第3話 メジャーデビュー

「カナエはほとんど大学に行かなくなった」と海野は言う。「シズクとサリー(石亀の愛称)のためにも、音楽で成功しなきゃ」と時計坂は思っていたという。彼女の想いは通じ、BMOはネットとライブハウスでぐんぐん人気を拡大した。2012年になっても時計坂の創作スピードは衰えず、それどころか加速し、『ポセイドン』『警報』『わたしたちの新しい丘』『アンハッピーハッピー』『蝉ライフ』『ガッツ!』などを発表する。『わたしたちの新しい丘』は立教大学アニメ研究会が動画制作に協力し、1000万回の再生を果たした。チャンネル管理者の時計坂はバンドメンバーとアニメ研に収益を分配する。


 7月には350人収容の渋谷バードマンで初のワンマンライブを敢行し、熱狂の渦を巻き起こす。「私が参加したバンドはとてつもなくとんでもないんじゃないかって気づきました。前からベースが好きだったけど、前向きにのめり込みました。カナエさんを神的に崇拝して、声優業には後ろ向きになりました」と石亀は語っている。「カナエさんとシズクちゃんの関係がうらやましくうらめしかった。出会うのが遅かった」という言葉も残している。


 この頃ある大手音楽事務所が時計坂に接触している。メジャーデビューのチャンスを得て祈沢は色めき立ったが、時計坂は迷っていた。歌詞を変えるのが契約の条件だったのだ。「あなたの歌詞はわかりにくいけれど、ようするに全部震災のことを歌っているんだよね。そこを変えてほしい」と言われたという。


 迷いに迷って「やっぱり断る」と時計坂がバンド会議で発言して、祈沢はキレる。「歌詞ぐらい変えろよ。変えたくなきゃあ私がつくってやるよ。まずはデビューでしょ。そこから始まるんでしょ。プロになるって約束したよね。そこはがむしゃらにやろうよ。ビッグになってから自分の好きなようにやりゃあいいじゃん、くらいのことは言った」(祈沢談)。時計坂もキレて、「無我夢中で反論して、なにを言ったか憶えていない。けんか別れで」席を立ち、海野と石亀も後につづいた。ふだんは静かな池袋の喫茶店でのことで、残された祈坂と駒田はマスターに「きみたち出禁ね」と言い渡されたという。


 8月、9月と時計坂は黙々と楽曲制作に取り組んだ。『ハイウェイブ』『おかあさんのピアノ』『やまびこはやぶさ』が生まれる。『おかあさんのピアノ』は再びアニメ研の協力を得て、瞬く間に再生回数を伸ばしていく。震災を隠れたテーマとする創作姿勢は変わらなかった。祈沢が折れて頭を下げ、10月からBMOはライブ活動を再開する。ライブハウスではBMOコールが沸き起こり、ブラック・マジック・オーシャンは(仮)を使わなくなっていく。


「悔しいけど時計坂の才能は頭抜けていた。あいつがいなけりゃ話にならない」(祈沢談)。海野の「例の事務所はわたしにも声をかけて、デビューしたくないかって言ってきたんですよ。けんほろに断りました。カナエとわたしの絆を舐めるな」というエピソードはこの年の11月のこと。「カナエさんを師と仰いでました。動画収益から50万円を復興のために寄付したって事後にぽんと聞かされたときには神だと思った。本当は全額寄付しなきゃいけないくらいなんだけど、あたしにもお金が必要だからなんて恥ずかしそうに言うんですよ。まさに神、神、神」(石亀談)。駒田も「祈沢さんの(時計坂に対する)反発もわかるんだけど、カナエちゃんの曲はとにかく気持ちよくていつまでも(ドラムを)叩きつづけたかった」と言う。


 メンバーたちの証言どおり、BMOは時計坂のバンドと言うほかなかった。祈沢の曲『めっちゃ言いたいこと言ってくれるじゃん』『コンビニおにぎり百万個』はBMOチャンネルで時計坂の曲に完敗している。


 件の大手音楽事務所が手を引いた後も、メジャーレーベル各社はBMOを「金の卵を産むガチョウ」と見做して注目していた。2012年12月、時計坂に「自由にやってください」と伝えた音楽事務所『フューチャーフレーム』と契約。交渉に当たった伊東憲司は「時計坂は相当に警戒していた。機嫌を損ねるわけにはいかなかった」と語る。これを機に石亀は声優を辞めた(最後の仕事『彼女はゲーム廃人』のサブヒロイン等々力ミレイ役は好評だったらしい)。


 2013年冬、BMOはアルバムの制作に取り組んだ。伊東がプロデューサーになったが、「彼女らのやりやすいように」環境を整えることしかせず、約束を守って音楽面には一切口出ししなかったという。このとき、祈沢は時計坂に「英語盤をつくりたい。私に歌詞を英訳させてほしい。シズクに歌ってもらいたい。私たちの世界戦略だ」と提案する。「祈沢さんと対立したいわけじゃなかったから」時計坂は了承する。


 伊東と祈坂は営業作戦を練った。海野は英語歌唱の猛練習をした。4月、すべての楽曲を時計坂が作詞作曲したファーストアルバム『Heartquake』日本語盤・英語盤同時発売。『走れ!』『わたしたちの新しい丘』『おかあさんのピアノ』を含むこのアルバムは祈坂の狙いどおり、日本以上にヨーロッパ、アメリカでじわじわと売れていく。新曲『心震』は代表曲のひとつになった。


 イギリスの音楽評論家アーサー・ジョーンズが書いている。「極東から爽やかな風が吹いてきた。この風は哲学的な香りすら含んでいた。私は『Heartquake』を知ってすぐにこの音を生で聴きたいと思った」(イギリス音楽誌WRM2013年6月号)。

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ガールズバンドクラッシュ みらいつりびと @miraituribito

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