舞台袖「美濃クリス」
十二月二十五日。一般的にクリスマスと呼ばれるこの日、世界は新大陸なんてプレゼントを受け取り、私は一般人としての人生を奪い取られた。
……なーんて重い感じで表現してみたけれど、実際その通りだからシャレにならない。新大陸ってプレゼントが人類にとって嬉しいモノかは色々議論の余地はあるだろうけど、少なくとも私に関してはそんな余地もないだろう。
果たして私に非はあったのか。自分で言うのもなんだが、そんなモノは一切なかった。むしろ被害者であり、同情されるべき立場なはずなのにこの有様だ。
こんな理不尽が許されていいのか。こんな理不尽がまかり通っていたのがこれまでの社会であり、私はそれを知らずに、あるいは気付いていても深く捉えずに生きていたけれど、当事者になってしまえばそうも言ってられない。だから、唐突に追いやられ、手に入れたこの立場と環境を使って抗ってみようと、そう思ったのだ。
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「美濃さん、こちらが今回取材を担当してもらう事になった記者。一応、私の高校時代の同級生だったから、人格は最低限保証する」
今回のために専用に用意されたという会議室。部屋からの出口はあるものの、その先の外に繋がる通路が存在しない空間で、私は一人の記者を紹介されていた。
紹介者は長谷川さんという、クリスマスの事件で知り合った良く分からない経歴と立場の人。記者の人は彼の同級生らしい。
「最低限かよ……。あー、後藤です。弱小でもちゃんとした雑誌だから、そこら辺は安心してほしい。これ名刺ね」
「は、はあ」
思ったより適当に渡された名刺に、どう受け取っていいものか困惑してしまう。
社会人の名刺のやり取りってもっとこう形式ばったというか、両手でお願いします的なのを想像していたが、実際のところはこんなモノなのだろうか。それとも、同級生からの紹介だから? でも、長谷川さんから名刺をもらった時も似たようなモノだったなと思い出す。ひょっとして相手が高校生だからとか、相手によって対応が違うとか、そういうルールがあるんだろうか。どの道社会に出る際には必要になるんだろうけど、今後はこういうマナーも覚えていく必要がある。
「こいつは君が嫌悪する記者の一種だが、最低限保証すると言った通り、少なくとも敵じゃないから」
「ひでえなあ……でもまあ、事前に聞いてる話だと仕方ないとは思うけど」
「どっちかというとお前のために言ってるんだよ」
本当にそうだ。この場限りだとしても、マスコミを嫌悪している事を否定する気はまったくなかった。それほどまでに、ここ最近で私がマスコミから受けた被害は大きい。具体的には復学さえ怪しくなるレベルで。
それでもこうやって取材を受ける事にしたのは、一切情報を発信しないから納得しない層がいるという可能性を潰すためだ。ミナミさん曰く、大して変わらないだろうという話だったが、彼らがしきりに口にしている説明責任とやらは果たせるだろう。もちろん一個人である私にそんな責任などあるはずないのは知っている。
少しでも危険があるのなら受けたりはしないけど、こうしてお膳立てとフォローが確約されていれば対応してもいいと思った結果である。
「さて、取材に入る前に一応忠告しておくが、今の彼女はすでに例の事件における一被害者というだけでなく、明確にヒーローの庇護を受けているという点だ。口調なんかは大目に見るとしても、ふざけた取材内容や報道がされた場合、それなり以上の報復があると思え」
「お、脅しか?」
「お前だけに対するモノってわけじゃないが、明確に脅迫だ。少なくとも反社を相手にするよりよっぽど危険だとは言っておく。法律も世論も味方してくれないんだから当然だよな」
ヒーローがどの程度の事ができるかなど詳細は知らないけれど、まあヤクザさんたちよりは危険だろうとは思う。物理的な面だけ見てもビルくらいは壊せそうだし、それで罪に問われたところでどうやって逮捕するのか分からない。
裁く法律もなければ拘束する場所もない。世論だって許しはしない。そういう存在なのだ。改めて説明されて、確かにそうだと納得したりもした。
「……わ、分かった。いや、お前から事前説明受けた時点で、ある程度は覚悟してたんだが」
この後藤さんとやらも事前に私が受けたモノに近い説明を受けてはいるのだろう。反応からそんな気がした。別に彼個人に何か思うところがあるわけじゃなけいけど、必要な事ではあるのだろうと思う。少なくとも今の私は否定できない。
「ただ、単なる貧乏くじってわけでもない。特ダネには違いないだろ」
「それはまあ……そうな」
できれば同級生同士だけで話を進めないでほしいのだが、特に口を挟む気もないので大人しくしておく事にした。テーブルに用意されたお茶をチビチビ舐めるように飲んでいる。
「美濃さんも悪いね。こいつ……というか、日本人……もっと言えば人間の認識は甘いにもほどがあるから。私もこいつの葬式に出席したくはないし」
「冗談……じゃねーんだよな。なんで俺がこんな役目を担っているのか……」
「ジャーナリスト冥利に尽きるだろ」
「俺、記者の仕事にそんな誇りは持ってないんだけど。まあ妙な特権意識も持ってないが」
だからこそ相手に選んだというのは確かだ。この人である必要はなく、単に長谷川さんの縁故からくる人事でしかないが、少なくとも大手マスコミの相手をする気はなかったから。
この記事は大きく取り扱われる必要などなく、単に取材を受けて記事という形になったという事実だけが重要だからだ。
「しかし、弱小であるって事は大手の企業パワーには負けるって事だぞ。ウチの上層部は今のところヒーロー関係の話題について穏便に済ませる方向性ではあるが、外部からの圧力……極論、会社ごと乗っ取られたらどうしようもない」
「そこら辺はすでに対策してある。筆頭株主の社長が心変わりしない限り、過半数の株式は取得できない。だが、そんな事態になるならお前は逃げろ」
「……何したんだよ、おい」
「何か情報を得る度に危険は増していくぞ。聞きたいなら言ってもいいが、覚悟は必要だ」
「了解。……覚悟は検討するとして、今は取材だな。じゃあ、色々聞かせてもらうけどいいかな? 美濃クリスさん」
「あ、はい」
唐突に話を振られたので、思わず湯呑を落としてしまうところだった。なんだろう今の違和感が残る切り替えは。後藤さんの処世術か何かかな? まあ、多分私には関係ないだろうけど。
取材とはいえ、私が体験した事実をそのまま伝えるだけだ。それ以上の事をする能力はただの女子高生である私にはない。写真も数枚撮られたが、それも当たり障りのないものでしかない。
話したのは、ある日唐突に怪人に拉致されて気付いたら謎の部屋で目を覚ました事、未知の建物の中をさまよった事、人と見分けがつかない怪人と遭遇した事、そしてマスカレイドさんに救出されて日本まで送り届けられた事。
軌道ステーションに行った事や途中で見かけた謎のロボットなどについては事前に口止めされている。別の被害者についても聞かれたが、実際に会ってもいないし、知らない事は素直に知らないと伝えた。黙秘する事と知らない事は区別して話すと決めていたので、変に探りを入れられなかったのは幸いだ。疑いはあるだろうし、この記事を読んだ人は邪推もするだろう事は分かるけど、基本的にはありのままだ。報道しない自由を行使しただけの事である。隠蔽はしても捏造はしてない。
そして、私として最優先の話題は戻ってきたあとの話だ。マスコミのせいでどれだけ不都合が生じているか、私の体験談と感想を明確に伝え、記載する事を約束してもらった。
この取材が載るという雑誌の反響次第で私の今後が決まる。社会がどれほど危険かを確認するのが、この取材の真の目的でもあった。それが目に見えている結果であっても重要なのだ。
結果としては、予想通り最悪に近いものだった。
事前確認のために、実際に掲載されるという雑誌を見て気恥ずかしさに悶えるのは仕方ないにしても、実際に発表されたあとには、そこまで現実が見えていなかったのかと呆れるような結果が待っていた。
ミナミさんに忠告された通りマスコミの要求が止む事はなく、むしろ苛烈に表に出る事を要求される始末。単に自分のところで記事にできなかったのが問題なのかもしれないが、つまりおかわりだ。どうやら彼らの説明責任とやらは、社会の表舞台に立たされて見世物にさせる事を指すらしい。ふざけんな。
今回の取材で得られたのはそんなろくでもない教訓と、そこまで害悪ではないと分かった後藤さんとの縁くらいだろう。ひょっとしたら、今後何かを発信する際にあの人を頼る事になるかもしれない。
そんなわけで、私の高校一年生の三学期は一度も登校せずに終わる事となった。別に勉強が好きなわけではないけれど、それとこれとは話は別だ。学校に行かないと行けないでは天と地ほども差がある。
学校側に確認したところ、事情が事情だけに補習などで留年を避ける対応は立ててくれたらしいが、このまま退学、最低でも休学してほしいというのが本音だというのは透けて見えた。特に非があったわけでない学校に文句を言うのは筋違いだが、それなら私が受けている仕打ちのほうが筋違いである。
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「結局、私はどうなっちゃうんでしょうか」
「さあ……。気休めを言えるような状況でもなくなってきましたからね」
ミナミさんの家に運んでもらう時と同じ軽バン、同じ後部座席に乗って、わさわざ用意してくれたという避難所に向かう。
前の時も先の見通しが立たない状況ではあったが、今は更に期待が持てない。運転席の長谷川さんの声色も深刻さが滲んでいるような気がする。
好意に甘える形で結局一ヶ月以上ミナミ家に滞在する事になったわけだけど、その間も状況は悪くなるばかりだった。
私の自宅に張り込むマスコミは増え、学校や友人知人まで明確に迷惑が及んでいる始末。さすがに関係性が見出だせなかったのかミナミ家まで手が及ぶ事はなかったものの、目と鼻の先にある阿古の家までは取材が来たらしい。わざわざ本人がミナミさんに愚痴りに来ていたのを隠れて聞いていたので間違いない。
これだけ時間があれば帰国してるだろうと思っていた両親はまだアメリカだ。経過も聞いているが、相当に厳しい状況らしい事くらいしか分からない。だって、同じ拉致被害者の中からすでに死者すら出てるような有様なのだ。何がどうなってそうなったかなんて分からないけど、ニュースにまでなっているのだから間違いではないだろう。こんな悪夢のような日本ですらマシなのだと突きつけられている。
「気休めは言えませんが、とりあえずあなたの身の安全は保証できます。今から向かう避難所は間違いなくマスコミどころか誰も手が出せないような場所なので」
「……どんな場所なんでしょう?」
「正確な場所は知らないほうがいいので言いませんが、まあ……日本ではあるとだけ」
それもそうか。自分でも口が堅いとは思っていないし、情報漏洩の可能性を考慮するなら知らないほうがいいというのも分かる。どうせ外出などは制限されるだろうし、地理的な意味などあってないようなものだろう。
「そんなわけで、着きましたよ」
「は?」
日本のどこか分からないという話をしていた直後に車が止まった。これじゃ東京から出たかどうかも怪しい。
おずおずと窓から外を覗いてみると、どこかの駐車場のように見える。ただし、この車以外の駐車スペースは空だ。
「あの……」
「ここは私がマスカレイドさんから使用を許可されているセーフハウスの地下です。人目を避ける目的だと、そのまま乗り込める地下駐車場付きって便利なんですよね」
「は、はあ……ここが避難所ですか?」
「いえいえ当然違います。ここはただの中継地点。まあ、ここでも一時的に隠れる目的なら使えますが、今のあなたには足りないでしょう」
申し訳ないけど、私には足りないかどうかはちょっと分からない。ミナミさんの家から離れたのだって、バレそうだったからとかじゃなくあまり長期に滞在していると迷惑だろうと思ってだ。
個人的にはいくら都内とはいえ、ここまで人目を避けて移動できたのなら外出さえしなければバレる気はしないのだけど。
「生活環境が整ってるわけでもないですしね。セーフハウスと言っているだけあって最低限家具が揃っているだけで、長く住むのはちょっと向いてませんし」
そんな事を話しながら通された部屋は普通のマンションの一室っぽい部屋だった。言われてみれば、確かに生活感は感じない無機質さがある。ただ、住めと言われても特に問題は感じない程度のものだ。
「えーと、良く分からないんですが、ここで一旦休憩とか?」
「先ほども言いましたが中継地点です。ただ、どう中継するかは私も知りません」
「???」
何を言っているんだろうという感じだったが、受け答えする長谷川さんに不安などは感じられなかったので、少なくともここで立ち往生する事はないのだろうとは思った。普通に考えるなら、ここで数日時間を置いて、後日別の場所にという感じになるだろうと思っていたのだが。
「はい、というわけでこの部屋から先が避難所らしいです。……なるほど、意味が分からない。さすがヒーローといったところでしょうか」
部屋のドアを開けて隣の部屋に移動した瞬間、そんな事を言われた。リビングらしき部屋の隣にこれまたリビングっぽい部屋があるのは違和感だけど、その言動のほうがよっぽど違和感がある。
「いえね、私は前に下見に来ているんですが、先ほどの部屋の隣は空き部屋だったはずなんですよね。六畳ほどの」
「六畳?」
正確な広さなど分からないが、この部屋は少なくとも十畳以上はあるだろう。なんせ、私の自室が六畳なのだ。そこまで大きく感覚がズレるはずもない。
「これがマニュアルかな? ちょっと失礼。飲み物は事前にコンビニで買ってきたんで、好きに飲んでください」
状況が飲み込めないまま、長谷川さんは中央のテーブルに置かれていたファイルを開き、読み始めた。
少し時間がかかるかなと思ったので、先ほどまで長谷川さんが持っていたビニール袋からペットボトルの飲み物を拝借して、向かいのソファに座る。
「うーん、相変わらず常識で考えると頭おかしくなりそうですが、どうやらここは山中にある廃墟の地下らしいです。住所は書いてありましたが、間違いなくドア一つで移動できる距離じゃないですね」
「はい?」
「……まあ、確かにこんな場所ならバレようがない。避難所としても完璧でしょう」
「良く分からないんですが、ワープでもしたって事ですか?」
「そうらしいです」
半分冗談のつもりだったのだが、当然のように肯定されてしまった。そんなんでいいのかって感じだ。だって、ワープとか。
「入ってきたドアはそのまま元の場所に繋がっているようなので、用意されたセキュリティを設置して移動経路に使う事になりそうです。という事は基本的にこの部屋が入り口という事になりそうですね」
説明を受けつつ、何かの箱を確認し始めた長谷川さんはカードを一枚渡してきた。聞いてみれば、これが東京のセーフハウスと行き来をするためのカードキーになるらしい。何枚あるのか分からないが、長谷川さんも一枚持つようだ。
一応、内側からなら手動で開けられるように設定するみたいだけど、極力その方法は使わないようにと念を押される。
「それで、これが美濃さん用の部屋の鍵らしいです。場所の確認がてら、見に行きましょうか」
「は、はあ……」
生返事しかできず、私は鍵を受け取ってついていくだけだった。
別のドアから出た場所は廊下だ。殺風景で窓はないが明るく、いくつもドアがあった。リビングにいた時点では多少しかなかった違和感も、この光景を見れば異常だと確信できる。どんな建物だろうが、リビングからリビングを経由して長い廊下だなんて、こんな構造はありえない。この廊下だって、あきらかに最初の部屋と干渉する角度だ。
「お、ここだ」
窓がないだけで普通のビルっぽい通路を進み、エレベーターを使って階を移動、先ほどの廊下と見分けが付かないが行き先は地下三階らしい。その内の一室が目的地のようだ。
先ほど受け取った鍵を使って中に入ると、そこはこれまた普通のマンションらしき玄関。ただ、ここに来るまでに感じた無機質さはなく、家具は一通り揃っているっぽい。そう極端に広いわけでもなく、すべての部屋を合わせてウチの自宅と同程度の面積と部屋数らしい。ただ、マンションらしく階層が分かれてはいない。
「今後はこの部屋で過ごして下さい。突貫工事で用意したらしいので、改善要望があれば随時受け付けるとの事です」
「長谷川さんに?」
「いえ、先ほどの部屋の近くに私の部屋を用意してくれているようですが、多分常駐する事はないので別ルートで。まあ、管理人のような人を用意するらしいので、その人を通してですかね?」
「えーと、さっきから異常な事続きなんですけど、長谷川さんは慣れてるんですか?」
「まあ、ある程度は非常識な事も体験してきましたし、割り切る事にしました」
正直、私はあまりの急展開に自分の置かれた状況を飲み込めそうにないのだが。
「というかですね、怪人に拐われて新大陸に行った挙げ句、静止軌道ステーションまで体験した美濃さんのほうがよっぽど異常な体験をしていると思いますけど」
「言われてみれば……」
確かにクリスマスからこちら、状況が特撮、SF、ファンタジーとジャンルの固定さえできない、異常極まる体験ばかりだった。それに比べればココはまだ常識の範疇……に近いかもしれない。間違っても常識ではないけど。
というわけで、怒涛にもほどがある展開を経て、私はマスカレイドさんが用意したという避難所に住む事となった。
これまでのように誰かが食事を用意してくれるわけではないので、予め用意されていた保存食や手探りの自炊で過ごし、その他生活に必要な家事も自分でやらないといけない。電気は普通に通っていたし、家電も一通り揃っているので、初めての一人暮らしのようなものと考えつつ、環境に慣れる事を優先する事にした。思っていたのとまったく違うけど、新生活というわけだ。
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始まった新生活も、最初の内は不慣れで時間ばかりがとられる非効率的なものだったが、多少でも慣れれば時間にも余裕が生まれる。
忙殺されていた間は余計な事を考える余裕がなかったが、まったくの新環境とはいえ、自分一人の家事など本来そこまで手間のかかるものではない。そもそも、これまでだってまったくやっていなかったわけでもないのだ。
そうすると第一に気になってくるのが孤独である。いや、本来ならマスコミの動向とかも気にするべきだろうけど、意識的に排除するようにしていたのだ。与えられた情報端末やテレビなどでも極力触れないようにしているし。
一応、明日香やミナミさんへの連絡も最低限……到着確認くらいで済ましている。後々は電話くらい普通にできるようにすると言われているが、今は自重の時だろう。つまり、孤独を誤魔化す手段が少ない。
というのもこの地中ビル、突貫工事と言っていたのは間違いではなく、ガワは立派でもこの部屋と中継用のリビングルーム、そして長谷川さん用という部屋を除けば中身はほとんど空らしいのだ。
一応、地上に繋がっているという地下一階のフロアには行ってみたが、そこから出る事は叶わない。用心のために鍵がかかっているとかそういう話ではなく、物理的に通路が塞がれているのだ。まあ、地上に設置してあるという監視カメラの映像は見れて、そこにはただの廃墟と自然しか映ってなかったので、あまり出たいとも思えないが。少し前までの私なら外に出たいという欲求も湧いただろうけど、ミナミさんの家で強制的に引き籠もりのような生活を続けた関係から、別にこのままでもいいんじゃないかと思ってしまう。
何もないと分かっている以上、ビルの中を探索しても仕方ない。別にやったって構わないが、散歩のようなものだろう。……いや、健康を考えるならそれもアリだろうか。ただでさえ、ここのところ外出できずに運動不足だし。
そんな感じで始めた散歩兼探索だったが、予想以上に代わり映えのしない景観が嫌になってすぐに辞めてしまった。これなら何故か用意されていたルームランナーのほうがマシだ。
ただ、探索自体が完全に無駄というわけでもなく、いくつか気になる事ができた。細かい疑問ならいくつもあるが、一番はこのビルの大きさだ。私一人を匿うのに、ここまで巨大な箱を用意する必要はない。用途不明な他の部屋も、何か目的あってのものじゃないかと思えたのだ。なので、訪れたタイミングで長谷川さんにその辺りの事を聞いてみれば……。
「避難所と言っているように、美濃さんの他にも世間から身を隠す必要なある人が出てくると想定しての規模らしいですね。ほとんどは単なる予備ですが、一応直近で入居予定の人も決まってます」
「やっぱりそうなんですか。その予定の人がどんな人か聞いても?」
「あなたのご両親です」
一緒に過ごす事になるのなら少しでも事前情報がほしいと思って聞いたのだが、想像以上に身近な話だった。
もう何ヶ月も経つのに、未だアメリカから出られないというのは把握している。日本に来たら来たでまた面倒な事になるのだろうけど、それ以前の問題だ。
「日本に帰国したあとに回収してここにという流れを予定していたんですが、どうやらアメリカから直にという話になりそうですね。入出国関連の手続きは別途行うという形で」
そんな事できるんだろうかと一瞬思ったが、これまでの経験から多分できるんだろうなと思ってしまう。だいたい、良く考えれば私だって軌道ステーションから帰ってきた時に手続きなど踏んでいない。不法入国者だ。
今に至るまでそれが問題になっていないという事は、長谷川さんか、あるいはもっと上のヒーロー陣営でどうにかしたという事なのだろう。
「……向こうもひどい事になっているという話は聞いてるんですが、詳細とかは」
「あー、被害者によってはひどい事になっているらしいですが、ご両親の周りはそこまで深刻な問題には発展してませんよ。出国できないのも、安全面を考慮して国からストップされているというだけで」
今となっては、素直にそれが国の善意と受け取る事はできないけれど、死傷者が出ているような話が聞こえてくる中でそれならまだマシかもしれない。
「親戚の方と殴り合いにはなったそうですが」
……うーん、あまり想像できないけど、それくらいならまだ。
「ただ、ここまで長期の離職期間になると、今の仕事は辞める事になりそうですね。どの道、復職はあまりオススメできませんし、自宅に戻るというのも問題なので、それなら直接ここにという話に」
多少数は減ったらしいが、数ヶ月経った今でも私の自宅の周りにはまだまだマスコミがうろついてるらしい。どんだけ暇なんだろうか。
「言い難いんですが、マスカレイドさんに一家丸ごと生活を依存するのってどうなんでしょう? それ自体は仕方ないにしても、何かできる事があるなら……」
「私の感覚で言うなら、何も気にする必要はないと思いますよ。ただ、養われる側が心苦しいだろうという事も理解できます。実はすでに案もいくつか出てるんですが、その中で現実的なのはここの管理人ですかね? 前職とはまったく職種が異なりますが、そこまで忙しくもならないでしょうし家族との時間もとれます」
できれば私がやれる事が欲しかったのだが、両親から話がいくのも理解はできる。
「美濃さんの気持ちも分からないではないですけどね。この状況で勉強してろと言われても手につくはずないでしょうし」
そんな私の表情を汲み取ったのか、長谷川さんは続ける。
確かにそうなのだ。退学届を出したわけでもないので、私は未だ高校生であり、その本分が学業なのは変わりない。だが、だからと言って今の状況でただ勉強をする気にはなれない。独学だから無理があるという話ではなく、家庭教師を用意されても勉強そのものに必要性が見出だせなくなっているのだ。決して、勉強が嫌いだとか、今から戻っても成績が悲惨な事になるだろうなとか、そんな懸念から生まれた考えでは決してなく。
「いずれ、あなたもやる事は出てくると思いますよ。まあ、想像し得る限り一番穏便なのはご両親と一緒にここの管理人コースですけどね」
「そんなにここに住む人は多くなる予定なんですか?」
「今のところは判断が付かないので、とりあえず箱だけ大きく作ってるって状況ではあるんですが……個人的な考えなら、おそらくはコレでも足りないかなと。今想定されているのはあくまで世界情勢が現状維持されてのものなので、そこから乖離するのは目に見えてますし」
そこら辺はまったく予想できない。私は今だって自分の周りの事だけでいっぱいいっぱいで、世界情勢どころか社会に目を向ける事さえできていないのだから。
「ネットでいいんで、ある程度は情報収集しておいたほうがいいと思いますよ。何かやろうというのなら特に」
目の前のこの人はヒーローにかなり近い場所で動いている希少な存在だ。だから、何かヒーローに関わる事に手を出すつもりなら、その助言は珠玉のものなのだろう。
まずは情報収集というのも確かにそうだ。これまで漠然と捉えていた情報を自分の中で取捨選択し、噛み砕いて取り込む。そこまでしてようやくできる事が見えてくる。私が立っているのはスタートライン以前のそんな位置なのだから。
ちなみに、後日避難所の部屋で久しぶりに再会した両親は見て分かるほどに憔悴していた。お父さんはそれに加えて顔に打撲の痕が追加されている。
「……なんかごめん」
「あんたが謝るような事じゃないでしょ。この人の傷はある意味名誉の負傷だし」
「お父さんってあんまり殴り合いとかするイメージがなかったんだけど」
「娘を嘲笑されたんだ。そりゃ殴りもするさ。詳しい内容はお前の耳に毒だから言う気はないがね」
大体想像はついていたが、やはり原因は私らしい。
「まー、あんたは知らないでしょうけど、この人結構強いし、向こうは病院送りだから気にする事はないけどね。私はせいせいしたわ」
「それはそれでどうなの」
今まで聞いた事がなかったのだが、お父さんは日本で大学生をやっていた時に格闘技を齧っていたらしい。穏やかで、いつも肉食系なお母さんに主導権を握られている姿しか見ていないからイメージが違った。そういえば、年齢の割に体型は崩れていないなとも思う。親戚には割とアメリカ的なおデブさんも多いのに、スレンダーだ。マッチョではないのでインドアタイプに見えるのは変わらないけど。
「子供の頃から嫌いな奴だけど、親戚だからそれくらいで済ませてやったんだ。どうせ、こっちはしばらく世間から身を隠す必要はあるし、その間に反省でもしたら許してやるさ。身を以て土下座を教えてやってもいい」
「土下座はともかく……身を隠すって事はここの管理人の話は受けるの?」
「ああ、というか、会社のほうはもうクビになってたみたいだから渡りに船だね。まあ、どんな事をするのかは知らないけど、オープニングスタッフも悪くない」
長谷川さんに聞いた話だと、むしろこれから仕事の内容を決めていくって話だったんだけど……まあ、大丈夫じゃないかなとは思う。少なくとも言語の問題はないし、要領も良いらしいから。むしろ、日本以外の避難者だって有り得るのだから、英語がネイティブなのは有利に働くかもしれない。
そんな感じでなんとか再会を果たした私たちは、住居に関してはいくつかの案は提示されたものの、結局一つの部屋を借りて家族で住む事になった。元々一人で住むには広過ぎたし、ちょうどいいだろう。
肝心の管理人業といえば、しばらくは仕事らしい仕事はなく、予備知識を得るための教育期間という事になったらしい。そこで詰め込まれるのは間違っても表に出せないような情報らしいので、今後の行動がかなり制限されるのだけど、本人たちは特に気にもしていない。リモートワーク以上に拘束時間がない職場なので、しきりにこちらのほうがいいと言ってくるくらいだ。
しばらくしてからようやく発生した管理人としての仕事は想像以上にイレギュラーなものだったらしいけど、待遇を考慮すれば仕方ないだろう。
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「そんなわけで、私たちもマスコミってやつには大変な目に遭わされているってわけです」
空き部屋の一つを改造した会議室。私の目の前で教鞭……のような愚痴のような何かを発散しているのは間野倫子さん。とある大学で社会学を専攻している……していた学生であり、望んでこの環境に飛び込んできた女傑である。正確にいえば彼女が望んだわけではなく、彼女が所属する研究室の教授が飛び込んできて、それにくっついてきたという経緯らしいが似たようなモノだろう。
そんな経緯とは関係なく、マスコミ……彼女と教授の場合は特に大手新聞社とテレビ局に辟易としていたそうで、具体例を少し挙げられただけでも表情が引きつりそうだった。
取材した内容が都合のいいように改竄されるのは序の口、ひどい時は受けてもいない取材をした事になっていて名前が使われたりと、本気でロクでもない話ばかりだ。直接被害を被ったという教授は自分の研究以外に興味のない人なので、文句を言うのはもっぱら倫子さんらしいが。
ただ、そういった前例があるという事はそれなりの対策も用意しているという事で、軽く授業をしてもらっているというのが現在の状況である。
「ただまあ、根本的な対策はないに等しいというのが実情です。自己防衛の手段で身を固めても限界はありますし、毎度毎度裁判するわけにもいきませんし、あっちだってその手の対応には慣れっこです。それに加えて、クリスちゃんの場合は方向性が違うという問題も大きいのがネックですよね」
自分で対応したわけじゃないけど、私の場合群がって来ているマスコミは特定のメディアに留まらない。情報を発信する団体であれば、お構いなしに近付いてきているらしい。
何故そんな事が分かるのかというと、関係者のところに現れたり、自宅付近にいる記者の肩書きがてんでバラバラだからだ。大手新聞社やTV局から、個人でやっているようなニュースサイトまで手当り次第という感じだ。中には、取材などではなく違法な目的で近付いている者や、何を勘違いしたのか私をアイドル扱いしてストーカー紛いの事をしている奴までいるらしい。
さすがに自宅内に侵入してきた奴はお縄についたけれど、被害があきらかになっているものだけとは思えない。今頃自宅は盗聴器だらけじゃないだろうか。これでも他の被害者に比べればマシっていう時点で顔を覆いたくなる。社会のモラルはどこにいってしまったのか。……元々そんなモノはないとか言われそう。
「なるほど。じゃあ、つまり小野教授はそういう生活が嫌になってここに避難してきたと。倫子さんはその教授を追って……」
「ん? 違いますよ。ひょっとして、お父上から聞いてない?」
「あれ?」
特に前触れもなく唐突にこの避難所へ二人がやって来たのはつい先日の事だ。私とウチの親を除けば初の避難者という事で前例もなく、引っ越しやら何ならでバタバタしていたのがこの数日の事。
マスコミ被害対策のノウハウがあるらしいから話を聞いてみればと提案されたのはつい先ほどの事なのだ。そんな流れだからてっきり同じ理由で避難してきたのだと思ったのだけど。
「教授が大学を辞めてここに来たのは研究のためです。立場とか権威とか過去の実績とかどうでもいいから、とにかくヒーローや怪人が社会にもたらす影響について研究がしたいという一心で、色々と投げ捨てて飛び込んで来ちゃったんですよ」
「は、はあ……そうだったんですか」
いや、何かの研究をしているというのは聞いていたけど、まさかそれ自体が目的だったとは。まさかそれがスタンダードとは思えないけど、アクティブな大学教授もいたものだ。
「じゃ、じゃあ、倫子さんもそんな流れで? 同じゼミ所属だからというわけではなく?」
「まったく興味がないといえば嘘になりますし、実際助手はしてますが、違いますね。それを言ったらウチのゼミに所属している他の人はどうしたんだって事になりません?」
「倫子さんが特別熱心だったから……とか?」
「熱心は熱心ですが、これまでの生活すべて投げ捨てて来た目的はひとえに愛です」
「あ、あい?」
あまりに想定外の言葉が出てきてパニックになる。
「私は教授を男性として愛していますから」
「…………?」
「え? あれ、でも……え?」
「分かります。私がこれまでこの愛を秘めていたのも、そういう常識的な考え故にですから」
「いや、そういう問題ではなく……小野教授って何歳でしたっけ?」
「今年でちょうど七十歳ですね」
「…………」
年の差カップルどころの話じゃない。いくら研究熱心でパワフルでも、性的にはさすがに枯れ果ててるんじゃないだろうか。望んでいるのはプラトニックな関係だろうけど。
「この話に乗じて教授に打ち明けた時は引かれましたが、いいんです」
「いいんですか? そこまでいくと理解の範疇を超えるんですが、ただ想っているだけで幸せとか」
「ほら、ヒーロー関連の技術って既存の常識を飛び越えたところにあるじゃないですか」
唐突な話題展開……なのだろうか。少なくとも前後の繋がりが見えない。
「なら、ひょっとしたら教授の男性機能を回復させる手段があるんじゃないかと思いまして」
……繋がっていた。マジか、この人。
「最初は可能性すら考えてませんでしたが色々調べるウチに、あ、コレはワンチャンあるでと」
「そ、そうですか」
「こんな理由ですが、事情聴取の際に避難理由を暴露しても通ってしまいました。……コレって可能性があるって考えてるんですが、どうなんですかね? クリスちゃん」
「どうなんでしょう」
想像以上にぶっ飛んだ人だった。そりゃ、話を聞いてる限りヒーロー関連の技術は色々と既存の常識を飛び越えたモノが多いが、だからといって……いや、それが可能だとしても、それを狙う人がいるとか理解できない。
しかし、どうなんだろう。実際、そんな事が有り得るのだろうか。……普通に有り得なくはないって気がしてしまう。
「あ、大丈夫ですよ。教授は独身でお子さんお孫さんもいません。財産も全部放り出したあとです」
「そんなところは気にしてないんですが」
むしろ目の前のこの人が孫みたいなモノじゃないんだろうか。世代的にはピッタリ当てはまっている。
正直、あまり関わり合いたくないけど……立場上、そうもいかないんだろうな。今のところ一番年の近い同性だし。
こんな事を暴露しても通るとか、この避難所も本当に大丈夫なのか不安になってきた。
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最初の移住民こそそんな常識を投げ捨てた奇人の類だったが、時期が移ろうにつれて次第に避難所の住人も増えていく。
さすがにほとんどは怪人被害やそれに伴う二次被害などで移住してきた本当の意味での避難民で、小野間野コンビのようにそれ以外を目的とした者は少ない。実際には話自体はあるらしいが身辺調査の段階で弾かれているようだ。
当然だろう。職や立場、私財、家族、友人知人関係、下手をすればすべて失いかねない場所にやって来るなど、よほどの理由がないとあり得ない。私をはじめ、ここに避難してくる人は単に被害者というだけでなく社会に身の置き場がなくなった人たちなのだ。日本国内を見れば今のところ生活に特別不自由がなくとも、それがいつまで続くかなんて分からない。表の社会にもそういう兆候が見られるのは確かだけど、普通なら既存の生活基盤に未練が残るのは当然だ。
とはいえ、今の世の中そういう人たちばかりでなく本当に避難が必要な人が一定数はいるのも事実で、避難所の住人もそろそろ村を名乗れそうなくらいになってきた。まだまだ空き部屋が多いこのビルだが、最近では今後を見越して拡張も始まったらしい。土木作業員などは見かけないので、なんかヒーローのすごい力でやってるんだろうけど、ある日突然エレベーターの階数が増えて驚いたりもした。
そういった人たちの管理をするのがウチの両親の仕事で、実際に避難してくる人だけでなくその予備軍に関わる仕事を含めるとさすがに忙しくなってきたらしい。具体的には、最近まで定時を過ぎれば当たり前のように帰宅していたのに、少しずつ残業が増えている。
そろそろ私もその業務に携わって欲しいとも言われた。元々お手伝い程度はしていたけど、本格的にとなると就職とほぼ同義だろう。正直、それも悪くはないとは思ってはいるけれど、保留してしまっているのが現実だ。ぼんやりとした私の未来像が本当にそこにあるのか自信が持てない。これが緊急を要するものだったり、早急に就職する必要があったり、そういう事情がなく余裕があるのも理由の一つなのだろう。
私は未だ宙ぶらりんのままだった。やりたい事は決まっていても、それに向けて何をすればいいのか分からない。誰に聞いても答えなど持っていない。先駆者などいないのだから当然だ。ただヒーローの……いや、マスカレイドさんの役に立ちたいという目標だけではなく、もう少し詳細なビジョンが必要だった。
あまりに何をすればいいのか分からないので、十中八九なんの意味もないと思う高校の勉強を再開してみたりもした。自習で得た知識は多分役に立たないだろうけど、気分転換にはなったかもしれない。
知名度のせいか、ここの最初の一人だからなのか、避難してきた人と話す機会も多く、そういった人たちの中には一芸に秀でた人たちも多くいた。そういった技能をどうにか活かせないかと一緒になって考えたり、同時に色々と教えてもらう内に、結局私には特別秀でたモノがない事を思い知らされる。小野教授が超常社会学なんて言葉で研究をまとめているのを見る度に、本当の意味でヒーローの役に立つ特別というものを実感させられてしまう。
……というか、あの二人本当にすごい。なんでこんな不確定なモノが多い中で社会情勢の予測が立てられるのか不思議でならない。
時期は流れ、春が終わり、夏がやって来て、ヒーロー周りの情勢も大きく動き始めた。一般的には公表されていない、いや、おそらくは政府関係者だって知っている人は限られるような情報を見れる立場は大きく、容易にこの先に待っている激動の時代が予想できる。きっとこの変動はもう止まりはしない。明日香と並んで怪人出現のニュースにあれこれ言っていた時期は遠い彼方にある。
そして夏の終わり、九月になって人間社会は激動の時代を迎える。本当の意味では八月から迎えていたらしいが、大きく周知されたのは九月だ。
今更学年も何もないけれど、高校に通っていれば二年生も半ば。二学期も始まっている。早い人なら進路に向けて活動を開始を始める同級生もそろそろ出てくるだろう事を思いながら、私も今後を考えないといけないなと思い始めていた時の事だ。久しぶりに会った長谷川さんから提案があった。
「……広報?」
国が関わる形でヒーロー専門の情報発信機関を立ち上げるから、そこで広報担当として働かないかという話だった。
「もちろん強制じゃない。ただ、君の境遇を考えるとオススメできる気はしないけど、うってつけの人材なのも否定できない」
求められているのはヒーローや怪人情報の一次ソースとしての役割。政府の代わりに正式に広報窓口として設立する組織の顔になれという話だ。
端的に言ってしまえば私の生活を壊した知名度を逆に利用して、マスコミのカウンターとして動く事である。確かにトラウマに近い負の感情を植え付けられたマスコミと正面から向き合う仕事は心的負担も大きいだろうと予想はつく。
だけど、それは堂々とヒーローのためと胸を張れる仕事だった。どれだけ能力があろうが一人でそんな活動ができる気はしないけど、今回はバックに国……はいまいち頼りにならなそうだけど、マスカレイドさんがいる。
「多分、君にとって無難なのはご両親と一緒にここの管理人をする事だと思う。実際、そう言われているし、私もそう思う」
私もどちらが無難かと問われればそちらだと思う。でもそれは妥協なのだ。両親の仕事を否定するつもりはないけれど、私にしかできない事ではない。私だから何かがある事でもない。
広報の仕事が私にしかできないなんて思わないけど、少なくとも私だから優位性のある材料のある話ではあるのだ。境遇や知名度はもちろん、このやたらに目立つ容姿だって役に立つだろう。
「長谷川さん的には反対みたいですね」
「どっちかというとだけどね。君が本来学生の身分って事もネックだけど、一番大きな理由は似たような立場な私の置かれた環境があまりに異常だからっていう経験からくるモノだ」
私の知る限り、長谷川さんは最も早くからマスカレイドさんに協力し始めた人間だ。この避難所にもヒーローと関わりのある人は少なからずいるけど、ここまで踏み込んでいる人は彼しかいない。
「自分で踏み込んでいてなんだけど、普通の人間が身を置いていい場所じゃないのは断言できる。実をいえば、私にはそこまで強い理由はなかったしね」
「経緯は聞いてますけど、そうなんですか?」
「マスカレイドさんに助けられはしたけど、その後の人生をすべて捧げるほどではないとは思う。結局のところ、一番の理由は好奇心だし」
そういうものだろうか。そういうものかもしれない。結局は見栄えの良い理由じゃなく、本能に近いシンプルな感情が芯を作るって事なんだろう。
……少し前までの私なら絶対にあり得ない思考だと思う。クリスマスからの異常な体験は、あきらかに私を変質させていた。
「ああ、あと銀行強盗を憎悪しているってのも理由の一つかもね。君がマスコミを毛嫌いしているのと似てる」
似てる……んだろうか? なんで銀行強盗が出てくるのかすら良く分からないんだけど。元銀行員だから?
「まあ、仕事についてはまだ結論を出す必要はないよ。肝心の組織も発足以前だし、他にも選択肢はあるだろう。両親と相談する必要だって……」
「いえ、受けます」
多分、それが一番"私を"上手く使う方法だ。そんな予感がある。
長谷川さんと同じように、原始的で本能に基づいた理由もあるけれど、表向きの理由を打算として組み込んで自分を誤魔化す程度には良くできたシナリオだろう。
なんて浅ましい考え。倫子さんほど理解の及ばない欲望ではないけれど、十分に醜悪で、曝け出し難く、人間らしい感情だろう。ただ、そこには熱がある。私の本質は何も変わっていない。自分の中にあったそれが非日常で露呈し、ただ自覚しただけ。
そんな私の内面を見通したように、長谷川さんは呆れたような表情を見せた。
「了解。マスカレイドさんにもその意思は伝えておく。ただ、始めに言ったようにまだ不透明なところも多い話だ。国も関わってる話だしね」
「分かりました」
そう決めれば、自分がすべき事をまとめないといけない。広報役として必要になるのがどんな技能か……いや、とりあえず両親への報告からかな。多分、心配はされるだろうし。
それからの私は極めて忙しく、手探りの日々を続けていく事になる。
広報といっても、その役目は既存のどの職にも当てはまらない。あえて挙げるならアナウンサー、リポーター、キャンペーンガール、アイドル、ひょっとしたら通訳なんて線も近いのかもしれない。
きっと、ただ原稿を読み上げるだけのスピーカー役でもいいんだろうとは思う。きっと最低限で求められているのはそれだから。だけど、そこで立ち止まっていいはずがない。それならこんな話を受けたりはしない。
実働開始がいつになるのかの予定も立たない。私の準備以上に優先されるのは広報機関の設立であり、国家が関わっている事情が計画通り進むはずもないのだから。
何が必要になるか分からなくても、やれる事はすべてやる。そんな気持ちで挑む事となった。
最初に始めたのは体力作り。長い引き籠もり生活を経るまでもなく体力のなかった私だが、避難民の中にいた知見のある人に協力してもらってトレーニングを開始した。
平行して国語と英語の勉強。他の言語も必要になってくるだろうけど、まずはこの二つだ。英語が苦手なのは自覚していたからひそこまででもなかったけど、想像以上に自分が日本語を理解していない事を思い知らされて凹む。これから真正面から対峙すべき相手はただでさえ回りくどく、失言を狙うのが大得意な連中なのに。
ある程度組織構築が進み、外部の人員を使えるようになってからは専門家を呼んでボイストレーニング、化粧など、大勢の前に立ち、発言する際に役に立ちそうな技術も学んだ。特に遠くまで伝わる発声術は重要だ。
その中には何故かダンスレッスンまで混ざっていて、さすがに間違いかと思ったのだけど、姿勢の矯正に役立った。あと、無駄にクルクル回る動作のは得意になった。
そして、おそらく一番重要な事。並行してずっと続けているのは、マスカレイドさんをはじめとするヒーローと怪人についての情報収集。
今の私に情報規制はほとんどない。それは長谷川さん以上に深い情報まで閲覧が可能という事でもあり、壊れかけた日常の裏側で胎動し続ける巨大な非日常に恐怖した。
ただ情報収集するだけでは意味がない。その情報を自分なりの理解で飲み込み、咀嚼したあと、取り扱いを検討する必要もあった。
広報組織の中には私と同じように情報閲覧が許され、その中からどの情報を表に出すか、出すとしてもどのタイミングか、どんな影響があるかなどを徹底的に分析・検討するチームが設立され、私もその末席として参加する事になった。この場で最も強烈な存在感を放っていたのは、かつて倫子さんと一緒に避難所に飛び込んで来て、彼女に貞操を狙われ続けているお爺ちゃんこと小野銀次郎元教授だ。彼が研究し続けた超常社会学は荒削りで未成熟だけど、極めて有用な未来予測であると評価されている。
「あの、できれば君からも間野君に思い留まるよう言ってもらいたいのだが」
「それはちょっと私には荷が重過ぎるというか……」
研究以外に関しては割と普通のお爺ちゃんで、常識的な人なのだが、相手が悪そうだった。私に止められる気はしないし、彼女が着々と外堀を埋めるべく奔走しているのを見ているのだ。あと、普通に怖い。
実をいえば、こういった活動の裏で避難所の様相もかなり変わっていたりするのだが、私はほとんどノータッチだった。いつの間にか住人向けの商店とかできてたりしたけど、私は基本寝に帰るだけで、時々ふと目にする急激な変化に色々変わってるなと思うだけだったのだ。
次第に組織の基盤が固まり、私に求められる業務の詳細が確立されていく中で、一つ重要な人事が必要になった。それは私のマネージャーだ。
ただの付き人ではない。おそらく多様な能力を求められ、相当な激務となり、私と同じように一般社会から隔離される懸念のある立場である。
能力ややる気だけならどうにでもなるだろう。実際、候補の中にはそういった人材は多くいて、経歴さえ無視するなら私の代わりだって十分以上にこなせるような人ばかりだった。ただ、そういった人は個人間の信用が足りていない。
実際にはほとんどが経歴に瑕疵のない、人格にも信頼の置ける人である事は分かるが、どうしても私が他人に信頼を置けなくなっていた。度重なる人に対する不信が、私の側に人を置く事のハードルを上げていた。
だからといって、今後の活動においてマネージャーは必須に近い。水面下で活動している今ならともかく、正式に組織が発足すればスケジュールに余裕がなくなるのは目に見えていたから。
「よし、困った時の明日香頼みだ」
というわけで、むちゃくちゃな流れで私の最も頼れる幼馴染みにお願いしてみる事にした。
普通ならいくらなんでも無茶な人事だ。縁故にもほどがあると言わざるを得ない。明日香はただの女子高生で、何か特別な技術があるわけでもない。でも、なんとなくだが明日香ならできるような、そんな漠然とした信頼感もあった。
彼女は自分の兄に強烈なコンプレックスを抱いている。当たり前だ。あんな才能の塊でなんでもできるのに何もせず引き籠もってる兄妹がいて、普通の価値観でいられるほうがおかしい。
だけど、私は明日香だって相当なものだと思えてならない。自己評価が低いのは、単に近くの巨大な才能で目が眩んでいるだけだと。長い間一緒にいて、ずっと頼りにしてきたからこそ思う。
次点でミナミさんという候補もいるけれど、できれば明日香にお願いしたい。そんな感じで、少しずつ慎重に、外堀りから埋めていくように打診を進める事にした。
「分かった。三年目で退学するかどうかは今後の流れ次第だけど」
しかし、その打診はやけにあっさりと受け入れられてしまった。相当な激務になる事や情報の秘匿性、軽く決断してはいけない事だと何故か私から説得する事になったけど、明日香だって馬鹿じゃない。分かった上で言っていると感じてしまった。
強烈な違和感があった。明日香が信用できないとか、周りに誰か彼女を操っている気配がするとか、そういう感じではないが、とても強烈で強大な、ひょっとしたら根本的な部分から勘違いをしているのではないかと思うような違和感だ。
混乱する。私の勘はこのまま進めても問題ないと告げているが、それとは別に重大な事を見落としているような。改めて思い返してみても、おかしなところなどない。ないはずなのに、何かがズレている。
違和感の正体が分からない。何度か明日香と連絡を取り合って、顔を合わせても変わらない。
過去に誰かから聞いた……ああいや、確か明日香のお兄さん、英雄さんから聞いた言葉が蘇る。勘というものは自分でも気付いていないような情報から導き出されたもので、単なる当てずっぽうではないと。
確かそれを聞いたのはものすごくどうでもいい場面だったけど、確かにそうだ。……それに照らし合わせれば、私にはおそらく情報が足りていない。無数の情報を得た事で、足りない事に気付けた段階なのだ。
そんな違和感とは裏腹に、やはり明日香は有能だった。表に出る事は極端に嫌い、裏方を好むけれど、私に必要な部分を埋めるべく様々なモノをあっという間に吸収していく。
今のところは放課後と休日だけのお手伝いだけど、半年にも満たないウチに私の活動に欠かせない存在になりつつあった。一部の技能においてはもう追いつける気さえしない。
「前みたいに単にだらしないだけなら問題だけど、適材適所って事ならいいんじゃない?」
その通りかもしれないと思った。今だって無駄にだらけてると怒るし、そういう要不要の判別が早いのだろうと思う。思えば昔からそうだ。
-6-
「そろそろ、一度マスカレイドさんにも挨拶しておきたいんですが」
いよいよ組織が形になって来て、表向きの箱も決まり、官僚をはじめとした人材の受け入れも進んできた頃の事だ。私は長谷川さんを通してそんな要望を挙げた。
元々どこかでは顔を合わせてお礼と挨拶をすべきと思っていて、節目節目では伝えていたのだが、さすがにここまで組織の発足が現実味を帯びてきた段階になって肝心のヒーローと一度も会っていないのはどうかと思ったのだ。
「優先度が高くないのは承知してますが、長谷川さんと会う時のついででもいいんで」
「はあ。まあ確かにそうですね。実際私は何度も会ってるわけですし、避ける理由もないでしょうし」
何か問題があるなら聞いておきたいが、あいにく思いつかなかった。
そんな感じで、いつもより強く要望を挙げてみると、ようやく面会の機会を作ってくれる事になった。それも、長谷川さんのついでなどではなく個別の面談だ。それはそれで緊張して上手く話せないような気がしなくもないけど、今更反故にするわけにもいかない。
面会予定日は少し時間が空いて年明け。専用の会議室を用意してくれるらしい。年末年始はなんだかんだで予定も詰まっているのでちょうどいいといえばいいだろう。
「と、当日は化粧も気合をいれてね」
「いいけど、まだまだ先なのにそんな緊張しても……」
明日香には分からないだろうけど、これはある意味でターニングポイントでもあるのだ。私にとってはあの静止軌道からの滑空以来となるのだから当然である。
「というか、明日香は会わないの? 立場上、面識はあったほうが」
「わ、私はまたの機会でいいからっ! ほら、できるだけ後ろに引っ込みたいし、ぶっちゃけ銀タイツマッチョさんとかちょっと怖いし」
そりゃ確かに普通の女子高生なら二メートル近い銀タイツのマッチョマンなんて怖いだろうけど。……いや、改めて要素を挙げると普通じゃなくても怖いかも。怪人には怯えられてるし、ヒーローも怖がっている人がいるくらいだから、そちらのほうが正常なのかもしれない。ただ、それならそれで、そんな危険そうな相手と会うならマネージャーとして同行すべきなんじゃ……とも思うけど。
まあいいか、できれば一対一のほうがいいと要望したのは私だし。
そうして、時は巡る。
既存の社会構造が崩壊する音を聞きながら、慌ただしい日々の中でも時間は変わる事なく刻まれていく。
そんな日々の中では予定の日が訪れるなんてあっと言う間で、私はとうとう一年ぶりにマスカレイドさんと再会を果たす事となるのだ。
巨大な違和感のピースの一つがそこにあるとも知らないまま。
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