第三章『鳴動の惑星』

Prologue「接触」




 世界の常識はいとも簡単に覆される。

 昨日の常識は今日の非常識。半世紀前の人間に昨今のネット社会を理解できないように、表面上は大した違いがなくとも世界の常識は塗り替えられてきた。特にこの数ヶ月はそれを見せつけられる形になったと言えるだろう。

 怪人の出現。ヒーローの出現。人間には再現不可能な事件が世界規模で発生し、新しい大陸が浮上し、軌道上に謎の宇宙ステーションが陣取っていても、表面上は大して変わる事はなく日常は続いていく。

 しかし、変化は日常の片隅に当たり前のように存在し、常識として一体化していくのだ。そうやって、人間は順応していく。

 もちろん適応できない者も多い。時流に乗れない者が淘汰されるのはこれまでもあった事だが、それが顕著になった。そんな事はあり得ないと否定しようが、現実にそれは目の前にあるのだから受け入れるしかないのに。



 長谷川悠司。現在身元確認が可能な中で、日本政府から最も重要視されている男。警護の意味もあるが、彼の行動は二桁以上の人員によって常時監視されている。

 異常なまでの頻度で銀行強盗に遭遇するという妙なジンクスは持っているが、それを除けば特筆すべき点はなく、そこそこ優秀という程度の存在だ。そのジンクスにしても、調査結果を見れば犯人グループや関連組織との繋がりもなく、完全にシロ。そもそも、それぞれ強盗事件同士も繋がりはない。ただ単に銀行強盗という固有のイベントに遭遇し易い運の悪いだけの男といえる。

 彼がこうして厳重な監視態勢に置かれているのは、遭遇した銀行強盗事件でヒーローと接触した事による。怪人出現以降、唯一日本で目撃された銀タイツのヒーローとの継続的な関係性が理由だ。

 強盗事件当時はそこまでの優先度ではなかった。世界同時爆弾テロ事件の直後とはいえ、ヒーローも怪人もはっきりと認知されていたとは言い難い世情だったからだ。強盗事件を起こしたテログループのほうに注意が向いていた事も大きく、警察でも常識的な範疇でしか聞き取り調査は行われていない。

 その後、銀行を退職し再就職活動の最中ヒーロー事件の痕跡を追うようになった……までは良いにしても、その中で唐突にヒーローと接触している形跡が現れた。

 今では謎のペーパーカンパニーに転職し、営業の肩書きで諜報の真似事のような活動に従事している。隠す気のないあからさまな行動だ。活動実績のない会社から多額の給料をもらい、日本中を飛び回り、営業先に向かう事もなく、各地のセーフハウスと思われるマンションで過ごす。そんな営業や諜報員がいてたまるかという話である。

 所属している企業も実体がないというだけで違法性はなく、不透明ではあっても限りなくクリーンと言えるような金しか動いていない。額だって、個人にしては大きいものの、そこまでの額ではないのだ。

 違法・合法を問わず、いくらでもある看板しかない企業に関しては問題ではない。たとえ違法だったとしても突くような穴ではない。問題は、その背後にいる存在がまったく掴めないという事。気持ち悪いほどに洗浄され、一切の尻尾を掴めないのは異常というより他はない。あまりに正体不明過ぎて、それが接触を持つヒーローと同じラインにいる存在なのかも分からない。

 公的機関のサイバー担当は匙を投げた。もちろん真正面から手が出ないとは言わないものの、調査が進展する見込みすらない状況だ。

 彼を拘束する理由や手段はいくらでもある。超法規的措置をとる事だって可能だ。我々の所属はそれが許されている。

 しかし、その手はとれない。正直なところを言ってしまえば、長谷川がなんらかの犯罪に手を染めていたとしても、その方向から接触する事はなかっただろうし、シロならなおさらだ。できるのはこうして監視・警護を続けるだけで、政府以外の組織にそれを許すわけにもいかない。だから、監視であり警護なのだ。実際、警護の面では結構仕事をしているのである。先日も、様子を探っていたお隣の国の工作員を補導したばかりだ。


 政府の上層部は、藪をつついて蛇を出す事を最大限に警戒している。面倒な手順も、対策本部設立当初、担当者によって捩じ込まれたという事もあるが、現時点でそれは正解だったと確信しているほどだ。

 不毛な監視。意味不明なほどにデジタルを排除した前時代的な報告。不便極まる上に、それに意味があるのか分からない。今だって、対象の自宅を監視している人員は電子機器を使っていない。昭和の刑事ドラマだってもう少しマシな張り込みをしているだろう。直接接触はおろか、盗聴器やGPSもアウト。携帯通信端末もトランシーバーでさえ禁止。こんな杜撰な監視では大した情報は集められない。

 我々がその手のプロでないというのも問題がある。完全な素人よりはマシだろうが、自衛隊や警察から集められたメンバーであって、専門の諜報員ではないのだ。

 おそらく対象も監視に気付いている。素人だろうが、これだけあからさまなら気付かないはずはない。逆に、接触を誘われていると感じる行動も多い。

 とはいえ容易に動く事はできない。上から許可が降りないというのもあるが、どんな反応があるのかまったく想像できないのだ。人的被害には目を瞑れても、国家の存亡がかかっているともなれば慎重にならざるを得ない。誰だって破滅のトリガーは引きたくない。

 監視だけで動けない日々が続く。対象も、少しずつ嫌気が差しているのが分かった。


 そんな中で起きたのが新大陸の出現、そしてあの騒動だ。あまりの変化に動かざるを得ない状況に追い込まれた。これ以上後手に回るのは致命傷になりかねない。

 そう考えたのは対象も同じだったのか、幸いな事に接触があったのは長谷川悠司からだった。


「すいませんね、いつも。あ、これ差し入れです」


 それは極自然で不自然極まる接触だった。ある日唐突に、監視員の一人の背後に現れて缶コーヒーを差し出してきたのだ。自宅から出た様子のない対象がだ。

 監視員はパニックになった。当たり前だが、監視している事は伏せる必要があるのだから、ここは無関係を装うべきなのだ。しかし、馬鹿正直に缶を受け取ってしまった。もし、対象に攻撃の意思があったなら致命的だっただろう失態である。

 一体どうやったのか見当もつかない。どうやれば、厳重に包囲された監視網をくぐり抜けて、一切反応できない距離まで近づけるのか。相手は素人で、こちらは本職という驕り以前の問題だ。


「ちょっと、世情的に切羽詰ってきたんで、話し合う必要が出てきましてね。上司の方に繋ぎをとって頂けますか?」


 回答はいらない。接触してきた事実だけで動かざるを得ない。長谷川もそれが分かっているのか、何も聞かずにそのまま去っていた。当たり前のように自分の自宅へと。

 監視員が正気に戻ったのは、無意識の内に何が仕込まれているか分からない缶コーヒーを開けて一口飲んでしまったあとの事だった。

 ……まあ、かくいう俺の事なんだが。


「……温い」


 缶コーヒーは常温だった。




-1-




 ノートパソコンにデータを打ち込みつつ、リアルタイムで送られてくる情報を確認する。そこには今現在私を監視している者たちの詳細が事細かに表示されている。

 監視員のプロフィール一覧に始まり、組織図、命令系統、人材の出向元と辞令の内容、各家族の構成や趣味嗜好に至るまで。

 こうして情報が送られてくるのは今に始まった事ではないが、何版にも更新が重ねられた一覧は情報量が増え過ぎて、一見しただけでは用途不明な情報の羅列にしか見えない。特に最近では監視元の危機感が高まったのか、あの大陸浮上以前と以降で倍ほどにも情報量が増えている。私だけでなく、協力者であるカルロス……アリーレザーに付いている監視も相当に厳重なものになっているらしい。

 便宜上、私を監視している組織は< 怪人被害対策本部特殊対策室 >と呼ばれている。< 怪人被害対策本部 >自体は防衛省の直轄として存在しているが、その中に< 特殊対策室 >なる組織は存在しない。コレは表向きどこの組織にも属さない、そもそも存在すらしていないはずの組織だ。

 この組織の主体は防衛省ではなく、内閣情報調査室。表向き活動している対策本部と直接の関わりはなく、命令系統も別。つまり特殊対策室までを含めた呼称の別組織といえるだろう。

 内閣情報調査室の大田和義という人間が、この対策室の実質的なトップだ。組織の人員は自衛隊、公安を含む警察、何人かの外部協力者で構成されている。何人かは戸籍が存在しない者すらいた。

 外国勢力が接触してきてもおかしくない中、そういった輩も彼らによって完全に排除されている。スパイ天国な日本にあって、異常なまでに厳重な監視、そして警護の態勢だ。監視されているマイナスもあるが、実は警護されている面を含めればプラスなのかもしれないと最近は思い始めている。ミナミの報告書で上がってくる、排除された外部諜報員の数はそれほどまでに多い。


 ミナミ曰く、この対応は極めて優秀らしい。監視されている私自身から表面的に見えている部分だけでも優秀だが、何よりもその組織統制が上手くいっている点が評価対象らしい。

 早期にこちらの情報収集能力を把握・警戒した上で、徹底してアナログで指令を出し、情報を管理した上で現場の人間が迂闊な行動をとらないよう統制が効いている。公的機関の不祥事など珍しくもない昨今でも、優秀な人員はいるところにはいるという事なのだろう。

 ただ、必要以上に慎重過ぎる点はマイナス評価だそうだ。こちらは向こうからの接触を待っていたからというのもあるが。


 とはいえ、その優秀さが通用するのはあくまで普通の人間相手だ。ここまで散々実感させられてきたが、ミナミの情報網から逃れられるものではない。

 詳細は聞いていないが、完全な非公開情報どころかアナログな情報まで把握している以上、現代の科学ではまず対抗できないと考えたほうがいいだろう。今見ているこの情報だって、ネットワーク上には存在しないものばかりらしい。

 ミナミ本人の力なのか、あるいはマスカレイドさんの力なのか分からないが、この問答無用の情報掌握能力は反則極まるだろう。対策本部の内部事情まで丸裸だ。

 厳密なセキュリティー管理の下、極限まで情報伝達を削ぎ落とし、ほぼアナログのみでやり取りを行う彼らだが、そんな彼らのほぼすべての情報を把握しているこちらとしては申し訳ない気持ちになってくる。はっきりと恩恵を受けている身だが、ミナミがどうやってこの情報網を作り上げているか想像もつかない。

 手段もそうだが、ミナミ自身も正体不明な上にミナミが何人であるかも謎だ。一体、どれほどの規模でミナミが構成されていればこんな事ができるのか。私と接触しているミナミは個人だろうが、"少なくともその一人だけではないという事は判明している"。

 そして、この諜報能力はおそらくヒーロー陣営共通のものではない。マスカレイドさん以外のヒーローについてはある程度の情報は出回っているのが分かるのだ。これは、この陣営……日本担当ヒーロー特有のものなのだろうと思う。

 今使っているノートパソコンもそうだ。これはミナミが用意した備品なのだが、ネットワークに繋げられるのに送受信問わず一切のパケットを検知できないという摩訶不思議なシロモノなのである。IPアドレスすら取得していない。ネットワーク上に一切の痕跡を残さないのが如何に強力なものであるかは専門外の私にだって容易に理解できる。ただし、痕跡を残さない事は分かってしまうので、掲示板の書き込みや通信販売の利用などは極力避けたほうがいいという注意ももらっている。確かに、アクセスログに何も残っていないのにデータが処理されているのは不自然だ。

 ここまで極まっていると、手が届き難い部分の情報を収集するという名目で雇われた私やカルロスのような現場要員も、本当に必要なのかどうか気になるところだ。扱っている問題が世界規模なだけに、迷彩や囮として使われているというのでも気にしたりはしないが。簡単に思いつく理由としては、アナログの情報収集に別途コストが発生していて、費用対効果を見れば我々のほうが安い、とかだろうか。


 必要性に疑問は残るものの、私の役割は重要だ。ヒーロー……いや、マスカレイド陣営にとってはどれほどのものかは判断できないが、少なくとも日本という単位で見れば国家存亡にも関わりかねない重要性だろう。

 ここまで事態が大きくなれば、国家権力なり非合法的な暴力なりで私とコンタクトをとりたくなるところだろうに、特殊対策班の行動は自制されている。間違っても大雑把な手はとれないと、極めて慎重だ。

 元々、私の立場としては彼らの接触を待つというスタンスで動いていた。接触し易い状況は作り出すものの、こちらからは決して動かない。ミナミからの指令通りのスタンスを貫きつつ、依頼されていた情報収集を続ける生活が半年以上続いたが、先日その指令が覆った。……とうとう、国家相手の窓口として矢面に立たされる時がきたのだ。


 理由は先日の新大陸浮上……ではない。それも無関係とは言わないが、本命は先日行われたというヒーロートーナメントというイベントだ。

 世界中のヒーローの代表が集まり、バトルトーナメントを開催したらしいのだが、動画を見せてもらった私としては混乱するしかなかった。まだまだヒーローの世情やルールに関しての情報が足りないのか、そうやって集まれる土壌があるとは思ってなかったからだ。とはいえ、ヒーローが最強決定戦のような事をしているのは別に構わないのだ。……問題はその観客である。

 動画に写っていないが、観客席として用意された部屋では世界の名だたる著名人が試合を観戦したのだという。その中には日本の要人も含まれていた。画像がないから直接の比較はできないが、マスカレイドさんが直接確認できただけでも内閣総理大臣や複数人の閣僚、警察や自衛隊の高官がいたらしい。その事実、そこから懸念される問題を考慮して、私から接触すべきと判断されたというわけだ。

 最大の問題は、その時要人たちの手に渡ったと思われる物品である。こんなもの、どう考えても動かざるを得ない。


「当日のスケジュールと照らし合わせて、出席していた可能性の高い要人をピックアップしています」

「政府の要人はもちろんだが……富豪や実業家の類が厄介だな」


 横から渡された紙資料には、私でさえ知っている名前がズラリと並んでいた。知らない名前も、併記された肩書きを見ればその厄介さも分かる。

 楽観視はできないが、ある程度でも世論に縛られる政治家はまだマシだ。知名度や人気に縛られない存在は危険極まる。嫌われても金持ちは金持ちというわけだ。

 その政治家にしても、選挙結果で国の方針が大きく変わったりしたら大問題だ。つまり、トーナメント観戦者は揃いも揃って厄介。渡ってはいけないところを選んで、渡してはいけないモノを渡されたというわけである。

 おかげで、慎重に慎重を重ねてきた特殊対策室にも激震が走っている。放っておいたら内部崩壊しかねない状況では、こちらから手柄と実績を手渡す必要があった。


 このあと面会する予定の人物は、特殊対策室所属の男だ。名前は近藤一樹。トップの大田和義が自ら乗り込んでくる事を想定していたのだが、直前になって若手ともいえる彼が抜擢された。もちろん抜擢の経緯は把握している。

 セッティングしたのは埼玉県にあるマンションの一室。別段目立った特徴はないが、セキュリティが充実したちょっと高級な物件という感じの部屋だ。値段もワンランク上で、一般庶民が借りるにはちょっと抵抗のある金額設定になっている。もちろん私が個人的に借りている部屋ではなく、ミナミの用意したセーフハウスの一つである。

 生活する事を目的にしていない家具の配置は、訪れた者に違和感を感じさせるだろう。念のためと、前日から泊まり込みに来た私は寝具が存在しない事に愕然とし、リビングのソファで寝る羽目になってしまった。


 指定した時間の一時間前。マンション地下の駐車場に一台の車が入ってきたのを監視カメラが捉えた。それに対象の人物……近藤一樹が乗っている事は調べがついている。なんなら、出発以前から把握していた。

 すべてを把握しているわけではないが、それ以外にも付近に複数の車両が陣取っているのも筒抜けである。どうやって把握しているかはさっぱりだが、きっと聞いても分からないだろう。

 直前の人員変更はあったものの、以前からの慎重さは変わらず、いざ接触する段になってからは変な横槍も入らなかったのか、ここに向かっているのは対象一人だけ。秘書や護衛もなしだ。


「やっぱり出迎えたほうがいいのかね。下手に謙るのも問題なんだよな」


 代理の若手ではあるが、相手は私がこれまで近寄る機会すらなかったような存在である。銀行で手続きする場合は代行が訪れるし、もし本人が来たら支店長が応接室で担当するような相手だ。


「完全に上位というわけでもありませんが、元々の立場に縛られる必要もないでしょう。出迎えは私が」

「……お願いしてもいいかな。いきなり君が現れたら度肝を抜かれるかもしれないけど、そっちのほうが都合がいいかもしれない」

「畏まりました」


 向こうさんにしてみれば、鬼が出るか蛇が出るか分からない未知の相手との交渉だ。窓口が私という事が分かっていても、その後ろにいる存在を考えるなら警戒はいくらしても足りない。そんなところに一人で乗り込んで来るのだ。立場上、慣れてはいるのだろうが、不安を感じていて当然な状況である。

 なんせ、事は自分一人の問題に収まらない。それどころか本来の所属である内閣情報調査室や政府を飛び越えて、日本という国まで波及する可能性のある問題だ。こちら側だから呑気に構えてられるが、私だったら間違っても矢面に立ちたくない。同情すら覚える。

 そんな中、いざ一人で乗り込もうという段になって、彼女が案内として現れたら混乱するだろう。なんせ、メイドさんである。


 ……うん、監視カメラの映像を見ても、案の定困惑が隠せていない。平静を装おうとはしているが、あきらかに場違いな存在に混乱している。まあ、こちらは交渉の素人なのだから大目に見て欲しい。




-2-




「本日はお招き頂き、ありがとうございます」


 ウチのメイドさんに招かれて、見ただけで高級と分かるスーツの男が部屋に入ってきた。

 若いとはいえ、それはそういう業界故の事、私よりはかなり年上だ。立場的に交渉の場数は踏んでいるだろうに、その表情は固い。


「基本的に窓口は私だけなので、体裁を整える必要はありませんよ」

「と言われても、立場上砕けた対応というのも……」

「私自体はただの元銀行マンで、今はアパレル営業です。裏にいるのはとんでもない存在ですが、窓口まで気を使ってもしょうがないでしょう」

「……判断に困りますね」


 チラリと、男の視線がここまで案内をしてきたメイドに向けられていた。謎の存在に不信感を抱いているのだろう。


「ああ、彼女は私と同じような立場とお考え下さい。……探り合いをしてても埒が明きませんし、とりあえず自己紹介から始めましょうか。ご存じでしょうが、私、こういう者です」


 日本のサラリーマン的に名刺交換から始める事にした。私の名刺はいつものアパレル会社営業のものである。

 私相手に誤魔化すのは得策でないと判断したのか、近藤さんも普段利用している偽名のものではなく、本来の所属のものを出してきた。内閣情報調査室のものだ。ここに至るまで一度たりとも使われていないはずの名刺である。


「それで彼女ですが……」

「シルバーとお呼び下さい」


 あきらかな偽名を名乗り、ロングスカートを摘んで会釈。実に優雅なメイドスタイルである。これでミニスカートだったら、メイド喫茶だ。


「彼女は私のサブと考えて下さい。基本的に窓口は私が担当しますが、なんらかの事情で対応できない場合は彼女が窓口を務めます」

「は、はあ……つまり、関係者と」

「はい。ヒーロー側から用意された出向のようなものですね。……ああ、人間じゃありません」


 私の言葉に、近藤さんが反応したのが分かった。

 そう、彼女は人間ではない。呼称はシルバー。実際のコードネームはシルバー03。本来の名前はプラタという。どれもマスカレイドさんを連想させる銀色の呼称で、髪こそ金髪だが、その瞳は銀と自然ではあり得ない色をしている。合わせているのか、小物類にも銀色が多い。

 言ったように、彼女はマスカレイドさんから用意されたサブ要員だ。私の活動補助の他、何かがあった時の代理を務めるためにこうして出向してきている。何故メイドなのか分からないが、そういうものという事で詳しくは聞いていない。

 派遣されたタイミング的にこの会談の監視役も兼ねていると考えたほうがいいだろう。


「……それで、今日はどんなお話でしょうか。色々と隠す気はないようですが」

「まあ、その前にお茶でも用意してもらいましょう。前提となる情報も不足しているでしょうし」

「はあ……」


 なのでというわけではないがシルバーにお茶の用意を頼み、残った二人で緊張を解すための歓談を始める。


「まず、私の立場ですが、ご想像の通りヒーロー陣営に雇われています。と言っても雇い主はマスカレイドというヒーロー個人であって、それ以外のヒーロー組織については関与していません」

「マスカレイドというのが……その……銀色の? 確かTV局の騒動の時にその名前が」

「はい。日本担当らしいですね。過去にこの国で発生した怪人事件のほとんどは、彼が解決しています」


 すべてではない。私がすべての事例を知らないという事もあるが、知っている中でもだ。


「彼らは世界各国でエリアを区切り、担当を受け持っています。アメリカや中国は州や省単位で分かれているようですが、日本は日本単独で一つのエリアのようです。その担当ですね」

「ヒーロー……怪人もそうですが、彼らは何者なんでしょうか」

「分かりません」


 それが肝心なところだろうと言いたそうな顔をしているが、残念ながらそれは私も知らないのだ。私は良く分からない存在に雇われている。


「ヒーローについてはっきりしているのは、怪人のカウンター的存在という事ですね。正体が宇宙人なのか、異世界人なのか、または創作にあるように人間が変身しているのか分かりません。向こうから明かしてこないという事は必要がないという事でしょうから、私も探る事はしません」

「役割だけ認識すればいいと? 政府はともかく、国民はその回答で納得する気はしませんが」

「と言っても、事実知りませんからね。国民の矢面に立つだろう政府の立場としては苦しいかもしれませんが」


 これが、明確に変身した日本人という事であれば政府としてはやり易いだろう。正体不明というよりは管理下に置き易くなる。少なくとも制御する糸口にはなるだろう。

 個人的な推察をするなら、彼らは人間に似せられた何かだと思っている。マスカレイドさんもだが、少なくともミナミはそうじゃないだろうかと。垣間に見せる人間っぽさは、それらしく見せるためのものじゃないかと。……同じ人間として見るのは、どうしても違和感が拭えないのだ。


「ただ、ヒーローすべてがそうとは限りません。最低でも一人……南スーダン担当だったというヒーローは元人間のはずです」

「……やはり」

「家族を人質に取られていたらしいですからね。そういう形に偽装されたとも考える事は可能ですが、それで国家が転覆してるんですから」

「南スーダン共和国はまだ国として存在していますが」

「……名目上はでしょ? 友人のカルロスが現地に向かいましたが、想像以上にひどい状況だとか」


 現在、入国手段は存在せず、国境は封鎖されている。カルロスも北スーダンから望遠鏡で覗いた程度だが、そんな距離でも怪人が目撃できるのだ。とんでもない危険地帯である。

 元々、不安定な国なのだ。国外に逃げる者も多く、行政サービスは行き届いていない。アフリカ全部に広がる問題だが、民族、氏族間の衝突が激し過ぎて火薬庫のような状態になっている。AUなんて形だけで、パン・アフリカニズムなんて夢物語である。北スーダンだってクーデターが発生したばかりだ。

 元々不安定なところを怪人に付け込まれたのか、あるいは怪人など関係なくとも崩壊していたのか、詳細にはついては分からない。確実なのは、不安定な基盤にトドメを刺されたという事でしかない。


「そちらが考えている以上にこちらの手は長い。もちろん私ではなくウチの陣営という意味ですが、たいていの事は把握していると思ってもらっていいかと。薄々感じているかもしれませんが、あなた方の組織についても丸裸だ。そういう認識のほうが間違いがなくていい」

「……偽装は無駄だったと?」

「デジタル排除の徹底は高く評価してましたが、ちょっと相手が悪い。どうやってるのか分かりませんが、彼らに隠し事は不可能と考えたほうがいいでしょう」

「と言ってもあなたは、その……ヒーロー陣営の情報収集役では? 契約しているアルゼンチンの方も」

「一応そういう事になってますが、どこまで意味があるのやら。……本来私に期待されているのは、こういった対外窓口だけって事もあり得ます」


 ミナミは新大陸事件に繋がる誘拐について知らなかったと言っていたが、それもどこまで本当か。もしあの時点で把握してなくても、調査は可能だっただろう。彼らにとって些事過ぎたというだけかもしれない。


「私の役目は人間社会に対する窓口、ご意見番、あるいはカナリアといったところです。私という一人の人間を通して、社会の動向を観察しているに過ぎない」

「何故、長谷川さんなんです? 調べても、あなたにそういった事に携わった過去はない」

「単に巡り合わせでしょうね。私である必要はなかったと思います。ただ、国や特定の団体に強く紐付いている……たとえば近藤さんのような方は避けていたと思いますけど」

「やはり、国の管理下に置かれる気はないという事ですか」

「はい。私の見解も含みますが、ヒーローは政府の元で動くよりも個人で動いたほうが、結果的に被害は少なくて済むかと。仮に管理下に置けたとしても、報酬を要求しないヒーローに対して、どうコントロールするかも問題です」


 そんな事は分かっているだろうが、こうしてはっきりと口にした事に意味がある。


「ヒーローという名前で誤解しがちですが、彼らは正義の味方ではなく怪人の敵です。そして怪人は人間の敵。我々はついでに助けてもらっていると考えるのが無難でしょう」

「必ずしも人間の味方ではないと?」

「ヒーローによるんでしょうが、人間や社会に被害が出る事は良しとしない傾向はあります。単純に怪人に襲われる人間がいれば助けるでしょう。ですが、それ自体が目的ではないという事です。善性の存在であっても盲信は危険だ」

「…………」

「直接は知りませんが、南スーダンのヒーローは正義感に溢れる若者だったようですよ」


 そこを権力者に付け込まれた。その結果がアレだ。度し難い人間の悪癖である。


「まあ、悲観的に捉える事はないと思います。こうして窓口は存在しているし、会話の意思もある。協力関係にあると思えばいい」

「政府が協力するなら、悪いようにはしないと」

「いえ、政府ではなく人間社会です。良からぬ事を考える権力者は現れるので、それを抑えるのは政府の役目です。……覚えがあるんじゃないですか?」


 そう言うと、近藤さんは苦虫を噛むような表情を見せた。……こういうところはまだ若手って事か。おそらく、予定されていた大田和義なら顔に出す事はなかっただろう。


「長くなりましたが、ここまでが前置きです。お茶も用意できたようですし、一服して本題に入りましょうか。なんなら一度席を外しても構いません。全権委任されたというわけでもないでしょうし」

「一度報告を上げても?」

「はい。ここは電波が届かないので、一度外に出る必要がありますが」


 この部屋は電波が遮断されている。内部で録音・録画する分には問題ないが、どういうわけだか無線はおろか有線でも盗聴器の類は無効化されてしまうのだ。窓の振動を利用して音を拾う事すらできない。材質は普通なのに摩訶不思議である。

 ……やはり、トップが来るべきだっただろうな。仕方ない面もあるとはいえ、土壇場で日和ったのは頂けない。私としては話がし易くなったが、人類の事を考えるなら強行すべきだったんじゃないだろうか。とはいえ、印象を除けば誤差みたいなもんだ。


 その後、思ったよりも時間をかけて報告を済ませてから、近藤さんは部屋に戻ってきた。お茶は冷めてしまったので淹れ直しだ。




-3-




「随分長かったですね」

「……すいません。ちょっと色々ありまして」

「いや、近藤さんが無茶ぶりされているのは把握してるのでお気になさらず」

「……ちなみに、どの程度把握されているんでしょうか」


 それを相手に聞くのかという感じの質問ではあるが、別にそれでどうこうという話にする気はない。彼が苦しい立場というのは知っているのだ。


「今回あなたを抜擢した方は結構な学閥主義者らしいですが、さすがに私たちの関係で通用すると考えるのは無茶かと」

「……ですよね。藁にもすがる思いなんでしょうが」


 別に学閥自体を否定する気はない。それが有効的な場もあるだろう。しかし、さすがに今回のケースは無茶だ。この場にそんなものを持ち込むなという意味ではなく、それを学閥とは言わないという意味である。……実を言えば、近藤さんと私は出身校が同じなのだが、それは大学ではなく高校の事なのだ。


「大学でもそうですが、単に高校が同じだったからといって、それを学閥と同じように扱うのは無理があるでしょう。そんな事で対応を変えたりはしませんが、意味があるかと言われるとちょっと……」


 確かに私と近藤さんは世代は違えど同じ高校の出身ではあるが、それはほぼ無関係と言っているのに等しい。せいぜい、同郷のネタで話題ができる程度のものでしかないだろう。

 私の出身大学はそう大したところでもないし、こんなところに来る人間が卒業生にいるわけもないから苦肉の策とでも言うのだろうか。あまり状況を把握していない人らしいので、単純に先輩としてマウント取り易いだろうと考えたって事かもしれない。


「欲が出てしまったという事でしょうかね」

「一応、名前は伏せますが、元々ヒーローに関して中立だった先生の一人が一転して立ち位置を変えました。これまで積極的に関わってこなかった方というのもあって、こんな無茶な事に……」

「……仕方ない面があるのも確かですし、そこは同じ人間として共感はできるんですがね」


 そう、心情的な面で見れば仕方ないと言わざるを得ない。誰だって、同じ状況なら権力を行使し始めるだろう。


「それが今日の本題です。持ってきてますよね? 例のカタログ」

「……はい」


 ヒーロートーナメントで出席者に配布されたという謎のカタログが、今回強引に話を進めざるを得なくなった原因だ。使えるかはともかく数だけは結構あるので、持ち出す事も可能だったらしい。


「実をいうと、それそのものはまだ目を通してないので拝見しても?」

「はい、どうぞ。該当の商品ページに付箋を貼ってあります」


 渡された冊子は良く見かけるギフトカタログのようなものだ。これ自体に備わった謎の機能も問題だが、それ以上にこのカタログで購入できる物品がヤバ過ぎる。


「発端となったのは、この< 癌細胞非活性化剤 >です。これを末期癌の患者に投与した事で事態が急変……改善しました。件の先生は身内に患者がいるので」


 単純に癌治療を行う薬もラインナップされているが、これはそれより効果の劣るもので、癌細胞を非活性化させて増殖を止めるものでしかない。

 それでも、ただ錠剤を服用するだけで癌の進行が収まるのだ。今の人類から見れば奇跡の薬だろう。

 病気の身内がいて、それを治す手段が目の前にあれば手を出したくなっても心情的に批難はし難い。


「なるほど……これは確かに問題だな」


 それはカタログの中でもせいぜい一ページ分の問題でしかない。そんな劇物が数百ページに渡って並んでいるのである。いくら金を積んでも手に入れたいモノが目の前にあるとなれば、無関心だった権力者が手の平返すのも当然だ。これが世界中の要人の手に渡っているとなれば、間違いなく世界が揺れる。ある意味、新大陸以上に深刻な問題だ。


「これをどうにか使えるようにしろとお達しを受けているのが、今の私の立場です。叶う事なら現物、最低でも購入可能なポイントを手に入れる手段を探れと」


 こちらが調べた限り、このカタログはポイント制だ。日本全体に割り振られる全体ポイントとカタログ自体に割り振られる個別ポイントに分かれているらしく、そのポイントを使用して商品を購入できる。

 実はヒーローも似たようなものを持っているらしいが、このカタログの購入ボタンを直接押すだけでその場に商品が現れるという超未来的な通販である。


「薬の購入に使ったポイントはトーナメントで?」

「はい。詳細までは分かりませんが、どういうわけか日本だけは優勝国……ロシアの半額を無条件で付与されたようで、そこから」


 トーナメントの勝敗と順位を予想し、当てた場合はポイントが付与されるという余興だ。上位三位までのヒーローが所属している国にも無条件で付与されたのだが、日本は無条件でボーナスが追加されている。


「その原因は、マスカレイドさんが強過ぎて出場禁止になったからでしょうね。出場イコール優勝が決まっているようなものなので」

「ヒーロー間の差は良く分かりませんが、日本担当のヒーローはそれほど隔絶していると?」

「正確に把握しているわけではありませんが、群を抜いてトップというのは確実って話です。因果関係があるかどうかは分かりませんが、日本担当は彼一人という問題も抱えてますが」

「一人……」


 そこは把握していなかったらしい。調べれば日本でマスカレイドさんしか目撃されていない事は分かるだろうが、そこまでは思い至らないか。


「今後どうなるかは分かりませんが、今は一人です。彼が負けると、日本は怪人被害に対する防波堤を失う。その窓口担当である我々も重要性が増すというものですね。実に胃が痛くなる」

「いえその……先ほども言ったように、私は今回に限り強引に捩じ込まれたようなものでして」

「残念ながら、さきほど席を立った時に連絡がありました。政府側の窓口はあなたに固定すると」

「……は?」


 この場も監視しているだろうミナミからのお達しである。


「専用の通信端末も用意しました。連絡の際はこちらを使って……」

「ちょっ!? ちょ、ちょっと待って下さい!」


 さすがに平静を保てなかったのか、相手の反応を待たずスマホに良く似た通信端末を出した私にストップをかけてきた。


「え、えーとその、担当は持ち帰った上で検討してですね」

「これは決定事項です。政権が変わったり、与党内や官公庁内部の派閥変更で窓口を変える気はないというのが前提にありますが、運がなかったと諦めて下さい」

「そんな馬鹿な……」


 近藤さんとしては、重責とはいえ、今回の顔繋ぎをこなせば矢面からは逃れられると思っていたのだろう。しかし、そんなグダグダな対応は許さないと言わんばかりに通達された。私にこれを覆す権限も理由もない。……正直なところ、横槍が入ったとはいえギリギリで日和った大田和義の評価は下がっている。ならばやり易そうな彼を窓口にするのは悪い選択肢ではない。政府内の立場など、こちらにはあまり関係はないのだ。


「一気に日本政府内で重要な立場になりましたね。これで、あなたを排除する事は不可能になった」

「それを周囲に納得させるのは無理があるような気が……」

「そこは頑張って下さい……と言いたいところですが、こちらから押し付けたようなものなのでバックアップはします」

「……バックアップというと」


 いくら私より年上で場数を踏んでいるとはいえ、まだ若手の彼に難題だけを吹っかけるつもりはない。ミナミもそれを見越した武器を用意している。

 馬鹿みたいに強力な武器だ。


「まずはこの通信機ですね。ただのスマホにしか見えないでしょうが、これはあなた自身と追加登録するサブにしか利用できないようになっています。通話内容を含め、セキュリティ機能もバッチリ。私に連絡する際はこちらを使用して下さい」

「…………」

「なんと戦車砲の直撃にも耐える仕様なので、胸ポケットに入れておくと安心」

「安心できるかっ!? ……いえ、すいません、つい」


 いい感じに砕けてくれて助かります。でも重要なんです。知っているだろうが、断続的に投入されてくる海外の工作員は武器を携帯しているケースが多い。


「そして……シルバー」

「はい、こちらを」

「なんですか、それ。……タイツ?」


 ウチのメイドさんの手にはいつの間にやらハンガーにかけられた全身タイツがあった。首までのやつだ。


「インナーとして使って下さい。私も使ってるんですが、ヒーロー用のスーツらしいです。劣化品なので最低限の機能しかありませんが、これを着ていれば対人戦ならまず間違いなく生き残れます」

「は?」

「頭を覆う部分はありませんが、何故か頭部も含めて頑丈になります。さすがにヒーローや怪人の攻撃には耐えられませんが、防弾ジャケットよりよっほど優秀です」


 環境変化にも強く、汚れもしない。全身タイツという奇抜さを無視すれば万能な装備といえる。


「は?」


 混乱の極みにあるようだが、止める気はなかった。


「その他にも色々支給されますが、目玉はコレ。四十四回分の< 癌細胞非活性化剤 >です」

「……正気ですか?」

「なんなら追加もアリですし、コレ以外も交渉は受け付けます。もちろん、支給するための窓口は近藤さん固定ですが」

「……冗談でしょ」


 一回分ですら巨万の富が動きそうなものを瓶ごと贈呈だ。これを使って立場を確立して欲しい。


「残念ながらマジです。日本の未来はあなたの肩に乗っかりました。一緒に頑張りましょう」


 とはいえ、日本の未来が肩に乗っかっているのは私も同様だ。道連れともいう。

 ……これで彼の出世ルートは完全に真っ当なものから外れただろう。ある意味それ以上の出世コースになるだろうが、リスクも激増だ。おそらく平穏な生活からは遠ざかる。ある意味一人の人生をぶっ壊したようなものだが、そんな組織に所属してるんだからそれくらいは飲み込んでもらう。それくらい重要な話だと身を以て理解して頂く。彼だけではなく、組織すべて、ひいては政府にもだ。


「あと提供できるのは……使いどころは難しいですが、こういう情報ですね。取り扱い注意です」

「……嫌な予感しかしないんですが」


 本命の武器となる超危険物……分厚いファイルを手渡す。諦めて受け入れるしかないと即断したのは見事だが、その表情が一瞬にして引き攣った。


「つ、使えるか、こんなもの!」


 政権が吹っ飛ぶどころか本人や関係者の命まで吹っ飛びかねない大スキャンダルネタの山である。あまりにひど過ぎて人間不信になりそうな情報のオンパレードだ。

 政治家なんて後ろ暗い事ばかりとは思っていたが、それにしたってという内容ばかりである。特に大物と呼ばれるような人は。


「近藤さんの立場を確保するのに使えると思いますが」

「……いや無理です。目にすらしたくなかった情報も含まれてますが、劇物に過ぎる。命狙われるどころじゃない。……せめて、もう少し緩やかなネタでお願いします」

「了解です。ではこちらを」


 もう一つファイルを渡した。元のファイルは即返品である。

 交渉の基本というか、印象操作という事は分かるだろうが、それでも劇物を見たあとならまだマシと思わせるネタを見て安心したらしい。これだって取り扱い注意には違いないんだが。


「追加が必要なら用意するようなので言って下さい」

「……できる限り使う気はありませんよ?」

「こちらとしてはあなたが窓口に固定されるなら問題はありません。ご自由にという感じで」

「こんなのを相手に交渉させるつもりだったのか……上は」




-4-




「さて、色々前置きはありましたが、ここからは今回の件がなくとも伝えておく予定だった内容です」

「もうお腹いっぱいなんですが、そんなわけにもいかないですよね」


 もちろんだ。でないとこの場を設けた意味がなくなる。


「といっても、あとは単純な話です。ヒーローと怪人に関して渡してもいい情報をまとめてあるので、こちらをお持ち帰り下さい」

「……ここで目を通しても?」

「はい」


 次に渡したファイルは、言ったそのままでヒーローと怪人に関して政府に公開しても問題ないと判断された情報群だ。以前私が見せられたものをブラッシュアップし、慎重に検討を重ねたものである。

 いくつかブラフや偽装情報も含むが、おそらく私が知るものの中にもそういった情報は含まれているのだろう。あるいは、マスカレイドさんやミナミですら正確に把握していない事柄だってあるかもしれない。


「冗談にしか思えない内容ばかりですが……さしあたって確認したいのは、このカタログを使うために必要なポイントの入手手段が記載されていないようですが」

「ええ。さきほど薬の実物を渡したのもそれに絡みますが、実はこちらも把握してません。そもそも、そのカタログが出てきた事自体、こちらとしては予想外だったので」

「……あるいは使えなくて良かったのかもしれませんが、分かりました」


 マスカレイドさんに直接聞く機会があったのだが、彼としてもこの早い展開は予想外らしい。人類社会に向けた情報公開はされると思ってはいたらしいが、もう少し緩やかなものと考えていたとの事だ。

 確かに、こんな速度で侵食されると対応できない人間が大勢出てくる。常識の世代交代がままならない。しかし、現実に動いてしまっている。


「推測でしかありませんが、おそらく今後国家・地域ごとに向けた怪人の侵攻イベントがある。そのカタログはそれに付随したものと思われます」

「今までよりもはっきりと被害が広がると?」

「海外はまず間違いなく。日本は……どうでしょうね。安心してはいけないと思いますが、担当がマスカレイドさんなので」


 ただ単に強い怪人が侵攻してきただけではどうしようもないのが彼という存在だ。しかし、他のエリアと比較してあからさまに差をつけてくる事は考え難いというのもまた事実である。

 となると、マスカレイドさんが苦戦する場面もまた考え難い。


「一応、彼の強さの一端が分かるような動画データも渡しておきます。いや、どうせですから少しここで鑑賞会といきましょうか……シルバー」

「はい」


 用意した動画をリビング備え付けの大型モニターに映してもらう。私はそれこそ何回も見たものだが、未だに違和感しかない内容のものだ。


「あの……怪人が嬲り殺しにされているように見えるんですが」

「ええ、間違ってないです」


 軍隊を容易に制圧できる怪人に対し、ひいき目に見ても蹂躙にしか見えないのがマスカレイドさんの強さだ。比較用として用意した他のヒーローの動画と比べると良く分かる。

 曰く、倒すだけなら一撃でなんとでもなるが、怪人勢力の行動に制限をかけるため、可能な限り残虐に殺しているのだとか。ヒーローという肩書きに疑問を覚える映像であるが、やっている事とその結果は納得するしかない。実際、恐れられているのは確かだ。


「やろうと思えば彼一人で日本どころか地球を壊滅させられます。……日本としては幸運だったんでしょうね。守護神としてはこれ以上ないほどに頼もしい」

「……なんとかしてヒーローに国の首輪をつけろという勢力は未だに根強くいるんですが」

「説得して下さい。国としてこんな超暴力を放っておけないのは理解しますが、いくらなんでも規格外過ぎて合う首輪はありません。某怪獣に首輪を着けられないのと同じです」

「フィクションと一緒にされましても……」

「それでようやく成立するような規模なんですよ。残念ながらこちらは現実ですが」


 動画を終える。今見たのは渡したものの一端でしかないが、十分に伝わっただろう。実をいえば、もっとヤバい動画はいくらでもあるのだが、見せるのが憚られるようなものは省いてある。……放尿で怪人を消滅させるとか、いくら説明されても理解不能なのだ。


「最も重要なポイントはマスカレイドさんのスタンスについてです。結局のところ、彼が言いたいのは放っておいてくれという一言に尽きます。国の首輪も助力も不要。怪人という外敵は勝手に駆除するから、そこから波及する影響についてはそちらで処理してくれという話ですね」

「……そんなもの、どう納得させろというんだ」

「なので、色々劇物を用意しました。上手く立ち回らないと死にます。一般に向けて情報が公開された以上、これからは海外の勢力だって手を出してくるに違いない。今だって結構な数を処理してもらってるみたいですが、激増するでしょうね。ターゲットは私とあなただ」

「勘弁してくれ……」


 まあ、口にはしないが、ミナミもある程度見込みがあって彼を巻き込んだんだろうなとは思う。多分だが、予定通り大田氏がここに来てもここまでは踏み込まなかったはずだ。

 彼の条件を見れば確かに色々都合がいいのだ。背景もクリーンに近く、肉親含め関係者も限られていて、大きな派閥に属していない。だからこそ生贄のように放り込まれたのかもしれないが、狙ったような人選である。

 気の毒とは思うが、私も狙われる側の立場なので同情しかできない。




-5-




 ひたすら近藤さんの胃を痛めつけるような会談も無事終了し、帰宅を見送った。

 ようやく一息と改めてシルバー……プラタの淹れたコーヒーを手に反省会を始める。


「それでどうだったかな? お眼鏡には適ったかな」

「? 対応に問題はなかったと思いますが」

「あれ?」


 しかし、その反応は思っていたのとちょっと違った。


「君はミナミが用意した監視役だったのでは?」

「フォローはそうですけど、そんな役割は聞いてませんが……ああ、確かにタイミングを見れば勘違いするかもしれませんね」


 プラタが配属されたのはつい先日の事だ。ある日突然やって来て、事後報告でミナミに紹介をされた。

 ちょうど今回の会談をセッティングするところに現れたので、目的はそれしか考えられなかったのだが……ただの邪推なのか。タイミングが良過ぎて鵜呑みにはし難いんだが。


「なるほど、だからユージの反応が固かったのですね。私はただのメイドであって、それ以外の何かではありません」

「人工生命体のバイオロイドをただのとは言わない気が」

「じゃあ、ちょっと変わったメイドです」


 ちょっとなのか。相当に異色な立場だと思うんだが。


「……今更だけど、何故メイドなんだ」

「メイドがメイドである事に理由などありません。私はメイドになるために創られました」

「は、はあ……」


 深く突っ込むなという事なのだろうか。


「ただ一つ、勘違いして頂きたくないのは……」


 やはりそれだけではなかったのか、プラタの説明は続く。


「女中でも家政婦でもなくメイドという事です」

「うん? ……うん、分かった」


 あまり触れないようにしよう。どうせ意味不明な事は山ほどあるのだ。それが一つ追加されただけと考える。


「サポート役というのは変わらないんだよね?」

「はい。ユージだけのではありませんが、私はあらゆる面においてのスーパーサブとして用意されました。マスカレイド様、ミナミ、あとついでにユージのサポートと代理を務めます」

「まあ、ついでなのはそうだろうけど」


 有能なのはこの数日ではっきりと分かっている。メイドとしての能力など評価しようはないが、少なくともミナミが用意したデータを処理する速度は想像以上だった。


「あくまで代理なので、なんらかの理由で不在な場合以外はただのサポートです。つまりメイドですね」

「そこに拘るんだな」

「メイドなので」


 そういう生き物って扱いをすればいいのかな。


「とはいえ、ミナミやユージのサポートはできても、ヒーローの代理は真似事でも不可能ですが」

「マスカレイドさんの代わりができる人はいないと思うんだけど」

「私ができるのはせいぜい対人戦闘くらいです。一応、重火器と格闘戦は得意分野と言えるレベルに達しています」

「……むしろ、それくらいならできるのか」


 メイドの定義が揺らぐな。むしろ、漫画とか創作系のメイド像に近いのか? ……あり得るな。

 これまでの経験から察するに、マスカレイドさんやミナミの情報源はインターネット越しに収集されたものが多いと感じる。だから、日本の表面的なサブカルチャーを見てこういうのがメイドとして誤解してしまったのかもしれないと考えれば、残念な事に納得できてしまうのだ。それが誤解だとしても、別には問題ないのが困った話である。妙な拘りがあっても、能力は一流なのだし。

 ……まさか、扱いに困ったから押し付けられたわけじゃないだろうとは思うのだが。


「じゃあ、ここに……というか、私の側に常駐するのはまずいんじゃないのか? マスカレイドさんやミナミのサポートもあるんだろう?」

「メイドは遍在するものなので、どこにでもいます」

「ごめん、意味が分からないんだけど」

「私はシルバー03なので、それ以外の個体も存在するという意味です」

「ああ……」


 説明されれば分かるが、メイド語は難解に過ぎた。


「大丈夫です。成人男性の嗜好に偏見は持っていないので。プライベートには配慮します」

「いらん世話なんだが。むしろ、この距離感もどうかと思うくらいだし」


 手を出せは返り討ちに遭うだけだろうけど、人工物だけあって美人でスタイルがいいのは目の保養以上に毒なのだ。私は若手の近藤さん以上に若いのである。


「でも、ユージの女性の好みは親戚のお姉さんですよね? 人妻の」

「え、ちょ……」

「学生時代に家庭教師になってもらって以来、拗らせているというデータが……」

「や、やめてくれ!」


 いや本当に!? なんでそんなプライベート極まる情報を赤裸々に暴露するんだっ! というか、拗らせてはいないからっ!?


「残念ながら私は0歳。そういったバブみを期待されても無理があるというか」

「はいやめ! この話はおしまい! というか、なんでこんな話になってるんだっ!?」


 バブみっていうのがなんなのか知らないが、文脈から察するにろくでもない意味だろ。くそ、無口なだけで普通の子だと思っていたのに、キャラが掴み難い!


「なんで……私がメイドだからでしょうか?」

「もうなんでもいいよ……」


 これから先、同僚としてやっていくのに不安しかなかった。……いや、これでも些細な事なのだろうか。これまでの異常を考えるなら、この程度は慣れてしまう気がした。

 困った事に、私の常識も侵食されつつあるらしいな。



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