第七話「闘魂怪人ノーブック(改名前)」




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 欲望、情念、本能、星の意思、強き感情が形となり、方向性を定められ、歪められた意識は怪人として悪を彩る。

 そんな発生経緯で創造された存在が歪である事は、誰の目から見ても明々白々であろう。怪人も自身が歪んだ存在である事を自覚している。

 怪人たちの総統、偉大にして愚劣なるジョン・ドゥも自身が歪んでいると自覚している。自覚した上で悪を演じている。その考えを理解する事は本人以外には不可能だろう。何せ彼が正しいと心の底から信じ行動している指針は本人以外には誤りであるから、理解・同調などできるはずもない。

 怪人一人一人にも同じ事が言える。十人十色とは言うが、怪人はそれぞれがまったく別の発生元・在り方を持っている。協調性・仲間意識は皆無。人間と人間、人間と怪人よりも尚遠く分かり合えない存在、それが怪人と怪人の距離感である。

 怪人はヒーローと同様に独自ネットワークによって結ばれ、情報を共有している。それは一つの共同体ではあるだろう。目的・利害によって協力する事もあるだろう。特殊性癖四天王のように、近しい欲求によって同調する事もあるだろう。しかし、基本的に怪人は個である。強烈な我によって存在する彼らはどこまでも孤独な存在だと言える。

 怪人は発生経緯にこそ共通点を持つが、それぞれが別種の生命体と考えるべき存在なのだ。




 闘魂怪人ノーブックの出身地は、日本から遠く離れた北米の地メキシコである。

 発生の元となった感情はプロレスがしたい、広めたいという人間由来の熱情。根源的な情念が発生元になる事の多い怪人の中では極めて狭義的な存在と言えるだろう。メキシコの地ではルチャリブレなのだが、何故かプロレスに変換されているのは知名度の違い故だろうか。

 鋼のような体はすべて対戦相手の技を受け切るという覚悟。四本の腕は人間の体では不可能なプロレス技を実現するためのモノ。ペイントではなく、直接肌に浮き上がる炎は決して諦めぬ闘魂精神を表している。

 発生した情念の強度故に怪人としての格は高くない。戦闘力タイプとしても中途半端な上に、特別人類の脅威となる能力を持たない。しかしながらプロレスをするには十分であり、本人としては気にするような問題でもなかった。

 人類に仇なす事を最上の目的とする怪人ではあるが、人間がいなければプロレスは広まらない。見る者すらいない、対戦相手もいない世界は求めていない。他の怪人がどう考えているかは分からないが、ノーブック自身は人類の敵であるという共通の目的こそ持ってはいるものの、人間に対する憎悪を抱いていたりはしない。悪事を成す怪人としては異端ともいえるが、情念に従い生きる在り方は怪人らしいともいえる。

 そしてノーブックはリングの上では怪人ではなくルチャドール……プロレスラーである事を誓っている。神聖なるリング上では殺生をしない。もちろん事故はあるだろうが、積極的に死に至らしめたりはしない。プロレスはショーであり、闘争を演出する競技であるからだ。また、リングの外でもわざわざ殺しはしない。過去、三度に渡ってヒーローと戦闘を行っているが、一度も殺生はしていないのである。

 本人としてはプロレスさえできればいいのだ。プロレスの知名度とリングの上での闘争以外に欲するものはない。

 だから、目的のためならば多少信義に反する事でも受け入れる。八百長行為は好まないが、すべてを否定するつもりもない。その結果、プロレスが面白くなるのならその方がいいと考えている。

 ……と、無理やり納得した結果、闘魂怪人から八百長怪人へと改名する事になった。解せぬ。名前で生き様が変わる事はないが、これではまるで八百長が主体のようではないか。肌の炎は闘魂ではなく八百長がバレて炎上する様を表しているとでもいうのか。


「しかし、良く分からん」


 怪人にとっての死地・魔の領域である日本への出現が決まった際は、ただひたすらに生き延びる事だけを考えていた。

 なにせ、悪の体現者である怪人ですら震え上がる残虐ヒーローマスカレイドが待ち受けているのだ。怪人であれば、己の尊厳を粉々に砕かれて殺されると思うのも無理はないだろう。奴にかかれば、プロレスそのものの権威を地の底まで失墜させる事さえやってのけそうだ。

 しかし、蓋を開けてみれば台本を渡されて、この通りにすれば見逃すという。

 何か裏の目的でもあるのかとも考えたが、マスカレイドの実力からすればそんな回りくどい事をする必要はない。挑んでくる怪人がいても殴れば終了なのだから、相手に合わせる必要などないのだ。

 ここは本人の言通り、お互いに損のないWin-Winな取り引きであると信じたほうが精神衛生にも良いだろう。どうせ目的が別にあっても抗う事はできないし、Winという言葉の響きもいい。

 実際に会ったマスカレイドも、言われていたほど残虐なようには見えなかった。強烈な威圧感、ただそこにいるだけで漏らしそうな恐怖は感じるものの、すべての怪人を滅ぼしてやろうとかそういった敵愾心のようなものも感じられなかった。むしろ、利用できるなら利用してやろうという狡猾ささえ感じられたほどだ。怪人全体にとってはそのほうが怖いのかもしれないが、ここは自身のメリットを取るべきだろう。そもそも選択肢はない。

 ……迷わなければ、考えなければ幸せになれるのかもしれない。

 台本にも見た目重視の演出をと書いてあるのだから、自身の在り方に沿ってプロレスをすればいいだけなのだ。八百長怪人と名を変えてもノーブックはショーを演出するプロレスラーなのだから。




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『私から言わせれば、あんなものはトリックなんですよね。派手な演出に囚われて本質が見えていない。目的なんざ知りませんがね、奇抜な格好で奇抜な事をして目立ちたいだけのパフォーマンスなんじゃないですかね』

『しかし、実際に被害は出ているわけですが……。世界的に見ても……』

『統計的に見ても大した被害じゃあありませんよ。おっと失礼、被害者の方々には申し訳ないですがね、交通事故と変わらない。どこかの自爆テロのほうがよっぽど被害は大きい。その程度を取り締まれないのは一重に警察が無能だからですな』

『その言い分だと、海外の……その……軍隊も同じだと言っているのと同じでは?』

『警察だろうが自衛隊だろうが軍隊だろうが国民の税金で食ってるんですから、成果を出さないとね、成果を。怪人でしたっけ? あんな虚仮威し程度なら、眼の前に現れたら私自らが叩きのめしてやりますよ。私もこう見えて柔道は黒帯でね。学生時代は……』


 モニターでは、恰幅の良い背広姿の中年男性が持論を並べ立てるだけの映像が流れている。

 安っぽい応接室のセット。応対するのは全国区では無名な売れない芸能人とどこかの大学教授、そしてこのテレビ局所属のアナウンサーである。

 元々この地方局が放送する深夜番組は、時事ネタに対して著名人がトークするという、空いた放送時間の枠を埋めるために用意されたニュース番組の一コーナーだったのだが、今回は特別版としてすべての時間を怪人とヒーローについてのトークに当てられている。時間帯も専用に設けられ、開始は午後十時。しかも生放送という、フットワークの軽い零細地方局ならではの番組である。


「あのおっさん、どこ行っても同じ事喋ってますよね」

「アレしか持ちネタないんだから、しょうがないんじゃねーか」


 収録スタジオの隅で番組スタッフが呟く。

 所詮、たまたまタイミングが合って話題になっただけの自称政治評論家だ。名刺を見れば立派そうな肩書は並んでいるが、どれも取って付けたようなものばかりで中身はない。当然実績らしい実績もない、ただの一発屋である。政治を語らせるなら、そこら辺にいる木っ端芸能人のほうがよほどマシな内容になるだろう。

 むしろ、叩けば黒いネタが大量に出てきそうな経歴もある。怪しい連中と関わっていたとの情報もあった。おそらくチンピラ程度の小悪党なのだろうが、本来なら重用したくはない人物である。

 ただ、一過性でも話題になっているのは確かであり、この番組以外にもたくさんのオファーがかかっているらしい。

 良い意味での話題だけではない。ヒーローに好意的な者も多い中、むしろ悪い意味で名が売れてしまっているといっていいだろう。しかし、テレビ局が彼に求めているのは話題性のある悪役だ。とにかくヒーローの悪口を並べ立て、ついでに現政権を批判するスピーカーである。そこに、番組スタッフや本人の意思は含まれていない。


「コールセンターの電話、鳴り止まないって言ってましたよ」

「いい事じゃないか。一切反応がないよりも、苦情でも反応があるほうがいい。その苦情を言ってくる視聴者は少なくとも番組は見てるって事だ」

「俺、例の爆弾騒ぎの時、東京にいたんスよね……」

「それはご愁傷様だな」


 その言葉は事件に巻き込まれてご愁傷様という意味なのか、それともその窮地を救った英雄をボロクソに言う番組を作る側にいる事に対してなのか。


「まあ、番組側としてはありがたい存在だよな。ウチみたいな零細でもアレを出すだけで数字が取れる上に、ウチが独占してるわけでもないから、世間のヘイトはアレに集中する。オファーが多いからレギュラー番組のほうは降板するらしいぞ」

「そりゃ良かった。たまたまコーナー持ってたってだけで、ウチまで巻き込まれたら堪んねーっスよ」

「……やっぱりアレ、やばいかね?」

「マジでやばいです。多分、数ヶ月以内には刺されるレベルで。むしろ俺が刺したい」


 調べれば、はっきりと分かるほどに敵を作っている。火消しすら間に合わない。まるで、評判が悪くなる事を望むような意思さえ感じられるほどに、悪評が急速に広まっている。何か問題が起きるのも時間の問題だろう。


「刺されてニュースになるのは美味しいが、局の関係者が刺すのは勘弁な」

「そりゃ当たり前ですけど」


 当事者以外には理解できないだろうが、あの爆弾騒ぎはそれほどまでに絶望的状況だったのだ。いくら被害がなかったとはいえ、その救世主を貶める要素はないし、文句を言う精神も理解できない。目の前ではっきりと助けられたわけでもないのにコレなのだ。バスジャック事件で助けられた人たちは余計にそう感じるだろう。

 おそらく本人だって理解している。すでに発言してしまった事実と、色々な人間関係に縛られて身動き取れなくなっているというのが本当のところだろう。スポンサーらしい野党政治家にやれと言われればやるしかないのは分かる。しかし、そんな発言を聞かされている側としては面白くはない。


「件のヒーローさんが表に出て来るなら話は別なんだがな。いや、日本語できるか知らんけど、怪人ってのは喋ってたんだろ?」

「あんな格好してても、実は目立ちたくはないとか? というか、個人的には怪人の対処に専念して欲しいですけど」

「それで納得しないのが国民で、その需要の隙間を突いて話題になってるのがアレなんだよな」


 表面上だけでも情報が欲しい。理解できない者に助けられて、理解できないまま納得できるのは少数だろう。そういった感情が、アレの存在を許容している。


「ヒーローさんには説明責任を果たしてもらいたいもんだ」

「そんな責任あるんスかね?」

「ほら、良く言うだろ。持つ者は持たざる者を救う義務があるって。そのノリで状況を理解してない情報弱者も救ってもらいたいもんだ。ついでに局の経営状況も救ってもらえると尚ありがたい」

「……そんな義務、あるんスかね?」

「キレんなよ。そういう頭悪い事言い出す奴もいるってだけの話だろ」

「いや、そうではなく。……義務あんのかな」


 気分が悪くなる話題なのは確かだが、気になっているのはもっと根本的な部分だった。


「そりゃ正義の味方だし……」

「良く考えたら、正義の味方やったところで何も得してないっスよね? どこかから給料もらってるわけでもなく、戦わなくても逮捕されるわけじゃない。ついでにあんな無茶苦茶言う奴もいるし……いや、実は政府かどっかの所属でしたーってなら分かるんですけどね。ほんと、なんのために戦ってんスかね、ヒーロー」

「……ぜ、善意?」

「…………」


 何も情報がないから目的も分からない。あの前のアレもそういった理由を根本として存在している。

 ……これは放置していい問題ではないような気もする。いつか、痛いしっぺ返しを喰らう可能性だってあるだろう。そしてそれは一人がどうこうしてどうにかなる問題でもない。


「なんかスゲーヤバイ気がしてきた。取り返しのつかない事になりそうな……」

「大丈夫だって。アレも今回限りでおさらばだし……ん?」


 その時、唐突にスタジオの照明が消えた。


「な、なんだ? 停電? やばいぞ、放送事故に……いやちょっと待て、予備電源も死んでないか、これ?」


 いや、カメラは動いている。スタジオの巨大モニターもそのまま。消えたのは照明だけだ。収録現場が喧騒に包まれる。もちろん演出ではない。単なるトーク番組にそんな演出を加える理由がない。この場にいるすべての者が理解できない状況だ。


「やべえ……放送中断できないって内線で……」

「そんな馬鹿な!?」


 内線で連絡取ったスタッフが呟く。

 ありえない。たとえハッキングされたとしても、すべてがネットワークで接続されているわけではない以上、物理的に不可能だ。テロか何かの可能性もある。少なくとも異常事態として扱うべきだ。


「警察……いや、とりあえずガードマンを呼ん……」


 スタジオに光が戻る。照らし出されるのは謎のプロレスリング。色鮮やかなスポットライトがリング上を照らしている。電源が復旧したわけではない。そもそもそんなところに照明はない。照明が落ちる前は何もなかったはずだ。


『んーーーっ!! 矮小なる人間諸君っ!! こんにちは!』


 マイクを通した音声がスタジオに響き渡る。そして、そのタイミングに合わせるように無人のリング上に何者かが降り立った。


『俺は闘魂怪人ノーブック。突然の事で理解できないだろうから説明してやろう。何、用件は単純明快だ』


 スタジオの誰もが目を離せない。注目せざるを得ない。それほどまでに非現実な光景だった。


『プロレスをしようじゃないか』




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 アレは怪人だ。腕が四本もある人間などいないし、それが作りモノだとしても状況の説明ができない。そして、目的にまったく脈絡がない。

 そう思い至る者がいた。真っ先に逃げ出す者がいた。それは賢明ではあっただろう。しかし無意味であった。


『おっと、逃げ場はないぞ』


 爆発音と悲鳴が上がる。見れば逃げ出した者が倒れていた。

 その先の出口は金網のような何かで遮られていた。近くにいる者なら焦げた臭いも嗅ぎ取れただろう。

 いや、よく見れば出口だけではなくスタジオ全体が金網で覆われている。獲物を逃がさない檻のように。


『このスタジオは電流付き金網で覆わせてもらった。変則ではあるが、有刺鉄線電流爆破デスマッチだ。対戦するのはこのスタジオの全員対俺だから問題はないだろう』


 そんなプロレスがあってたまるか。そう叫びたくとも、声を上げる者はいない。


『武器アリ、人数制限ナシのノールールだ。このリング上で俺を倒せればそれで終了。挑戦者がいなくなった時点で、この場にいる全員を皆殺しにしよう。志願者はリングに上がれ。何人でもいいぞ。まとめて相手をしてやろう』

「ば、馬鹿げてるっ!! こんな事をしてタダで済むと……」


 誰かが抗議の声を上げた。


『どうなるんだ? どうにもならんだろ? ……ああそうか、貴様がどうにかしてくれるというわけだな。真っ先に名乗りを上げるとは勇敢な挑戦者だ。んーー、すばらしいファイティングスピリッツだ。敬意を表する』

「え、違……」


 反論を唱えようとした瞬間、その男はリングの上にいた。瞬きをするような一瞬で、数十メートルを移動したのだ。


「ようこそ、挑戦者よ。少々手荒いが歓迎するぞ」


 目の前にはマイクを持った目算で三メートル近い巨漢の怪物。背中から生えた二本の腕を頭の上に上げているためか、それ以上に大きく見える。

 何故こんな事になっている。どうして俺はここにいるんだ。なんでこんな理不尽が許されるんだ。そんな言葉が頭をよぎるが、あまりの威圧感に口が開かず悲鳴すら上げられない。


 どこかでゴングが鳴った。

 それは惨劇の始まり。リング周辺の観客……いや挑戦者たちを震え上がらせる恐怖のショーの幕開けであった。


「よし、ハンデだ。一発だけなんでも技を受けてやろう。何、これはショーだからな。観客を楽しませないといけない」


 チラリとリングの外に目をやると、猛獣のような視線がこちらに向いていた。

 貴様は生贄だ。逃げる事は許さないと言われているようで、リングから無事に降りたとしても殺される気がした。

 目の前の怪人を見る。はっきり言って化物だ。しかし、金属でできているわけでもない。獣のような毛皮で身を守っているという事もない。その上、無防備だ。全力で攻撃すればダメージは通るような気もする。

 幸運な事に、"たまたま"護身用の違法改造スタンガンを持っていた。こんな物を持っている事を目の前の怪物は知らない。武器アリと言ったのだから、これを使っても文句はないだろう。


「う、うあああああっ!!」


 叫びつつ突進する。いつか気に入らない奴に使おうと用意していたスタンガンだ。動物で練習もしている。

 取り出すのに少し手間取ったが、怪人が邪魔をする事はなかった。何故そんな物を持っているのかと咎める時間を与えずにスタンガンを押し付けてスイッチを入れる。


「なんだ、その程度か」


 しかし、まったく効いていない。確かに直接当てた。電流まで目視した。限界まで威力を上げた改造品なのに。


「変な物を持っているから選んだんだが、拍子抜けだな。……では、こちらの番だ。華麗なる技というやつを魅せてやろう」

「ひ、ひぃっ!!」


 男は何もできず怪人の餌食となり、ただ技をかけられるだけのサンドバッグと化す。

 数分後、リングの外へと放られた男は控えめに言ってもボロ雑巾のような状態であった。服はボロボロに破れ、無数の打撃痕と裂傷が見てとれる。正確に判別する事は難しいが、骨折しているかもしれない。死んではいないが、すぐに救急車を呼ばないといけない重症であった。


『死んではいないから安心していいぞ。こう見えても俺は穏健でな。神聖なるリングの上では殺生は行わないというポリシーを持っているのだ』


 この有様を見て安心できる者がどこにいるというのか。リングの上では殺さないと言っても、死ななければいいというわけではない。かといって、このまま黙っていたらあの化物はリングから降りてくるだろう。そうすれば虐殺が始まる。リングの上でだけ妙な信念で殺していないというだけなのだ。暴力を楽しんでいる様子はないが、むしろ機械的に実行するだろう。きっと躊躇いはしない。

 次は誰が犠牲になるんだ。一体何人犠牲になればこの惨劇は終わるのか。俺以外の誰かが手を上げて犠牲になってくれ。


『どうした? こいつのように、スタンガンだろうが銃だろうが好きに使っていいんだぞ。……誰も挑戦しないのなら、ランダムで選ぶとしようか』

「ひっ! いや、いやだーっ!!」


 誰かがその場から駆け出した。逃げ場がない事は分かっているはずなのに。そして、次の犠牲者はその男だった。

 出口へ向かって逃げ出したはずなのに、気が付けばリングの上に立っている。出口が怪人へと変貌したような錯覚さえ覚えただろう。


「な、なんで……!?」

「ようこそ、チャレンジャー」


 逃げたい。逃げたいが恐怖で脚が動かない。しかし、もし逃げたところでまた同じようにリング上に戻されるのではないか。完全に逃走を封じられている。


「そうだ、ひ、ヒーローだ。ヒーローが倒しに来るぞ!!」

「……そうか、来るといいな。望むところである」


 その男は先ほどまで政治評論家の男に同調していた芸能人だったはずだ。その男の無責任な叫びをノーブックは呆れつつ聞いていた。

 ここに至り、ノーブックはマスカレイドの考えを理解し始めた。

 弱小であり矮小なのは構わない。しかし、あまりに無責任。あまりに不実。あまりに無価値。いや、有害ですらある。自分がヒーローなら、こんな存在を守りたいとは思えない。あれだけの強者に守られているという事がどれだけ幸運か分かっていない。

 ヒーローは敵だ。その立場は変わらない。これから待っているのが八百長だろうと、根底にあるその価値観は揺るがない。しかし、目の前の人間たちよりもマスカレイドのほうが好ましいと考えてしまうのは愚かな事なのだろうか。


 それからの戦いは、極めてつまらないものに感じられた。

 怪人は本能的に人間の敵である。たとえ相手が弱者であっても、暴力を振るえば高揚するものなのだ。なのに、気持ちは沈み込んでいく。

 一人、また一人と作業のように痛めつけ、リングの外へと放り捨てる。いっそ、場外に降りてすべて殺し尽くしてくれようかとも思った。マスカレイドとの契約がなければ即実行に移っていただろう。でも、怖いので踏み止まった。そろそろ契約者も来る頃だろう。


「……来たな」


 暗闇から足音が響く。これだけ大勢の人間がいるというのに、その足音が響くほどにスタジオは静寂に包まれていた。

 その派手な装いとは裏腹に、無言、無表情。なんの感情も感じさせない銀タイツの男が光の中に姿を現した。


「……ヒーローだ」


 誰かが言った。

 それは、この場にいる誰もが見知っている出で立ちだった。生放送中にもその姿は大型モニターに映されているのだ。分からないはずはない。

 それでなくともその男は異質だ。どこの世界に、比喩ではなく本当の意味で銀髪の人間がいるというのか。その上銀タイツ、銀マント、銀の蝶マスク。いっそ宇宙人と言われたほうが納得できるほどに現実離れしている。


 かつて、誰かがこの特徴を捉えてアメコミヒーローのようだと言った。

 なるほど、特徴だけ列挙すればそう感じられなくもないだろう。しかし、目の前で実物を見れば、それが大きな誤りである事が分かる。これは超常の何かがヒーローの役割を演じるために人の形をとっているだけ。地獄のような場に現れた救世主。状況だけ見ればそう感じられるが、そうではない。無条件で膝を折り平伏すべきと本能が叫ぶような、そんな存在感を放っているのだ。

 番組でヒーローに悪態をついていた者は、スタジオのどこかでこの姿を見て畏怖しているだろう。あまりに愚かであったと嘆いているだろう。


『ははははっ!! 遅かったなマスカレイド!! 待っていたぞ!』


 静寂の中、怪人だけが変わらず言葉を放っていた。これだけのプレッシャーの中、変わらずにいられるのは怪人たる所以なのか。

 ヒーローは無言のまま跳躍。リングへと降り立った。その位置は怪人の対角線上。予め決められていた選手がリングインしたようにも見える。

 すでに怪人の視界に人間は含まれていない。怪人にとって、マスカレイドと呼ばれたヒーローだけが対戦者足り得る存在なのだ。




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 最初の時と同様、何処かでゴングが鳴った。

 ヒーローも怪人もすぐには動き出さない。お互い、ゆっくりと距離を詰めていく。その姿はあまりに自然で、敵と相対するためというよりもただ散歩をしているような自然さであった。


「おおおおおおっ!!」


 怪人が雄叫びを上げて腕を振り上げる、ヒーローもそれに合わせるように両手を上へとかざした。

 そう、これはロックアップだ。これがプロレスであると主張するような、手を四つに組んでの力比べである。

 たかが力比べだ。これだけで死にはしない。勝負が決するわけでもない。決まるのはリング上での序列。どちらが強いのか、だ。

 少し見ただけでも、ヒーローが人間と隔絶しているのは分かる。しかし、あの暴威がただやられるのも想像できない。怪人と戦う者がヒーローであるとするのなら、両者は同格であると考えるのが普通だ。見かけだけなら体格差は歴然。ヒーローがその差を埋める何かを持ってるとしても、単純な力比べでは無謀極まる勝負に見える。あれほどの怪力を見せつけた怪人相手では、両手の指をすべて破壊される未来しか想像できない。そして、そこから続くプロレス技で銀タイツがマットに沈む姿を、その場にいる誰もが幻視していた。


「ぐああああああっ!!」


 しかし、現実はまったくの逆。悲鳴を上げ、マットに片膝を付く怪人。膝を付いて尚ヒーローと変わらぬ身長の大男が、単純な力比べで敗北した。


(おお、演技と分かっていてもリアルな悲鳴だな)


 消音装置と自前の腹話術技能を利用して、マスカレイドがコンタクトを取る。傍目には無言のように見えるだろう。


(いや、演技とかじゃないから! リアルで痛いから!)

(大丈夫、まだいけるって!)

(え、ちょ……)


 ベキベキベキベキ……。


「ぐああああああっ!!」


 乾いた音が無数に鳴り響き、組んだ指がすべてあらぬ方向へとへし折れる。

 更にそれだけでは終わらない。ヒーローは組んだ手を離さない。そのまま手を握り潰すかのように力を加え続ける。指の骨だけではない。手の甲や手首までもが悲鳴染みた音を上げ始めている。


(大丈夫か? 力緩める?)

(いける。まだいけるって! 折れても大丈夫だから!!)


 やせ我慢を続けるノーブック。人間とは違い、ある程度は勝手に治るのだから問題"は"ない。痛いのは痛いが、ここで期待外れだったと言われて八百長が反故になる方がよっぽどマズイ。なんせ殺される。


 すべての指に加え、手首から破滅の音が鳴った。それは関節の外れる音か、あるいは骨の砕ける音か。


(よし、やられっぱなしはマズイから反撃していいぞ。プロレスだし)

(あんた、マジで容赦ないな……)


 両手首まで粉々に破壊しておいて、あまりにも冷静な声色だ。あきらかに暴力に慣れている。暴力を日常としている者の反応だ。だが、言う事を聞かないわけにもいかない。それに、自分はレスラーとして戦意を失ってはいない。勝てるようなら契約相手として不適格と判断し、契約を反故にしてでも勝ちにいくつもりだ。勝てる気はまったくしないのだが。


「ッシャオラ!!」


 堪らず怪人は片膝を付いた状態から前方へ蹴りを放つ。それは力比べでは敵わないと言っているのも同然の行為であった。プロレスに拘った怪人がプライドを捨てて放った蹴りは銀タイツの胴体へと命中し、重機が壁に激突したような音が鳴った。

 だが、揺るがない。蹴りを真正面から受けても、銀タイツは小揺るぎもせずそこに立ち続けている。組んだ手すら離れていない。それは、相手の攻撃はすべて受け切ると言った怪人の在り方とまったく同じであった。


(そのタイツ何でできてるんだよ……)

(どっちかというと素の防御力だ)


 正しく怪物。銀タイツの光沢がまるで超硬質の金属に見えるような防御力である。ひょっとしたらそれは人間には未知の素材でできた防具なのかもしれない。


「ふんっ!」

「ッ!?」


 蹴りを受け切ったヒーローは未だ掴んだままの手を振り上げ、怪人を宙に放る。他に何か力を加えたわけでもなく、ただ手首を返す力だけで怪人の巨体が投げ飛ばされた。

 高く舞い上がった怪人はそのまま収録スタジオの天井へと叩き付けられ、破壊された建材と共にリングへと落ちてくる。しかしヒーローは落ちてくる怪人を待たず、可視可能なギリギリのスピードで跳躍。空中で怪人を捉えた。


(フランケンシュタイナーいくから首注意な)

(よっしゃ、来い!)


 むしろ望むところである。一応プロレス技ではあるし、無駄に攻撃力の高い打撃よりは遥かにマシだ。痛いのは痛いだろうが、それは耐えられる範疇である。しかしこのあとの展開のために意識を失うのはマズイと、やがて来る衝撃に備えるノーブック。


 人間同士のプロレスでは決して見る事のできない、超高度での空中フランケンシュタイナー。しかも無駄に回転と捻りを加えた改良型である。怪人は残る二本の腕で首をホールドするヒーローの両足を引き剥がそうとするが、ビクともしない。一体、両者にはどれだけの差があるというのか。

 爆発のような音を立て、怪人が顔からリングへと叩き付けられる。

 リングに首をめり込ませた怪人と、悠然と着地する銀タイツのヒーロー。それは歴然たる格の違いを表している。

 圧倒的であった。あまりにも強過ぎる。あれほどまでに暴威を奮った怪人が為す術もなくリングに沈むのを見て、同じ事ができると言い放てる者がいるはずもない。それはこの場はもちろん、生中継されているお茶の間の人々の中にもだ。……そう、未だこの状況は生中継されているのである!


 尚も怪人が立ち上がる。その体は満身創痍と言っていいだろう。硬いマットに叩き付けられたダメージが甚大なのは見るだけでも分かる。

 これが投技ではなく単純な打撃技なら手加減関係なしに消滅させられているのだが、周りで見ている人々はそんな事は知らない。八百長ではあるが、怪人は本当に立っているのもやっとの状態だぞ!


「おおお! まだだ、俺はまだやれる!」


(予定ではあと二、三合、技の応酬する予定だったけど、やれる?)

(ムリっす。巻きでお願いします)


 怪人は吠える。まだ戦意を失ってはいないとアピールする。実際にはもう勘弁願いたいが、台本なのだから仕方ない。

 ヒーローもやめるつもりはないと、無言のまま拳を鳴らす。わずか数分の出来事ではあるが、勝敗はもはや決したも同然。このまま怪人はヒーローに討伐されるだろう。台本を知る者以外の誰もがそう確信していた。




『私から言わせれば、あんなものはトリックなんですよね』


 時が止まった。

 突如、スタジオのモニターに映像が映し出されたそれは、先ほどまで収録・放送していた番組のものだ。暗闇の中、ドアップで自称政治評論家のドヤ顔が映し出される。


『あんな虚仮威し程度なら、眼の前に現れたら私自らが叩きのめしてやりますよ』


 あきらかに場違いな映像である。もし、この場で同じ事を言っているのなら自殺志願者か何かだろう。

 実際、本人は出口近くでモニターに映る自分の暴言を見て呆然としている。


「お、おい、アレまずいだろ。止めろ」

「いえ、その……何も指示は」

「なんでもいいから止めろ! ヤバイってレベルじゃねーぞ!!」


 気付けば、誰もがモニターを見つめていた。収録中でさえ、これほどの注目は集めていなかっただろう。

 そして、リングの上にいる怪人とヒーローもまた、モニターへと視線を送っていた。


『大丈夫、大丈夫、怪人なんて屁でもありませんって』

『ヒーローとか、奇抜な格好で目立ちたいだけのコメディアンでしょ?』

『素手でも多分なんとかなりますがね。あの手のタイプは銃見せれば即座に黙るんじゃないですかね。私、猟銃の免許も持ってるんですよ』


 それは、先ほどまで放送していた番組の映像ではない。ここ数日、自称政治評論家が各番組で発言した内容のダイジェストだ。あきらかな狙い撃ち。明確に一人だけを狙った映像集である。

 一体誰がこんな真似をしているというのか。


「こ、これは何かの間違いだっ!! 私を陥れるために仕組んだに違いない」


 男が叫ぶ。しかし、冷静に考えて誰がそんな事をするというのか。誰も得をしないだろう。損をする者はいるが。

 映像は止まらない。似たような言動を少しだけ変えつつ、怪人とヒーローを罵倒する映像が続く。


「ひっ……」


 いつの間にか、自称政治評論家の前に銀タイツのヒーローが立っていた。

 無表情のまま、何も映していない目で男を見つめている。その目は、自信があるならお前がやれと暗に催促しているようでもあった。

 そして、ヒーローはそのまま出口へと歩いて行く。金網はそのままだが、ヒーローなら軽く破壊して出ていくだろう。

 ……そう、出て行くつもりだ。怪人は満身創痍とはいえ残っているのに。


 自称政治評論家はパニックに陥った。あまりにまずい状況だった。

 このままでは次に怪人の餌食になるのは自分だ。たとえ嫌だと言っても周りがそれを許してはくれないだろう。

 そしてもし生き残ったところで、社会的な立場は崩壊する。


「そ、そそそ、そうだ。正義の味方が民間人を見捨てて逃げるつもりか。力無き者を助けるのはヒーローの義務だろう?」


 その言葉にヒーローの足が止まった。

 とりあえず言ってみましたといわんばかりの暴論だった。しかし言ったあとになって、このセリフによって最良でないにせよ最悪の事態は避けられるかもという考えに至る。

 少しでも責任転嫁をしたい。このままなら、この場だけでなく日本すべてのヘイトが自分に集中しかねない。ここでヒーローが自分の言葉を無視して帰るなら責任逃れととれなくもない。事実、勝てる勝負を捨てて逃げるのだから、糾弾する道もあるだろう。

 そして何よりヒーローは日本語を理解はしているようだが喋っていない。この場で何か言い返される事はない。……いや、ひょっとしたら理解すらしていないのかもしれない。帰るのはただ場の空気に白けてとか、そういった理由で……。


「そんな義務はない」


 はっきりと、周りに聞こえる声で銀色のヒーローは言い放った。


「そいつと戦う義務も責任もない。勝てるというのならお前が戦え。……ああ、お前でなく、ガードマンでも自衛隊でもいいぞ」


 ここまで一切喋らなかった男が、まるでネイティブのように喋りだした。


「あ、ああああああ……」


 周りに擁護してくれそうな味方はいない。身から出た錆だというのは分かる。分かるが、これはあまりにあんまりではないか。

 汗でヨレヨレになったシャツをヒーローが掴み、男は宙を舞った。放られた先はリングの上だ。目の前には凶悪な怪人の姿。振り返って出口近くを見れば、そこには壊れた金網と開かれた出口。ヒーローの姿はなく、一部逃げ出そうと出口に群がる人の影が見えるだけだ。


「神聖なる勝負を邪魔してくれたようだな」


 怪人の周りに蒸気が立ち上る。それは汗か、血か、それとも怪人の殺気なのか。どちらにせよ、免れぬ暴力の化身がそこにいる。

 怪人は激昂している。自分が敗北する寸前だったというのに、プロレスを邪魔された事を怒っている。


 パニックに陥るスタジオをよそに、最後のゴングが鳴った。

 ……鳴ったと同時に、男は失禁し、気を失った。


「貴様! 神聖なるリングになんて事をっ!? どけっ!!」


 気を失ったまま、リングの外に蹴り出される男。

 どうやって場を締めようか考えていた怪人は、予想外の展開に内心大慌てだ。




 ……それが、悪夢となったテレビ局襲撃事件の結末。

 怪人がどうなったのかを知る者はいない。目撃者の証言も、いつの間にかリングごと消えていたというものばかりだ。ただ、夢のような出来事ではあっても夢ではない。何故か生放送は中断される事なく、しかも延長までして放送されたらしい。怪人もヒーローも、途中にあった出来事すべてが地方局とはいえ放送された。


 ヒーローは無条件で味方をしてくれる正義の存在ではない。

 暴言を吐いても黙って助けてくれる都合の良い存在ではない。

 相変わらず謎の存在ではあるが、この事件を通してその事は周知された。




-5-




「ま、八百長なんだけどな」


 事件の顛末をミナミと確認しながら自室で呟く。

 今回の事件は、何から何まで偽物だ。怪人ノーブックは最初から台本通りに動いていただけだし、マスカレイドの登場タイミングも予定通り。

 ノーブックのダメージが大き過ぎてファイトは短縮せざるを得なかったが、その影響は皆無だろう。無駄に派手な動きを取り入れたフランケンシュタイナーだけでも十分印象に残ったはずだ。

 いきなり自称政治評論家、改め現在無職入院中さんのダイジェスト映像が流れたのも、ミナミのかみさま権限によるハッキングだし、それで気が変わって途中退場するのも予定通り。

 最後に無理やりな暴論で責任逃れをし始めたのはビックリしたが、むしろ初となるマスカレイド発言が印象強くなったので良しとしよう。地味にそれまで無言だったのが演出になっている。

 一応だが、台本の段階で注意しておいた通り死者も出ていない。ノーブックが気を使ったのか、後遺症が残るような怪我もほとんどないらしい。そういった意味では本当に印象操作のための茶番だ。自称政治評論家の地の底まで失墜した地位だけが修復困難な被害である。


『今回はさすがに気の毒になりましたね……。途中で、いくらなんでもやり過ぎじゃないかって気分になりましたよ』

「まー、別にあのおっさんに恨みとかないしな」


 たとえ暴論を吐かれてもそれだけでどうこう言うつもりはないし、別に怒ったりもしない。良くある事だと思うだけだ。ついでにミナミに調べてもらったあの男の経歴にはかなーり後ろ暗い事が大量に見つかったりもしたわけだが、それでさえ気兼ねが減ったという程度の事でしかない。

 今回はどうしても必要な犠牲だったから生贄にしただけ。何が悪かったかといえば、運が悪い。タイミングが悪い。一番悪いのはヒーローと怪人を食い物にしていた事だが、似たような連中は山ほどいるし、アレだけの問題ではない。

 実際、今回の件がやり過ぎかどうかと言われれば、文句なしでやり過ぎだろう。必要な事かと聞かれれば、必要だけど他に手段はあったし性急でもあったと思う。正直、俺の繊細なハートは少しばかり傷んでいる。


「ただ、見返りはでかいぞ」

『そうですね』


 今回の件で一気に日本国内に於けるヒーロー……特にマスカレイドへの暴言が減った。情報の浸透が早いネット上はもちろん、テレビや新聞でも言葉を選んでいるのが分かる。今は腫れ物を扱うような状態だが、これは一過性のもので、次第に極当たり前の事を極当たり前の表現で伝えるようになるだろう。これはもちろん今だけの話ではなく、将来に向けての予防の意味合いが強い。

 一部根強く暴言を吐く者もいるが、この手の存在は何を言ったって消えないから放置である。


 別に悪い事をして悪いと言われるのは良い。それが当たり前だし、そういう発言が抑止力を生む事も理解している。たとえば今回の八百長がバレて糾弾されるのなら、それは仕方ない事だと割り切れる。実際、かなり悪辣である事は自覚している。

 しかし捏造された情報、根拠のない暴言は看過できない。怪人が無差別に出現する以上、ヒーローが出動し辛い環境を作り上げるわけにはいかない。本当の意味で世界平和、治安維持に関わってくる話だから手も抜けない。

 出動されただけで石を投げられるような事態はどうあっても避けるべきだ。今回は、そのための過激な予防注射なのである。


『でも、ここまで悪辣な事をしておいて、ノーブックは放置なんですね』

「約束だしな。意味がないわけでもないし」


 ノーブックは約束通り生かして帰した。その後、出現したところを狙ってトドメを刺しに行ってもいない。

 なんだかんだで誠実に約束を果たしてくれたというのもあるから、こちらだけが破るのは駄目だろう。


『契約上の話以外で意味があるんですか?』

「……方法は知らないが、多分怪人たちは謎の情報網を構築してるってのは気付いてるよな?」

『ヒーローネットっぽい何かがあるんじゃないですかね。運営一緒ですし』


 まあそんな感じだろう。怪人ポイントとかあっても驚かない。


「その中で、マスカレイドはかなり恐れられてるはずだ」

『そ、そうですね』


 ミナミは引きつっているが、怪人を見れば大体評価は見えてくるだろう。


「ノーブックを放置しているのは、怪人たちへの牽制の意味合いも含んでるんだよ。マスカレイドは約束は守るし、怪人相手でも問答無用で殺害しに来るわけじゃないってな」

『え、悪事を働かない怪人は見逃すって事ですか?』

「そんなのがそうそういるかは知らんが、そういうわけじゃない。悪事を働かなければ……特に日本で被害を出さなければ助かるかもしれない。そう匂わせる事で抑止力が働くかもしれないっていう話だ。少しでも影響があればお得かなーって程度の目論見だよ」

『はあ、なるほど』


 存在するかどうかも分からない怪人のネットワークなんてものを当てにした、せいぜい予防程度のものではあるが、やらないよりはマシだろう。いくら部屋に引き籠もって四六時中待機しているとはいえ、今後すべての怪人事件を被害なしで解決できるなどとは思っていないのだから。

 怪人なら見境なく殺すべきだ、なんてサイコな考えを持ってるわけでもないし。


『なら、見せしめとして悪い事をした怪人はもっとひどい目に遭わせないといけませんね』

「……まあ、間違ってはいないな」


 マスカレイドの評判はこれまでの結果だ。半分以上不可抗力なのだが、怖がられてるのも残虐シーンが多かったせいだろう。なら、ミナミさんの行き過ぎた発言も間違ってはいないのである。

 女子高生が言っていい事かどうかは知らんが。



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