第29話
その次の日、雪乃は険しい顔でパソコンと向かい合っていた。
「全然進んでいる気がしない」
目の前に置かれた紙ベースの資料を、ただパソコンに入力していくだけだったが、慣れないパソコンソフトに、雪乃は悪戦苦闘していた。
「お、思ったよりできてんじゃん」
城崎は雪乃の後ろから顔をのぞかせた。
「このペースでいいんですか?なんか戦力になってない気がする」
「バイト未経験の奴が、バイト初日に戦力になるわけねえだろ。思い上がんじゃねえよ」
「うう、ごもっともです」
呻きながらまたキーボードを打ち出す雪乃の頭をポンポンと優しくたたいて城崎はどこからともなくコーヒー缶を取り出した。
「頑張ってるぞ。少しずつできるようになる。休憩しな」
そう優しく言って雪乃に缶コーヒーを渡し、自身も缶コーヒーを開けた。
「レポートなんかでパソコン使ってるし、正直余裕だと思ってたんですが」
「やってみりゃあ全然違うだろ」
「はい。でもちょっと楽しい」
雪乃は軽く微笑んだ。
二人がゆっくりと休憩を取っていると、事務所のドアが勢いよく開いた。
一也が入ってきたのだ。
「こんにちは。今日もここで宿題やらせてー」
「今日は早くに親が帰ってくる日だろ。さっさと帰れよ」
城崎が面倒くさそうに言うと、一也は飄々としながら勝手にテーブルに宿題を広げた。
「いいじゃん。僕は、城崎さんが職権濫用して彼女といちゃついてないか、ちゃんと仕事してるか確認しに来たの!」
「余計なお世話だっつーの」
城崎は顔をしかめた。
一也は城崎を無視して雪乃に向き合った。
「ねえ、雪乃さん、だっけ。大学で教育学部なんでしょ。宿題教えてよ」
「私?」
突然言われて、雪乃はキョトンとした。しかし、請われて嫌な気はしない。
「えへへ。教科担当じゃないけど。頼まれちゃあ仕方ないなぁ」
雪乃は、いそいそと一也の机に近づいた。
城崎は、そんな二人を横目に仕事にもどる。
「中学生の問題出来るなぁ」
雪乃は一也の開いている教科書を覗き込んだ。
「……っと?」
雪乃は言葉を飲み込んだ。
――なるほど、困らせようとしてるのか。嫌がらせだな。
雪乃はチラリと一也の顔を見た。一也は雪乃を見てニヤニヤと笑っている。
一也が開いていたの五教科の本ではない。保健体育の教科書で、生殖器官の成熟についてのページだった。
――こんなので動揺すると思ってる?てかこれが嫌がらせになるとおもってるんだ。
可愛い、まだまだお子様だな、と微笑ましく思って、雪乃は思わず笑ってしまった。
「何で笑ってんの」
雪乃の反応が予想外だったのか、一也は少し焦ったような不機嫌そうな声を出す。
「ああ、ごめんね。で?宿題はどんなの?」
「は?」
「いや、だって宿題でしょ?大丈夫、私この教科書最近熟読したよ。何なら指導要領まで確認したことあるから何でも教えること出来るよ」
千草から城崎の性知識についての依頼を受けたときに、いくつか義務教育での性教育についての本を読んだ。教科書はもちろん熟読した。
「熟読……?」
「ほら、どんな事?何を知りたいの?」
少し意地悪く雪乃はたずねた。一也は何も言わない。
雪乃は、一也に目線を合わせて、優しくいった。
「ちょっと私をからかおうとしたのかな?でも、個人的に、こういうネタで人をからかおうとするのはあんまり良くないかもって思うよ。
このページにはね、とってもデリケートで大事な事が書いてあるんだよ。面白可笑しく使うページじゃな……」
「うるさい変態!!」
「へ、変態!?」
一也は急いで鞄を持って、そして玄関へ飛び出していった。
「変態のお前なんか大嫌いだ!城崎さんの歴代彼女の中で一番嫌いだ!」
「なんと!!」
ショックを受ける雪乃をよそに、バタンと大きな音を立てて、一也は去っていった。
「やかましいやつだな……」
城崎は他人事のように、呆然とする雪乃を眺めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます