第2話「おかえり」と「ただいま」

 純玲ちゃんが隣に引っ越してきてから1週間が経過した――。


 グツグツ…。


「……うん、できた。ええと…もう10時か」


 コツン、コツン…。


 外の音に耳を済ませると微かにマンションの廊下を歩く音が聞こえてくる。


「やっぱり純玲ちゃんだ。おかえりなさい」


「……びっくりしました。えと、ただいま」


「ごめんね、驚かせて。音がしたから帰ってきたんだろうなって思って」


 そう言うと純玲ちゃんは「耳いいんですね」と苦笑する。純玲ちゃんはいつも学校の後にバイトをしてこのくらいの時間に帰ってくる。


「いつもお疲れ様。夜ご飯用意ある?」


「…それが今朝財布を忘れちゃって買い物出来なかったんですよ…」


「あらら…もしも純玲ちゃんが良ければなんだけどさっき私も夜ご飯できたとこだから家で食べてく?」




 パタン。


「……すみません。お邪魔しちゃって」


「いいのいいの。この前言ったじゃん?『遠慮せず頼って』って」


 1週間もするとタメ口もだいぶ馴染んできたような気がする。最初はむず痒いような感覚だったけれど、朝学校に行く純玲ちゃんを見送ったりしているうちに今のように落ち着いた。


「お口に合えばいいんだけど…どうぞ」


 純玲ちゃんは優しいから、恐る恐る出す必要も無いのに何故か顔色を伺ってしまう。


 今日作ったのはハンバーグ。ちょうど合い挽き肉が安くなっていたから作ってみたけれど、予想してたよりも作りすぎてしまったからちょうど良かった。


「いただきます」


 私が見守る中、純玲ちゃんがハンバーグに箸を入れ、一口大のそれを口に運ぶ。


「どう…かな?」


「………」



 私の質問に彼女は押し黙ったまま咀嚼を続けていた。もしかしてなにか食感とか変かな?それとも生焼けだったとか?


「あ、あの、純玲ちゃん?美味しくなかったら無理しなくっても……」


「いえ、美味しいです…美味しい、です凄く…」


「え、えぇぇ!?」



「美味しい」とは言っているけれど、彼女は急に涙を流し始めた。急なことで気が動転する私。そんな私をよそに彼女は泣きながらも嬉しそうにもそもそ食べ続ける。



「…ん、ごめんなさい。驚かせて」


「いや、謝ることないけど…何かあった?」


「べつに何かあったわけでは…忘れてください」


 涙を拭った彼女はその後は何事もなかったみたいにご飯を平らげてしまった。


「………」


「…………」


 ご飯を食べ終わり、2人で食器を片付ける。

 純玲ちゃんは勉強もあるだろうから「1人でやるよ」と言ったけれど、彼女がどうしてもと言うからお願いすることに――。


 純玲ちゃんは……ご飯より前のいつもの表情に戻ってお皿を拭いてくれている。


「忘れて」と言われたけれど、気になって顔を横目でチラチラ覗いてしまう。なんだったんだろう。


「なにか私の顔に付いてますか?」


「へ?あ、や、なんでもない、よ?」


「何それ…ふふ、声裏返ってますよ。変なの」


「うっ……」




 それから片付けも終わり一休みしたあと、純玲ちゃんを見送る時間になった。


 ……と言っても、隣だけれど。



「それでは、また明日」


「うん、また明日。気をつけてね」


「はい、ご馳走様でした。それでは――」



 あの涙にはいったいどんな理由があったんだろう。気になるけれど、聞いてしまったら多分彼女には嫌われてしまうかもしれない。



「美味しい」

 今はその一言だけで充分ってことにしておこう。松木さんが亡くなられてから1年――誰かとこうして食卓を囲むのも久しぶりだ。


 彼女は迷惑に感じているかもしれないけれど、ちゃんと感謝しなくちゃ。


「――……!」


「私はそばにいるから、だから無理だけはしないで」



 だから今はただ――彼女に私が松木さんから貰ったものを分けてあげようと思う。

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