地下鉄

第5話

 振り返ってみると、こんなふうに遠出するのは半世紀以上ぶりのことかもしれない。

 チューチューは提灯を持ち、僕の前を歩いている。規則正しく揺れる灯りが前方を照らし、僕たちの足音が暗い通路に響き渡る。斑模様の壁からは湿ったカビの匂いが漂い、瓦礫に散らばったガラスの破片が光を反射していた。


 僕は指で標識に積もった埃を拭い取った。文字はすでに色褪せ、判読が難しい。


 チューチューが振り返り、微笑みながら僕を見た。


「久しぶりの外界、いかがですか?」


「冷たくて湿ってる。暗いし、カビ臭い。数歩しか歩いてないのに、ちょっと後悔してるよ」


 僕はチューチューに答えと、彼女は苦笑いを浮かべた。


「地上には魔機がたくさん彷徨っているので、もう少し我慢してください。灰衣衆が運営しているプラットフォームに着けば少しは楽になりますから」


 ここはヒューマノイドたちにとって古代のダンジョンの遺跡であり、僕にとってはかつて馴染みのあった地下鉄だ。


 僕たちは地下駅内の入り組んだ路線を進んでいる。一部の道はすでに崩れ、標識もぼんやりとしている。おそらく地上にはまだ稼働している発電所があるのだろう、天井から微かな電灯の光源が照らされている。


 僕たちは多くを語らず、静かに探索を続けていた。

 十字路に差し掛かろうとしたとき、チューチューが僕を手で制止した。彼女は口元に指を当てて静かにするよう合図し、壁に身を寄せて右手の分岐を覗き込んだ。僕も彼女の視線を追い、人影が接近しているのに気付いた。


 同じく暗闇の中で提灯を持ちながら進む、一人は背が高く、もう一人は背が低い二人組だ。


「ミカ、早く早く!」


 そのうちの一人は少女だった。興奮した様子で顔を赤らめ、跳ねるようにしながら仲間を前へと引っ張っている。彼女は滑らかな茶色の長髪を持ち、猫のような目元が少し吊り上がっており、頭には三角形の耳が生えている。


 僕は目を細め、少女が白いシスター服を身に着け、天秤を模した杖を持ち、胸元に聖印を掛けているのに気付いた。


「ああ、白教廷の聖女か」


 チューチューが一息つき、右手を剣柄から離した。


「聖女?」


「ええ。装束から白教廷の神官だとわかりますが、あの聖印には少し知識が必要ですね」


 チューチューが補足する。


「交差するフルール・ド・リスに葉の装飾、花の中央を貫く剣。あれは高位神官である『聖女』を象徴する印です」


「へえ、すごいのか?」


「いわゆる聖女は厳しい育成と選抜を通過した、白教廷でも最も強い力を持つ神官です。しかし、こんな高位の神官がここで彷徨っているのは珍しいですね」


「ふ――ん?」


 どうやらヒューマノイド社会にも、僕の知らないうちに様々な組織が現れているようだ。


 再び視線を神官の少女に戻した。その興奮した様子からは高位神官の威厳など微塵も感じられない。

 神官の少女は旅の仲間の手を引っ張りながら、跳ね回るようにして前進している。


「行こう、ミカ!早く進もうよ!」


「わ、わかったよ、エリア!まったく、君は本当に興奮しすぎだ」


「だって、選定結果がついに出たんだもん!早くあの人にいい知らせを伝えないと!」


「はいはい、でもまだプラットフォームまでは距離があるんだ。少し落ち着いてくれないか?」


 若い聖女に引っ張られているのは、中性的な外見をした騎士だ。


 騎士は金色の少し巻いた短髪を持ち、頭には折れ耳犬のように柔らかい耳がついている。その顔立ちは美しいというより、どちらかというと凛々しい。見た目だけではミカと呼ばれるこの旅人を美少年だと思うかもしれないが、丸みのある体つきから騎士が実は女性であることがわかる。


 騎士ミカは純白に金色の装飾が施された鎧を身にまとい、背中には豪華な白地金色の飾りが施された剣鞘を背負っている。剣鞘にはエリアの聖印と似たフルール・ド・リスと天秤剣の刻印が施されていた。


 あれが聖剣の剣鞘だと言われれば、多くの人がそう信じるだろう。

 しかし、その剣鞘の中は空っぽだった。騎士は腰に片手剣を佩き、左手には盾を固定している。この剣鞘の役割が何なのか、僕はつい考え込んでしまった。


 何というか、目立つ二人組が騒ぎながらこちらに近づいてくる。


「ビージェー様、彼女たちが近づいてきました……待ってください、反対側からも足音が」


 反対側から近づいてきたのは、一人の竜人の少女だった。


 竜人の少女は鳶色のツインテールと同じ色の瞳を持ち、背には太い尾が生えている。その体は鹿のように軽やかで、一部の肌には鱗が見える。少女は鎖帷子を着て、両手には金属のガントレットを装着している。彼女の眉は吊り上がり、どこか疲れた表情をしていた。


 三組の人間が十字路で出会った。


「通してもらう」


 竜人の少女は冷たく言った。


「おお、フラン!」


 猫耳の聖女が跳ねながら走り寄ってきた。


「ここで何をしているの?レオナは?彼女にいい知らせがあるんだ!」


「……いい知らせ?」竜人の少女は疑わしげな表情を浮かべた。


「そうだよ!光栄に思いなさい、この前の日に我々はすでに聖都に報告して調査結果を提出したの。レオナが勇者の資格に適合しているって!」


「ま、待って!エリア!」


 ミカが咎めるが、エリアは止まらない。聖女は指を揺らして得意げに話を続けた。


「ふふん!これであなたたちも歴史に名を残すのはもう一歩だよ!レオナが頷いて試練を達成すれば、今日からあなたたちも勇者の仲間だ!冒険者にとっては名声と利益の両方を得る、魅力的な話だろう?」


「勇者?」


 フランは呟き、不機嫌そうな表情を見せた。


「あなたが言う勇者は、今行方不明なんだよ」


「え?」


 エリアが空中で振り回していた手が、予想外の言葉で止まった。


「私は今忙しいんだ。あなたたちとふざけ合う時間なんてない」


 振り返って立ち去ろうとするフランに、エリアは慌てて肩に手を置き、引き止めた。


「どういうこと?レオナが行方不明だって?霧の国に向かうって言った時、何も問題がなかったじゃない。そこで何かあったの?」


「別に何も。ただ、霧の国から戻ってきてから彼女は姿を消しただけだ」


 竜人の少女はそっけなく言った。


 猫耳の聖女は焦った。


「僕たちは早くレオナを聖都に連れて行って、試練を終えなければならない。できるだけ早く出発しなきゃいけないのに、こんな時に彼女は一体どこに行ったの?」


「ちっ」


 フランは舌打ちをした。


「どうでもいい。勇者ごっこがしたいなら、他を当たってくれ」


 フランは乱暴にエリアの手を払いのけた。


「なっ!」


 エリアは呆然と口を開けたまま、言葉が出てこない。ミカがフランを説得しようと続けた。


「もしエリアの言い方が不快にさせたのなら、謝らせてください。しかし、本当に時間が迫っています。私たちは一刻も早くレオナを聖都に連れ戻し、勇者の試練を完了させなければなりません。時間がありません。どうか、協力させていただけませんか?」


 ミカは頭を下げたが、フランは答えなかった。彼女の細い眉がさらに深くしかめられた。


「……ふん」


 竜人は振り返ることなく去っていった。


「あ――ああ」


 エリアは頭を掻いた。


「これからどうすればいいんだ」


「フランの様子を見るに、彼女は焦っているようだったし、私たちの話を聞くつもりもないらしい。とにかく、一度休んでから、予定通り近くのプラットフォームへ向かおう。ここらで探索しているなら、彼女もプラットフォームに戻ってアレイドヴァに行く必要があるだろう」


 ミカが苦笑した。


「そうだね……ねぇ、そこのあんた」


 猫耳の聖女が僕に声をかけていると気付くまでに少し時間がかかった。反射的に頷く。


 猫耳の聖女が一歩前に出て僕の目の前に立ち、犬耳の騎士は軽く手を上げて挨拶をした。


「それで。あんたたちは何者なんだ?」


 聖女は睨みつけてきた。


「さっきからずっと盗み聞きしてるんだろ?」


「エリア」


 ミカが咎めたが、エリアは止まる気配がない。彼女は目を細め、僕をじっと見つめていた。


「怪しいね、メイドと……うん?その黒髪、あんたは南方の人なの?でもおかしいね、肌が白すぎる。それに顔を隠しているフードと薄いベール、手首の銀飾り……あんたは占い師か踊り子か何かか?盗み聞きだなんて、高尚な趣味だね」


 僕は言葉に詰まった。エリアが僕の顔を見つめてしばらくすると、ふんと鼻を鳴らして視線を逸らした。


「すみません、彼女に悪気はありません」


 ミカがフォローする。


「お二人はどこに向かっているのでしょうか?」


「私たちはこのあたりを探索し、魔機を討伐しつつ、使える部品を探しています」


 チューチューが答えた。


「灰衣衆が管理しているプラットフォームまで、この路線を辿るつもりです」


「ああ、それなら同じ道ですね。私たちもプラットフォームに行くつもりです」


 ミカは暖かな笑顔を見せた。


「もし良ければ、一緒に行きませんか?」

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