第32話

 手を洗ってからカウンターの内側に入らせてもらい、常連客の前に立った。

「えへへ。いらっしゃいませー、なんちゃって」

 照れくさそうに笑う雪乃に、常連客も楽しそうに笑った。

「いいね、新人さんって感じで可愛いね」

「可愛い新人さん、ビールもらえる?」

「俺らからのおごりでいいから、君も飲みなよ」

「えー、雪乃ちゃんだけずるい!うちらにも奢ってよー」

 ガールズ達が笑いながら文句を言う。


 雪乃が常連客から奢ってもらったビールに口をつけたその時だった。


 バーのドアが開いた。


「いらっしゃいま……げっ」

 ドアの方を見た凛子は、思わず雪乃を隠すように体を寄せた。


 そこに現れたのは城崎だった。


「おう、焼酎ロックでもらえるか」

 さっさと席について注文をする城崎に、凛子はあえて明るく声をかけて近づいた。

「焼酎ねー、オッケー。あれ?城崎なんかすでにかなり酔ってない?うち二軒目?」

「ああ。ちょっと仕事の方でトラブって話つけてるうちになぜか相手と酒飲む事になってな。ったく面倒くせえ」

 少しイライラしている様子の城崎に、凛子は「へえー」と相槌を打ちながら、雪乃に目配せをする。

 雪乃はその意味に気づいて、そっとカウンターから出ようとした。

「あれ?雪乃ちゃんもう終わり?」

「せっかく奢ったんだし、もう少し話しようよ」

 空気を読むことができなかった常連客が雪乃に声をかけた。

 すると雪乃の名を聞いた城崎が常連客の方に目をやり、すぐに雪乃と目があってしまった。

「テメェ、何してんだ」

 城崎は雪乃に怖い顔で近づいた。

「あの、食事をご馳走になってました……」

 雪乃は城崎と目を合わせないように答えた。

「食事ご馳走になるのに、なんでそっち側にいるんだよ」

 雪乃をにらみつける城崎に、慌てて凛子が言った。

「違うの。あの、私が雪乃ちゃんを食事に誘って、ほんの少し前までお客さんとして食べてたんだけど、ちょっとした遊びで、こっち側来なよーってうちらが誘ったの。別にこっちに立ってるからって、そんな接客したわけじゃないよ」

 ね、と凛子は常連客に強い目ヂカラで同意を促した。酔っ払いで空気を読まない常連客は、頷きながら飄々と言った。

「可愛いねって言っただけだよ、ねえ」

「可愛い新人さんだから奢ってあげただけだよ」

「ほーう」

 城崎は鬼のような顔になって頷いた。

「雪乃」

「は、はいっ」

「帰るぞ」

 城崎は、財布からお金を出すと、凛子に渡した。

「さっき俺が頼んだ焼酎代と、雪乃がこいつらに奢られた分、これで足りるか。空気悪くして悪かったな」

「う、うん、全然足りるけどさ……。あの、城崎、雪乃ちゃんは全然悪くないから。その怒らないで」

「怒らねえよ。俺が雪乃を怒るわけねだろ」

 城崎はカウンターから大人しく出てきた雪乃の腕を強く掴んで引きずるようにしてバーを出ていった。


「ヤバいごめんね雪乃ちゃん……冬眠明けのクマ状態の城崎に最悪の状態で引き渡す羽目に……」

 凛子はそう呟いた。



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