舞台袖「ヒーロー海水浴場」




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『ウチに遊びに来ない? ついでに、姉ミナミさんについて重要……かどうかは判断が難しいけど相談したい事があるし』


 唐突にそんなお誘いの電話が来たのは、ようやく夏休みが始まった八月頭の事。

 ゴールデンウィークと大差ないほどにしか日程がなかった去年の夏休みよりはマシとはいえ、今年の夏休みも一ヶ月に満たない。加えて課題も多く、補修やリモートでの授業まであるような、高校二年生の夏休みとしては悲しくなるような日程だ。

 そんな、今年は大きな予定は組めないんだろうなと諦めていた中でのお誘いはちょっと嬉しかった。

 頻繁に行き来するような距離でないものの、明日香君の家は普通に日帰りできる程度だから、スケジュールの調整もほとんど必要ないというのも助かる。急な話なのでお泊り会にはできないが。


「遊びに行くのはいいとして、ついでのほうの詳細は……」

『本当についでだから、来たら説明する』


 あ、本当にコレどうでもいい相談だと理解した。少なくとも、事前に警告を受けていた世界のルール云々の話ではないだろうと。声色から判断するに、彼女も身構えていたら肩透かしを喰らったのだろう。

 まあ、警告された時期はすでに過ぎているのだから、その件についてもまったく何もなしという事はないだろうし、その他にも用事はある。こちらは、JKの夏休みという人生において貴重な時間を費やすのを躊躇わない程度には重要な用事だ。私にとっての本命は遊びに行く事でも姉の相談を受ける事でもなく、明日香君の兄、穴熊英雄氏……というかマスカレイドと会う事である。

 以前と違って色々と情報が入ってくるようにはなったが、ニュース番組やネットの情報は正確性に欠けるし、断片的過ぎて実像が浮かんでこない。担当オペレーターらしい姉も、妹である明日香君も、誘拐されて救助されたクリス君も、主観が入り過ぎて人物評がブレている。しかし、さすがに実際に会えば色々とはっきりするだろう。

 これは近しい関係にある者の特権だ。逸脱者である姉ミナミと違って私個人に何ができるわけもないが、気にならないといえば嘘になる。知れるのなら知りたいというのが本音なのだ。私に限らず、ほとんどの日本人……いや、下手をすれば世界中の人が気になっているだろう相手と直接会う事に優越感もある。それこそ、世界中の要人が願ってやまない機会のはずだ。

 ……だって、世界はこんなにも混迷している。




「暴徒と化したデモ行進。紛争に軍事クーデター。行政が崩壊している国も多くあると」


 新聞に目を通せば、紙面を飾るのはそんな文言ばかりだ。

 そう、怪人の脅威が明確になるにつれて世界中が混乱し、元の形を保てなくなって来ている。

 そのどれもが元々火種を抱えていた部分が燃え上がったもので、怪人云々の問題がなくともいずれは表面化しただろうと思うものばかりだが、それらが一斉に爆発しているように見えた。しかも、これほど混迷していてもまだまだ序盤で、これから加速度的に状況が変化していくのだろう。逆はおそらくない。

 日本だって例外ではない。相対的に見れば平和で、地図上で見れば台風の目のようになっていても、この国際社会で影響を受けないはずもない。

 最近ニュースで良く見かけるのは難民問題や不法滞在、ついでに密航の増加あたりだ。一時的にでも滞在しようとしている者も多く、観光やビジネス目的で日本に来てそのまま行方不明になるという事件が多発した結果、入国審査が厳重になり、国際線の数自体が減少している。でも、出国の便はガラガラらしい。真っ当で穏当な手段としては、帰化や永住申請の数が倍加しているのも問題だろうか。しかし、こちらでも帰化資格についての緩和を求める声が問題になっている。ちなみに出生率は相変わらず低調だが、これは世界規模で低下が見られるので日本に限った話ではない。

 不自然な形で日本列島……特に都市部の人口が膨れ上がっている。外国人の軽犯罪が増加し、治安は明確に悪化。移民政策で声を上げていた政治家たちは口を噤んでいる……なんていうのは予想できた展開である。

 あまりに問題が極大化し過ぎて今のご時世で政治家になる人は罰ゲームと言われるほどだ。以前は与党の粗ともいえない粗を見つけて叩いていたような野党から自粛の気配がするほどに。

 ……こんな状況の日本ですら、世界的に見れば奇跡的に平穏というのだから頭が痛い。ちょっと調べるだけでも世界は大混乱という事が分かるのだから、そりゃ日本に来たくもなると納得してしまう。

 私が調べられるだけでもこれだけ大規模に世界が混乱しているのだ。実際のところはどこまで問題が拡大しているか想像もつかない。来年にいくつか国がなくなってましたなんて事も普通に有り得るのが今なのだ。

 特に大きな問題は、これらの問題に怪人が直接関与してないだろう事だ。発端ではあるかもしれないし、実際には影にいて煽ってる怪人だっているかもしれない。しかし、そんな怪人をヒーローが倒したところで何も解決はしない。燃え上がった火を消す事はヒーローの役割ではないのだから。人類は長年放置してきた問題を突きつけられ、早急な対処を求められている。


 ここまで問題が表面化すれば、私たちの周囲だって影響は多々見られるようになる。

 未来を儚んでか、学歴に意義を感じられなくなってか、はたまた憧れた制服と現実のギャップに耐えられなくなったのか、クラスでも欠席が目立ち始めた。私のクラスだけでなく学年問わず空席のない教室はないほどだ。休学どころか退学者も出ているらしいと聞いた。これでもウチの学校はマシなほうで、別の学校では生徒が少な過ぎてクラスの数を圧縮して再編成を始めたところすらあるらしい。年度を挟んでの話ではなく、学期中の出来事である。


「いやー、ヤバいねー。マジでヤバい。何がヤバいって、夏休みの課題がこんなに少なくていいのかって、あたしが不安に思うくらい」


 お隣の伊ヶ谷阿古君を自宅に招き、麦茶を飲みながらの雑談。流れ的に愚痴が続くのはどうしようもないが、この暑い中で暇だと言いながら軒先で立ち話するよりは遥かにマシだろうと誘ったのだ。

 世界が混迷している影響は私の高校でも大きな爪痕を残しているが、彼女の通う高校は更に影響を受けているらしい。決して勉強が好きではない彼女が不安を覚えるほど露骨に学業の密度が下がっているそうだ。

 ウチは授業内容が圧縮された結果、課題が増えたりリモート授業が増えたりしているわけだが、その真逆はかなり問題だろう。確実に来年の受験に影響が出る。


「なんかねー、先生の数が足りないんだってさ。生徒も減ったから割合的に変わらないって話にもならなくて、臨時で自分の担当学科以外の授業を抱えているみたい」

「……まあ、そうなるんだろうね」


 生徒が辞めるような状況なら、教師だって例外ではない。本人や家庭に問題がなくとも、そりゃ辞める人は出てくるだろうというご時世だ。

 小学校ならともかく、学科が増えればその分必要な教師も増えるわけで、他の授業をカバーするのは難しい。もちろんまるっきり教えられませんって事はないだろうが、限界はあるだろう。というか、純粋にマンパワーの問題もある。基本的に教師というのは激務なのだから。


「あたしたち、来年受験なんだけどな。どうしろっちゅうんじゃ」

「今年の世情次第では切り替えていったほうがいいかもね」

「やだー! キャンパスライフがー」


 去年、大学進学率が大幅に減少したなんてニュースを見たけど、この分だと今年はもっとひどい事になるんじゃないだろうか。合格率は上がるかもしれないが、募集人数自体が減るかもしれない。早々に入学者を制限したり破綻したりする事はないだろうが、ここから一年、二年と続いた先で大学がなくなるかもという危険を考えると尻込みもするだろう。

 あれ、となると早期に破綻しないだろう国立大学や有名私立を志望する受験生が増えるのかな? ……大学ごとの合格率が極端な事になりそうだ。


「治安悪いからって遠出も止められるしさー。実際怖いから旅行行きたいとか思わないけど、去年のプチ旅行が懐かしい」

「ツアーとか宿泊施設の値段もすごい安いんだよね」

「そうっ! めっちゃ安いのっ! みんな観光自粛してるからなんだってのは分かるんだけど、超ジレンマ」


 去年プチ旅行に使った親戚のペンションも閑古鳥が鳴いているらしく、値段も下がっている。田舎への帰省ラッシュは例年通りらしいので、純粋に観光だけが減少しているような状態らしい。ただ、外国からの観光客は激増しているらしいから、問題は国内の客を見込んでいたようなところである。


「結局バイトも見つからなかったし、休みが多くても何をしろっていうのか」

「家の中でできる事も色々あると思うけど」

「健康優良児なあたしは、明日香のお兄さんみたいな引き籠もり適性はないので」


 明日香君のお兄さんは引き籠もりだけど、多分人外クラスに健康だと思う。下手しなくても世界レベル。


「テレビもネットも、ヒーローがどうとか怪人がどうとかばっかりでつまんないし。いや、最初は面白かったんだけど、こうも同じ内容ばっかり繰り返してると飽きる」

「全然関係ないところでも話が出てくるからね」


 ニュースや解説番組どころか、まったく関係ないバラエティの中でさえ会話の中に話題が挿入される。ネット上でも、どこを見ても似たような話題ばかり。しかも、そういう情報に限って二次、三次ソースを元にした妄想のような内容で、全体にノイズが散らばっている状況だ。どれが正確な情報なのか判別できないし、そもそも正確な情報自体が少ない。


「あの爆弾が降ってきてからほんと無茶苦茶だよー。なんなの、あのムカつく笑顔」

「アレは確かにムカつく」


 例のテレビ局襲撃事件などの影響で、ヒーローをネタにするのは問題があると判断したネットの住民は、怪人なら問題ないだろうとそちらをネタにし始めた。

 そんな中で確認されている怪人の映像も拡散し、特にあの世界中を混乱に陥れた爆弾怪人の鮮明な画像も出回っている。そのどれもが張り付いたような笑顔なので、画像を開いただけでムカつく一種のブラクラと化しているのだ。加工されて眉毛を剃られたり。

 過去、一時的に流行したパソコン内のファイルを特定の画像に変換するウィルスを爆弾怪人に差し替えたものまで登場して、関係ないところで無駄に悪名が広がっている。……本物の危険性はそれどころではなかったのがまた笑えないところだ。


「全然関係ないけど家計が大変だからって小遣いも減らされるし、やけ食いしようとしたらお菓子もなんか高いし少ないし、どうなっとるんじゃー」

「関係あると思うけど」

「あれ、そうなの?」


 全体の流れを見ないと分かりづらいが、局所的な不景気も、それに煽りを受けた物価高や二次的に不景気なのも元は同じところから来ているものだ。ようは世界情勢が不安定だからである。

 お値段そのままで更に美味しくリニューアル、なんてキャッチコピーで量が減るステルス値上げは今に始まった事じゃないが、最近では露骨になった上に値段そのものも上がっている。量換算で見れば一昔の倍近い値段になっている商品もあるほどだ。

 為替の流れがハードカレンシーに集中し、それ以上に円高になっているから輸入品……原材料なども安くなるだろうと思えば、そもそも輸出元の情勢が問題で貿易量自体が減っている。原材料を貿易に依存するお菓子もその一部である。

 こんな状況なのに株価は上がる。為替以上に極端である。極度の不景気なのに日本だけが上がって他が下がるという、国内だけ見てると意味不明な状況だ。他よりマシなだけで好材料はないのだが、一応勢いがあるように見えなくもない。

 他に元気なところはといえばアメリカなどで行われているアトランティスの投資関連だが、こちらは逆に日本では下火だ。遠い事もあって情報がほとんど入ってこないのが理由なのだろうが、それ以前にそれどころではないというのが本音じゃないだろうか。

 ……つまり、目の前の対処で追われる日本はマシで、外国は新天地開拓に夢を見るしかないほどに困窮しているのが今の世の中なのだ。


「……このままいくと戦時中みたいな事になりそう。この家の庭が畑になったり」

「冗談で済まないところが怖い。お父さんが趣味でやってるプランターや小規模な家庭菜園ならあるけど」

「もうあるんだ……」


 大体晩酌のお供で消費して消える程度のものだが、最近野菜も高いので助かってるらしい。


「暇なら、プランターで何か育ててみる? 一通りは教えられるけど」

「……やる」


 ちょっと前までの阿古君だったら面倒くさがって手を出そうとしなかっただろうが、状況で変化したという事なのだろうか。

 ……今の時期、阿古君が興味持ちそうなのは何があったかな。というか、私も始めてみてもいいかもしれない。




-2-




 そんな、不景気に悩まされる女子高生二人という笑えない図はさておき、数日後には一人で明日香君の家へと向かう事になった。

 乗り継ぎは多くて面倒だが、移動時間としてみれば大した事はない距離を電車に揺られ、駅まで迎えに来てくれた明日香君と合流する。そこから家までは徒歩でも移動できるらしいが、真夏日なので遠慮してバスを利用した。乗り換えの最中も思ったけど、こんな中徒歩移動したら干からびてしまう。

 ちなみに、明日香君も阿古君も話をする度に田舎扱いしていたが、普通に駅前が発展している地方都市だ。ちょっと離れると住宅地だらけになるとか、駅間が多少長いとかそれくらいで、間違っても卑下するような街ではない。地方都市の宿命故か、チェーン店ばかりが目立って特色がないのは仕方ないかもしれないが。


「チェーン店が潰れると別のチェーン店が出店するの」

「どこでもそうじゃないかな」


 むしろ、チェーン店が潰れてその後に何もできない場所こそが本物の田舎な気がする。それが大型のショッピングモールなら致命的だ。

 実際に会った事はほとんどないのだが、会って早々そんなどうでもいい話題になるのが私たちの関係らしい。知り合ってからの日々が濃過ぎて旧来の友人のような扱いになっている気がする。

 徒歩でも問題ないと言っていたのは間違いではなく、バスでの移動時間はあっという間に終わって、そこから数分のところに穴熊家はあった。特筆すべき部分もない普通の一軒家だが、持ち家の時点で十分に裕福な家庭だろう。


「お隣さんは空き地なんだ?」

「ああ、そこウチのお母さんの実家だったの。お祖父ちゃんお婆ちゃんは私が小さい頃に引っ越して、今はマンション暮らし」

「お隣さん同士で結婚したのか」

「お父さんに聞いたら、いつの間にか結婚してたって言ってた。幼馴染みってそういうもんなのかな?」


 いや、そんな事はないだろうが、そういう事もあるんじゃないかなってくらいにはある話なのかもしれない。私に男性の幼馴染みなどいないが、いたとしても成長過程で疎遠になりそうな気がする。


 そのいつの間にか結婚していたらしい穴熊母に挨拶だけして、そのまま二階へ。一応、声をかけられたら気付くことができるように対策はしてるらしいが、途中でお邪魔されても面倒なので飲み物などは事前に用意しておいたようだ。子供の友人が訪ねてきたら干渉したくなるのが母親だから、こうして予防線は引いておくというわけか。

 明日香君の自室の隣だという英雄氏の部屋も教えてもらったが、外から見る分には普通のドアだ。聞いた話ではあのドアの向こうは異空間になっていて絶対に開かない仕様らしい。ドアの脇に設置された台は配膳用らしいが、開かないのにどうやって回収するのか謎である。少なくとも今は空だ。


「というわけで、今日来てもらった理由なんだけど」

「ああ、どうでもいいっていう理由」

「ウチの兄と姉ミナミさんが海水浴に行くらしいから、水着選ぶのを手伝ってって」

「…………」


 明日香君の部屋に入るなり告げられた理由は、想像以上に本気でどうでもいい理由だった。他の目的がなかったら脱力感で崩れ落ちていたかもしれない。

 姉の事は適当に流す事にして、それからクローゼットの中にあるという謎の穴を紹介してもらったあとに壁を通過して隣の部屋へ移動する。実は内心かなりビビっていて、明日香君が先導してくれなければ足を踏み入れるにはかなり躊躇する穴だった。一人なら試しでも絶対に入りたくない。

 成人男性という印象にも引き籠もりというイメージがマッチしない妙に整頓された部屋を観察しつつ、襖を開けて目的地のリビングへと向かう。隣のドアがシャワールームとかなんのトラップだ。


「なんかメイドさんがいる……」


 そこには何故かフリフリのエプロンドレスを着たメイドがいた。若干装飾は派手な部類だが、秋葉原などに生息しているらしいミニスカのエセメイドではないガチ目なメイド服である。

 すばらしいサプライズだ。超着てみたい。というか、中身のレベルが高いので彼女の着せ替えもしてみたい。背が一六〇くらいはあるので、姉ミナミで遊ぶのとは別の楽しさがあるに違いない。乳のサイズが普通だから、さぞかしバリエーションに富んだ着せ替えができるだろう。

 彼女の名はプラタというらしい。話を聞くに、実はもう二人ほどメイドさんがいるらしいとの事で期待に胸が膨らむものの、今は不在らしい。おのれ、ここは天国か。

 向こうのリビング備え付けっぽい大画面に姉ミナミの顔が映っているのが見えたが、アレはどうでもいいや。手前に設置されている自販機のほうがよほど気になる。

 話には聞いていたが、これがヒーロー用の自販機か。ラインナップが絶妙過ぎて全部欲しくなる。私は可愛いモノが好きだが、それとは別に珍妙なモノを集めるのも趣味だ。こんな意味不明な自販機、興味が湧かないはずもない。この< ボディビルダーの汗 >とか、絶対に飲みたくないけど欲しい。いや、それ以外も……とにかく何か一つ……硬貨の購入口がない。どうやら、タダらしいのでお言葉に甘えて一つ購入する事にした。もちろん飲むはずもないので、飲み物は別にもらう。


「まあそういうわけだから、水着の件はさっさと終わらせたいんだけど」


 そんな興味を惹かれるモノばかりの空間で、一番どうでもいい姉ミナミへの対応は当然杜撰になる。これでまともな相談なら別だが、水着の選定では適当な対応にならざるを得ない。そりゃ明日香君も脱力するだろう。

 とはいえ、その後始まったファッションショーはちょっと楽しかった。中身は姉で体型からして自分の参考にはならないものの、容姿レベル自体は高いから見る分には楽しいのだ。やはり、姉はアンダーのサイズがおかしいと思う。全体がコンパクトなだけあって胸囲サイズ以上に目立つのだ。結果、巷で巨乳といわれてるグラビアアイドルよりもよほど乳がでかく見えるのである。遺伝子的に私も似たような構造だが、自前のサイズで満足しているのでまったく羨ましくない。

 そして、姉がファッションショーで着ていた水着や洋服を何着か相談料としてもらえるらしい事が判明した。素晴らしい交渉力だ、明日香君。


「あの……私が着る必要はあるのでしょうか?」

「当たり前じゃないですか」


 郵送する必要すらなく、パッと出現した水着や衣類を使って自分たちの着せ替えを開始する。当然、メイドさんも巻き添えだ。やらないはずがない。これだけでも今日来た甲斐があったな。

 キャッキャと着せ替えごっこを堪能して満足したが、未だ本命のマスカレイド氏は戻ってこない。

 どうも、現在南スーダンにいるとの事だが、その詳細確認やマスカレイドさんそのものの紹介を兼ねて映像を使った解説をしてもらう事になった。

 あきらかに巷には出回ってないヒーロー映像で、これは貴重なものだな……と期待したが、中身はそれどころでなくセンセーショナルな内容で、色々理解を拒むものである事が分かってしまった。

 ……なんだ、マスカレイド引廻しツアーって。断片的な情報を元にかなり大げさな想像をしていたつもりだったが、現実はその更に上……というか、想像が追いつかないほどにリアリティが仕事をしていない。あまりに隔絶してて、ヒーローと怪人という存在の他にマスカレイドというカテゴリを別に用意したほうがいいのではないかと思うほどだ。

 その後に見せられた対怪人戦の映像もひどい。まさか、怪人が哀れに見える日が来るとは思ってなかった。


「これはひどい」


 そんな語彙の消滅した感想しか出てこなかった。

 この映像を見せられたあとに、私はどういう顔で本物と会えばいいのだろうか。説明を受ける前に顔合わせしておいたほうが変な先入観もなくてマシだっただろうと切実に思う。


『あ、そろそろ帰ってくるみたいですね』


 なにもこんなタイミングで帰ってこなくてもいいだろうに。まさか逃げ出すわけにもいかず、この大量にある水着と洋服どうやって持ち帰ろうかなと現実逃避する事になってしまった。尚、自宅に郵送してくれるらしい。




-3-




「どうもはじめまして、マスカレイドです。穴熊英雄のほうがいいかもしれんが」

「ど、どうも、南奈美です。姉がいつも世話になっているみたいで」


 数分後、いざリビングに現れたマスカレイド氏は普通の日本人のような挨拶をしてきた。いや、中身は穴熊英雄という日本人なのだから当然なのかもしれないが、違和感が強烈だ。

 そして、そんなギャップが気にならないほどに、至近距離で対峙するマスカレイド氏は強烈だった。高身長だとかマッチョだとか、銀一色の装備というのは事前知識として知っていたからいい。あんまり良くもない気はするが、そこは本題ではない。体臭がひどいとか、目つきが嫌らしいとか、不快な声だとか、そういうマイナスの印象も抱かない。

 ただ、ひたすらに存在感が異様だった。動画では気にしてなかったが、こうして間近で対峙していると肉食獣と間違うかのような巨大な圧を感じる。絶対に逆らえないと感じる、生物としての格の違い。それがマスカレイドというヒーローの第一印象だった。

 ああ、なるほど。ようやく理解した。何故、テレビ局襲撃事件に巻き込まれた人のインタビューで、怪人ではなくヒーローの話をする際にも怯えが多分に含まれていたのか。怪人が恐怖しているというのも、ひょっとしたらここに一因があるのかもしれない。

 どうして明日香君が普通に対応できるのかが分からない。救助された時にクリス君は何も感じなかったのか。姉ミナミはこんな怪物に惚れたというのか。

 ……まさかとは思うが、生物として格が違うからこそ惚れたとかそういう話じゃあるまいな。それだと、逆に姉の感性が不安になるんだが。


「なんでそんなにガチガチになってるの? ミナミさん」


 そんな私の様子に、明日香君がツッコミを入れてきた。その姿は自然で、さっきまでとまったく変わったところがない。本気で言ってるのか。


「多分だが、感性の鋭い子なんだろうな。今までも時々こういう反応はあったし」


 しかし、当の本人は自身の放つ圧を認識しているのか、私の反応に気付いてしまったらしい。確かにそうなんだが、まさかこれを感じない人間がいるって事のほうが驚愕なんだけど。


「えー、いざ巨体と変態ルックを目の前にしたら怖かったとかじゃなくて?」

「もうちょっとオブラートに包んだ言い方はできんものか。一応自分の兄やぞ」

「じゃあ、姉ミナミさんはこの格好どう思います?」

『有り体に言って変態だと思うのは誤魔化しようがないというか』

「……味方がいない」


 私もそれは否定できないが、この場で口にする事は憚られた。空気を読んだわけでなく、単純に怖いからだ。大体、見た目の問題なら動画を見た時点で認識してたわけで、実際に見たギャップを感じる事はあっても圧で潰されるような事はない。


「まあ、威圧感とかそういうのは慣れるっぽいから、しばらく我慢してくれ」

「は、はい」


 本当だろうか。……あんまりそんな気はしないんだけど。

 今更だけど、子供の頃から姉ミナミがおかしく見えてたのって、私が感じ過ぎてただけで周りは普通の人に見えてたりしたんだろうか。もしそうなら世の中の見方がちょっと変わってくるんだけど。


『じゃあ、ウチの妹は慣れるまで放置するとして、今日のツーリングはどんな感じでした?』

「それでいいのかって感じだが、まあいいか」


 しばらく放置してくれたほうが助かります。


「結果に関しては……ぶっちゃけると何もなかったな。監視されてる印象はあったが、国境線付近を除いて怪人との接触はなかった。進路上にあった建造物は破壊したけど、普通に走ってきただけだ」

『避難して近寄らないようにしてるって事ですかね。これで支配率が変わるかはちょっと気になりますが』

「あんなところ支配する気はないぞ。ただの実験場だ」

『マスカレイドさんならそうでしょうね。例の看板に何か細工とかは?』

「なかったな。俺としてはカメラくらい設置してると思ったんだが。ある意味、予想通りの効果が出てるって事なんだろう」


 良く分からない会話をする二人。明日香君はどうかと思って視線を送るが、こちらも良く分かっていない事が表情から読み取れた。

 そんなこちらの雰囲気が分かったのか、色々と解説もしてくれる。……子供じみた行動に強烈な悪辣さが含まれている実験とやらは、説明されれば理解できなくもない話だ。

 続いて、バージョン2とやらの説明まで始まる。警告されていた八月頭に起きる世界の変化とやらは、人類社会の構造が容易に捻じ曲りそうな影響を持つ事が分かる。


「支配率って……えっと、それって私たちが聞いてよかったの?」


 予想すらしていなかっただろう明日香君の反応に見えるのは巨大な困惑だ。これまでは、ある程度の情報……特に関係者周辺に危険が及ぶ可能性のあるような場合以外は知る事すら危険と情報を伏せていたのだから、その反応は当然だ。……つまり、これは状況が大きく変わった事を意味する。


「知らない事が危険なほどに状況が推移したって事ですか?」

「正解。ちょっと、予想よりも遥かに急展開過ぎて、ある程度は公開したほうがいいって結論に達した。実は長谷川さんを通して政府ともコンタクトをとってる」


 長谷川さんって、ウチにクリス君を運んできた人だよな。そんな立ち位置の人だったのか。


「そうか……人口の少ない地域や南極の謎オブジェクトはそれで」

「そういう事だな。まだ手探り感は強いが、怪人側も人類圏に支配の手を伸ばそうとしてるわけだ」

「どうしよう、話が壮大過ぎて理解が及ばない」


 大丈夫。理解できたところで、私や明日香君には何もできないから。


「だからとりあえず海外旅行なんかはやめておいて欲しい。まあ、今のご時世で日本以外に観光で移動する人は少ないと思うが、一応な」

「それは大丈夫だと思うけど、クリスの例がある時点で危険っていうのは証明されているし」

「そこら辺は気をつける程度でいいんだが、お前らに説明したいのはもっと別の懸念でな」


 明日香君がこちらに視線を向けるが、残念ながらその懸念がなんなのかは分からない。前提情報が足りない上に頭も働かない状況なのだ。


「これまで怪人が地球上に出現するのは、制限時間の決まったモノだった。これが場所限定とはいえ常時存在できるようになった事で、その活動内容が大きく変わってくる」


 それは、マスカレイドさんが南スーダンに行った際の話で想像がつく。活動拠点らしき構造物を建築しているという事も。


『現時点でアトランティスと南スーダンの二箇所にはいつも怪人が滞在できる状態になります。滞在時間に条件や制限などがあるかも知れませんが、そこら辺の詳細はまだ不明ですね』

「んで、奴らは支配領域から外に出たりもできるんだ。こっちも制限や条件は不明だし、支配域から出た時点でGPSに反応が出るが、少なくとも国境線から外に出てる事は確認している。そして、これは本格的な『侵略』や『外交』ができるって事を意味するわけだ」

「侵略は分かるけど、外交? 共存の意思がないって断言してるのに?」

「…………まずい」


 それは非常にまずい。ちょっと考えただけで危険だと分かる。確実に人間社会は今の構造を保てない。


『妹ミナミは何がまずいと思います?』

「……自由に歩き回れる敵性人類が生まれる。勢力として見ても危険だけど、この場合は個人であっても危険だ」

「は?」

「正解……というか、そこまで頭が回るのな。姉より才能あるかも」

『私はちょっと悪辣な予測とかは苦手なんで』

「ははは、何か言ってるぞ、おい」


 冗談で和むような雰囲気だが、気が気じゃいられない。その前提は危険過ぎる。全人類がテロリスト予備軍に変貌する可能性を持つ事になるのだから。


「結論が飛躍したから少し戻そう。……外交といっても国交を樹立するとかそんな話じゃなく、そこに怪人勢力がある限り人間社会に対して永続した影響力を持つ事が問題なんだ。そこに潜在的な怪人の味方が生まれると、自由に国家間を移動可能なテロリストと化す。こいつらは根本的に人間だからGPSで検知できないし、ヒーローが問答無用で殺すわけにもいかない」


 その可能性を示唆され、理解した事で明日香君の顔色が青ざめるのが分かった。

 怪人は人類の敵だが、話は通じるのだ。言語は世界共通でネイティブレベルに通じ、中には人間と見分けがつかない外見の者もいるという。そんな怪人が一人の人間に対して三人殺したら命を助けてやると言えば実行する者もいるだろう。自身の命だけでなく家族を人質にしたり脅迫だけ見ても手段は無数に存在するし、催眠でも洗脳でも改造でも怪人なら他にとれる手は色々あるはずだ。

 そして、怪人が要求するのが直接的なテロとは限らないのも問題なのだ。ようは、人類社会やヒーローに直接的・間接的を問わずダメージを与えたり、怪人の行動し易い土壌を作るだけでもいい。地下で秘密裏に行動されたら発見などできないし、潜在的に危険だからと簡単に排除する事もできない。

 本当にシャレになってない。間違いなく対処不可能なほどに問題が広がる。


「すぐにどうこうってわけじゃないし、奴らにも色々制限はあるかもしれないが、現状の進行具合ですでに俺たちの予想は超えているから油断はできない。明確に日本を狙って行動する奴もいるだろうな」

『というのが主な理由で情報を開示したわけです。他にも政府の動向次第では支配域関連の問題で影響は出てくるでしょうし』

「色々教えてくれた理由は分かったけど。えぇ……」

「具体的に身を護る方法についてとか……」

『鋭意検討中です。とりあえず、ボディーガードとしてメイドを用意はしましたが、運用についてはまだ未定ですね』


 メイド……。単に家事をさせるためだけにここにいるとは思ってなかったが、そういう用途を想定していたのか。


「おはようからおやすみまで、あなたの生活を凝視する戦闘用バイオロイド、プラタです。よろしく」


 目を向けると改めてそんな挨拶を返された。……なんか、このメイドさんちょっと変じゃないかな。


「色々公開したわけだし、対策とか運用とかに関して要望があれば意見は聞くぞ。明日香は……なさそうだけど、妹ミナミはなんかある?」

「何故ないと断言するのか……ないけど」

「えーと。すいません、色々聞き過ぎて頭が回らなくて……衝撃が……」


 今の私の頭では人類の悲観的な未来しか浮かばない。すぐにそうなるわけでもないし、圧倒的世界最高戦力がいて対策を用意してくれるといっても、今すぐに落ち着く事は不可能だ。


「なんなら気分転換に君……と、ついでに明日香も海水浴に行くか? 一応、完全なプライベートビーチだから、危険がない事は保証できるぞ」

「「は?」」


 マスカレイドさんの思わぬ提案に、私と明日香君の声が重なった。


「な、なんだ。嫌なら別にいいんだが。あれ? 海水浴の話は聞いてるんだよな?」

「それは聞いてますけど……」


 なんだこの展開。どういう流れならデートにわざわざ部外者を誘う……いや、ちょっと待て。まさか、デートという認識がない? ウチの姉があんな分かり易い反応を見せてるのに、友達感覚で遊びに行くつもりなのか。

 いくらなんでもと思って明日香君に目をやれば、心当たりがあるのか冷や汗を流していた。なら、姉ミナミ本人ならとも思ったが……。


『あ、あーっ! いいですねっ! せっかくだし、一緒に行きましょうか! そうしましょうっ! はい決まり!』


 ダメだ。この土壇場で日和りやがった。……まあ、これほどの恋愛弱者なら、実際に水着で会って海で遊ぶだけでも前進ではあるのか。

 というわけで、何故か海水浴に私たち二人も同行する事になった。帰宅してから明日香君に電話で事情の確認をした事で、真性の引き籠もりの思考に唖然とさせられてしまった。




-4-




 というわけで更に数日後。一日丸々スケジュールを空けられる日を狙って海水浴へ行く事になった。

 良く分からないが、家から直接テレポートのように移動できる場所だから移動手段や時間を気にする必要はなく、帰りもそのまま家に戻れるらしい。多分、仕組みについては考えるだけ無駄だろう。

 レジャーグッズの類やバスタオルなども向こうで準備してくれるとの事で、私たちが用意するのは本当に水着と着替えくらいだった。バッグは持っていくつもりだが、中身はスカスカである。


 一応、両親に用事で一日出かける事を伝えて、家を出るふりだけしてこっそりと敷地内にある倉庫へと移動。蒸し暑い中、準備OKのメールを明日香君に送る。

 数分後、突然視界がブレたと思ったら、次の瞬間には目の前に海が広がっていた。あまりに唐突に視界が変わった事で脳が混乱したのか少しフラついたが、一時的なものだ。

 周囲を見渡せば無人で、ただ波の音が耳を打つ。私だけが先に移動したのだろうか。


 というか、本格的にここはどこの海岸なんだろうか。海の対岸に島は見えず水平線が続くのといい、あまり見た事のない南国っぽい植物といい、少なくとも私の知識には引っ掛からない。

 自然そのままをプライベートというわけではなく、ちゃんと整備されているのも奇妙だ。ここまでちゃんとしていて観光客がいないというのは奇妙という他ない。……疑ってはいたが、本気で異世界説が浮かんでくる。


「ミナミさん、おはよう。問題とかなかった?」


 唐突に、横から明日香君がやって来て話しかけられた。私のように転送されてくると思ったのだが、すでに到着していて、近くの建物から歩いて来たらしい。良く見れば、安っぽい海の家のような建物が目に入った。

 着替えなどはそこで行うそうなので、明日香君に連れられて移動する。


「移動手段は考えても仕方ないと思ったけど、明日香君はここがどこだか聞いてる?」

「良く分からないけど、馬鹿兄貴と姉ミナミさんの上司?の人が用意したプライベートビーチだって。詳しくは教えてもらえなかったけど、少なくとも地球上じゃないっぽい。他の人や危険な生物もいないって。サメとかクラゲとかも」


 ガチの異世界なんだろうか。いや、それよりは新たに創られた独自の空間とかそういう類という事も有り得るか。穴熊兄の部屋が物理的におかしい構造をしているのだから、有り得ないとまではいえない。


「あ、おひさー」


 海の家に入ると、実物の姉ミナミがジュースを飲んでいた。先日ほどテンパってる様子は見られないが、緊張の色は濃く感じる。

 ここでは飲食物でもレジャーグッズでも、海の家にありそうなモノは大概揃っていて、ポイントとやらを使えば即時購入できるらしい。私たちは好きに使っていいという事だったが、あまり興味を惹かれるものはない。食事も雰囲気重視なのか< 海の家の微妙なラーメン >など食欲の湧かないものばかりだ。

 マスカレイドさんの姿が見えないので尋ねてみたら、先に海岸に行って待っているのだとか。パラソルやシートなどの設営をしてるらしい。


「じゃあ、あんまり待たせるのもなんだし、着替えようか」

「お、おう。頑張るぞー」


 着替えるだけなのに何を頑張るというのか。本当に姉ミナミは今日を無事乗り越えられるのか心配になってきた。


「ちょ、ちょっ、ちょーっと待って! 心の準備が……」


 ……どうやら、ダメだったらしい。いざ着替えて移動しようという段になって、目に見えてテンパりはじめた。


「さっき、馬鹿兄貴がいた時は普通だったのに」

「制服と水着は違うんですっ!」

「露出面積が違うだけで、姉のエロ体型であそこまでボディライン出てると普通に恥ずかしそうだけど」

「違うんですっ!」


 違うらしい。どんな違いかはあまり興味はないが。


「でも、あまりマスカレイドさんを放置するのも」

「一人で暇潰す天才だからしばらく放っておいてもいいと思うけど、この姉ミナミさんの様子だとしばらくで済むのかな」

「~~~~~~っ!!」


 試着室のカーテンを握りつつ、とうとう何を言っているのか分からない状態になった姉を見て、あまりの新鮮さに面白くなってきた。


「じゃあ、二手に分かれよう。一人はここに残って引きずり出す役、一人は先行して遅れる事を伝えに行く役」

「別にいいけど、どっちがどっち役?」

「じゃんけんで決めよう。ちなみに私が引きずり出す役だったら、水着の紐を引っ張りながら連れて行くつもりだから」

「うわーーーーっ!」


 普段なら本気でやるわけないと分かるだろうに、テンパった今の姉ミナミには判断力が欠如している。ちなみにじゃんけんは私が勝ったが、先行する役を選んで姉ミナミの百面相を楽しんだ。明日香君は分かっていたのか、呆れ顔だ。



 私は一人海の家を離れ、マスカレイドさんが設営しているという場所へ移動する事にした。

 何もない砂浜だから、でかいパラソルが立っていれば離れてても分かる。海の家の裏口近くからでもその場所は容易に見つけられた。

 ……近づくにつれて、あきらかにレジャーグッズじゃない物体が目についたものの、とりあえず反応は後回しだ。それ以上に、マスカレイドさんの出で立ちが気になってしょうがない。


「ど、どうも」

「お、来たか……ってアレ、妹ミナミだけ?」

「姉が恥ずかしがり始めまして、明日香君が説得役に」

「なんでその役がウチの妹なんだ?」

「私だと、面倒になったら全裸にひん剥いた上で台車に載せて運搬しかねないので」

「むしろ、そっちが見たかったっ!?」


 絵面的には面白いだろうが、姉ミナミの精神ダメージは計り知れないという問題がある。


「それで……また随分遊ぶ気満々な格好で」

「形から入るタイプなんだ。ほとんどは部屋に死蔵してた私物だし、せっかくならって」


 マスカレイドさんは例の銀一色の装備でなく、アロハシャツにグラサンと麦わら帽子、ビーチサンダル、イルカの浮き輪と、如何にも海に遊びに来ましたと言わんばかりの出で立ちだった。シャツから筋肉質なボディが覗いているが、普段の銀タイツのほうがボディラインを隠してないので大差はないような気がする。色が銀から肌色になっただけだ。

 そんなマスカレイドさんをジロジロと観察していたら、向こうもこちらを観察している事に気付いた。ちょっと文句は言いづらいが、視線の圧は相変わらず強烈だ。


「あ、あの……何か?」


 男性の前で水着になるのに慣れているわけじゃない。今現在の姉ほどじゃなくともジロジロ見られたら普通に恥ずかしい。


「いや、美人だなって」

「ぇうふぁっ!?」


 あまりに唐突感のある褒め言葉の衝撃に、何を言おうとしたか忘れてしまった。


「あ、えーと、どうも? まさか、姉にも普段からそんな事を?」

「ミナミ? いや、あいつも美人だとは思うが、うるさいって印象が先にきてな。『どーもー!! マスカレイドさん、はじめましてーー!! 私、この度マスカレイドさんの担当になりました南美波でっす!! 名字が南、名前も美波、ミナミとミナミってなんじゃそらって感じだから、気軽にミナミちゃんって呼んでね! どっちも同じですけどね』っていうのが初回の挨拶で、持ちネタみたいに毎回繰り返してたからな」

「も、モノマネ? そんな持ちネタ聞いた事ないんですけど」

「あれ、じゃあアレが最初だったのか?」


 緊張して、無理やりテンション上げるために勢いで考えたのかも。


「妹ミナミを見ると遺伝子的に同じだっていうのは分かるが、そういう謎テンションがないスタンダードだから際立つというか。というか、容姿は褒められ慣れてんじゃないのか?」

「は、はあ。まあ、色々言われはしますが」


 この容姿のせいで友人との距離感ができる事もあるから一概にいい事とは言い難いが、基本的に自信はある。努力も欠かさないが、元がこうだからこそ維持しようという気概が湧く面もあるだろう。


「芸能人になるとか考えた事ないの?」

「スカウトされた事はありますけど、あんまり興味はない……というかむしろ距離を置きたい世界なので。性格的に向いてなさそうですし」

「あんまり愛想振りまくタイプじゃなさそうだな。姉のほうは好き嫌いはっきりしてても、取り繕うのは得意みたいだが」

「騙されて即AV落ちしそうな姉と比べられても」

「変なところで落とし穴に落ちそうな奴ではあるな」


 あんなに色々スペックが高いのに、見てて不安になる存在はいない。本人が自発的に色々やらかしそうな部分も含めて、家族としては気が気じゃないのだ。


「それで、さっきから気になっていたんですが、ソレは一体……」

「設営終わって暇だったから作った砂の城だ」


 そこには異様に完成度の高い、私の胸あたりまでありそうな砂の城が建っていた。普通にどこかで飾れそうなコレを今作ったと?


「じゃあ、ミナミを待つ間、これで山崩しでもするか。この旗の部分崩したら負けな」

「え、ちょ……もったいないような」

「もったいないというのは、先日下見に来た時に作った大阪城のような事をいうのだ。ほら、あっちにあるアレ」

「……なんかある」


 マスカレイドさんが指差した方向には何かの囲いがあり、その中に巨大な日本の城が建っているのが見えた。両方ともハイレベル過ぎて、こちらの西洋風の城と造形の違いは良く分からない。間違いなく言えるのは、どちらも普通のセンスと手際で作れるようなものではないという事だ。

 ……以前からなんでもできる兄という評価は聞いていたが、これは一般的なラインを超越しているのではなかろうか。


「もったいないと思うなら俺が先手で崩してやろう」


 正直、私が先番でもどこから崩せばいいのか分からないから助かるのだが、マスカレイドさんは急に空手のような構えをとり、砂の城に拳を打ち付けた。


「は?」


 しかし、強力そうなパンチだったのにも関わらず、城は崩れない……と思ったら、一瞬間が空いて反対側が三分の一ほど吹き飛んだ。なんだこれ。


「くくく、これがマスカレイド流拳法奥義だ」

「……普通に意味分かんないくらいすごいんですけど、何やったんですか、これ」

「ネタバレすると力点と作用点の操作なんだが、感心されるとそれはそれで困る」


 だって、理解が及ばないほどにすごいし。なんか漫画とかでそういう技があるとか見た事あるような。

 というわけで、謎のパフォーマンスに度肝を抜かれ、緊張とか城の芸術的価値とか色々まとめて吹き飛ばされた私は普通に山崩しを始める事にした。

 マスカレイドさんは構造を熟知しているのか、一回ごとにとんでもない量を削るマスカレイドさんを尻目に、私はちまちま削っていく方針だ。こんな少量なのに、どんどん選択肢がなくなるから難易度が高い。


「そういえば、これで負けたら何かあるんですか?」

「うーん、考えてなかったから貸し一つって事で許してやろう」

「明確に指定されるより、むしろ不安なんですが」


 拘束力が弱い口約束なだけで、それは自由に内容を書ける白紙の小切手のようなものだ。普通の相手なら気にしなくて済む相手でも、こんな事実上なんでもできる人相手にしたいものではない。

 私が勝ったとしても、そんな強力な権利を上手く使える気がしない。簡単な要求でお茶を濁そうにも、その背後にある権利が透けて見えれば躊躇するだろう。

 色々考えても代替案も提示できなかったので、そのまま山崩しは続行という事になった。お互い一手ずつ慎重に砂を崩していく。……私がこうも一手に慎重になっているのに、そんな大量に崩すんじゃない! ああ、ジェンガみたいな事に。


「あの、こうして海に来てから聞くのもアレですけど、こんな世界情勢の中で遊んでていいんですかね」


 その最中、話題に出すのはどうしても気になっていた内容だ。ある意味、ちょうどいい機会ともいえる。


「何? 妹ミナミはヒーローの力を持つ責任を負えっていうタイプの人なん?」

「いや、そんな事はいいませんが」


 それがどれくらい無茶苦茶な論調なのかは良く分かってる。というか、マスカレイドさんも大雑把には私の性格も把握しているだろう。

 私は、いわゆる弱者の立場を利用した無責任な言葉は嫌いだ。元からそうだが、今の世になって余計にそう感じるようになった。


「おおよそのスタンスは聞いてますが、国が滅びるような状況でも同じなのかなと。もちろん下手に助けたら後々面倒な事になるのも分かりますが」


 土台が心許なくなってきた砂の城から慎重に砂を削る。


「ある程度俺のスタンスを理解している前提で話すが、今の状況で滅びるならある意味仕方ないと思っている」


 この期に及んで、マスカレイドさんの手は大胆だ。どう考えても崩れそうなのに、奇跡的なバランスで旗は尚立っている。


「……どうせ延命にしかならないから?」

「なんだ、本当に分かっているっぽいな。……補足すると、色々システムが変わった今でも、ヒーローと人間社会がよほど歪な関係でもない限りは自前で凌げるパワーバランスなんだよ。マスカレイドさんは極端に強いが、他のヒーローも素で怪人を封殺できる能力はある。個々で得手不得手や手が回らない事があっても、日本以外は複数人いてチームや同盟って手段もあるわけだしな」

「今の状況で滅びるなら自己責任と?」

「自己というか、国家や勢力の責任だな。仮にでも民主主義を謳っているなら国民の責任もあるわけだが」


 それはそうだろうが、極論ではある。しかし、極論で理論武装するしかないほどにマスカレイドというヒーローの力は強大で、バランスを容易に崩壊させかねない危険性を持つわけだ。


「一番の理由は下手に前例を作って、この先の動きを制限される事を危険視してるって事だな」

「だから、表向きの情勢に関係ない部分で暗躍しているわけですか」

「いいね。頭いいのもあるんだろうが、姉より思考が俺寄りだ」


 姉ミナミの思考はちょっと特殊だから。根本的に考え方が違うのか、理詰めでトレースできない部分がある。

 それよりは……確かに思考の方向性は近いのかもしれない。


「その姉がようやく来たみたいだぞ。よし、ここは勝ちを譲ってやろう」


 背後に人の気配……かすかに姉の声が聞こえ始めたところで、マスカレイドさんは自身の手で砂の城を崩してしまった。落ちた旗を手渡してくる。


「これで、史上最強戦力に貸しが一つできた。贔屓だから、何に使うか良く考えろよ」

「…………」


 その一見突飛な行動には意味がある。多分だが、考える頭があるんだから良く考えろよ、という意味。未来の私に対する宿題にも感じられた。




-5-




「よっしゃーっ! おりゃー! こうなったらヤケじゃー! どこからでもこのエロボディを見るといい!」


 明日香君のうしろからおずおずとついてきた癖に、姉ミナミが急に大声を上げ始めた。顔どころか全身が赤いのは照りつける太陽のせいではないだろう。というか、自分でエロボディ言うのか。


「良く言ったミナミさんっ! 俺は猛烈に感動している」

「わははははっ! 今の私に怖いものなどない!」

「さあ、あっちにグラビア撮影セット用意したから、まずはそこに行こうか」

「ギャーーーっ! 無理、無理ですっ! すいませんっ! 勢いで誤魔化せないかと調子に乗ってました! すいません!」


 本当にそんなセットがあったかどうかは分からないが、急に萎れてしまった。なんというダメな姉なんだろうか。


「まあ、ミナミと親睦を深める会なのにあまり弄っても仕方ないしな」

「そ、そうですよっ! いわば今日は私がメインっ! 優しくしましょう! それでどうしますか? せっかくこうして直に会ったわけですし、グラビアはNGですが、代わりにラジオでも録りますか」

「なんの脈絡もなく収録しようとするな」

「はっ、変な電波に汚染されて!?」


 どうしよう、傍から見ててここまで不安になるのは初めてかもしれない。


「普段と違う格好と場所で困惑してしまうのは分からんでもない。こういう時は、とりあえず一緒に何かやれば慣れるもんだ」

「……馬鹿兄貴が正論を」

「引き籠もりだから実践した事はないが、多分合ってる」


 ないんかい。思わず突っ込んでしまいそうだ。……おかしい。私はあんまりツッコミキャラではないと思っていたんだが。


「というわけで、とりあえず泳ごうと思います。ただ俺の場合、この体だと水泳は色々大変な事になるのでサーフィンに挑戦するつもりだ」

「じゃ、じゃあ私は普通に泳……いえっ! 私もお供しましょうっ! いいですよね、サーフィン! やった事ないので色々教えて下さい」

「俺も初挑戦だ」

「ですよねー! そんな気がしてましたー!」


 明日香君の肘打ちで、日和りかけていた姉が積極攻勢に出た。やった事ないのにサーフィンをやるのかとか、姉は自分が何言ってるのか分からなくなってるんじゃとか、そもそも波が一切立ってない海でどう波乗りするのかとか色々気になる事をあったものの、いちいち確認していたら永遠にここから動けない気がしたので華麗にスルーする。

 私もサーフィンには興味あったが、素人に教わる気もなく、目的からして二人で行動させたほうがいいだろうと、二人を目視できる範囲で浮き輪を手に遊ぶ事にした。


「……おつかれさま、明日香君」

「ほんと疲れた。姉ミナミさん、ちょっと描写が憚られるような格好までして抵抗するし。……ミナミさんも、馬鹿兄貴相手にして問題はなかった?」

「問題は……ないかな。ただ、明日香君やクリス君が言ってた穴熊英雄万能説がかなり控えめな事を理解した。具体的にはあの大阪城」

「……ああ、あんなの作ったんだ」


 大阪城だけじゃなく、すでに跡形もなくなった城でも思い知らされた。間近で見てみれば分かるが器用ってレベルじゃない。これが砂の造形に特化しているだけなら普通に妙なスキルを持っている人なんだなと思うだけだろうが、なんでもコレが基準になるなら怪物そのものだろう。そりゃ身近な人は劣等感を刺激されるはずだ。


「多分、あのサーフィンもすぐに形になると思うよ。姉ミナミさんいるからどれくらいかは分からないけど、波乗りできるくらいにはなるかも」

「……波立ってないけど」

「そこは、普通の海水浴場じゃないから何か方法あるんじゃないかな。天候を変えられるとか」

「ありそうだから困る」


 少し離れたところからヤケクソ気味な笑い声が聞こえるが、とりあえず最初のハードルは超えたといってもいいだろう。

 そんな二人からしばらく目を離して、明日香君と泳いだり浮き輪で浮かんだりして過ごす事に決めた。あとはのんびり……とはいかないだろうが、始まった以上は今までよりはマシなはずだ。たとえ向こうで嬉し恥ずかしのエロイベントがあったとしても知った事かと無視を決め込む気満々だった。


 その後、のんびりし過ぎてかなり岸から離れていた事に気付いて慌てて引き返したところで、姉ミナミがおっかなびっくりでもサーフボードの上に立っているのが見えた。アレで運動神経はいいほうだから、この静かな海ならできてもおかしくないなと思いつつ、その横で当たり前のようにボード上で仁王立ちするマッチョマンの事は諦める事にした。


「あ、二人とも戻ったか。それじゃちょっと波立てるから気をつけろよ」


 砂浜に上がったところで聞こえたセリフに、まさか腕力で波を起こす気じゃないだろうなと思ったが、実際には海全体が小さく波立ち始めた。……本当に海水浴場の機能だったのか。

 少しずつ大きくなる波に挑戦し続ける二人だったが、姉のほうは結局腹ばいで不格好に波乗りもどきを披露したところでギブアップ。マスカレイドさんのほうは、今日初めてですと言っても誰も信じないような動きで波乗りを成功させた。

 それを見る明日香君は遠い目をしていた。ヒーローになったが故に運動能力に補正がかかってる面もあるだろうが、アレを見たら経験者ほどやってられないと思うだろう。


「次は四人でビーチバレーをしたいと思います」

「はいはーい、マスカレイドさんが参加するチームが圧倒的有利なのはどうするんですかー」

「二対二じゃなく個人戦にします。勝った人はパラソルの下でかき氷休憩、負けた人は勝つまで続投です」

「うわーい、プチ拷問だぞー」


 続いてはいつの間にか出来上がっていた簡易バレーコートでビーチバレーをする事になった。

 最初のウチは私たち三人の中で勝ったり負けたりだったが、途中の一戦ごとに気温変更すると言い出したあたりから本気度が増す。


「あ゛づいぃーーーーっ!」


 そんな中で絶妙に勝ち切れなくなった姉は強烈な直射日光を浴びながら、地獄のラリーを続ける事になった。

 熱中症対策として、負け続けでも常温の水だけはいくらでも提供されるのが、日陰にいるかき氷組との格差を浮き彫りにして哀愁漂う構図となった。

 尚、そこから十戦くらいしたが、結局姉ミナミはかき氷にありつく事はできなかった。削る前の氷の塊に張り付いたりはしてたが。


 そう時間が経った感覚はないのに、日が沈む。聞いてみれば、半分の時間で昼夜を切り替える設定になっていたらしく、ちょうどいいと夕食のように見える遅めの昼食としてバーベキューをやる事になった。

 一体どういう経緯で手に入れた食材なのか分からないが、一口で普段食べているものとの差が浮き彫りになる。

 プチ旅行で明日香君のカレーに唸らされたように、まさかこれが穴熊英雄の料理の腕だとでもいうのだろうか。こんな、下味以外は差が出そうもないような料理で?


「やっぱり高いだけありますねー」

「下拵えなしで焼くだけって便利だよな」


 ……と、一人で戦慄していたら、普通に高級食材だったらしい。ポイントとやらで食材を購入すると、品質でそこまで価格に差がないからとの事だ。

 なんか釈然としない気持ちを抱えながら、過去に食べた事のない高級肉に齧り付いた。実に美味しいのがまたムカつく。


 そんな感じで、色々と常識外な体験となった海水浴は無事終了したのだ。




「あ、まだ夕方か」


 転送されて自宅の倉庫から出た私は、まだ沈んでいない太陽を見て時間感覚が狂ってるのを自覚した。実際に経過した時間は半日程度でも、もう一日が終わったような気分だったのだ。

 細かい問題点を挙げればキリがないが、移動時間がなく、貸し切りのプライベートビーチで、変な生き物どころか魚や貝すらいない極めて綺麗な海、食べ物まで極上と、実に贅沢な海水浴だったと思う。

 ネックといえば、この体験談を関係者以外に話せないという点だろうが、こればかりは仕方ないだろう。



「あ、おかえりー」


 家に入ったら、居間で阿古君が寛いでいた。


「ほら、海どころかプールとかも自粛しようって感じだからさ、南家の巨大な風呂で水遊びでもすれば気分転換になるかなって。おばさんに話したらOKもらえたから待ってたんだ」

「あ、ああ、うん。いいね、水風呂」


 やばい。なんかこう……巨大な罪悪感に潰されそうだ。



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