第三話「砕かれる平穏」
Q.『それではさっそくインタビューに移らせて頂きたいと思います』
A.『はい、よろしくお願いします。ようやくこの時が来たかって感じですね』
Q.『先日、初の依頼があったとか? バージョン2直前になってやっとという感じですが、これでも相当に想定よりもかなり早いらしいですよ』
A.『ええ、確かに依頼を受けました。装備改造サービス開設以来、利用資格を得たヒーローがいない時期が長かったですからね。張り切らせて頂きましたよ』
Q.『ちなみにどういった装備の改造を依頼されたのでしょうか? やはり専用武器とか。それともお試しという感じで無難な汎用装備などでしょうか』
A.『ご推察の通り、こういった装備品の改造のサービスを利用するなら普通は主力の専用武器だろうと思っていたんですがね、依頼されたのはまさかの網でした』
Q.『は? 網というと、あの網でしょうか?』
A.『そう、あの網です。といっても巨大な……漁なんかで使われる地引網ですがね。確かに存在は知ってましたが、それを改造しろと言われるのは意外でした』
Q.『それはまた……ネットの専用武器を持つヒーローもいるにはいるようですが、そういったモノではないですよね?』
A.『ええ、汎用品の漁網です。私たちとしてもまさかの選択だったので少々困りました。誰もそんなモノを改造した経験などあるはずもないから、手探りでの開始です』
Q.『そのヒーローは何故そんなモノを。というか、網をどう改造しろというんですか(笑)』
A.『依頼された方向性はただ一つ、とにかく頑丈にして欲しいというものでした』
Q.『そこは普通なんですね』
A.『元々、怪人捕獲などにも耐えうる網をこれ以上頑丈にしてどうしろという感じですが、先方が求めていたのはそんなレベルじゃなかった』
Q.『そんなレベルじゃないと言われても、正直想像もつかないんですが。具体的な内容などは開示可能なんでしょうか?』
A.『守秘契約は……締結してませんね。といっても、強化の幅はともかく方向性はそのままです。ヒーローパワーの消費コストを増やせばそれだけで強化は可能ですから、本来はそこで消費コストの折り合いをつけていくところなのに、完全に度外視でいいと言うんです。燃費は気にしないから青天井で強化できるようにと。それ以外にも捕獲に向いた能力があれば、こちらもコスト無視で追加してくれと言われましたね』
Q.『……青天井』
A.『普通なら何言ってんだって感じですが、依頼者の名前を考慮するなら理解できなくもない。未だ計測不能なら、そういう自信を持ってもおかしくないと』
Q.『ああ、あのヒーローですからね。そりゃ自信あっても当然みたいな』
A.『だから、我々としてもその自信を壊す勢いでコスト度外視して改造……まともなヒーローだったらちょっと力を込めるだけで卒倒するようなモノが出来上がりました。……しかし、それでもまったく足りないと言うんです。こっちはやり過ぎたと思ったのに、まさかのリテイクですよ』
Q.『どんだけですか(笑)』
A.『いやいや、笑い事じゃないんですって。私どももこれが本業ですから、頑張って先方の依頼に応えるために努力しました。結果的に時間切れにはなりましたが、意味不明なレベルでヒーローパワーを消費する地引網の出来上がりです』
Q.『それは使いモノになるように仕上がったんでしょうか?』
A.『もちろん、使う事自体がトラップになりかねない劇物ではありますが、彼は極自然に使ってましたよ。ええ、涼しい顔で。やせ我慢とかじゃないですね、アレ』
Q.『噂通りと』
A.『というわけで、強化ポイントは燃費無視でひたすら頑丈に。これが全体の八割くらい。その他電流を流したり、能力を無効化したり、動くほどに拘束がきつくなったりと、消費するヒーローパワーによって青天井に強化されていく仕組みです。当初依頼された、怪人百人捕まえても大丈夫って希望もアレなら夢物語とはいえないかもしれません。というか、それ以上でも可能にしてしまいそうな気がするから怖い』
Q.『そんなモノを使って一体何をするつもりやら』
A.「さあ? ウチの改造品だけじゃなく、その他捕獲用のトリモチや隠し腕なんかも用意してたはずですよ。詳細は分かりませんが、一体どんな惨劇になるのか、関わった者としては楽しみです』
Q.『一応カテゴリとして同じ怪人が対象になるはずなんですが』
A.『といっても、我々はカメラマンなどと同じ中立枠ですからね。別に怪人がやられても関係ないというか。逆にヒーローがどうなっても気にしませんし』
Q.『まあ、私も同じようなもんですからね。ヒーローはあくまで商売相手という事ですか』
A.『基本的に依頼があれば仕事をする職人なんですよ、我々は』
以上が、初となるヒーローからの依頼を受けた職人怪人ブラック・スミスのインタビューである。
インタビュアーは取材怪人ブンヤマン。収録時期は七月三十一日。個人イベント開催の前日であった。
-1-
旧南スーダンエリア。バージョン2リリース以前にすべてのヒーローを失い、完全に陥落した唯一のエリアである。西暦2011年設立と最も若い人類の国家であったが、皮肉にも最速で消滅してしまった。
不安定とはいえ成立していた政府もすでになく、国民のほとんどは難民化。未だ亡命政権すら樹立していない、というのが現在の情勢である。
裏の話をしてしまうなら、今後も亡命政権の設立は困難と言わざるを得ない。理由としては、南スーダン崩壊に至った経緯を知った他国が亡命政権を立てるのに躊躇したというのが大きい。
これが内戦や他国の侵略による崩壊なら敵性国家……元々の分離元であるスーダン共和国も動きを見せるのだろうが、今のところは国境線を固めるだけで沈黙を保っている。各国の首脳も判断に困っているというのが正直なところなのだ。
自国で活躍するヒーローの正体を掴んだ。それはいい。どの国でも調査くらいはまずやっているだろうし、大国ではほとんどの国が専用の研究機関を設立しているほどだ。そういう意味では世界に先駆けた快挙ともいえる結果である。
しかし、南スーダンの指導者層はヒーローを国家のためでなく私欲のために利用した。正義とはほど遠い、あまりに人道から外れるその要求にヒーローは反逆したものの、一族郎党を人質に取られて殺害される。元はといえば、その一族郎党内から密告があって正体がバレたのだから、最初から詰んでいたともいえるだろう。密告者の動機は急に羽振りが良くなったヒーローへの嫉妬。施された事が原因だというのだから笑えない話である。
世界には当然似たような目的……ヒーローの力を私物化するために調査している者も多い。そんな傲慢な彼らでさえ自らの行いを顧みるほどに、今回の件は衝撃だった。
これらの事情はあくまで物事の一面、きっかけでしかない。ヒーロー側にしたところで、それだけなら何人かの内の一人が犠牲になったというだけの事でしかない。単にヒーローが死亡したというだけなら、少数ながら他にも例はあるのだから。そして、南スーダンは独立した単独エリアだ。当然、自国内の担当ヒーローも一人ではない。
しかし、その時点で同国内の他のヒーローも正体は割れていた。以前より自国内のヒーロー間でチームというほどではなくとも相互に連携を取り合っていた事が原因だ。ヒーローたちが情報の取り扱いに詳しくない一般人であった事もあり、正体は簡単に漏洩していたのだ。そして、一度痛い目をみたところで、対象が別にいるのなら手を出してしまうのが人間なのである。
……完全に南スーダンと担当ヒーローの間に亀裂が入った。国内で、泥々の欲望を煮詰めたような暗闘が始まる。
誰が敵か判断のつかないまま、暗闘は続く。以前から共闘していたヒーローも状況によっては敵だ。手を結び続ける事などできない。自然と国内の怪人被害も増加する。
そんな中、先のヒーロー殺害の報復を行ったヒーローが死亡した。方法や理由は先のものとほぼ同じだ。それが口火となり、疑心暗鬼に駆られた者たちが私兵としてヒーローを扱うべく本格的に活動を始める。自国内で軍事力までも利用した抗争に発展した。戦争を戦争と定義したくない世の中でなければ、とっくに内戦扱いな規模である。
一人、二人と歯が抜けるようにヒーローが欠けていく中、怪人に殺害される例も出た。負けたとはいえ、担当オペレーターが緊急脱出処置をすれば死ぬ事はなかっただろう戦いで。
一度罅が入れば瞬く間に崩壊する。最初のヒーローが死んだ時点でそれは定められた結末だったのかもしれない。
情報が錯綜し過ぎて途中経過は誰にも分からない。過程で一体何があったのか、もう少しやりようはなかったのか、そう考える者も多いが、おそらく多少手が入ったところで結末は似たようなものだっただろう。
こうなっては他国のヒーローの助力も望めない。むしろ、飛び火を恐れて不干渉を貫いた。一部の正義感溢れるヒーローは声を上げたが、所属チームや周囲に押し留められた。冷静に説明されれば手を出す事は害にしかならない事は明白だからだ。それが自分だけならともかく、ヒーローを含む関係者や家族まで波及する可能性を指摘されたらどうしようもない。
大体、どう事を終息させるというのか。ヒーローはあくまで個人戦力にしか過ぎす、国家規模まで膨らんだ争いを止める手段を持つ者などそうはいない。いたとしても手を出す理由もない。
正義を主張して? 果たして一体どちらが正義なのか。始まりこそ人間の愚かな行為だったが、大雑把にでもその後の展開を見ればどっちもどっちなのだ。どちらも等しく救い難い。自国内で抗争に明け暮れるヒーローの姿は、ただ力を持っただけの人間そのものではないか。
もはや崩壊は確定した未来。周囲はただそれを観測する事しかできず、結果として南スーダン及びそのエリアの陥落に至ったのである。その結果はヒーローや人類社会に苦い教訓として残った。
少し時間が経過し、ヒーロー間、各国首脳の間で暗黙の了解が成立し、怪人が闊歩する魔境と化して、残ったのはそんな教訓だけ。
もはや過程など知る由もないし、"誰もヒーローの名を覚えていない"。
記録は残っている。人間の手によって抹消されていなければ元になった者の情報も残っているだろうし、ヒーローとして活動した経歴も残っている。しかし、当のヒーローの名は完全に抹消されているのだ。誰もが彼の事を……彼らの事を南スーダンのヒーローと呼ぶのである。敗北したヒーローの名など不要と言わんばかりに。その事に気付いている者はそう多くない。
[ 旧南スーダンエリア ジョングレイ州ボル ]
「あの幹部様の言葉じゃねーが、人間も愚かだな。自分を守る盾を自分で壊すんだからよ。ひょっとしたら身体を張ったギャグのつもりだったりして」
南スーダンの地で一人の怪人……嵐鮫怪人スパイラル・シャークが呟いた。その傍らに立つ怪人……怪奇怪人ワンダラーもそれに応える。
「人間の本質ってやつなんだろうよ。まったくもって救い難いな。私たちにはありがたい事だが」
「違いねえ。つまり、シリアスなギャグってやつだな」
「怪人から見れば、そこまで間違ってはいないな」
先の一件は、過渡期であった事、それ故にヒーローの情報が広まっていなかった事など、考慮すべき前提はいくつかあるのだろうが、結局のところそれは人間の本質……悪癖のようなものが原因なのだ。
たまたま南スーダンが最初だっただけで、人が人である限り必ずどこかで表面化しただろう。そもそも、そういう部分を突く構造なのだから当然である。
「それで、結局お前はこっちに移住するのか?」
「どうしようかなーって感じ? せっかくだから移住してもいいけど、あちーし、川はあっても海はねーし、タダってわけでもねーし。アトランティスのほうが良かったな」
今回彼らがこうして南スーダンの地を訪れた理由は見学だ。偶然が重なり、嵐鮫怪人スパイラル・シャークに南スーダンへの移住資格が発行されたのが理由である。怪奇怪人ワンダラーのほうはただの付添いだ。
嵐鮫怪人スパイラル・シャークは鮫の怪人ではあるが、別段海を必要としない。とはいえ、完全な内地……しかも赤道近くの熱帯となれば移住に躊躇もする。また、彼が怪人として発生したのは地球の反対側……アメリカだから、地縁があるわけでもない。アメリカのどこが故郷かは本人にもいまいち良く分からないのだが。
「こっちもだが、アトランティスはもっと倍率高いからな。多分エリートしかいないぞ」
「だよなぁ。肩身狭かったり不便な思いするくらいなら、別にわざわざ移住してもなって思うわ」
怪人たちは元々この場所でないところに拠点……住処を持つ。今回の件はいわば植民地への入植のようなものなのだが、様々な優遇処置があったとしても、すでに構築された生活基盤を移動させるほどのものではないのではとも思うのだ。人間の生存圏を脅かして乗っ取るという行為に惹かれる部分があるのは否定できないものの、生活の利便性というハードルがそれを邪魔する。損得だけで見るなら損のほうが大きいロマン枠だ。とはいえ、そのロマンを選択する怪人が多くいるのも確かだ。死亡率の高い怪人に刹那的な快楽主義者が多いのは当然の事である。
「しかし、なんでここが一番人気なんだろうな? 別に人間の首都だったとかじゃねーんだろ?」
「さあ? なんか怪人の琴線に触れるものがあるとかじゃないか?」
「怪人の琴線ってなんだよ、めちゃくちゃ幅広そう」
現在、怪人の手によって開拓の始まった南スーダンにおいて中心となっているのは、現在彼らが立つジョングレイ州ボル……かつてボルと呼ばれていた地域である。州都ではあるが、首都でも中心都市でもない。なのに怪人がこの場所を好むのは、その地にまつわる由来……血の匂いが強い事が理由なのだろう。なんとなく悪っぽい雰囲気を肌で感じているのだ。
ここだけではなく、他にも虐殺の現場となったような地は割と人気がある。他に移住先の候補として多く挙がるのは白ナイル川流域など、人間とさほど変わらないのだが。
都市が残っていたとしても大して変わらないが、ここは元々発展途上国と呼ばれていた国だ。インフラだって破壊するまでもなくボロボロである。だからというわけでもないのだろうが、移住しようとしているのは比較的大型の怪人が多い。新たに一から作り直す必要のあるサイズなら、何もないほうが楽という事なのだろう。実際、目の前には巨大な構造物の建築が始まっている。
そんな開拓都市と呼べるような未完成の街を二人が見学して回っていると、突如として街全体にアラームが鳴り響いた。正確には怪人が一定数いる場所はすべて鳴り響いている。
「なんだこりゃ。どっかのヒーローが殴り込んできたのか?」
「正午のアラームではないか? 向こうで開拓者向けの配給をやっているようだが」
「あー、時々国境付近にヒーローが近づいてくるんだよ。威力偵察かなんかだろうな。割と多い」
とぼけた会話をしている二人を見かねて疑問に答えたのは、近くで建設作業をしていた怪人の一人だった。巨腕怪人タイタン・アームという三メートル超の大型怪人である。早期にこの地への移住を決めた一人だ。
「国境から遠い内地だから、あんま関係ないんだがな。今までも、侵入してきた記録はせいぜい数キロってところだ」
「めっちゃ遠い場所の話だな」
怪人たちは知らないが、この領域ではヒーローの強制転送機能は使用できず、拠点に戻るには南スーダンエリアから脱出するしかない。
そんな保険の利かない奥深くのエリアへ無理やり侵入してくるのはヒーローといえども自殺行為だ。国境線沿いは常に監視されているし、警備の怪人や戦闘員が巡回している。いくらヒーローが怪人より強いといっても、一度に数十体の怪人に襲いかかられて無事で済むはずもないのだから。……ただし、例外を除く。
「大抵はすぐに引き返していく。被害があったとしても、せいぜい戦闘員が数体……稀に怪人が倒されるくらいだから、長くても三十分くらいで収まるはずだ。娯楽が少ないここじゃ、ちょっとしたイベントみたいなもんだな。何分保つか賭けてる奴もいる」
「こんなうるせえのが不定期に流れるのか」
定住するにはちょっとマイナスな材料だった。スパイラル・シャークは割と神経質なのだ。自分が巻き起こす竜巻の轟音は気にしないが、それ以外の騒音は苦手なのである。
そんな解説のあと、ここに定住しているらしいタイタン・アームに色々話を聞いてみる。色々興味深い情報もあったが、やはり定住に踏み切れるような話は聞けなかった。
「というかこのアラーム、もう三十分以上鳴ってるんだが」
「今日の奴は長いな。ひょっとしたら記録更新かもしれん。怪人ネットのほうはどうせ更新されてないだろうが」
怪人ネットはヒーローネットに比べて更新が遅い。リアルタイム動画でもない限り、情報が更新されるのは戦闘終了後だ。特にバージョン2実装前の今、南スーダンへの襲撃情報の更新は二の次になっている。これがアップデート後ならまた違うのだろうが、今のところはアラームや現地情報のほうがはるかに早い。独自に連絡網を構築している怪人もいるだろう。
「……載ってないな。というか、襲撃情報すら最新の日付は三日前だ」
ワンダラーが携帯端末で調べてみるが、やはり情報はない。専用のBBSならまだマシな情報があるかもしれないが、慣れていないジャンルの掲示板を探すのはちょっと労力が必要だろう。
「襲撃は昨日もあったんだが、やっぱ更新遅いな。……というか、本当に長いな。ちょっと記憶にないぞ、この長さは」
「どこかのヒーローチームが複数人で襲撃してきたとかじゃね?」
「そもそも、いつもの襲撃の時点でチーム単位だ。一人で襲撃かけてくるのはさすがに無茶だろ」
「言われてみりゃそうだな」
通常の襲撃と違い、ここは怪人の拠点だ。ヒーロー側は襲撃前にいくらでも準備ができる。度胸試しかよほどのアホでない限りは一人で突入してはこないだろう。
もっとも、今回の襲撃者はそのどちらでもないのだが。
そうして、対岸の火事とでも言わんばかりにタイタン・アームは建設作業に戻り、二人の見学者は散策を続ける。鳴り止まないアラームにどこか不穏なものを感じながら。
……そして、彼らがこの地から帰還する事はなかった。
-2-
現地時間で正午過ぎ。それは南スーダンの南西部、コンゴ民主共和国との国境付近からやって来た。
始まりは静かなもので、侵入者の数にしても高々十人前後。搭乗している乗り物が静かなのもあって、不定期で行われるヒーロー襲撃のほうがよほど騒がしい。
侵入検知アラームが鳴り響く中、対応したのは国境巡回警備のバイトとして配属されていたC級怪人汚食怪人クチャラー、そしてその相方の汚食怪人クチャリーの二人だった。本来スリーマンセルの仕事なのだが、咀嚼音が不快な彼らは他の怪人に敬遠され、二人で配属されていた。ちなみに、彼らは自分を棚に上げてお互いの咀嚼音も嫌い合っている。
「また性懲りもなくヒーローがやって来たみたいだぜ」
「まったく、おちおち飯も食ってられねえや。俺が見てくるから、お前は上に連絡つけとけ」
「連絡は目視確認してからだろ。前にそれで怒られたじゃねーか。侵入自体は連絡いってるんだって」
この旧南スーダンエリアに怪人以外の侵入者があった場合、国内全土でアラームが鳴り、即座に侵入地点の共有がされる。担当の怪人は近くの拠点に待機していて、彼らのような警備のバイト怪人、あるいは戦闘員の連絡を受けて出動するのだ。バイトである彼らが応戦しても問題はないが、C級怪人の彼らに求められるのはあくまで詳細確認である。
正直なところ戦闘員でも問題ない仕事内容なのだが、彼らの場合報告能力に問題がある。時々普通に喋るやつもいるが、大体はイーとしか言わない。それが単に喋れないのか、ポリシーで喋らないのかは誰も知らない。
「どれどれ……って、なんだありゃ」
観測用に双眼鏡を取り出そうとしたクチャラーだったが、それは肉眼で確認できた。遥か地平線から砂煙を上げて何かが近づいてくる。その輪郭がはっきりと分かるまで数十秒。バイクに跨った銀タイツの推定ヒーローがこちらに向かって激走しているのだ!
銀タイツといえば、怪人の中で恐怖の代名詞となっているあのヒーローがまず思い浮かぶが、それと断定できなかったのは銀色のバイクが十台以上横並びになり、そのすべてに銀タイツが搭乗していたからである。詳しい者が見れば、それが影分身と言っていいのか良く分からない必殺技の結果だと判断するだろうが、バイトの二人にはとっさの判断ができなかった。
クチャラーとクチャリーはその光景を目にして混乱、思考停止に陥った。大きく開いた口から噛みかけの食事が溢れる。
アレはなんだ。ヒーローだ。きっと噂のマスカレイドだ。しかし、何故そんなにいる? ダミーか? 他のヒーローと共謀して混乱させに来たのか。いや、真実はどうでもいい。とにかく連絡だ。あれ、連絡ってどうやるんだっけ? あれ、速くね? もう目の前に……。
一台だけわずかに先行していた銀タイツが、その手に持ったショットガンらしき武器を放った。そこから発射されたのは弾丸ではなくトリモチだ。
己を捕らえるべく放射状に広がるトリモチを目の前にしてようやく正気に戻った二人は、同時に悲鳴を上げ、そして捕獲された。
「うわああああっ!?」
「な、なんだコレはっ!? と、とれない!」
そのまま銀タイツたちが引き摺る銀の網へとシュートされる。すぐに脱出を試みるものの、トリモチは外れず身動きがとれないまま多重構造になっている網で雁字搦めにされてしまった。
良く見れば網の中には相方だけではなく、複数人の怪人と大量の戦闘員が捕らわれ、引き摺られているのだ。
なんだコレは? 一体何が起きているんだ? それは網で引き回されている者たち共通の疑問だった。引き摺られ、目まぐるしく回転する視界の中では思考もままならない。
クチャラーとクチャリー、そして多くの怪人や戦闘員たちの命運は銀タイツの気分に委ねられたのだ。
[ 国境警備隊駐屯地 ]
一方で、国境警備のために設営された最寄り駐屯地の反応は少々毛色が違った。それは、ここに詰めている怪人が歴戦のツワモノだからというだけでなく、別の要因によるものだった。
「や……やば……いや、なんだか分からねえけど、震えが止まらねえ……」
アラームが鳴っているのに連絡が来ない。それだけならバイトのサボタージュを疑うだけだが、それと時を同じくして異変を感じとった者がいた。
一種のお守り代わり、あるいは有機的な警報装置として半ば無理やり連れて来られたB級怪人、警報怪人キケンデ・チューの様子があきらかにおかしい。
「どういう事だ? こいつがチキンなのは今更だが、ここまでのは初めてだぞ」
次に対応するとしたら自分の番と、いつでも出撃可能な状態で待機していた魔刃怪人フラクタル・エッジが訝し気に呟いた。
キケンデ・チューを連れてきたのは自分ではないものの、その経歴は知っている。こいつはその危機察知能力だけでB級上位まで這い上がって来た異色の怪人なのだ。そんな奴がこんな反応をしているのに、いつも通り出撃するのはさすがに躊躇われる。
「ここまでとなると俺も初めてだ。……一線級なのは前提としても、百人規模で連合組んで攻めてきたとでもいうのか?」
それに応えるのはキケンデ・チューではなく連れてきた張本人、幻傷怪人スウィート・ペインだ。この中で最もこの警報装置を扱い慣れている彼でも見た事のない怯えぶりなのである。
有り得ない。ヒーロー側の情報を熟知しているわけではないが、百人以上所属しているヒーローチームは限られるはずだし、たとえ最大大手のアメリカ合衆国東海岸同盟ですら、そのメンバーは玉石混交だ。本拠地を放棄してそんな戦力を捻出するのは……不可能とはまではいかないが、正直考えづらい。
「えー、まっさかー。どんだけ気が早いっていうのー?」
「まだ日付変わってないよー?」
反面呑気な反応を見せるのは妖姫怪人プリンセス・ワンダーと妖姫怪人フェアリー・ワンダーの二人。割り振られた時間ではなく、単に早めに来ていただけの彼女たちに真剣さを求めるのは酷だろうが、反応としては何もおかしくはない。
元々、明日のバージョン2リリースに向けていつもより警備体制が強化される予定だった。彼女たちがその補充要員でもあるわけだが、それを狙っているのだとしたらフライングどころではない。アップデートの時刻が公開されているわけでないから正確なところは分からないが、0時ちょうどに適用されたとしても、最低あと半日は時間があるはずだ。
加えて、アップデート直後に自分たちの担当エリアが攻撃される懸念を無視できるとも思えない。彼らは怪人側だからはっきりと認識しているが、それに向けて準備している怪人は多くいるのだ。そんな中で直前のこの時期に主力を捻出できるだろうか。博打というレベルではない。
「しょうがねえな。目視直後即時撤退も視野に入れて、偵察に……」
「駄目だっ! 違う、違うんだ。……上手く言えねえけど、コレはなんか違う! 近付くのすらマズい!」
出撃のために立ち上がったフラクタル・エッジを止めるキケンデ・チュー。
偵察して無事に済むようなものでは有り得ない。こんな根源的な恐怖は、そんな想像できるレベルではないはずなのだ。
「……よし、俺は一抜けだ。幸い国境線組から連絡は来てないし、言い訳は立つ。そうとなりゃ、罰金払ってさっさとおさらばだ。帰るぞ、警報機」
「お、おお……ありがてえ」
「……マジかよ。いや、お前がそこまで言うなら多分正解って事なんだろうな」
「そこまでの確信はねえが、未知は最大限に警戒する信条なんだ。もしなんでもないただの斥候や度胸試しだったら、こいつは折檻だが」
「それでいいから! ヤバい! もう近いんだっ!!」
悲鳴のようなキケンデ・チューの叫びに釣られるように、あるいは遥か遠方から聞こえてくる地響きのような轟音から逃げるように、この場にいた怪人は全員強制転送でその場を離れた。
駐屯基地が更地になったのは、それからわずか数十秒後の事である。
[ バンディンギロ国立公園 ]
「今日もいい天気だぜ。いい天気過ぎてあちいのが難点だな」
かなり早い時期からこの地に移住し、己の夢であるハーレム……牧場を造り上げた種馬怪人ダーティ・スタリオンは仮住居である小屋から出るなり、猛烈な日差しに愚痴を吐いていた。
移住する事を決めたのは自分だが、実際に住んでみると予想以上に環境が悪い。赤道が近いから当たり前なのだが、ハーレム要員たる牝馬たちもあまり調子は良くなさそうだった。
拠点化し、ある程度環境を弄れるといっても限度はあるという事だ。これ以上となると怪人ポイントが足りない。
「さて、今日はどの子に種付けしちゃうっかなっと……」
「超キメエ。いや、自分の拠点で何してようがお前の勝手ではあるんだが」
いつの間にやらダーティ・スタリオンの近くにやってきて話しかける者がいた。彼は知人の美食怪人ボーノ・ボーノ。イタリア出身で、日々美味しいイタリア料理を作るために精進している怪人だ。
そのためには手段を選ばず、食材一つ手にいれるためにどんな方法でもとる外道でもあるのだが、怪人なので割と普通の範疇である。ちなみに、彼がこの世で最も嫌いなものはナポリタンスパゲッティだ。
「あれ、ボーノ・ボーノじゃん。遊びに来たん?」
「ああ、引っ越し祝い。友人の変態性を垣間見てちょっと帰りたくなって来たけど」
「別にいーじゃん。俺馬なんだから」
「駄目って事はないんだが、ここまで自分の趣味嗜好とかけ離れているとどうにもな」
特に、行為の最中を目撃してしまったら、いろんな意味で記憶に焼き付いてしまいそうだ。
他人の性的嗜好に口を挟む気はないのだが、自分がノーマルであるからかダーティ・スタリオンとは趣味がズレ過ぎている。というか、馬系の怪人の中でも、ここまで馬にしか興味ないのはこいつくらいだろう。
「お前、馬なのは頭だけなのに」
「失礼なやっちゃな。重要なところも馬並みだぞ」
そういう問題ではない。見た目獣姦にしか見えないのがキモいのだ。
「俺は怪人としてのお前のスタンスは尊敬している。その能力を活かすため、牝馬相手に腰を振っても仕方ないとは思う。……しかし、それはそれとしてキショイ」
「どうしろってんだ」
どうしようもないので諦める案件である。実際、ダーティ・スタリオンが最大限にその能力を活かすなら、牝馬に眷属を産ませて戦力強化するのは正道なのだ。
「来ちまったもんはしょうがないんだがな。色々食材も持ってきたぞ」
「マジで。ボーノ・ボーノさん、マジで素敵」
ボーノ・ボーノが調理するのは基本的にイタリア料理だ。というか、研究以外ではほとんどイタリア料理しか作らない。ダーティ・スタリオンがイタリア料理を好むので、それを理由に友人関係が構築されている。
食う物は人間と同じなのに性的嗜好は馬のソレと、ダーティ・スタリオンは上下が逆になったような奴だった。どうせなら干し草でも食ってればいいのに。
「全然話は変わるが、この拠点の敷地に入るまでなんかアラーム鳴ってたぞ。なんかの警告じゃないのか?」
「あー、自分の拠点なら設定で変えられるから。多分、国境あたりにヒーローが来てるんじゃないかな」
「大事じゃないのか?」
「だって、ここ結構国境から離れてるし。牧場作ってる時はいちいちビビってたけど、冷静に考えてこんなところまで来ないわな、普通なら」
……普通なら。今襲撃をかけているのは普通ではないのでノーカンである。
実際、かなり内陸部に存在している旧バンディンギロ国立公園にまで侵攻してくる事はまずないだろう。アップデート後なら有り得なくもないのだろうが、途中のエリアが開放できない今、わざわざ突出して侵攻してくる意味はない。だからこそ、愛の営みを邪魔されないためにアラームを切っているのである。
「それより、せっかく来たんだから俺のマイハニーたちを紹介するぜ」
「ああ、あんま興味ないが、せっかくだしな」
馬を紹介されてもとは思うが、知人の大事な存在というのなら合わせるべきだろう。ボーノ・ボーノははっきりとものを言うが、合わせるタイプでもあるのだ。
案内されてやって来たのは当たり前だが厩舎である。ダーティ・スタリオンが住んでるらしい仮設の小屋よりもはるかに立派で、内部の馬房もかなり余裕を持って造られているらしい。その待遇に、ダーティ・スタリオンが本当に牝馬を大事にしているんだなと感じてちょっと気持ち悪かった。
「生まれる眷属を養育する場所も兼ねてるからな、やっぱりここは拘らないと」
「……おい、なんだアレ」
「なんだって……愛の巣だって言っただろ」
「いや、厩舎の事じゃなく、向こうの……」
ボーノ・ボーノが指差す先にあるのは地平線だ。旧バンディンギロ国立公園の敷地は相当に広いので、その大部分は公園のまま手つかずである。だから、視界は良く開けていた。
「向こうっつっても……なんだありゃ」
二人の視線の先……地平線の向こうから巨大な影が迫るのが見えた。あっという間に接近し、巨大化していくそれは山だ。正確には引き摺られている怪人や戦闘員なのだが、遠目では蠢いているのしか分からない。
絶句。脳が理解を拒むほどに非現実な光景。非現実そのもののような彼ら怪人から見て尚非現実な存在がそこにあった。
その巨大な塊がわずかに軌道修正したのが分かった。こちらを捕捉されたのがはっきりと分かるほどに、一直線にこちらへと向かっている。
「ひ、ヒィィィぃっ!!」
あまりに高速で接近してくる巨大な塊の正体を見て、ボーノ・ボーノが後ろへと逃げ出した。ダーティ・スタリオンは腰を抜かしている。
途中にある樹木などの構造物をすべて薙ぎ払い、あるいは塊に吸い込んでいく様は正に整地。
異様な轟音が迫る。拠点外では今でもけたたましくアラームが鳴っているのだろうが、この轟音の前には掻き消されるだろう。
ついにその塊がダーティ・スタリオンの拠点に接触。自慢の厩舎がバラバラに破壊され、飲み込まれていく。
「ちょっ!? お前らーっ! 逃げるんじゃないっ!? 俺を置いて行くな……っ」
崩壊した厩舎からダーティ・スタリオンのワイフたちが四方八方へ逃げ出していく。半分以上は飲み込まれたがバラバラに逃げ出した牝馬たちはわずかに生き残った。
肝心のダーティ・スタリオンはやたらトゲトゲしたバイクのタイヤに踏まれたあと、塊に飲み込まれ、次いでボーノ・ボーノもトリモチ・ショットガンで捕獲されて塊の一部と化した。
あとに残ったのは更地。元々構造物の少ない場所ではあったが、本当に何もない土地と化した。
-3-
[ 旧南スーダンエリア ユニティ州南部 ]
アラームが鳴り響く中、ユニティ州の郊外を歩く怪人が二人。一人はいろんな意味でおなじみ八百長怪人ノーブック。もう一人は拳奴怪人パンクラチオン。
今日はパンクラチオンがこの地で始めるという人間を利用した闘技場の下見だ。目の前にはすでに着工開始した建物の土台がある。その周りに、劣悪な待遇で雇われたバイト怪人と戦闘員が作業している姿が見える。
同じ格闘系怪人という事でノーブックにも声をかけたらしいのだが、方向性の異なる催しにはあまり興味が持てていない。ぶっちゃけ、ちょっと面倒臭いと思っていた。
「……なんか鳴ってるが気にしなくていいのか?」
「いや、不定期のイベントみたいなもんで、国境以外……ここみたいな内陸部だと、ただのお知らせみたいなもんなんですわ。今日のは結構長いから、結構大規模な襲撃みたいですね、はい」
元々、南スーダンのどこからでもアクセスし易いよう、エリアのど真ん中を狙って闘技場を建設しているのだ。
厳密な意味では中心とは言えないが、こういった目玉となる建物があればすぐに怪人たちも集まってくるだろうとパンクラチオンは考えていた。
そう、どの国境からも遠いこの場所はまず襲撃対象にならないはずなのだっ!
「そうか? 俺としては嫌な予感がして仕方ないのだが」
それはノーブックが異次元レベルの理不尽さと相対してきて培われた勘のようなものである。
「不安になるのも分からないではないですけどね。その予感が銀タイツの事っていうなら、意識し過ぎな気もしますが」
「まあ、確かに奴がわざわざこんなところに出向いてくる気はしないが……」
それはそうとして、なんの脈絡もなく行動を起こし、あとから見てようやくその意味が分かるのがマスカレイドなのだ。いつも夢に出てくるほどに植え付けられた恐怖感はノーブックを達観させ、生への執着さえ希薄化させているほどだ。怪人の性質上自殺はできないので、より自身の起源ともいえる情念……プロレスへ傾倒する事になっているのだが、それはそれとしてマスカレイドは怖いのである。
「基本的に人間の奴隷同士の戦闘がメインのつもりですが、エキシビションマッチとしてノーブックさんにも参加して頂きたいと思ってます、はい」
「それは構わんが……そもそも参加者の人間は集まるのか? 先のイベントで警戒されていると思うのだが」
先のイベントとはアトランティス浮上イベントの事だ。賞品の人質は基本的に誘拐で用意されたため、同じ手口は当然警戒される。人間が簡単に対策できるものでないとしても、手口が知られている分成功率は落ちるだろう。
「確かに警戒されているのか、集まりは良くないですねぇ。まあ、最悪このエリアでマンハントすれば集められるはずなので」
「ああ、そんな広告もやってたな。マンハントツアーとか」
人間は敵だが、一方的に嬲るのが好みでないノーブックにはいまいち楽しさが分からない。せめて抵抗してくれるなら面白くなる余地もあるだろうが、この国から逃げ遅れて難民にもなれなかった人間にそんな気概を求めても無駄だろう。
そういったハントされた人間がどういう用途で使われるのかは疑問だったが、ここで使うというのなら意図も理解できなくはない。……理解できなくもない程度の事でマスカレイドの不興を買うのも嫌なので、手を出す気はないが。
曖昧極まるマスカレイドの基準だが、それは確実に境界を超えていると分かる。面倒臭い事にアレは一応ヒーローなのだ。
そういう意味では、マスカレイドに目を付けられればパンクラチオンが生き延びる可能性はゼロに等しい。大抵の怪人は容易にマスカレイドの許容値を超えるだろうが、その中でもパンクラチオンは更に悪質なのだ。小物っぽいのは見た目と言動だけである。
そんな感じで、迫りくる恐怖に気付きもしないまま、工事中の建物を見て回る二人。情報が広まりつつあるのか、ちょっとずつ周りが騒がしくなってきたが、それに気付く事もなかった。
「いやー、地下に設置されたあの立体型リングはいいな。アレならさぞかしショーも盛り上がる事だろう」
「でしょう? 私自身で設計した自慢のリングでして、はい」
二人が異変に気付いたのは、地下の施設を見学して地上に戻ってからの事だった。
「そういえば、まだアラームが鳴っているようだが。いくらなんでも長過ぎやしないか?」
「……確かに妙ですね。今日に限っては特にそんな大規模な襲撃があるとは思えないんですが」
この地を取り戻すつもりでも、明日以降に襲撃するのが普通だ。アップデート前の今日ここで暴れたところで勢力図は一切動かないのだから。
「……やばいな。嫌な予感がする」
これはマスカレイドが来ちゃったのかもしれない。目的など分かるはずもないが、他にこんな長時間の襲撃をこなせるヒーローに心当たりがなかった。
「ノーブックさんがそう言うなら避難しましょうか。高いですが、緊急帰還依頼出します?」
「頼む。俺の勘によるなら、最寄りの転送拠点まで移動する時間はない」
「どんだけですか……えーと、あれ?」
パンクラチオンのその疑問符を聞いて、一気にヤバいと確信したノーブック。しかし、何をどうすればいいのか分からない。
「……なんか、ただいま緊急帰還転送サービスは混み合ってますと」
「……ああ」
絶対にそうだ。緊急帰還サービスなど、そうそう混み合うはずがないのだ。平時の出撃に利用できない事に関しては置いておくにしても、単純に必要な怪人ポイントが多過ぎる。少なくともヒーローが連合で攻めてきたくらいでは使用されないサービスなのだ。それが混み合っているという事は、逃げ出そうとしている怪人が大量にいるという事である。
「くっ、逃げるぞ!」
「ち、地下にっ! 地下なら……」
「馬鹿っ!? こんな目立つ建物に籠もってどうするっ! パンチ一つで崩落するぞ!」
「ひぇっ!?」
対マスカレイドと考えた場合、その判断は正しい。しかし、今回に関してはノーブックの判断ミスである。地下に籠もっていれば、安全だったに違いない。
混乱し、行動を決めかねている周囲の怪人たちよりも一早く、二人はその場をあとにした。全力ダッシュである。
その直後、南の遥か地平線の向こうから迫る影があった。
「な、なんですかアレっ!?」
「知らんっ!」
巨大な整地マシンと化したその影は、大きな建物に引き寄せられるように建設中の闘技場に引き寄せられていく。判断がもう少し遅ければ、二人も飲み込まれていただろう。
「馬鹿なっ!? なんだアレは!」
分かっている。アレはマスカレイドだ。十人以上いるマスカレイドがマスカレイド・ミラージュに乗り、良く分からない網で怪人の塊を引き摺っているのだ。これまで散々マスカレイドについて調べたノーブックにはそれが分かってしまうが、目の前の光景が受け入れ難いのもまた事実。
ギリギリで避難した二人の視界の先で、怪人の塊がすべてを飲み込みつつ直進していく。その後ろには更地が広がるばかりだ。
ここに至り、パンクラチオンの言った通り地下に避難してても助かったかもしれないと思うノーブックだったが、それを口には出さない。自分の判断ミスを認めたくないわけではなく、危機がまだ去っていないからだ。それどころじゃない。
「……た、助かっ……おぶぇっ!?」
次の瞬間、目の前でパンクラチオンが爆散した。代わりとばかりにそこにいたのは、光の如き速度で移動してきたらしいマスカレイドだった。怪人の山は移動を続けて視界から消えつつあるので、これは先行していた個体だろう。……個体ってなんだという感じだが、とにかくそういう事だ。
「あれ、ノーブックじゃん、何してんの?」
「あ、ああ」
何故か町中で偶然旧友に再会したような態度のマスカレイドに対し、お前から逃げようとしているとは言えないノーブック。色々悟ってしまっているノーブックだが、目の前でパンクラチオンが爆散したのを見た直後にそんな受け答えができるほどには達観していなかった。
「な、なんだ……とうとう俺は殺されるのか?」
「え、なんで?」
「なんでと言われても……」
目の前にデコピンで自分を消滅させられる相手がいて、死を予感するのは何もおかしな事ではない。
「あんたこそ、一体何してるんだ」
「……襲撃?」
何故、疑問形なのか。自分の行動すら理解していないのだろうか。
「まさか……思いつきでやってるわけじゃあるまいな」
「うーん……そうだな。暇だったから、かな?」
少し悩むようにして答えるマスカレイド。その姿を見てノーブックは、あっ、また広告塔として利用されている、と思い至るものの、指摘をする気はなかった。何故ならば、その勘が当たっていれば、とりあえずこの場は助かるからだ。
「他の怪人に言いたい事があるなら聞くが」
「やっぱり、お前頭いいよな。じゃあ、マスカレイド安全基準法を過信しないほうがいいぞって」
「……ああ」
二手先、三手先にあるかもしれない目的の深読みはできないが、少なくとも表面的な意図は掴めた。ようは、一定以上怪人が撃破されても安心するには早いという警告だ。日本に出現しない分、他に狩りに行く"かもしれない"ぞと。
さすがにマスカレイドといえど、この場にノーブックが居合わせる事まで分かっていたとは考えづらい。これは偶然だ。偶然を利用するいつものパターンである。
「じゃ、俺まだ怪人引廻しの刑が残ってるから」
マスカレイドはそう言い残すと、ギリギリ目視可能なレベルのスピードで鳴動する山を追いかけていく。
一人残されてもしばらく緊張が続くが、とりあえず生き残ったと確信し、これからどうしようと空を見上げる。
「……真昼なのに流星が見えるな」
観測役のマスカレイドが空を飛んでいるのだ。ここが怪人の拠点でGPSが使えない問題を、自分自身で無理やりクリアしているというわけだ。そりゃ発見されるわ。
「帰ったら、またスパイダーたちがうるさく聞いてくるんだろうな……」
ノーブックは容易に予想できる今後の展開を思い、げんなりして座り込んだ。
……とりあえず、観測役と先導役含めて最低十二人に増える事ができるようになっていたとは伝えよう。
旧南スーダンエリア引廻し事件。夥しい数の犠牲者を出したマスカレイド単独の襲撃事件は幕を下ろした。
七月三十一日、現地時間正午、コンゴ民主共和国側から影分身のような何かで分裂したマスカレイド推定十二体が南スーダンに侵入。大量の怪人を網に捕獲しつつ、引き摺るようにして北上。エリアのほぼ中央を縦断する形で北部国境からスーダン共和国へと抜けていったという。
引き摺られ続けた怪人たちが内部から抵抗したかどうかについては分からないが、独自の強化が施された装備により能力・必殺技が封印されていたと推定される。
一本の線を引くようにエリアを縦断したマスカレイドは、北部国境を超える直前に全個体で《 マスカレイド・インプロージョン・メルトアウト 》を発動。その時点で生き残っていた怪人は網ごと液状化し、溶けて一つの塊になったあとに爆散した。
襲撃の目的は不明。バージョン2適用直前、いくら戦果を上げても南スーダンの奪還は叶わないこのタイミングで強襲する事は戦略上の意味を見出だせない。大量の怪人を仕留める事に成功しているものの、結果を見れば目的のはっきりしない、唐突に過ぎる行動と言えるだろう。
当然の如く、個人のという条件を付けるまでもなく撃破数の記録を更新。果たして、それを超える事が可能なのかと疑問が残る記録が打ち立てられてしまった。
元より地球上に怪人の拠点を用意する事には……それが橋頭堡であろうとも防衛上の懸念が持たれていたが、それが明確な形で問題視される事となる。
特に今回の現場、南スーダンを拠点化し、怪人の国家を設立するプランについては大きく軌道修正が求められていた。
-4-
マスカレイドという災害が過ぎ去ったあとの南スーダン。今は亡き拳奴怪人パンクラチオンが建設していた闘技場はすでに跡形もなく、地下部分の施設についてもそのほとんどが崩落していた。
すでに元がなんだったのか分からなくなった瓦礫の穴から、一人の怪人が這い上がってくる。
「くはっ! い、一体何が……なんだコレは、何が起きたんだ」
アラームが鳴っていたのは当然気付いていた。それでも、こんな中央まで影響はないだろうというその他大勢と同じ思考で作業を続けていた挫折怪人スクラップ・ハートは、突如襲来した銀の嵐の暴威に巻き込まれ、訳も分からないまま生き埋めになってしまった。
当事者にそれが奇跡的な運の良さと分かるはずもなく、ただただ呆然と何もなくなった景色を見渡す。
あれだけいた作業員が軒並みいなくなっている。死んだとしても死体の残らない怪人だから断定はできないが、この惨状で生き残りがいるとも思えなかった。
「馬鹿な……」
アラームが鳴っていた状況と照らし合わせて、これがヒーローの仕業である事は分かる。しかし、マスカレイドという超暴力装置の名前すら知らない下級怪人であるスクラップ・ハートには一体全体どうやればこんな事ができるのか皆目見当がつかない。
フラッシュバックのように蘇る記憶は、この建設現場で体験した出来事。
奴隷のような扱いで賃金は安価な労働だったが、そこには充実感があった。みんなで一つのものを作り上げるという共通体験は、そこで働く怪人たちの心の距離を縮め、半ば家族にも似た関係に至っていたのだ。それはそれとして、悪夢の労働環境を整えた拳奴怪人パンクラチオンは許さないが。
それらの良い体験、悪い体験がすべて粉々に砕け散った。おそらくはヒーローの手によって。
当然ながらヒーローは敵だ。怪人の共通認識としてそれは刷り込まれ、存在の根幹になっている。そこに強烈な憎悪が加わった。
「……許さない。許さんぞ、ヒーロー共っ!!」
こんな惨状を生み出したヒーローに復讐してやらねば収まらない。無意味に散っていた仲間の仇討ちでもあるが、それ以上に自身の魂が叫んでいた。たとえ、相手がどんな奴だろうが、追い詰めて後悔させてやると。
挫折怪人スクラップ・ハートは奴隷のような待遇で働かされていた事からも分かるように、超弱小の怪人だ。ヒーローと戦えるような力は持たない。しかし、同名の能力である《 スクラップ・ハート 》は、挫折体験から立ち上がるほどに、その体験を克服すべく自身を強化していく。それが今分かった。
今は弱くとも、いずれ届かせてみせる。怨念の如き挫折感で以て、復讐を遂げるのだ。
……今、ここに一人の復讐鬼が誕生した。
「……まずは情報収集だな。目標がどんな奴かも分からずに意気込んだところで話にもならない」
全体の被害は分からないが、目の前に見える被害だけでも甚大だ。開拓地の出来事で、しかも下級怪人の権限しかなくとも概要くらいは確認できるだろうと、自身の情報端末で確認する。
自身がボロボロなのに一切壊れる様子のない携帯端末では、一目で分かるようなトップニュースとしてこの事件が扱われていた。それを巻き起こした犯人……マスカレイドの概要までも。
復讐対象の名を知り、補足情報でそいつが一体どんな事をしたのかの正体を知る。
「…………」
その詳細情報は、復讐に燃えていた下級怪人の心を容易く粉々にし、あるいは一線級のヒーローさえ超えるかもしれなかった怪人の誕生を阻止する事となった。
……今、ここで一人の復讐鬼が、特に何かをする前に膝を折り、復讐を諦めたのだ!
「……いや、無理だから」
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