特別編「穴熊英雄」




-1-




 クリスマスの戦いから三ヶ月が経過した。

 その間に色々な事があったし、世界は激動の時期を迎えているが、マスカレイドこと穴熊英雄の生活は特に変化はない。

 俺は今日も今日とて引き籠もっているし、妹は気まぐれにやって来て雑誌読んで帰っていくし、監視カメラに映る親父の酒量は増加の一方だし、定期的に部屋のドアから響いてくる母親の声には精神ダメージを受けっぱなしだ。ウチの母ちゃんは何故ああも俺を真人間にしたいのか。ただの穀潰しというならまだしも、結構な額の生活費を振り込んでいる最中なんだが。


『そりゃまあ、世間体が悪いのは確かですしね』


 非常識の塊なミナミが、画面の向こうから常識的な事を言ってくる。


「しかし、俺が引き籠もり志望である事は小学生の頃から近所中に周知されている事だし、迷惑もかけていないはずなんだが」


 家の一室を占拠していたり食事を用意してもらっていたりはするが、その分の生活費は入れている。

 これで振り込む金がなくなったなら問題だろうが預金はまだ余裕がある。当初の予定よりはかなり目減りしているとはいえ、今だったらヒーローポイントを現金に変える事すらできるのだから。


『だとしても、それで頭おかしい……失礼、入念な準備の上でシェルターか何かのような引き籠もり態勢を整えられたら、親御さんだって驚くでしょうに』

「常軌を逸した行動である事は自覚しているから言い直す必要はないが、お前には言われたくない」

『なんでじゃ』


 少なくとも俺は社会に迷惑はかけていないのだ。サイバーテロリストと比較されるような立場ではないし、むしろ守っている側である。もっともその事実は周知されていないし、今後も触れ回る予定はないが。


「地球の平和の事を考えるなら、放置してもらうのが一番いいんだがな。ミナミ君もそう思わないかね?」

『それを言われると厳しいんですけどね。でも、向こうは欠片も頭にないと思いますよ、そんな事』


 確かに、引き籠もりの息子が世界の平和を守っているとは夢にも思わんだろうな。余計な知識を与えたらそこからボロが出る可能性があるので、知らないのが一番いいんだが。


「母ちゃんのアレがなければ、ヒーロー的に見ても完璧な隠蔽態勢なのに……」


 ヒーローネット上に上がっているブログなどを見ていると、大抵は正体隠蔽やスケジュール確保に苦慮している様子が見られるが、俺にとってはその一切がハードルにならない。穴熊英雄を知る者なら誰も俺が引き籠もりである事を疑わない。実際引き籠もりではあるんだが、ヒーローとして正体バレを気にせずにすむのは大きい。

 今のところ、ボロが出るとしてもウチの妹かミナミの妹からくらいしか思いつかない。俺の社会的信用はそれくらい完璧な迷彩になっているはずだ。どんな名探偵だろうが、マスカレイドの正体は推理不可能だぞ。


『マスカレイドさんの精神ダメージはともかく、変なところから情報が漏れるのは嫌ですね。お金でどうにかなる問題なら用意するんですが』

「おい、女子高生」


 まず金で解決しようとするとか、どこの世界にそんな女子高生がいるというのか。


『時期的に花の女子高生はもう卒業なんで』

「そういや、本来なら卒業の時期か。援交市場の価値も下がりそうだな」

『そんな予定も必要もないので問題ないです』


 ミナミの場合、容姿やスタイルで元々の市場価値からして高そうだが、そもそも金に困ってないからリフレもパパ活も必要性は皆無だ。ミナミの好みなど知らんが、脂ぎったおっさんがいいって事はないだろうし。


『一応休学扱いですけど復学予定もありませんし、そろそろ同級生も存在を忘れてるんじゃないですかね』

「しばらく会わないと案外簡単に忘れるもんだしな」


 俺の高校時代にも中途で退学した奴はいるが、確かに一時期話題になってもしばらくしたら存在を忘れ去られてたな。時々、あの人は今的に会話の端々に名前が上がるくらいだ。


「お前、自分の学歴とか気にしないの? オペレーター始めてから結構な期間が経過してるわけだけども」


 この関係も、もう一年以上だ。俺と違って引き籠もり志望でもないし、こんな一対一で顔を突き合わせる生活なんて、普通は飽きるもんじゃないんだろうか。間違いなく履歴書には書けないし。


『そういうマスカレイドさんだって……気にするわきゃないですよね。すいません』

「せやな」


 もはや失言とすら思わないほど周知の事実である。

 俺の場合、気にするどころか端っから学歴・職歴はスカスカにする予定だったし。むしろ、最初の予定から考えたら埋め過ぎてしまったくらいだ。


『というか、そんな事言われてもどうしようもないですし。それに、最悪経歴は捏造できますけど、どう考えてもこっちのほうが重要でしょう? 割と役に立ってません?』


 ただのオペレーターならともかく、ミナミの代わりができる奴などそうはいない。世界中見渡しても皆無ではないだろうか。クリスマスの時に相手をした敵幹部だって、あとから聞いてみたら想像を絶するレベルのサイバーテロリストだったのだ。それを三流扱いできるミナミが如何に規格外か分かるというものである。当たり前のように経歴を捏造すると言ってのける奴を表の社会に戻していいのかという疑問もある。

 小市民な俺には理解し難いが、ミナミにとっては学歴など無価値でどうとでもなるものなのだろう。世界から怪人やヒーローがいなくなって用済みと放り出されても、ミナミなら普通に生きていけそうではあるし。


「間違いなく役に立ってるし、重要なのは確かだな。経歴についても、個人の意識や世間体の問題だから深く突っ込む気はないが」

『いいんですよ。予定通り大学進学したところで大した事はしてなかったでしょうし、私の存在感なんてそんなもんです』


 いや、それはどうだろうか。表向きはそうでも、裏では大変な事ばかりしているような気が……。普通の奴は大企業のサーバーをクラックしたりはしない。


『実際、ほとんどの友達も留学と思ってるらしくて、飛んでくるメールも超普通ですよ?』

「ミナミの私用メールとか想像付かないんだが、どんなんよ。偽装解かないと読めない暗号メールとか?」


 真面目なビジネスメール的なものは見た事あるが、どうしてもイメージが先行して脅迫文とかテロの声明文的なものを想像してしまう。


『普通ですよ、ふ・つ・う! 普通の女子メールです! 最近来たのだと……えーと、幽霊部だった家庭科部は廃部になったとか?』

「かなりどうでもいいな」

『私的にもどうでもいいです。ただの雑談部でしたしね』


 定員割れしたのか知らんが、実態のない部活なら廃部になったとしても影響はないだろう。

 というか、何故そのチョイスなんだ。どうせだったら女子高生の間でしか聞けないような話題が聞きたかった。


『そういえば、オペってどうやって辞めるんですかね? 今まで気にしてなかったんですけど』

「そこは気にしておけよって感じだが……そういう規約があるんじゃないのか? もしくは上司……かみさまに言うとか。これまで辞めた奴っていないのか?」

『そういう規約はなかったような……受け取ってる権限の中には任命権云々の話もないですし。……というか、未だに人間のオペレーターって私一人なんですよね。ひょっとしたら、雇用に関してのルールが整備されていない可能性も……』

「マジかよ」


 いろんな意味でマジかよ。ルール整備してないのもアレだが、ミナミ以外人間がいないってのもどうなんだ。


『アイリーンみたいな半分怪人的なオペは少数派ですが、その他も大体人工生命体的なアレですし、食堂やジムの受付もロボットだし』

「それは精神衛生上問題あるんじゃないか?」

『人がいないって事ですか? ……といっても、別に問題はありませんしね。基本他のオペってめっちゃフレンドリーですよ。ヒーローを含めた派閥争いみたいなものはありますが、私はノータッチですし』


 それはマスカレイドというアンタッチャブルな存在で危険視されているだけではなかろうか。どこの派閥に所属しても危険なのはあきらかだから、とりあえず仲良くしておけって感じで牽制し合ってるとか。


『ヒーローと違ってオペ自体は申請すれば増やせるわけですから、増やしてもいいんですけどね。なんなら第二の人間オペレーターでも』

「お前の作業量的に以前から気にしてた部分ではあるな。実際にはこうして話してるだけの時間が大半だが、四六時中張り付いてるのはキツくない?」


 作業量は個人差があるだろうが、少なくとも拘束時間は長い。決闘の指定でもされない限り怪人の出現は不定期だから、睡眠中に起こされる可能性もある。その上、四六時中顔を合わせるのは俺一人だ。気付かない内に精神を病んでいる可能性すらある。


『んー、特には? 自覚がないだけかもしれませんが、マスカレイドさんから見てどうですか?』

「非常にのびのびしているように見える。そのまま服も脱ぎ去りそうなくらい」

『それもちょっと心外ですが、まあそういう事なんでしょう。あと服は脱ぎません』


 普通ならストレス溜まりそうな環境ではあるが、俺が引き籠もり体質なようにミナミも適性があるって事なんだろうか。案外、内心では俗世の柵から解き放たれてラッキーとか思ってるかもしれない。


『……ああ、でもハッキングツールの更新が少し遅れてるのが困りますね。かみさまの権限があるからどうにでもなる話ではありますけど、それなしだと環境差で負ける可能性もあります』

「それでお前が負ける相手ってどんな奴だよ。ツールの補助があろうがなかろうが、大抵の奴なら問題にならないだろ」

『北米のゴーストって呼ばれてる人なら多分……』

「お前じゃねーか」


 都市伝説が独り歩きしてる感はあるものの、元になった事件は大体がミナミの仕業である。ようするに、最新環境を整えた自分でも用意されない限りは負けませんって言ってるのだ。

 ちなみに北米のゴーストが一番有名なだけで、ミナミの事を指す異名は大量に存在するらしい。


『私ってば基本攻撃側なわけで、防御側に対策取られると厳しいんですよ。だから実際問題現行環境に合わせたツールは重要です。私の生命線みたいなもんですし』

「ハッキングの手順など知らんが、そんなもんどこで用意するんだ?」

『自分で作るんですよ。コレの使い方とある程度のコツさえ分かれば、マスカレイドさんだって三流くらいにはなれます』


 こいつの言う三流って世界的なサイバーテロリストなんだけど、それでいいんだろうか。むしろツール開発技術のほうが重要なのか?


「まあ、お前の労働環境の問題もあるし、追加のオペレーターは用意してもいいな。費用だって、今のポイント収入から考えれば屁でもないし。お前だって、風邪とか体調不良な事だってあるだろ?」

『いなければいないでどうとでもなりますけど、睡眠中に簡単な対応できるくらいの人はいたほうが便利ではありますね。風邪は……どうなんでしょう? そういえば病気になる気配がないような……』


 ひょっとしたら、オペレーターがいるビル自体でなにか体調管理をしてるのかもしれない。部屋の空調も謎装置らしいし。


『こうしていざ考えると、確かに人間をオペレーターにするのって不便かもしれません。能力的な問題は別にしても、合わないから別の人を用意ってのもやり辛いですし、人間社会で生きていた頃の生活基盤の扱いもあります』

「お前みたいなのはどう考えても少数派……というか、まずいないだろうからな」

『ひょっとしたら、人間のオペレーターが皆無なのもこういった問題があるからなのかも……。普通は担当の神様が注意してくれるんでしょうが』

「ウチは完全にノータッチだからな」


 ミナミの申請を出した時も、書類書いたのは全部俺だ。ひょっとしたら、その他にもごくごく初歩的な問題を見落としている可能性はある。ヒーロー装備の件とか。


『どうします? 本当に増やしちゃいます? チームメンバー。コードネームでシルバー03って感じの』


 そんなコードネームを付けたところで使われるのだろうか。


「増やす方向で構わんと思うぞ。でも、雇用条件はちょっと慎重になりたい』

『今のところは問題ないですが、バージョン2で予定されてるシステムなんてあきらかに処理すべき情報量が違いますし、今後手が足りなくなるって事は十分に考えられます。いざ人員を増やすとしても、最初から使えるとは限らないわけで……となると前以て教育しておくのがいいんでしょうから、雇うなら早めに決めましょう。幸い、今ならまだ余裕があります』

「同じ職場で働く同僚になるんだから、お前の希望は取り入れるぞ。雇うとしたらどんな奴がいい? 紛争地帯を経験したガチテロリストとか?」

『誰がテロリストですか。テロなんてした事ないですってば!』


 そうだね。衝動的に破壊活動するだけで、何かを要求したり声明を出したりはしないね。


「テロの定義とかそういう不毛な話は置いておくとして、お前が後輩に最低限求めるものはなんだ? なんでもいいから言ってみろ」

『そうですねー……キャラ被りがない人?』


 まず出てくるのがそれかよって感じだが、地味に深刻な問題だな。


『よし、じゃあクーデレ系でいきましょう』

「能力的な希望とかないのかよ。あんまり盛り過ぎてもお前みたいなのが飛んで来る可能性があるから、控えめにいって」

『私の何が問題だというのか』

「能力的にはまったく不足はないが、その反対側に突き抜け過ぎてる事かな」

『うごごごご……』


 オペレーター募集したらサイバーテロリストが送られてくるとか、誰に想像できるというのか。喉乾いたから水くれって言ったらドラム缶で用意された気分だ。

 もしミナミの能力をレーダーチャートで表示したら、さぞかしトゲトゲしたものになるだろう。


『真面目に考えるなら、最低限マスカレイドさんの負担にならない事が第一の条件ですかね。当たり前ですが、ヒーローあっての仕事なので』

「負担って言われてもな……」


 話しててストレス溜まる奴とかは勘弁してもらいたいが、そういう部分って条件提示が難しいんだよな。


『あとは……実はマスカレイドさんの残虐非道っぷりに怯えてるオペもいますし、最低限そこら辺に理解と耐性がないと厳しいですね』

「え、そっちでの俺の扱いってそんな事になってんの?」

『すごいと思うけど近寄りたくない的な? 当たり前ですけど、本職なので非難してきたりはしませんが』


 そりゃオペレーターに非難されるとかモチベーションが減るどころの話じゃないからな。だからといって、ミナミみたいに残虐行為を推奨するのもどうかと思うが。


「今更だが、そんな奴いるんだろうか。改めてマスカレイドの戦闘を思い返してみたら、精神を病みそうな場面のオンパレードだぞ」

『私とか?』

「そりゃそうだろうが、お前みたいなレアポケモンはそうそういないんだ」

『誰がモンスターか』


 個体値とか色違いとかそんなレベルの希少性じゃないしな。出てきた時はその辺の草むらから飛び出してきたくらいの感覚だったのに。


『でも、最初からそういう要素も込みで選ばれたのかもしれませんね。案外、新たに雇うとしても相性は気にする必要はないかもしれません』


 ウチがオペレーターの募集をかけて集まるのは残虐行為に理解のある奴だと。……それはそれでどうなんだ。


『まあ、どの道今すぐって話でもないですし、その辺り質問を投げつつ考えておきます。お互いに申請書を書いて摺合せしてって形にしましょうか』

「分かった」


 前回の反省を踏まえて、あまり強烈にならないような申請を用意しておくとしよう。




-2-




『話を戻しますけど、そろそろ元の姿に戻る方法も考えないといけないですね。実はもう一年くらい言ってるような気がしないでもないですが』

「分かっちゃいるんだがな……」


 俺にとっては非常に頭の痛い話題である。

 親父が早々に諦めたようにいい加減放置してくれればいいのだが、異様なバイタリティを持つ母ちゃんは諦めるという事を知らない。何故あんな不毛な行動を続けられるのか理解できない。

 無理矢理突入しようとすればこの部屋に意味不明なシールドが張られている事に気付きかねないから、少しでも危険な兆候が見えたら報告するように妹に言ってはいるものの、謎の行動力を持つ母ちゃんの事だから何してくるのか分からないというのが困りものだ。今なら昔のように電気を止められたりしても問題はないのだが、それはそれで不自然さが増して疑惑を生みかねない。最低限、そこにいて生命活動はしているという形にはしておかないといけないのだ。ノック返しだけでは限界がある。


『いや、ここは言い直しておきましょうか。いい加減、元の姿に戻る手段は確保しましょう』

「何故言い直す」

『はっきり言わないと、のらりくらりと先延ばしにして、結局ギリギリまで放置するじゃないですか。夏休みの宿題を三十一日にまとめて終わらせるタイプだったんじゃないですか?』

「失敬だな。そもそも提出しない事に全力投球するのが俺だ」

『威張れる事じゃないです』


 中学時代、味噌煮込みうどんの自由研究だけで乗り切った事さえある。高校ではさすがにマシになったが、中学時代の内申点は地を這っていたはずだ。かつて喰らった熱血教師パンチには、そんな理由が含まれていた可能性もある。

 ちなみに味噌煮込みうどんは母ちゃんの秘蔵レシピをパクっただけなので、あとで制裁を喰らった。


『ともかく、ちゃんと言わないとマスカレイドさんは動かないのではっきりしておきましょう。こういう案件の場合、単に面倒なだけで、怪人への嫌がらせのように最適なタイミングを見計らっているわけでもないでしょうし』


 うむむ……。付き合いも長くなってきたから、行動パターンが読まれ始めているな。これはあまりよろしくないパターンだ。


「しかし、緊急性は特にないわけだが」

『先延ばしにする理由もないです。ほら、ちょうど< マスカレイド安全基準法 >の適用期間で時間はありますし』

「その名前はどうにかならんのか」

『そんな事を言われても、怪人側の規則なのでどうしようも』


 怪人の間でマスカレイドが災害みたいな扱いなのは分かるが、それはそれとしてもう少し名称は考えるべきじゃなかろうか。


『って、また話がズレそうになってます。まったく……ポイントが足りないとかならともかく、もういつでも手が出せる状態なんですから』

「まあ、実際面倒なだけだしな」


 これまで荒稼ぎした結果、実は穴熊英雄の姿へ戻るポイントは貯まっていたりする。なのにそれを渋るのは当然理由があるのだ。

 変身やフォームチェンジ、若返りや性別変更といった商品まで用意されているヒーローカタログではあるが、軒並み高額に設定されている商品群の中で、元の姿に戻るというのは比較的安価に設定されている。マスカレイドの姿はかみさまが用意した不可逆なものでも、元の姿という形でバックアップ情報は残っているという事らしい。

 妹には単にポイントが足りないと誤魔化してはいるが、ただ穴熊英雄に戻るだけなら数回怪人を倒せば捻出できる程度のポイントしか必要としないのである。……もちろんそんな方法はとれないわけだが。


「元の姿に戻るにしても、じゃあどの方法でっていうのはあるんだよな。完全に元の穴熊英雄に戻って、マスカレイドの存在が消えたらまずいってレベルじゃないし」

『それは勘弁してもらいたいですね。数ヶ月くらいなら情報操作で不在を誤魔化せそうな気もしますけど、言ってみればそれが限界ですし』


 マスカレイドというヒーローの存在が日本の平和を維持する上で不可欠なのは今更だが、単に一人しか担当がいない日本のヒーローという立ち位置以上に、ある種の抑止力になっているのは間違いない。

 それが不在というだけで怪人たちの活動が活発化するのは目に見えている。どの程度の違いが生まれるかは分からないが、そういう風に誘導したのだから間違いないだろう。

 何もかも投げ捨てて一般人の穴熊英雄に戻れても、日本が壊滅してしまっては引き籠もりどころではないのである。というわけで、どういう形で戻ればいいのかという問題が立ち塞がるわけだ。


 一番簡単なのは前述のように完全に穴熊英雄に戻る事。ポイント的にもこれが一番安い。ただし、マスカレイドという存在は消えて普通の引き籠もりが誕生するという、ヒーロー業界から見たら悪夢のような事態になる。

 マスカレイドの能力を残したまま、姿だけ穴熊英雄に戻るという事も可能だが、これはこれで正体バレの危険性が跳ね上がる。元の姿で銀タイツと蝶マスクで出撃するという事態も避けたい。

 多少ポイントが嵩んでも別人になるなら正体バレの心配はなくなるが、それはそれで当初の目的である母ちゃんへの説明ができなくなるという本末転倒な事になってしまう。

 時間制限付きで一時的に戻るという手もある。どの道部屋から出る気はないので、妹に動画でも撮ってもらって誤魔化すくらいならそれくらいの時間でも問題ない。一回だけの使い切りサービスなら、これも非常に安価だ。

 ただ、いくら安価とはいえ消費するのは貴重なヒーローポイントだ。それだけのために最新パソコン一式でも買えそうなポイントを浪費するのは心情的にキツイものがある。


 俺が問題視しているのはヒーローとしての能力の喪失、正体バレの危険性増加、そして消費ポイントだ。ぶっちゃけ、母ちゃんを穏便に黙らせる方法があるなら取り立てて元の姿に戻る必要も感じない。俺とかみさまが適当な対応をしたが故にこんな姿になってしまっているが、正体の隠蔽という意味で見るなら完璧に近いのである。

 断言してもいいが、マスカレイドの姿を見て穴熊英雄だと看破できる奴はいない。それどころかアレを日本人だと思う奴のほうが稀だろう。下手したら地球人にさえ見えないのがマスカレイドである。

 通常、銀髪と言うのは光沢のある白髪かそれに近い状態を指す言葉だが、本当に銀色の髪をした奴などいないし、比喩でない銀眼なんてもっといない。エセニンジャさんは何故かアメリカ人扱いしているらしいが、容姿からマスカレイドの人種を特定するのは不可能なはずだ。


 実を言えば、ヒーローになる際にこんな変化を遂げている奴はマスカレイド以外に存在しないらしい。大抵のヒーローは顔も体もそのままで、ヒーロー用の装備で隠すのが普通なのである。つまり、蝶マスクのようなバレバレの仮面を着けている奴もいない。ヒーローポイントで髪や目を銀にしたりする事はできるものの、それだけの変化じゃ蝶マスクだけで隠蔽するのは無理があるのは誰でも分かるだろう。

 事情を知っているヒーローから見ればマスカレイドは日本人か、最低でも日本在住の外国人だと分かるものの、アレが日本人とは到底思えない。理解不能な戦闘力の事もあり、マスカレイドはそういう正体不明な謎の存在でいいんじゃないかな、というのが現在の状況らしい。自分たちの情報迷彩にもなってちょうどいいと考えてるヒーローもいるだろうから、今後ツッコミを入れられる事はないだろう。

 穴熊英雄の姿を取り戻すというのは、こういう利点をわずかにでも捨てる事を意味するのだから、慎重になるのも当然だ。


「戻る事自体が決定事項として、どうせなら好きな時に戻れるようにするほうが便利ではあるんだよな。母ちゃんへの説明だけなら一回でも問題はないんだが」


 それなら、多少割増しされても自由に戻れるようになる能力なり装置なりを手に入れたいところだ。無駄になるのが嫌なだけでポイント自体はあるのだから。


『一回だけの使い切りだともったいないっていうのは分かります。ひょっとしたらこの先、元の姿になる必要性が他に出てくるかもしれないですし』


 母ちゃんへの説明だって動画だけじゃ足りなくて対面する必要があるかもしれないし、友人の誰かが突然、俺を出せと乱入してくる事だってあるかもしれない。

 自由に戻れる状況なら、どこか遠くでアリバイ工作の動画を作成して、実はこの部屋にいないという状況だって作れるだろう。まあ、正体バレの危険性を考えるなら下手に小細工せず、ここに引き籠もってますという形にしておきたいところだが。


『となると、普段は穴熊英雄状態で、出撃時にマスカレイドに変身するとか』

「タイムロスを考えるなら、普段からマスカレイドのほうがいい気はするが……この体格だと不便ではあるんだよな。あきらかに日本人規格じゃねーし」


 今更だが、マスカレイドの身長は2メートル近い。その上筋肉質で横にも幅がある。アームレストを外さないとイスに座れないように、元々の穴熊英雄規格に合わせた部屋で過ごすには向いてないのも確かなのだ。

 かといっていちいち変身するのは面倒臭い上に、秒を争う事態には不向きだ。せっかく元の姿に戻るなら銀タイツで過ごしたくもないし、装備ごとセットで変身可能なら……高額だが、そういう能力も一応あるのか。……悩む。

 このカタログ、購買意欲を誘い過ぎである。


『その規格に合わせて拠点空間を拡大してもいい気はしますけどね。これまでに拡張したのって、シャワールームの分だけですよね?』

「いや、トイレも別にした。入り口が襖だと落ち着かなくて」

『引き戸だと、妹さんが間違って入ってくる可能性もありますしね』


 以前、押入れのスペースを潰して作ったトイレルームは、現在別の場所に移動している。そう、いきなりミナミに覗かれたあのトイレの事だ。

 現在押入れは元のもやし菜園に戻っていて、物理的に有り得ない場所にユニットシャワールームへの扉があるという不思議な状態だ。すでにもやし栽培の必要性は皆無なので、このスペースを別の用途に使う事もできる。

 ……よくよく考えれば飲用水のタンクももういらないんだよな。こんなガロンサイズのタンクなんて、自販機のある今となっては無用の長物だ。場所とって仕方ないから、どこかで片付けたいところである。むしろ自販機のほうが邪魔という意見は聞かないものとする。


『VRで穴熊英雄モデルも使えるみたいなので、説明用動画を撮るだけならそれでもアリですね』

「ああ、元の姿のパックアップが残ってるならそういう事もできるのか。……安いし、もうなんかそれでいい気もしてきた」


 ミナミの提示するヒーローVRのオプション価格を見てみれば、想定よりもかなり安上がりで機能追加できそうだった。穴熊英雄に戻れるのは仮想空間のみだから直接会ったりはできないものの、これくらいなら試しに追加してもいいかなという気になる値段だ。

 ちなみに別モデルを用意して変身する機能もあるようだが、そちらは結構お高めだ。安価なのは、あくまでバックアップデータがある元の姿だけらしい。


「あれから色々機能追加されてるみたいだし、試してみるか」

『そういえばサバイバルモードの上級ステージがアンロックされてもやってませんけど、何か理由が?』

「確証はないんだが、アレって戦闘データが蓄積されてる感じがするんだよな。戦闘員が強くなったところで俺には大した影響はないが、他のヒーローに迷惑かもってさ」

『あぁ……ありそう』


 割と楽観的に物事を捉えるミナミだが、この危惧に関しては納得できるらしい。

 実際どれくらい影響があるかなんて分からんし、今後戦闘員が現場に出た際も戦闘データは蓄積されるかもしれんから意味は薄いのかもしれないが、それでもやっぱり懸念としては残る。ほんのわずかの差で被害が拡大するかもしれないと思えば気軽に手は出せない。


『あれ、それじゃ私が作った試作怪人も』

「当然、なんらかの形でフィードバックされている可能性はあるな」


 ほとんどが産廃だからそこまで気にする必要はないものの、ツルペタボディを再現されたらPTSDを発症するヒーローが出かねない。少ないリソースで用意できる罠としては最上級だろう。


『うむむむむむ、運営の根っこが同じだとこういう問題もあるのか』

「まあ、俺が危惧してるだけで実際のところは知らんがな。今回も気にする必要はないだろうし」


 そんなわけで、戦闘訓練を行うつもりはないが久々にヒーローVRを起動してみたのだ。




-3-




[ ヒーローVRロビー ]



「あれ、いつもの採掘場じゃないな」

『アップデートで修正されたんですかね』


 起動してまず気付いたのは、デフォルトのログイン場所がいつもの採掘場でなくなった事だ。なにやらサイバーチックな空間にポツンと放り出されてしまった。

 その他にも、システムメニューなどが大きく変わって使い易くなっている。まだほとんど利用者がいないはずなのに、随分手間をかけているな。


「ひょっとして、使い始めてるヒーローが出てきてるとか?」

『そういえば一部では使われ始めてるみたいですよ。ヒーローネット上でそんなニュースを見ました。主な利用用途はチーム内の訓練らしいですね』


 確かに複数人で共有できるなら便利かもしれないな。専用の共用エリアなんかは別にあるんだろうが、距離を無視して会えるのは大きい。


「となると、俺が危惧してた戦闘データ云々の懸念もあんまり意味ないかな。他のヒーローの分が蓄積されてるんじゃ」

『どうでしょうね? マスカレイドさんっていう絶対的格上に対する戦闘データはまた別な気も……』


 何もできずに終わる分には経験値も溜まりようがないが、あいつら一応最適化してきたしな。元々手を出すつもりはなかったが、使わないほうが無難か。


『追加されたステージとかオブジェクトとか、ちょっと面白そうなんですけどね。この廃墟ステージとか、マップに武器が配置されてたり』

「どっかのFPSみたいだな」


 ……まさか、他の奴らはコレ使って遊んでるんじゃあるまいな。ちょっと羨ましいとか思っちゃったぞ。くそ、ぼっちでなければ本格サバイバルゲームが体験できたのに。


「まあいいや。今回の目的はあくまで穴熊英雄モデルの確認だし。……どうやって変更するんだ?」

『もう追加はされてるはずですよ。変更はロビー限定らしいですが、メニューから……』

「ああ、コレか」


 レイアウトが一新されていたので迷ってしまったが、確かにモデル変更のメニューが追加されている。それを開けばグレイアウトした[ マスカレイド ]と[ 穴熊英雄 ]の文字が表示されていた。

 他にモデルがあればここに追加されるのだろうが、今は特に悩むようなところもないので[ 穴熊英雄 ]を選択してみる。


「おぉおっ!?」


 ボタンに触れた直後、なんか急に視界が低くなった。これは、元の背に合わせて縮んだのか?


『おお、写真は見た事ありましたが、こうして見ると新鮮ですね。はじめまして』

「はじめまして……って、なんでやねん。お? ……あーあーっ! 声も戻ってるのか? あまりに久しぶりだから良く分からん」


 なんか、主題歌を作った時みたいに録音してる声を聞いてるようで、自分で声を出している気がしない。まあ、時間が経てば慣れるか……。


『元は私も分かりませんけど、声は変わってますね。動画撮って妹さんに見せれば分かるんじゃないですか?』

「自分じゃ分からないから、それくらいしか確認方法がないな……っと、おおおっ!?」


 動こうとしたら、不意に体のバランスが崩れて地面に倒れ込んでしまった。


『だ、大丈夫ですか?』

「……あんまり大丈夫じゃないな。体が上手く動かせん」


 マスカレイドになった際は特に問題なく動けたのに、逆だとこうまで感覚が違うのか。まったく動かせないわけじゃないが、立ち上がるのでさえかなりの難易度だ。


「よっ……とっとっと、おおおおーーーっ!?」


 立ち上がった勢いで、今度は反対方向に転がりそうになる。慌てて膝をついて止めたものの、フラフラだ。


『なんか酔っ払ってるみたいですね。そういうの、物理エンジンのテスト動画で見た事があります』

「意識ははっきりしてるんだか……すぐには万全に動けそうにないな」

『普通に喋れてはいますし、説明用の動画を撮るだけなら問題はなさそうですけど』

「それは問題ないが……」


 自分の体なのにこうも動かし難いとは。……しゃがめば安定するな。大地震の時とかこんな感じだったような気がする。


『やっぱり、身体能力も元に戻ってる感じですか?』

「元のままかはあんまり自信ないが、少なくともマスカレイドのスペックじゃねーな。普通の人間の範疇だ」


 カタログで言及されていなかったものの、どっちも問題ないだろうと購入に踏み切ったが、どうやらスペックもガワに合わせて変わる仕様らしい。少なくとも怪人相手に無双は不可能だな。

 ……だって、まともに立ち上がれもしないし。


『一旦戻ったらどうです?』

「……そうな」


 長期間寝たきりだった人のように筋力が衰えてるわけではなく、あくまで元に戻っただけでもここまで感覚が違うとすぐにどうこうできそうな気がしない。

 ずっとこのままってわけにもいかないので、ミナミの言うように再度マスカレイドへと戻ってみた。穴熊英雄に戻った時と同様、ボタン一つで視点が移動する。風船みたいに膨らませられているようで気持ち悪いな、コレ。


「…………んー?」

『どうしました? 何か異常があるとか』

「いや、そういうわけじゃないんだが……なんだろうな、コレ」


 何か引っ掛かるものがあった。体に違和感があるわけではないが、妙な感じだ。

 別にパワーが落ちたとかではなく、スペック的には多分変身する前と同じ状態のはず。感覚的にそれが分かるのは以前の通り……。それが感覚的に分かるからこそ、マスカレイドのスペックはまだまだ先があると感じられるわけなんだが……。

 穴熊英雄からマスカレイドになって体を問題なく動かせるのは、マスカレイドの能力で補正を受けているからだ。筋力が超絶スペックなのと同じように神経系も高性能だから、大きく体が変わっても動かせる。それが逆になればその感覚は並に戻るわけで、さっきみたいに転ぶのもおかしな話じゃない。……そうだ、何もおかしなところはない。


 再び穴熊英雄へと戻ってみる。


「…………」


 相変わらずバランスは取りづらいが、全身に意識を集中させれば直立態勢を維持するくらいならできる。……うん、さっきよりは慣れている。

 この体は元のままなのにバランスを崩しそうになるのは、マスカレイドの体を動かすのに慣れてイメージにズレが生まれているからだ。このズレを即座に補正できるような身体能力はなく、その経験もない。


「……経験知」


 かろうじてとはいえ、こうして立っていられるのは一度目で得た経験を元にしているからだ。もしも過去に似たような体験があったら、更にもう少し上手く体を動かせるだろう。

 ……なんか疑問の輪郭が顕になってきた気がしなくもないので、そのまま現状の整理を脳内で続けてみる。

 マスカレイドの体で日常生活を送るだけで成長を感じ取れていたのは、身体的なスペック頼りで動かしていたところに経験知を蓄積していたからだ。身体を動かすために割いていた分のリソースが単純に浮く。日常生活程度の負荷でも経験知が蓄積されていたのは、元がゼロに等しい状態だから。

 ならば、穴熊英雄の身体で得た経験知は不要なのか。……そんなはずはない。


「思っていたのとは違うが、コレはアリかもしれない」

『……アリというと? 私の目には、必死に仁王立ちのポーズを維持しているようにしか見えませんが』

「そうだ、割と必死」


 マスカレイドは基本的にトレーニングができない。慣れという形でスペックアップは可能なものの、根本的に負荷をかけられるような環境を用意できないからだ。

 自重トレーニングはもちろん、器具を使ったところでマスカレイドの超絶スペックの前ではロクな負荷になり得ない。深海や宇宙といった環境なら可能かもしれんが、それは俺がやりたくない。


「この状態で得た経験知はマスカレイドに戻っても意味がある……かもしれない。上手く言語化できないが、そんな気がする。もちろん訓練で強化された分が丸々反映されるなんて事はないだろうが、ただ身体を動かす訓練を続けるよりは見込みがありそうだ」

『まだ強くなる気ですか。すでに追いつける存在はいないというのに、マスカレイドさんはどこへ向かおうとしているのか』

「まあ、こっちの身体に慣れる必要はあるわけだし、駄目元で色々やってみるのはアリだろ」


 どの道、このままだと動画を撮影するのにも苦労しそうだし。……とりあえず、ストレッチからかな。

 元々身体は柔らかいほうだから、バランスをとる必要のないストレッチならそこまで苦労はしないものの、やはりマスカレイドと比べれば固いと言わざるを得ない。そもそも比べるようなもんでもないが。


「ミナミ、前に長谷川さん用にトレーニング器具を探してたよな? 値段ってどんな感じだったっけ?」

『あくまで人間向けのものなので安いですよ。ウインドウで表示しましょうか?』

「頼む」


 入念なストレッチを続けつつ、ミナミが表示してくれた宙空ウインドウの商品を眺める。

 ……身に付けるタイプのものが多いのは、普段使いを考慮した選択だからだろうか。これなら今の俺でも使えそうだな。

 ポイント的にも大した事ない上にVR専用なら更に安くなるという事で色々購入してみる。どうも筋力トレーニングなどは元の身体に反映されないらしいが、鍛えたいのは主に神経系なので問題ない。


「うおっ! きっつ……」


 全身に均等な負荷がかかるリストバンドを装着してみれば、あまりの負荷に立ち上がる事すらできなかったり。


「えっほ、えっほ」


 宙空ウインドウに表示されるトレーナーの動きに追従するのに必死になったり。


「ぐぬぬぬぬぬ……」


 元の身体ではやった事のない高負荷なストレッチに音を上げそうになったりして、訓練を続ける事数時間、とりあえず走るくらいなら問題なく身体を動かせるようになってきた。

 体力的な問題もあるが、やはりバランスがとれないのが厳しい。体重移動が上手くいかない。

 おそらく普通の人間でいう八割程度には感覚が戻ってきている感はあるものの、マスカレイドで体験している理想的な運動能力を知る者としては全然足りない。体感として、この身体でもまだまだできると感じてしまう。


「はぁっ、この、はぁ、疲労って、一体、どうなってんだろうな」

『マスカレイドさんが息切れしてるのってめっちゃ新鮮ですね』

「うっさいわ」


 普段の感覚がマスカレイドなだけに体力の配分が上手くできない。ちょっと動いただけでガス切れしてしまった。

 VRである以上この身体も作りモノのはずだから、案外一回ログアウトすれば戻るんじゃないかと思ったが、マスカレイドに戻った際には回復するものの、穴熊英雄に戻った途端に元の疲労に襲われた。どうやら疲労的な要素はモデルごとに区別されているらしい。


「……良く考えたら、このVRもかなり変だよな。前の時は気にしてなかったが、仕出し弁当は普通に食えたし、こうして疲れるし」

『実はバーチャルリアリティでなく専用の異空間とか、あるいは異世界って線がありますかね? 今もマスカレイドさんの身体はベッドで寝てますけど』

「良く分からん超技術なのは確かだな」


 こんなリアルな仕様もあれば、ゲーム的な部分も多く見られる。疲労は回復しないものの怪我の類はロビーに戻れば一瞬で完治するし、裂傷などで出血しても貧血になる気配はない。ダメージを受けた際の痛覚はパーセンテージでカットできるし、オプションを購入すればあらゆる痛みを再現する事も可能だ。ステージ環境を設定できるからと調子に乗って断崖でランニングしてみれば足を踏み外して落下死……せずにロビーに自動帰還したりもする。

 人間の手で再現できないシステムなのは間違いないものの、ゲーム的に見てリアルかと言われると首を傾げざるを得ない。トレーニング用の装置として効率的でもない。マスカレイドの時はさして疑問にも感じなかったが、人間の身体だと不自然さを強く感じる。

 どうせ答えは出ないから、気にしない事にした。


「本格的に訓練するなら手本が欲しいよな。ミナミって実は武術の師範で指導の資格持ってたりしない?」

『いや、そういうのはさっぱり。姉や妹と違って運動の類はさっぱりなんですよね。体育の授業で短距離走とかやっても、大抵は後ろから数えたほうが早いくらいで』


 そりゃそんな胸つけてて足速いって言われるほうがビビる。でも、走ってるところは超見たい。


「……参考までに、走ってるところの動画を見せてもらいたいんだが」

『言葉の端々から邪な気配を感じるんですが。一体なんの参考にするというのか』


 100%邪な提案なんだから仕方ないだろ。


『トレーナー的な機能は動画を画面表示するくらいしかありませんが、戦闘員や怪人の中身を格闘家や軍人モデルにする事はできるみたいですね。ロシアチームのブログで導入事例が紹介されてました』


 そう言ってミナミが宙空ウインドウに表示させるのはシステマの達人モデルを導入した戦闘員との格闘訓練動画だった。システマがどんな格闘技か知らんから達人と言われても良く分からんが、導入された戦闘員が強いらしいって事は分かる。相手がヒーローなんで簡単にやられていたが、確かに俺が良く知る戦闘員の動きではない。これならマスカレイドでも数秒くらいは手こずるだろう。

 同じようにコマンドサンボや柔道の事例もあったが、それなりに強そうな感じには見えた。……相手がヒーローだと、どれくらい強いのか分からんな。しかもこいつ、この前トーナメントで優勝した奴じゃねーか。


『紹介動画はありませんが、オプションのリストには他にも色々ありますね。ボクシング、レスリング、海兵隊マーシャルアーツ、スーパーカラテ、截拳道、八極拳、ブラジリアン柔術、ムエタイ、カポエラ、スモウファイト……』


 なんか、日本のやつだけちょっとおかしくない?


「相手側を達人にするのは可能って事か。教えてはもらえないけど、見て技を盗む事はできると」

『マスカレイドさんはそういうのができたりするんですか? 一回相手の技を見ただけで即座にコピーとか』

「できるわけねーだろ」


 漫画に出てくるような達人じゃないんだから。ただまあ、昔から見て動きを真似るのは結構得意だった。色々な武術の動きを体験するのも悪くないかもしれない。


「だが、とりあえずは普通にノーマル戦闘員からだな。あいつらでも、人間から見たらかなり強いし」

『え、まさか、その状態で戦闘員と戦うつもりですか?』

「ああ、サバイバルモードは無理だが、VSモードを使って一対一なら……」


 俺はマスカレイドの強化に余念がないのである。やれる事があるならまず手を出すところから始めるのだ。




-4-




「イーッッ!!」


 勝ち誇ったポーズで俺を蹴り飛ばしてくれた戦闘員イーを尻目に、ロビーへと帰還する。



[ 穴熊英雄 VS 戦闘員イー 対戦成績:0勝12敗 ]



 ミナミがオプションで購入したらしい電光掲示板には、見るも無残な対戦成績が表示されている。


「おのれ……」


 痛覚は極力カットしているからダメージはせいぜい痺れる程度だし、怪我をしてもロビーに戻れば回復するわけだが、戦闘員如きに敗北を味わわされるのは屈辱だった。人間の身体能力なら別におかしな事でない事くらい分かるものの、これまでゴミのように蹴散らしてきた相手に負けるというのは結構堪える。


「戦闘動画見せてくれ。……割と良い線いってる気はするんだがな」

『はーい。……予想以上に頑張りますね。なにがマスカレイドさんをそこまで駆り立てるのか』

「戦闘員の顔がムカつくんじゃ」

『覆面ですけど』


 それでもあの覆面の下はきっと嘲笑っているに違いない。そういう被害妄想が俺を突き動かすのである。



[ 穴熊英雄 VS 戦闘員イー 対戦成績:0勝18敗 ]



「くっそ……惜しいと思うんだが」

『ダメージ的にはまだまだ足りませんが、確かに有効打は当たるようになりましたね』


 それでも、ロクに歩けもしなかった最初のほうから考えれば格段の進歩のはずだ。最初は一瞬で終わってた戦闘時間も伸びてきた。


『あ、でも、疲労なのかそろそろ動きが悪くなってますよ。休憩入れましょう』

「くそ……マスカレイドならワンパンなんだがな」

『それはもちろん知ってますが』



[ マスカレイド VS 戦闘員イー 対戦成績:1勝0敗 ]



 ムカついたので、マスカレイドになってインプロージョンしてやった。次も穴熊英雄が出てくると思ったら銀タイツが出てくるという恐怖のドッキリだ。

 ……戦闘員イーは多分ただのデータなので、意味がない事は良く知っているぞ。


『動きをトレースしてみましたが、やはり体重移動に難がある感じですね……』

「感覚的にもそれは分かるんだが、動き回りながらだと厳しいんだよな」

『都度マスカレイドに戻って、動きを確認するというのは?』

「ああ、いいかもな。それでいってみよう」



[ 穴熊英雄 VS 戦闘員イー 対戦成績:0勝25敗 ]



「あとちょっとだと思うんだが……」

『いや、あれだけ食いついてる時点ですごいと思いますけど』


 とはいえ、動画で確認した戦闘員イーはまだまだ元気だった。成長している手応えはあるんだが、上手くコツが掴みきれないというか……。下手に戦闘時間が伸びただけに俺の疲労が加速してるのも問題だ。



[ 穴熊英雄 VS 戦闘員イー 対戦成績:0勝34敗 ]



 この訓練を始めて三日目。当初の説明動画撮影とかどこに行ったのかという勢いで、俺は連敗街道を爆走していた。

 経験を積めているのは確かなのだが、疲労の蓄積がヤバい。自然と休憩時間が長くなるので、戦闘動画のチェックや武術ビデオを確認しつつ、自分の感覚を調整していく。


『あの、そういえばその状態の時ってなんて呼べばいいんでしょうか?』

「なんだ急に。別になんでもいいんじゃないか? マスカレイドでも穴熊でも英雄でも」

『そ、そうですよね。でも、妹さんがいますし、やっぱり名前のほうが』

「じゃあ英雄でいいんじゃね」


 俺だってミナミとしか呼んでいないが、下の名前のつもりだし。


『じゃあ、えーと、英雄さん?』

「なんで照れるんだよ」

『しょ、しょうがないじゃないですかっ!! 慣れてないんですっ!』


 別に男の名前呼ぶくらい初めてというわけでもなかろうに。そもそもお前が言い出した事なのに。


『えーとその……英雄さん? ちょっとお伺いしたい事があるのですが』

「なによ」


 単に呼び名の話だけかと思ったが、用件があったらしい。


『この訓練始める前から薄々感じてたんですが、なんでそんなに頑張れるんですか? いやまあ、戦闘員がムカつくとかそういうのもあるんでしょうが、普段の活動も含めて良くモチベーション続きますよね?』


 いつかは突っ込まれると思っていたが、案外早かったな。

 ミナミの言っているのは間違いなく俺の基本的な姿勢の事だろう。自堕落な引き籠もりの行動に見えないって事だ。


「あんまり口にするようなもんでもないと思うが……まあ、ミナミならいいか。俺だってなんとなくとか、適当なノリだけでやってるわけじゃないしな」

『という事は明確な理由があると?』

「当然ある」


 普通なら、こうもストイックに活動できないというのは同感だ。俺自身それを理由にしているところもあるが、何もなければすぐに飽きて嫌になっているだろう。怪人対策を練るのだって、相手を陥れてほくそ笑むような趣味はあんまりないし。

 もちろんヒーローの万能感が面白いとか、怪人を放置するわけにいかないという理由もあるにはあるが、ただの引き籠もりが動く理由にはならない。


「穴熊英雄って奴は基本的に無責任なんだよ。義務とか責任とか、そういう言葉が嫌いなんだ」

『そうですかね? その割に言ってる事とやってる事が違うような。そりゃ、一般人を相手にするなら義務はないって言い切る姿勢は必要と思いますけど』

「建前とかじゃなく本心だぞ」


 ぶっちゃけ、八百長の時にハメたおっさんとかどうでもいいし。破滅させた罪悪感はちょっとあるが、それくらいだ。


「たとえば……そうだな、どこにでもいるおっさんがチンピラにカツアゲされてるとして、これを人間と怪人の関係だとする」

『はい、オヤジ狩りをしてるほうが怪人ですね』


 オヤジ狩りでなくとも構わんのだが、別にそれでもいい。


「そしてこの場合、チンピラを咎めて逮捕しようとする警察官がヒーローだ」

『なるほど。それで、おじさんはなんですぐ助けてくれなかったとクレームをつけるわけですか』

「いやまあ、この三角関係なら実際そうかもしれんが、今言わんとしている事は別だ」


 地味にヒーロー、怪人、人間社会の縮図になってしまったが、これは想定外だ。海外ならまた別だろうが、日本だとすごくありそうなのが不思議。


「この構図でいうならマスカレイドは大怪獣だ。一応警察組織に所属しているものの、どう見てもカテゴリが違うだろ的な超生物」

『たとえが適切かどうかはともかくとして、実際にそれくらい差があるのが困った話ですよね』


 どっちかにピント合わせるともう片方が見えなくなるからな。


「大怪獣だから、当然チンピラもプチっと踏み潰せる。厄介な事に、縮尺が狂っていてもピンポイントで怪人だけ潰せる器用さも持ち合わせている」

『こうしてたとえを出させるとどうしようもないってレベルじゃないですね』

「しかし、そんな視点すら違う大怪獣でも最低限の倫理観は持っていて、放っておいたら社会不安を招きかねないチンピラをどうにかしようという正義感くらいはあるんだ」

『……まあ、実は意外と正義感がありますよね、大怪獣』


 意外は余計である。


「さて、一般的な市民感覚を持つこの大怪獣だが、実は非常に面倒臭がりで無責任だ。チンピラをプチっと潰す分には大した労力もないから排除するものの、自分と同じスケールの敵が現れたら途端に面倒臭くなる。たとえそいつが十回やって九回は勝てる実力差がある相手だとしても、自分以外の誰かがやれと思ってしまうくらい無責任だ。一割でも負ける可能性があるなら、負けた時の事を想像して尻込みするくらい臆病でもある」

『大怪獣さん以外誰も戦える人がいなくても?』

「……そう、多少なりとも倫理観、正義感のある怪獣は、他に戦える奴がいないならと重い腰を上げる。一回二回程度なら仕方ないで済ませるだろうが、次第になんで自分だけが頑張らなきゃいけないんだと不満を持つようになる。そうしたら大怪獣が次にやるのは、自分が戦わないでも済む方法を模索する事だ。最悪、どこかへ逃げ去ってしまうかもしれない」

『……マスカレイドさんもそうなると?』

「なるだろうな。俺が無責任な事は自分で良く分かってる」


 マスカレイドとしての俺しか知らないミナミじゃ実感は湧かないかもしれないが、ウチの家族なら大体似たような評価になるんじゃないだろうか。


「使命感も正義感も責任感も必要とせず、片手間に怪人を倒せるくらい強くなればこの不安要素は消える。俺が自己強化に余念がないのは、そのための絶対的アドバンテージを稼ぐ手段だからだ」

『なるほど。……分かったような分からないような』


 背が見えるくらい追いつかれたら危険信号だと思っていい。アホみたいに実力差があるのは変わらないが、その距離は見えているよりは短いという事だ。

 俺は自分が無責任である事を信用している。だから、それが顔を出さないように対策しているに過ぎない。

 創作の強者に有りがちな、全力を出せる同等の相手など求めていない。俺は常に無敵でありたい。そうしないと逃げ出してしまうからだ。


「もしも俺が大怪獣じゃなくて多少強いくらいの警察官だったら、すでに投げ出してるかもしれない。俺以外の他のヒーローがいても、そいつに任せてしまうかもしれない。それが分かってるから、そういう事にならないように事前準備を怠らないわけだ」

『…………』


 ウインドウの向こうのミナミは無責任な俺を責めるような表情ではなく、生暖かいものを見る目でもなく、神妙な、どこか合点がいったような表情を見せていた。ある程度は俺についての評価・分析をしていて、近い答えを抱いていたのかもしれない。


「これが、日本とか世界とか関係ない話だったらここまでやらないんだが、比較的小市民な俺はそうやって無理くり自分を納得させて動いてるわけだな」

『思ったよりちゃんとした答えが返ってきてびっくりしました』

「立場上、お前は知っておいたほうがいいだろうしな」


 根本的に引き籠もりなのだから、この気質は変えられない。


「今のこの環境って、気持ち悪いくらい俺を働せるために有効な条件が揃ってるんだよな。もしもかみさまが最初から狙って誘導したのなら戦慄するくらい」

『え、あーと、ないんじゃないですかねー。あのかみさまですよ』

「まあ、ないな。というか、大体俺が提案した結果なんだよな。墓穴を掘ったような気がしないでもない」


 この環境以外なら……俺は多分、ここまで精力的に活動しなかっただろう。個人的にどちらがいいかは分からんが、運命の妙というやつだ。


「さて、真面目な話が終わったところで、あと一戦やって今日は終わりにするぞ。そろそろ、マスカレイドへのフィードバックも実感できてきたし、本気出していきたい」

『本当にフィードバックされてるんですか……』

「これからも頑張って、怪人たちを絶望の底に叩き落として行きたいと思います」


 それが穴熊英雄でありマスカレイドの基本方針なのだ。




[ 穴熊英雄 VS 戦闘員イー 対戦成績:1勝34敗 ]



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