第八話「腐食怪人Bリンクス」




-1-




 とある同人誌即売会。場所的な問題も然ることながら取り扱うジャンルが限定的なために小規模にならざるを得ない、ほとんど身内向けのイベントである。そんな場所で、誰もが予想しなかった光景が繰り広げられていた。


(一体どういう事なの……)


 参加者の一人である女性同人作家は困惑していた。

 イベント当日、割当てられたブースにやって来てみれば隣のブースに巨大なザリガニがいた。着ぐるみではない。

 あと微妙に生臭い。


「あ、今日飛び入りで合同ブースにさせてもらってます腐食怪人Bリンクスです。これ新刊なんで良かったらどうぞ」

「は、はあ……」


 見かけのわりにやけにフレンドリーな化物が薄いオフセット本を差し出す。

 どう見ても化物……多分、最近噂の怪人というやつなのだろうが、愛想良く話しかけて来た相手を無視するのもアレだしと、挨拶代わりに自分の本を差し出す。何をやっているんだと思いもしたが、混乱し過ぎて事務的な行動しかとれない。……というか、逃げ出すタイミングを逸してしまった。

 元々そのブースの主だった知人作家の顔を覗き込むが、目を合わせてくれない。本人が不本意である事は伝ってくるが、どんな経緯があればこんな事になるというのか。


「いやー、私普段はフランスのイベントなんかをメインに参加してて、日本のイベントは初めてなんですよ。思ったより小さい場所なのはビックリしましたが、扱ってる本の数はすごいですよね。桁が違います」

「は、はあ……」


 小さいのは当たり前だ。福岡はそれなりに栄えているとはいえ、東京などに比べれば同人人口も少ない。加えて、地元民くらいしか存在を知らないようなマイナーイベントである。それなりに名が売れた作家も何人か参加しているが、出身地だから義理で参加してくれているだけだ。成人女性向けオンリーという狭いジャンルもあって、会場のほとんどは見知った顔ばかりである。ザリガニ以外は。


「そ、それでBリンクスさんはなんでこのイベントに……」


 まさか、殺されるのだろうか。この会場で虐殺が始まってしまうのか。

 最近ネット上で何かと話題になっているから目にする機会も多いが、怪人は基本的に凶悪らしい。日本では直接殺された者はいないという話だが、海外では結構な人数が殺されている。何故か今のところ友好的ではあるが、怪人を挟んだ向こう側にいる知人作家の顔色は今にも死にそうだし、脅迫されている可能性が高い。ここで一目散に逃げ出せば助かるかもしれないが、それが刺激になって暴れ出すという事も……。迂闊な行動がとれないのはもちろんだが、そもそも恐怖と困惑で思考が働かない。


「いやー、この本の受けキャラに使ってるマスカレイドっていうヒーローがいるんですがね。これ、この銀タイツ」


 表紙に描かれている銀タイツは若干デフォルメされているものの、ニュースなどでも時々見かける姿だ。

 という事は、この怪人は敵対しているヒーローの同人誌を描いて売っているという事に……。


「こいつがあまりに化物染みた強さなんで勝てそうにないんですわ。なんで、私みたいな弱小怪人はこうやって社会的イメージにダメージを与えるべく草の根活動をしているわけですねー。でも、あの筋肉は絶対ホモです。間違いない」

「はあ……」


 趣味なのか、仕事なのか、あるいは本能なのか良く分からない。銀タイツがホモかどうかも分からない。

 でも、ここの人たちを皆殺しにしに来たわけでもなさそうである。化物がずっと横にいるのはアレだが、タイミングを見て席を外して戻って来なければ大丈夫そうだ。……逃げようか。自分のブースを放り出すのは良くない事だが、この際背に腹は代えられないだろう。


「……あれ?」


 目の錯覚だろうか。怪人の後ろに、本の表紙と同じ銀タイツの大男が立っているのが見える。さっきまではいなかったはずだ。

 イベントのジャンルがジャンルだけに、異常に体格のいい大男はそれだけで目立つ。入口からここまで誰も気付かなかったというのはちょっと考え難いが、話に聞くヒーローならそれくらいできるのかもしれない。

 危機感がないのか、Bリンクスは背後の銀タイツにまったく気付いていない。


「あ、あの……」


 口を開こうとすると、怪人越しに見えるヒーローが唇に人差し指を当てて黙っていろというジェスチャーを見せた。


「オイオイオイ」

「死ぬわアイツ」


 ブースから少し離れた場所で客らしき二人組が呟く。完全に状況を理解した上での野次馬らしい。


「ほう、怪人×ヒーローですか……」


 そして、物怖じすらせずに怪人の本を物色しにやってくるメガネの腐女子。


「ど、どうですかね? 自分なりに日本の絵柄に挑戦してみたんですが……」

「たいしたものですね」


 サンプル本をパラパラと捲った上で、やや緊張の見える怪人に向かってメガネ腐女子が言う。


「時事ネタ的に扱われるヒーローや怪人は注目度がきわめて高いらしく、情報を集めている同人作家も多い。中には海外で現れたというヒーローをTSさせて異種姦モノを描いている作家もすでにもいるくらいです」


 謎の解説が始まった。何故、このメガネは目の前の化物に疑問を抱かないのか。


「なんでもいいけどよォ」

「相手はあの銀タイツだぜ」


 そして、後ろで距離を取っている腐女子二人は何故あんなにガラが悪いのか。まるでチンピラのようだ。


「ヒーローを陵辱……そんな世界があるなんて。しかも、女性ヒーローではなくわざわざ男性をTSさせるなどと……」


 唐突に始まった解説に、怪人は感銘を受けたらしい。相変わらず前しか見ていない。

 後ろに立つ銀タイツはものすごく嫌そうな顔をしていた。どうやらそういう趣味はないらしい。


「しかし、あえて安易なTSなどという逃げに走らない潔さ、申し訳程度のプロレス要素までそえて内包ジャンルのバランスもいい」


 ジャンルのバランスとは一体……。


「それにしてもそのヒーローが真後ろにいるというのにそれだけリラックスできるのは、超人的な胆力というほかはない」

「そ、そうですかね。誰だか知りませんが、恐縮です」


 怪人は言われている事を理解していないのか、ただ恐縮していた。すごく真面目そうな反応だ。怪人だが。


「あーその、頑張って」

「あ、はい、どうも」


 結局、謎の腐女子は購入もせずに去って行った。


「よし……と――」

「よし……と――じゃねえよ。何釣り銭のチェック始めようとしてんだよ!」

「……え?」


 ようやく気付いたらしい怪人が後ろに振り向く。……時間が止まった。


「ま、ままままーーーーーっ!!」

「勝てないからって汚い手を使い始めるあたり、さすがだな。汚い、さすが怪人、汚い。外道の権化だ」

「ち、違っ!? これは趣味で!! 私、ホモとかBLが好物なんでー!!」

「お前、草の根活動とか言ってたじゃねーか」


 趣味かどうかはともかく、言い逃れしようもなかった。実際公言してるし。


「というわけで、こいつ回収していくんで」


 銀タイツが怪人の肩を掴む。誰も止めるつもりはなかった。


「あ、ちょっ……話が違うっ!! マスカレイドは現地で人殺しさえしなければ見逃してくれるって……」

「それはデマだな。お前フランスでも前科あるし、怪人は滅するべし」

「あんぎゃーっっ!!」


 硬そうな外殻に覆われた怪人の肩にヒーローの指が埋没した。軽く掴んだだけのように見えるのに大ダメージである。


「ここで爆発させるのはアレだし……なんかこいつ入りそうな袋とかない?」

「え、えええと、グッズの手提げ袋か……ダンボールくらいしか」


 脅迫されていたらしい合同ブースの主が答える。どちらも怪人の巨体が収まるようなものではない。


「じゃあ、ダンボールでいいか。おい、小さくするからまだ爆発するんじゃないぞ」

「小さくするって……や、やめろっ!! 何をする気だ!? そんなところには入るわけ……ぐああああっ!!」


 ヒーローによる怪人のサブミッションショーが始まった。流れるような動きではあるが、関節技のように見えて体の各部を圧し折っているだけである。こうでもしないとダンボールには収まり切らないのだ!

 結果、何分の一かに圧縮された怪人がダンボールに収まった。色々はみ出してはいても、運ぶのには支障なさそうだ。

 ヒーローはやり遂げたという顔をしているが、収められた怪人は物言わぬ屍のようになっている。正に、あとは出荷されるのを待つのみの状態だ。……台車とか用意したほうがいいんだろうか。


「この劇物も一緒に始末しないとな。くそ、なんで無駄に豪華なオフセット本やねん」


 ヒーローは陳列された同人誌を空ダンボールへと放り込み、怪人の箱と重ねてどこかへと去って行った。会場にいる者たちも歩いて行くのは見えたが、いつの間にか姿が消えていたと証言している。その後、会場の上空付近で爆発音が響いたが、本件との関連性は定かではない。

 また、怪人が作成したという同人誌は一冊だけ現存し、伝説として妙なプレミア価格が付く事となる。




-2-




「また、汚らわしいモノを始末してしまった」

『お疲れ様です』


 怪人を討伐して帰還。部屋ではいつも通りミナミが画面向こうから迎えてくれた。

 そこまではいつも通り。少し違うのは、人の気配があった事だ。俺がいない間、誰かが部屋にいたように感じる。


『さっき、妹さん来てましたよ。旅行前で一応声掛けに来たみたいです』

「例の旅行か。たかだか十分程度なんだがタイミング悪いな、あいつ」

『バスの時間が間に合えば、マスカレイドさんの勇姿を見れたんですがね。戦闘入るまで長かったんで、オープニング入る前に行っちゃいました』

「怪人があまりに場に馴染んでたんで、声掛けづらかったんだ」

『いろんな意味ですごかったですね、今回の』


 腐食怪人とか言われて、被害が出ている事覚悟で出動してみれば腐女子の類だからな。いや、見かけは半分ザリガニだから女子かどうかは良く分からんが。


「しかし、あるとは思っていたが、怪人側でも変な誤解を生んでるみたいだな」

『相手側の情報網が分からないんで、上手く伝わるかも博打みたいなもんですからね』

「怪人側の抑止力云々はあわ良くばって程度の保険だったから、それはまあいいんだが……」


 ノーブックを殺さずに帰した事で発生すると見込んだ方向ではないが、まるっきり効果がないわけでもない。この際、そこまで気にしない。今回のケースで問題なのは、怪人がとった手段だ。


「あいつら、いきなりエグい手を狙いに来やがったぞ」

『アレ自体には大した影響ないでしょうけど、方向性はあまり楽観視できないですね。社会的イメージの失墜なんて、マスカレイドさんの数少ないウィークポイントですし』

「偶然かもしれんが、対応が早過ぎる」


 一般社会にヒーローの存在を認知させるための八百長試合の次にもうコレだ。今後の流れ次第では対応方法を検討する必要があるかもしれん。

 ……俺の事は噂程度にしか知らなかったようだし、たまたまこのタイミングだったって可能性がないわけでもない。ないが、気を引き締める必要はあるだろう。油断などしない。


「事前の対策として、どんな方法なら社会的地位にダメージが与えられるか、検討してみるか」

『あとは単純にマスカレイドさんの精神ダメージもですね。お互い、想定される手段を考えてレポートにしてみましょう。その上で対策を検討と……』

「ミナミさんならエグい手も色々思いつくだろうから、レポート見るの怖いわー」

『ははは、たかが女子高生の考える事ですから、マスカレイドさんの悪辣さには負けるかと』

「ははは」


 お互い乾いた笑いだった。……正直、俺も悪辣な部分があるのは認めるが、ミナミのそれは違う方向性で異常がある気がする。今回の件だって、部分部分で尖ったアイディアを出して来そうで怖い。VRの怪人製作で作ったというツルペタ・ボディなんて、俺の想像を絶する凶悪さだったからな。




『まー、それは課題って事で。出撃前に話してた報告に戻りましょうか。例のバージョン2はそのあとで』

「ボルテック・ジャッカー戦とノーブック戦の影響な」


 あれから一週間経ったが、どの程度影響が出ているかをミナミにまとめてもらった。報告を待たずして、まさか同人誌即売会の会場で知名度が上がっている事を実感するとは思わなかったが。


『まず、地域によってバラつきが大きいですが、全体で見ればマスカレイドさんの知名度は確実に上がっています』

「そりゃそうだろ」


 むしろ、これまでの流れで完全無視を決め込まれるほうがビビる。無関心な現代人ってレベルじゃない。


 バスジャック事件とTV局襲撃事件、この二つの怪人事件は日本における怪人とヒーローの知名度を一気に引き上げた。

 爆弾事件があったあとでもどこか他人事で、世界に於ける台風の目の如く平穏に過ごしていた日本でも、今後は無関係ではいられないと気付いた者は多いだろう。


『日本が台風の目っていうのは言い得て妙ですね。怪人が出現したい場所を分布図にしたら、そんな感じになりそうです。怪人被害の危険度とかも』


 マスカレイドが怪人から恐れられているのは良く知っているので、ミナミの言いたい事は分かる。それを意図的にその状態を作り上げている思惑もある。むしろ望んだ結果ではあるのだが、なんでやねんという気持ちもあるのも確かだ。変なイメージが定着し過ぎである。


『でも、これまで全然関係なかった地方は未だに無関心ですよ。ネット社会といえどもド田舎はさすがに格が違った』

「田舎への謂れなき中傷はやめなさい」


 江戸っ子ミナミちゃんには関係ないかもしれんが、この街もそこまで栄えてるわけではないから、同意するとカウンターになりかねない。


『そういうのはマスカレイドさんのところじゃなくて、本当の山の中とかですけどね。というわけで、具体的な分布図も用意しましたから見て下さい』


 PCの画面に日本地図が表示される。その地図には過去に怪人が出現した位置が黒丸が置かれている他、都市部を中心に色の付いた円が広がっていた。ちなみに、PCが完全に乗っ取られている事については今更突っ込むつもりはない。


『これは各メディアの影響範囲とネットでの関連アクセスやメールの送受信を元に、どの程度ヒーローが認知されているのかを視覚化したものです。色は情報ソースの違いですね』


 想定していた以上に分かり易く高度な代物が提示された。


「……お前、日本全土監視してんの?」

『やだなー。関連ワードを拾って送受信先を特定してるくらいですよ。中身は見てないですって』


 そういう問題ではない。いや、そこまでやってたら更に問題だが、これが問題ないわけでもないしできないとも言ってない。実はエシュロンを掌握してますって言い出しても納得してしまいそうだ。


『かみさま権限って便利ですよね』

「そうね」


 聞きようによっては極めて恐ろしいセリフだ。改めてミナミに権限を持たせてしまったのが悔やまれる。かみさまが面倒なのも分かるし俺にとって色々都合が良いのも確かなのだが、怖過ぎる。


『監視じゃないですけど、一応ニュース動画や新聞・週刊誌の記事の類は集めてあるので、すぐにお見せできますよ。私ってマニアックやなーって思いながら作ったスクラップ集とか』

「身内が有名人になった時の反応だな」

『いや、忘れてるかも知れないですけど、私マスカレイドさんのファン一号ですし』


 そういえばそういう話だった。キキール戦見てファンですって言われるのもドン引きではあるんだが。


『まー脱線した話を元に戻して、ミナミちゃんが精魂込めて作った分布図ですよ。直接ヒアリングしたわけでもないので正確とは言い難いですが、それでも一定以上の精度はあるはずです』

「この色の濃い部分が怪人やマスカレイドの知名度が及んでる範囲って事か」


 思ったよりは広いというのが正直なところだ。ニュース見ない人もいるしこの範囲内でも差はあるんだろうが、円内であれば目に届く範囲に情報があるという事である。それだけ身近になって来たという事だ。


『あ、マスカレイドさんとは限りません。拾ってる単語は『ヒーロー』とヒーロー名、あと『怪人』なので』

「ああ、この業界全体の話題なのね。俺だけの場合も出せたりする?」

『できますけど……そもそもマスカレイドさんの名前は認知されてないんで、抽象的な単語も拾わないといけない分ちょっと精度に不安が』

「なんでやねん。ちゃんとノーブックに叫ばせただろ」


 台本通りに俺を見て名前を呼んだはずだ。放送された映像にものっている。というか動画サイトでも見たし。


『名前だと思われてないとか? 大体銀タイツとか蝶マスクの人って呼ばれてます』

「おのれ……」


 そういえば、未だにネット上では名前を見た覚えがない。

 自己紹介したほうが良かったのか。いやしかし、そんな演出を入れる余地はなかったし……。


『なんか、各地で銀タイツとか蝶マスク売れてるみたいですよ。おもちゃ感覚なんですかね?』

「この格好に憧れるとは思えないんだが……」


 最近慣れて来た感はあるが、この格好がダサいのは自覚している。宴会芸などのネタにでも使うつもりだろうか。


『いっそ、正規ブランド品として売り出しましょうか。マスカレイドさんが活躍するほど売れそうです』

「いや、どうやってだよ。お前の伝手を使えばどうにでもなりそうだが、極力正体隠そうとしている時に取る行動じゃねえよ」

『例のバージョン2ってそこら辺のサービスがありそうじゃないです?』

「……ああ」


 ……すごくありそう。




-3-




『そういえば、情報拡散状況の調査をしている時に気付いた事があるんですが……銀行強盗の時の長谷川さん覚えてます?』

「ああ、そりゃ……あの人がどうかしたのか?」


 実質、マスカレイドが普通に会話を行った唯一の一般人である。関係者を除けば日本で一番ヒーローに詳しいだろう。


『あの人、いろんなところで見かけるんですよね。主にヒーロー関連のところで』

「それはネット上でって事か?」

『ネットとリアル両方です。監視カメラに映ってたり、例の評論家が出演予定だった番組の観覧に応募してたり。目的は分かりませんが、随分と活動的に動いてるっぽいです』

「ふむ」


 話した際には常識的な人だったし、問題を起こしそうな人でもなかったが……。


「仕事は? 銀行マンなんて忙しいだろ。そんな時間あるとは思えないんだが」

『あの事件が直接の原因かは分かりませんが、辞めたみたいですね。就職活動はしてるみたいですが、現在は無職です』

「ようは求職中で時間はあるって事か。その時間で色々嗅ぎ回っていると」

『大した事はしてないんですけどね。ただ、調べる先々で痕跡があったのでちょっと気になって』

「放置しても問題はなさそうだが、気にはなるな」


 強盗の時には警察の事情聴取を受けて、マスカレイドと接触してる事も供述している。長谷川さんがそこまで協力的でなかったのもあるだろうが、その時は警察もそこまでヒーローという存在に注意を払っていなかったはずだ。爆弾怪人を討伐した者の正体も分かっていない時期に湧いて出た謎の銀タイツ程度の認識だったと思う。

 だが、バスジャック、TV局襲撃とマスカレイドの顔が売れた今、唯一接触を持った長谷川さんに警察や政府が近付く可能性もある。ヒーローの調査なんて怪しい事をしてたらなおさらだ。


「……その長谷川さんを誰かがマークしてる痕跡ないか?」

『ああ、今なら警察が再接触してきそうですよね。失念してました、一応調べておきます』

「変な事言わないように忠告しておいたほうがいいかな。メールでも送ってみるか? ミナミなら調べられるだろ?」

『もう接触済みなんで直接電話してみては? 番号分かりますし、発信元偽装くらいならできますし』

「ああうん、そうね」


 メールアドレスどころか個人の電話番号まで調べられていたらしい。ミナミ的には分かってて当然的な反応である。

 というわけで、本人に直接電話をかけてみる事にした。発信元が非通知になるので取ってもらえないかもしれないが、その時はメールでいいだろう。


『はい、どちらさまでしょうか』


 発信元不明にも関わらず、長谷川さんは普通に電話に出た。


「どうもお久しぶりです。マスカレイドです」

『……は?』


 当たり前だが、一度会っただけのヒーローから電話がかかってくる事は想定していなかったのか、間の抜けた反応が返ってきた。


『……イタズラ電話ですか?』

「いえ、銀行強盗の時に話したヒーローです。銀タイツの。覚えてません?」


 沈黙。


『……え、えーと、どういったご用件でしょうか? というか、どうやってこの番号を?』

「特定方法はとりあえず置いておくとしてですね。いくつか確認したい事があって」

『あー、本人か確認とれない以上は、あんまり変な話もできないししたくないんですが。最近、誰かに監視されてる様子もありますし、この電話も……』


 それはミナミ……じゃないだろうな。痕跡を追っていただけで気付かれる事はないだろう。これは別に長谷川さんをマークしている存在がいると思っていいだろう。

 画面にミナミに目配せをすると、頷き返して来た。


「この電話に関しては傍受もされてないですし、通話記録も残しません」

『は、はあ』

「本人証明についてはお互いしか分からない内容でいいですかね? 強盗怪人をトイレに流したとか」

『あ、十分ですハイ。そんな詳細は警察にも話してないんで』


 聴取内容は知っていたが、それでとりあえず納得したらしい。最初から声で気付いていたっぽいが。


『それでどうしました? やっぱり最近の監視絡みでしょうか』

「それは直接関係ないですけど」


 チラリとPCの画面に目を向けると、いきなりメモ帳が立ち上がり、ミナミからのメッセージが表示された。


[すぐに調査できない相手っぽいです]


 ……マジで。


「長谷川さんをマークしてる相手はとりあえず置いておいて、色々調査しているようなのでその真意を聞きたいなと。時期的に変な情報流されてても困るので」

『そういう事でしたら、ただ興味本位で調べているだけというか、暇を持て余してというか。明確な理由があるわけじゃないです』


 思ったよりふわっとした動機らしい。


『ただ世間では情報が錯綜してるんで、正確な情報が欲しかったのは確かです。元職場の人間なんて、現場にいた上に私の話も聞いてて尚変な事してますからね』

「変な事?」

『あーその、以前ヒーロー……マスカレイドさんと会った銀行の窓口でですね、ヒーロー饅頭なんてもんを売ってるんですよ。売ってるのは外部の業者なんですが、銀行の許可までとって街興しの一環とかいって。結構売れてるらしいです』

「…………」


 なんだそりゃ。


『そういう変な事を止めるにも何も知らないんじゃ説得もできないので、できる範囲では情報を集めてるって感じですね』

「……なるほど」

『あ、やっぱり迷惑ですよね。私もう銀行辞めましたけど、それとなく上手く言って止めさせるんで……』

「いや、饅頭は正直どうでもいいんで放置しても構いません」


 関係ない銀タイツや蝶マスクが売れてる状況で、饅頭だけ取り締まっても仕方ないし。


「とりあえず状況は分かりました。長谷川さんを監視してる相手はこっちでも調べてるので、ひょっとしたらまた連絡するかもしれません」

『あ、はい。いつでもどうぞ』


 というわけで電話を切った。

 ……なんというか、普通だ。最近アレな人たちと接触する機会が多かったので、普通さが新鮮である。ザ・一般人って感じ。


『……こっちは駄目ですね。ちょっと本格的に調査しないと』


 画面の向こうの逸般人を見てると余計に感じる。あと怪人とか。


「なんかヤバそうな相手なのか? 警察とかじゃなく?」

『かなり厳重に痕跡消してるようなので、ネット上からだと調べるのに二、三日はかかりそうです。警察にしても専門の部署か何かですかね。外国って事はなさそうですが、政府関連は有り得るかも。すぐ身の危険がどうこうって事はないでしょう』

「ならいいが……」


 長谷川さんの言うとおり、情報が錯綜してて相変わらず日和見気味な日本だが、動くところは動いてるって事か。爆弾怪人の時に臨時で設立した対策本部以降公的な組織はできていないはずだが、裏ではちゃんと働いてるのかもしれない。

 これだけ情報が少ない中なら、直接接触した長谷川さんは確かに有力な情報源になり得る。……なんか、迷惑かけそうだ。


『いっそ、長谷川さんに窓口になってもらいますか? 日本円でいいなら給料くらい私が出してもいいですよ』


 おい、女子高生。


「……まあ、今のところはないな」


 対応としてナシではないが、それは長谷川さんを完全に巻き込む形になる。簡単に判断していい事ではない。

 ……状況次第かな。




-4-




『じゃあ、話を元に戻して……例の件について』

「バージョン2な」


 怪人システムバージョン2だ。

 いきなりなのでなんの事やらという感じではあるが、現在の怪人出現に関するシステムはバージョン1であり、そろそろバージョン2へ移行するという告知が発表されたのである。むしろ今は0.5とかベータテスト的な状況にも見えるんだが、一応完成系ではあったらしい。

 そして、それが大々的にアップデートされて2.0になるという。大雑把な内容しか書かれていないが、ティザーサイトまで用意されていた。


「……これ、タイミング的に俺がトリガーなんだろうな」

『告知されている内容からしても、多分。名声値システムとか、ヒーローの存在が認知されていないと始まりようもないですし』

「だよなぁ……」


 思うに、このバージョン2は爆弾怪人戦の時に開放されるものだったのではないだろうか。

 普通に考えれば、あの事件はお披露目イベントだ。すべての国・地域で担当が決まり、あなたたち人間には怪人という敵とヒーローという味方がいますよという告知を兼ねている。日本以外の国ではある程度認知されていたのだから、あとはこの国に情報が広まればいいという段階だ。

 過剰なまでに派手なイベントにしたのは、ヒーローが表に出て解決しないといけない状況を作り出す目的もあったのだろう。日本に投下された爆弾怪人の数が多かったのだって、ひょっとしたらそれが目的だった可能性だってある。

 しかし、結果だけ見れば怪人は見事討伐された。……五体とも、謎の銀光によって。

 ……元々、調べれば情報は出て来るような段階だ。あれがヒーローのやった事と分かっていた人もいただろう。しかし、大多数は謎の光が発生して自爆したとしか見ないし、見えない。少なくとも、ヒーローの一般的な認知には至っていない。


 怪人システムバージョン2には、ヒーローが一般人に認知されている事が前提のシステムが含まれている。

 認知されていない状態でも強行はできるだろう。けれど、より良い状態でリリースできるタイミングを待った。唯一台風の目であった日本にヒーローの存在が認知されるのを待った。……そう考えたらこのタイミングも頷けるのだ。


 それが良い事か悪い事かは判断が難しいところである。この怪人システム、さすがに運営元が同じなだけあって、怪人とヒーローどちらか一方に有利な修正ではない。ただ、環境の変化は大きい。適用後も慣れが必要になるだろう。

 また、リリース日は不明、現時点で分かっている変更点はティザーサイトに記載された概要だけと、足りない情報も多い。


< 戦闘員参戦許可 >

 まず、戦闘がガラリと変わる変更点がこれだ。いつかは来るだろうと予想していたが、とうとう表舞台にも塔の建材こと戦闘員さんたちが現れるようになるらしい。出現する怪人のランクによって同行可能な戦闘員の上限も変わり、中には戦闘員をパワーアップさせる能力を持つ怪人も現れる予定だとか。

 随伴するかは出現する怪人の任意になるので毎回戦闘員と戦う羽目になるわけではないだろうが、頭数は単純に戦力強化に繋がる。一対一の戦闘にしか慣れていないヒーローは苦戦を強いられるかもしれない。俺は慣れているが。


『現実であの変なオブジェ作ったらドン引きされますからね』

「そりゃそうだ」


 自覚はある。あの時はちょっと変なテンションだったのだ。普段の俺は決してサイコパスではないのである。

 ちなみに、危険性という意味では画面向こうにいる女の子のほうがよっぽどヤバいような気がしないでもない。


「そもそも、リアルだとすぐ爆発するんじゃねーの?」

『それは……どうでしょうね? 演出的には怪人倒したら一斉に爆発とか?』

「……ああ」


 ありそうではある。いや、かなりどうでもいい部類の疑問ではあるのだが。




< 国/地域ごとの名声値追加 >

 そして、導入タイミングの根拠にしていたのがこの変更点である。

 地域、国といった区切りごとにヒーローの名声値が設定され、様々な補正を受けるようになるとの事だ。

 そこにいる人間の感情を読み取り、ヒーローへの好感などで上昇、怪人への恐怖などで下降。ここに怪人の討伐や過去の被害状況といった実績も含まれる。これが最低値0から最大500の範囲で変動する。また、基準となる名声値は250であり、これが現在とほぼ同じ環境になるらしい。0になれば怪人が出現しっぱなしにでもなるのだろうか。



「目立って活躍すれば、その地域での戦闘は有利になるって事だな。……これ、上がる時は勝手に上がるけど、下がり始めたら歯止めが利かない仕組みだよな」

『不安とか恐怖は伝染し易いですからね。任意で上げる方法が少ないのも……』


 討伐回数で稼ぐのはいいとしても、住民の感情はコントロールが難しい。

 一番手っ取り早いのは住人の目の前で怪人に"快勝"する事だが、逆に言えばそれ以外有効な方法がない。しかもこの場合、被害を出したらそれだけで名声値が下がりかねないというのも問題だ。

 ゲームのように、クエスト達成で名声値を上げられたりすれば楽なのだが。


『完全に表に出て新興宗教的なものを立ち上げれば恒常的に上がりそうですね。マスカレイドさんの場合、拠点から出れないですから難しそうですけど』

「俺が教祖様って? やめてくれ」


 部屋から出る気はないし、利点があろうがやりたいとも思えない。

 だが、完全な意味で拠点に引き籠もっているヒーローは俺一人か、いても少数派だから、世界のどこかではそういう変に活動的なヒーローが現れたりするのかもしれない。しかも、バックにマジモノの神様がいるのがまたアレな感じである。

 ……飛び火しそうだからやめて欲しいな。




< 名声値による補正と購入商品/サービスの追加 >

 名声値によって影響を受けるのは怪人の出現間隔、制限時間、怪人のランク、同行戦闘員の人数、支援要請の許可や人数など。

 名声値が低いと強い怪人が多くの戦闘員を引き連れて出現し、長い間暴れ続けると怪人側に有利な環境が揃う。逆に高いとヒーローが有利になる仕組みというわけだ。ちなみに、マスカレイド相手にそれが望ましいと考えるかは別問題である。

 これは直接的な戦闘力に影響するわけではなく、あくまで戦闘環境・条件への影響と考えたほうがいい。つまり、いくら名声値が低かろうとマスカレイドが弱体化する事はない。


 ただ、明言はされていないが名声値を基準にして威力が変わる必殺技などが出てくる可能性はあるだろうなとは考えている。ほら、みんなから元気を分けてもらって撃つ玉みたいな。


 また、名声値によってカタログの商品に追加が入る事もあるらしい。

 正式導入前で具体的なラインナップは不明だが、ティザーサイトに載っている例としては一定期間その地域・国で怪人を出現させないようにしたり、出現時間を短縮したりといったサービスが並んでいる。別途ヒーローポイントが必要になるが、確実な休みが欲しい場合は利用してもいいだろう。



『さっきの話ですけど、マスカレイドさんのグッズ売り出したら名声値上がりそうですよね』


 本来の目的とはかなり乖離している気はするが、知名度向上には役立つかもしれない。


「確かにそういう商品を売り出す仕組みを組み込んできそうな運営ではあるな」

『パチモノを売られるよりは、監修したものを売ったほうが良いような気もしません?』

「ニセマスカレイドみたいなのが出てきそうな話だな」


 そいつが引ったくり事件とか起こして、イメージダウンするまでがセットだ。正規品出そうが防げないし、関係なく発生し得る問題ではあるが、変な企業に勝手に名前を使われて儲けさせるよりはいいのかもしれない。いや、今のところ売る気はないんだが。


『名声値関係なしに、マスカレイド饅頭とか売り出すところもあるわけですしね』

「……そうな」


 自分のグッズが勝手に売られるのは、確かに微妙な気分になるな。でも、ちょっと欲しいかもしれない。




< 怪人/ヒーローのセカンドフォーム解禁 >

 そして、実は俺的に最も興味を惹かれるのはこれ……セカンドフォームである。

 そう、後半クールになると登場したり、最近では頻繁に追加されたりするパワーアップだ。なんらかの条件で習得するのか単にカタログで購入するのか詳しい情報はないが、どうやら戦闘中に任意で発動できる変身システムらしい。

 最初からカタログに記載されていた上位型のスーツは変身用ではなく、あくまで強化用装備の一つでしかなかったというわけだ。


『そういえば、アレってなんで購入しなかったんでしたっけ? 普通に買えますよね?』

「性能的には必要ないし、変更しても大してデザイン変わらないからな」


 確かに今のスーツと比較すればパワーアップはするが、向上しているのは主に防御や耐久面で、マスカレイドの性能から見れば誤差の範疇である。日々の生活に直結する汚れ防止機能や環境適応機能に差があれば買っていたかもしれないのだが、ここら辺は据え置きだ。

 また、デザインが全身銀色なのも購入を控えている理由の一つである。買える範疇とはいえ、安くもないし。


「でも、強化変身っていうのはいいよな。そそる」

『分からないでもないですけど、また無駄にパワーアップしてしまうわけですか』


 戦力的に必要あるかと言われれば疑問は残るが、無駄ではない。そこには男の子のロマンがあるのだ。

 あくまで変身であり、常時使っているわけでもないから部屋の肥やしにもならないといいとこ尽くめである。




「というわけで、バージョン2についての総評だが。……マスカレイドの活動方針に影響のあるコンテンツはないな。普通に続報を待とう」

『身も蓋もない総評ですね』


 細かい部分では調整が必要なところも出て来るだろうが、大きな影響はない。

 多分これが大きく影響するのは、戦力的に不安を抱えるヒーローか大きなチームを作っているグループだろう。

 これをチャンスとするか、変化についていけずに脱落するか。世界的のヒーロー情勢には色々変化がありそうである。



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