかしくなりそう」
「…」
勉強を普段からしない有栖川にとってはたった1時間集中することも苦痛に感じるようだった。
「はぁ」
仕方ない。
このまま無理やり勉強を続けさせても非効率だし、俺は有栖川に休憩を取らせることにした。
「わかった。少し休憩しよう」
「ほんと!?」
「ああ。十分だ。十分だけ休憩して、また再開だ」
「はー?十分だけ?ケチすぎない?」
「誰かさんの前期の点数が絶望的に悪いせいだ。恨むなら過去の自分の怠慢を恨むんだな」
「はー。だる。なんかうちのおかんみたい」
有栖川がそう言って席を立った。
「おい、どこにいく?」
「飲み物買ってくる」
「そうか。十分以内に戻ってこいよ」
「わかってるってのー」
ぶつぶつ文句を言いながら有栖川は教室を出て行った。
「はぁ」
俺はため息を吐いて、有栖川のノートを確認する。
「字、汚ねぇな。でも要領は悪くないんだよな」
ノートに書き殴られた汚い数式を見ながら俺はそんな呟きを漏らした。
1時間、有栖川に数学を教えてみた感想だが、有栖川は決して要領は悪くない。
むしろ地頭はいい方で、しっかり時間をとって勉強をすれば、成績は確実に向上するはずだ。
ただ有栖川の弱点は集中力のなさにある。
有栖川はどうも長い時間一つの物事に集中して取り組むということが苦手らしく、問題を解いている途中でよそ見をし始めたり、スマホをいじり出してしまう。
有栖川は典型的な、一人では気が散って勉強ができないタイプだった。
多分、誰かに監視された状態で無理やり勉強をさせれば、あっという間に総合順位は上がるだろう。
「これは、案外いけるかもな」
前期の定期テストの各科目の点数を聞いて絶望していた俺は、にわかに希望を持ち始めた。
この要領の良さなら、テスト期間まで毎日みっちり教えれば、十分に全科目で赤点を回避できるかもしれない。
もちろん前期で酷い点数をとっている有栖川が留年を回避するにはそれだけでは足りないのだが、このペースで教えたことを吸収して行ってくれれば、全科目50点を取るのも夢ではない。
「いや待て…そもそもなんで俺が有栖川の留年の心配なんかしてやらなくちゃいけないんだ」
そこまで考えた俺はふと我に帰る。
つい有栖川の身になって色々考えてしまったが、よく考えれば、別に俺がそこまで面倒を見てやる必要はどこにもないじゃないか。
今日の勉強会は、はっきり言ってかなり不本意な形で、半ば無理やり付き合わされているにすぎない。
俺だって自分の勉強があるし、これから毎日有栖川の勉強に付き合ってやる義務なんて俺にはないのだ。
仮にそれで有栖川が留年したとしても、それは有栖川のこれまでの怠慢が招いたものであって俺に責任はない。
そう自分に言い聞かせてみる。
妙なしこりが心の中に残った。
「関係ないよな、仮にあいつが留年しても退学しても。俺にはなんの関係も責任も」
「何ごちゃごちゃ言ってんの?」
「…いっ!?」
唐突に背後から声が聞こえたと思ったら、後頭部に冷たい何かが当てられた。
振り返ると、いつの間にか有栖川が戻ってきていた。
手には二つの缶ジュースを持っている。
「はいこれ。あげる」
「え…?」
目の前に差し出されたリンゴジュースをびっくりして眺める。
「私の奢り。冷たいから早く取れ」
「お、おう」
俺は慌ててリンゴジュースを受け取った。
有栖川は自分の席に腰を下ろし、自分の分のオレンジジュースのタブをカシュっと開くと、美味しそうに飲み始めた。
「冷た〜。あま〜。うま〜」
足をパタパタさせて子供みたいな感想を口にしながら飲んでいる。
「…」
俺も同じようにリンゴジュース缶を開けて、
飲んでみた。
冷たい液体で喉が潤され、糖分が脳に染み渡る。
確かに冷たくて甘くて美味しかった。
「ありがとな」
半ばまで飲んだところで、俺はお礼を言うのを忘れていたことに気がつき、そう言った。
「ん」
有栖川はこちらを見もせずに、小さく頷いて、オレンジジュースをちょびちょび飲んでいる。
「早く飲み終われよ。もうすぐ休憩時間は終わりだ」
「わかってるってのー」
「休憩終わったら数学やるぞ。今度は応用問題だ」
「はー?難しいやつはやんないんじゃなかったわけ?」
「方針変更だ。お前の飲み込みが思ったよりも速いんでな。やっぱり応用問題も教えることにした。今からやれば多分間に合うと思う」
「数学ばっかでだるいんだけど。他の科目は?下校時刻まで2時間もないし」
「今日は一番落第間近の数学を徹底的にやる。他の科目は明日以降だ」
「え、明日…?」
有栖川がキョトンとする。
「当たり前だろ。テスト対策が一日で終わるわけない。ただでさえお前の前期の点数は散々なんだ。今日からテスト前日までみっちりやってようやく間に合うかどうかだ」
「で、でも…それじゃあ、あんたがヤバいんじゃないの?」
「おい、前期7点ちゃんの分際で他人の心配か?」
「7点ちゃんいうなし!」
「悪いが俺はお前とは違うんだ。お前みたいに遅刻も無断欠席もしないし、授業は真面目に聞いてるし、ノートも丁寧にとってる。毎日家に帰って復習もしている。テスト対策は家に帰ってからの時間で十分間に合うんだよ」
「うざ。自慢乙」
「うるせぇ。とにかくお前は明日から下校時刻まで毎日居残りで俺と勉強だ。まさか逃げるなんて言わないよな?責任取れっつったのはお前だからな。途中で逃げ出すのはマジでダサいぞ」
「は、はぁ!?まだ投げ出すとか言ってないし!勝手に決めつけんなし!」
有栖川が慌てたように言った。
「わ、わかったから…!どーせ、一人で家居てもスマホいじっちゃうし、仕方ないからあんたに従ってあげるし」
「いや、お前教わる側な。お願いしますだろ」
「う…お、お願いします…」
俺に言われて、しぶしぶながらもそう言う有栖川。
律儀にも頭まで少し傾けるその姿を見て、やっぱ悪いやつではないなと俺はそんなことを思ったのだった。
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