第2話 BMOの始動

 3月11日に始まった時計坂の歌詞とメロディのアイデア噴出は断続的につづいていたが、じっくりと編曲をしている時間はなかった。特に気に入った曲だけを選んで作品にし、ネットで発表した。チャンネル登録者数は増加の一途を辿った。ライブをしたいという意欲は日に日に高まったが、ともに演奏してくれるメンバーがいない。海野にベースを弾きながら歌う器用さはなく、時計坂はギター、ベース、ドラムを求めた。どこかに人はいないかと、各地のライブハウスに通い、他大学の学祭ステージを聴いた。そんなとき、『オルカ』というバンドが解散するらしいという噂を耳にした。


 オルカは早稲田大学の学生たちによるガールズロックバンドだった。ボーカルの村上ありさとギターの祈沢ネムが中心メンバーで、ふたりが曲をつくっていた。村上と祈沢は時計坂、海野より2歳年上で、英文学コースの同期生。ベースの白井亜子とドラムの駒田由麻は村上らのひとつ年下。2年間の活動で高い人気を得て、音楽事務所から声がかかるほどになっていたが、2011年秋、村上と祈沢が音楽性の違いで対立し、空中分解してしまう。「ありさはヘビィメタルが大好きだった。私はポップロックをやりたかった。1年くらい前から口げんかが絶えなくて、解散時にはありさが我慢ならなくなってた」(祈沢談)。


 オルカは村上・白井と祈沢・駒田に割れてしまった。同年11月、下北沢のライブハウス『パラディゾ』でラストステージを行う。時計坂と海野は客としてそこにいた。祈沢がその夜のことを振り返って言う。「解散ライブが終わった後で、楽屋にすごい美人と勝ち気そうな女の子のふたり組が来て、話があるから少しだけ時間がほしいなんて言うのね。それがシズクとカナエだった。最後くらい仲よく打ち上げをして終わろうなんて話もあったんだけど、ありさとはもう口もききたくなくて、由麻も誘ってシズクたちと飲みに行った。鍋をつつきながら、カナエが一緒にやりませんかと言ったのよ」


 祈沢はそろそろ就職活動に本腰を入れるつもりで、しばらく音楽から離れようと思っていたが、ふたりが(仮)ブラック・マジック・オーシャンのメンバーと知って、気が変わる。BMOの曲をいいなと思っていた祈沢は「あなたたち、プロをめざす気はある?」と訊いた。「あります。と言うか、そのつもりで祈沢さんに声をかけました」と時計坂は即答した。


「あたしは自分の曲とシズクの歌をたくさんの人に聴いてもらいたかった。そのためにプロになりたかった」と時計坂は言う。祈沢は「好きな音楽をやって、ギターを弾いて生きていきたかった。正直に言うと、承認欲求も人一倍持っていた。音楽で稼げるなら、就職なんてしたくなかった」と語る。ふたりの姿勢は微妙に異なっていたが、プロ志向という点では一致していた。「シズクはいかにも人気が出そうなルックスだし、カナエのつくるメロディは売れそうだった。この子たちとやってみようと思った」(祈沢談)。


 このときの駒田の心境は複雑だった。「わたしはオルカをつづけたかったんです。ネムさんとありささんに仲直りしてもらいたかった。でもネムさんの気持ちがどんどんBMOに傾いていくのが手に取るようにわかって」彼女も参加することになった。


 ベーシスト不在のまま(仮)ブラック・マジック・オーシャンは走り出す。時計坂、海野、祈沢、駒田はスタジオを借り、時計坂のネットでバズっている曲をバンドの音に変えていった。彼女の曲の特徴は口ずさみたくなるような明るくわかりやすいメロディと抽象的で難解な歌詞。『アングリー』『フィシャーマンズクライ』『走れ!』『わたつみ』『アンダーグラウンドキャットフィッシュ』など初期の名曲が誕生する。


 スタジオ代を稼ぐため、彼女らはバイトをした。時計坂と海野は時給に引かれてガールズバーで働く。嫌々始めた海野は客に大人気で、バーの収入をかなり押し上げたらしい。彼女らのバイトはライブハウスのチケットノルマを容易に捌けるようになるまでつづいた(2012年夏に惜しまれながら辞めた。海野は店長に長々と引き留められて困ったという)。


 2011年11月に4人になった(仮)BMOは、翌年2月からライブハウスに出演している。音づくりの中心は時計坂だったが、バンドのマネジメントは経験豊かな祈沢が行った。新宿のライブハウス『ターボ』と下北沢『パラディゾ』を主な活動場所とした。海野の可愛くて楽々と高音が伸びる声、祈坂のキャッチーなギターリフ、波の音を感じさせる時計坂のキーボード、駒田のシンプルなドラムの音が「癖になる」と言われ、熱狂的なファンを生み出していく。


 2012年3月、祈沢はSNSでベースを募集する。5人の応募があり、4月にバンドメンバー全員で選考に臨んだ。面接し、演奏を聴いた結果、時計坂と海野は18歳の売れない声優石亀沙理を推し、祈沢と駒田は元オルカのベース白井亜子がよいと主張した。祈沢には白井を採用することにより、オルカ派がバンドの主導権を握れるという計算があった。「時計坂が曲をつくって、海野が歌ってるでしょ。どうしたってあいつらのバンドって感じになっちゃう。私はその流れが嫌だった」(祈沢談)。だが時計坂が、石亀を採用しなければ「あたしとシズクと声優の子で別のバンドをやる」とまで発言し、祈沢は折れた。石亀は岩手県宮古市出身で、家族を亡くすことはなかったが、実家が半壊していた。「東京で困窮している東北人への同情がなかったと言えば噓になる」と時計坂は語っている。

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