第四話「占拠怪人ボルテック・ジャッカー」




-1-




 引き籠もりにはあまり関係ない事ではあるが、季節はもうすぐ夏である。

 夏といえば当然のように猛暑であり、それは年中引き籠もっている俺も例外ではない。一応引き籠もる寸前に当時の最新式エアコンを導入したものの、数年経てば調子も悪くなる。仕方ないので軽く修理できる程度には内部構造を把握もしたが、代替部品が用意できない部分が壊れてしまえばアウトだ。長期間に渡る見通しの甘い引き籠もり計画だったと言える。

 ただ、現在ならカタログを使えばエアコン丸ごと即日で設置する事も可能だし、そもそもマスカレイドの超身体能力なら猛暑でも耐えられる。暑さで不快な事には違いはないが、それでも大分改善されているといっていいだろう。


「というわけで、なにか新しい冷房器具が欲しい」

『また無駄遣いですか』


 失敬だなミナミくん。


「いいかね? 猛暑は辛い。辛いとストレスが溜まる。ストレスが溜まるとやる気がでない。そうしたら怪人が出ても出動したくなくなってしまうかもしれない。つまりこれは必要な投資と考えるべきなのだ」

『いや、なのだではなく……。今現在問題があるわけじゃないんですよね?』

「室温設定によってはちょっと音が煩いかな」

『つまり問題ないって事ですね』


 あらやだ。最近ちょっと扱いがぞんざいになってませんこと?


「細かい事はいいんだよ。欲しいと思って買うのは健全な経済活動だ。ローンも無事なくなったんだからいいだろ。金は使って循環させないと不景気は終わらないんだぞ」

『そもそも、そのポイントは経済に組み込まれてません』


 いや、神々の世界ではこれを基軸にして経済回ってるかもしれんし。


『そもそも私に止める権利はないですが……いいんですか? 元の体に戻るのとか』

「なに、目標額からしてみれば誤差みたいなもんだ。使った分は稼げばいいんだろ? いざとなったら無差別に怪人虐殺してポイント確保するさ」


 あんだけ出現してるんだし、片っ端から狩っていけば目標額にも届くだろう。狩り過ぎで絶滅するものでもないと思うし。


『ちなみにそれを今やるというのは』

「いや、担当区域のヒーローに迷惑かなーって」

『つまり面倒臭いという事ですね』


 分かってるじゃないか。

 ただ、担当が違うのに出しゃばったりしたら迷惑だろうと思うのも本音ではある。対怪人はヒーローパワー向上のための機会でもあり、ポイントを稼ぐ場でもあるのだ。要請があれば別だが、よっぽど切羽詰まってない限りはこちらから割り込むつもりはない。下手に依存されても困るし。


『まあ自己責任の範疇ではありますし、ローン組んだり全ポイントを使い切るような事がなければいいんじゃないですかね? ちなみに何か具体的なお目当てがあったりとか?』

「まだ決めたわけじゃないが、いくつか気になるものがある。たとえば、この< 溶けない氷柱 >とか」

『やめておいたほうがいいと思います』


 即止められた。

 いや、自分でも無理がある事は分かっているんだ。こんな柱みたいなサイズの商品を買ったら場所取り過ぎるって。ただでさえ巨大自販機で圧迫されている部屋が更に狭くなって、普段の生活にも支障をきたす恐れさえあるだろう。しかし、こんな目を引く商品があって、しかも安価ともなれば興味を持ってしまうのも仕方ない事ではなかろうか。

 そのあたり、いかがだろう。……え、ない?


『大体、それを買って冬はどうするんですか。エアコンみたいに止められるわけでもなく、常時冷気を発し続けるんですよ』

「そうはいうがな、大佐」

『誰が大佐じゃ』


 だって、絶対俺以外にも気になってるヒーローはいるって。特に広い部屋を拠点にした奴とか。こんだけでかければベッドにだってできるかもしれないんだぞ。

 くそ、お試しで小さいサイズの物があればPCの冷却とか他の用途も思いつくのに。


「ちなみに、ミナミのところはどんな感じなん? 普通にエアコンとか?」

『この部屋の冷暖房機能は良く分からないんですよね。入口のところにパネルがあって、温度設定するとその室温になります。空調でも床暖房でもなく部屋全体の室温がムラなく変わるんです』

「謎機能だな」


 でもお手軽かつ極めて快適そうである。いっそエアコンを取っ払って導入するという手も……。


『ちなみに、同じ機能をカタログで買う場合は超高いです』

「おのれ……足元見やがって」


 ちょっといいかなって思ったらコレだ。


『あんまり無駄遣いにならず、より快適にするという方向なら、設置してあるエアコンの改造とかどうですかね? 機種は問わないみたいですし、結構いろんなプランがありますよ』

「改造って……ああ、ヒーローTVみたいな感じか」


 アレも、元からあるテレビに機能を追加したものだ。テレビでできるのならエアコンだってできるだろう。

 そういうわけで、カタログに目を通してみる。元々膨大な数が掲載されているカタログだけに見ていない部分も多かったが、こんな既存の商品を改造する商品も存在するというわけだ。

 カタログで直接見るよりも分類や機能が細かいヒーローネットの検索で探したほうが無難かもしれないが、なんとなく冊子のほうが惹かれる。


 そうして、新たに冷房器具を導入するという試みは、エアコンの熱効率化、静音化という無難な改造に収まってしまった。当初の目的としてはこれでいいのだが、無難過ぎて不完全燃焼である。

 ならばいっそ、ここはかみさまに頼んでガレージにプールを作るという大胆な案をメールで提案してみたのだが……。


『やだよ、面倒くさい』


 極めて容易に想像できる回答が返って来てしまった。

 確かにあのかみさまがプールで泳いでいる姿は想像し難いし、そもそも運動すらしないだろうとは思うが。




-2-




「他に何か面白い使い道はないものか」

『貯金するという選択肢はないんですか?』

「全部が全部貯金というのも不健全とは思わんかね?」


 人生というものにはゆとりが必要なのだ。必要な事しかしない、遊びのない張り詰めた生き方はどこかで破綻するものである。これはポイントあるからとりあえず使ってみたいというだけの話ではないのだ。


『分からないでもないですけどね。なら、使うにしても有用な事に使えばいいんじゃないですか? 戦力アップとか』

「そこら辺は真っ先に考えたんだがな。どうも、スキルや装備で必要そうなものが見当たらない。いや、あるにはあるんだが、それで対怪人戦に変化が出るかっていうとかなり疑問だ」


 《 影分身 》のように使い方次第で有用なものも多いのだろうが、これだって必要かと言われれば微妙だし、《 マスカレイド・インプロージョン 》も必殺技である事以外に意味はさほどない。手加減がし易くなるくらいだ。

 最短戦闘時間更新などの実績解除を目指すにしても、これ以上何をどうすれば更新できるのやらという感じである。

 ……遠距離攻撃とか? ビームはラインナップにあるが、間違って部屋で撃ったりしないかという不安もあるから、できれば銃のような武器が好ましいんだよな。


『戦力強化に意味がなさそうなのは確かですよね。怪人の戦力が1として、マスカレイドさんの戦力1000が1001になったところで大した違いはないでしょうし』


 どちらにせよ怪人側にとって絶望という点も変わらないな。


『ここはアレですね。より怪人を絶望させるための演出に目を向けるというのはどうでしょうか』

「ミナミさん超怖いわー」

『ちょっと前から目を付けてたんですが、この< ヒーローノコギリ >とかどうですかね? ヒーロー用ですから頑丈にできてるみたいですし、装備品として登録されているだけで怪人が恐怖してくれそうです』

「……マジで怖いわ」


 ……いや、ミナミが物騒なのは今更であるが。マスカレイドにノコギリ持たせてどうしろというのだ。

 まあ、どうでもいい約束とはいえ故・切片怪人フェッチに頼まれた事ではあるし、その方向性もアリなのかもしれない。マスカレイドと戦いたくないと思わせる事で働く抑止力的な何かも期待できるし、ついでに神々のウケも狙える。


 そして二人で悩んだ結果、なんとなく夏っぽいものがいいなーという思いもあってついつい買ってしまったのが< 無限カキ氷マシーン >だった。これは氷どころか水さえ入れる必要なく、いくらでもカキ氷を作れるという代物である。安価とはいえあきらかに使い所が少ない商品に買ってから後悔してしまったが、なんとなく物欲は満たせたのでいいとする。決して、ガラクタが増えた事に気付いて萎えてしまったわけではない。




「夏といえば、なんかウチの妹が夏休みに海水浴に行くってさ。ミナミのところの妹と」


 カキ氷を食べながら、画面の向こう側でこれまたカキ氷を食べるミナミに話を振る。

 実はシロップがなかったので自販機のコーラをかけてみた俺に対し、ミナミは< カキ氷 >そのものを購入したので、練乳とシロップがかかったちゃんとしたものである。なんというか少し腹立たしい。負けた気分になってしまう。


『へー。友達と旅行に行くような子じゃないんですけどね。中学の時も付き合い程度には遊びに行くって感じで。ウマが合ったのかな?』


 どうやら聞いていなかったらしい。情報通のミナミでも、なんでもかんでも知っているというわけではないようだ。

 妹の動向を逐一把握してたら、それはそれで怖いのだが。


「ウチのも、あんまり積極的なタイプじゃないんだけどな。こないだセッティングした場で思い立ったとかじゃね」


 大人しいとかお淑やかとかそういった言葉とはまた違うのだが、明日香はあまり前に出たがらないタイプである。

 言われた事は淡々とこなすし、自分を主張しない。今回、俺の正体が発覚した事についても面倒になりそうな事は極力避けるだろう。高校生なんて基本的に口が軽いものだが、あいつから何か情報が漏れる気がしない。そんな信頼感がある。

 ミナミの妹も、話を聞く限りではかなり慎重なタイプだ。失踪した姉が関わっているかもしれないと調査はしたものの、疑問が解消されれば無闇に手を出したりはしないだろう。これまで本格的に何か行動を起こしたというわけでもないし、今後も二人から情報が漏れる可能性は低いんじゃないだろうかと考えている。もちろんずっとは不可能だろうが、時間が経つにつれてある程度は世間の認識も変化していくだろう。俺としてはその時間さえ稼げればいい。


「ミナミは海行きたいとは思わんの?」

『どちらにせよ今年は受験の予定でしたからねー。でも、ビル内にプールはあるんで泳ごうと思えば……誰も使ってないっぽいですけど』


 しかし、なんでもあるビルだな。


「ほう、ちなみにどんな水着を着るのかね。マイクロ? スリング? それともマッパ?」

『マッパはないです。というか、どれもないです』

「誰も使っていないなら、ついつい開放的になっちゃったのってパターンが……」

『ないです。買おうと思えばカタログで買えますし、一応こないだ家に帰った時に持って来た荷物の中に学校指定のものも……』


 お前、むしろそれはヤバイだろう。自覚してるかは知らんが、その体でスク水着は凶器ってレベルじゃねえぞ。


『とにかく全裸はないです。マスカレイドさんじゃあるまいし』

「俺だってそんな趣味はねーよ」


 深夜の学校に忍び込んで全裸水泳という妄想をした事はあるが、思う事と実行する事はまた別だ。人目のあるところでは憚れるし、口に出してみたからと言ってそれがすべて俺の性癖だとは思わないで欲しいものだ。


『アリューシャン列島で全裸寒中水泳してたじゃないですか』

「あ、あれはノーカンや」


 あんな普通の人間なら死を覚悟するような体験を海水浴と言ってはいけない。そもそも、あれは落ちただけで水泳ですらない。今は亡きメガトン・グレーシャーさんもさぞかし困惑していた事だろう。


「そういえば、海水浴場に怪人が現れる可能性もあるんだよな。明日香たち、大丈夫かな」


 明日香たちは一度ニアミスしているが、二度目がないとは限らない。むしろ、行く先々で殺人事件に遭遇する名探偵のように、怪人と遭遇する事だってあるかもしれない。


『確率的には交通事故よりも低いですから、狙われでもしない限りはないでしょうね。フラグ的に言うなら二度目もありそうですが』

「フラグ言うな」


 口に出したら本当にそうなってしまいそうな気がするから怖い。何故かヒーローになってからその傾向が強くなっている気がするから余計だ。

 ちなみに死亡フラグに関してだけなら、いくら立てても死ぬ気はしない。というか、どうすればマスカレイドは死ぬんだろうか。自分自身でも謎である。……いざって時に弱点にならないよう、自分で考察しておくべきかもしれない。その弱点を補うためのパワーアップをしたり。


『まあ、人が集まる場所っていう意味なら、海水浴場は狙われる可能性はありそうですね。実際すでに何件かは出現してるみたいですし』

「そうなのか。……それはアレか? タコとかイカみたいな奴がニュルニュルいやーんな感じの」

『マスカレイドさんの性癖に合致するような怪人じゃないです』

「せ、性癖とか違うから」


 不意に人のPCにインストールされているゲームのジャンルに踏み込まないで下さい。いくら触手モノがインストールされてても、それだけじゃないから。


『これまで確認されてるのは広範囲の音波催眠を使うセイレーンのような怪人や、サメ怪人なんかですね。メガトン・グレーシャーも同じような分類で扱われてます。アメリカの海岸に出現した怪人なんてまるっきりクトゥルフですよ。ディープワン的な』

「俺、支援要請出てもアメリカには行かないようにするわ」


 詳細としてミナミの見せてくれた画像には極度に変形した、見るだけで不快になるような怪人が映っている。マスカレイドなら一撃ですと言われても、そもそもが近寄りたくない風貌である。確かに原作者の出身ではあるが、もしもそれが原因ならご愁傷様ですといった感じだ。造形的にエロ展開は期待できそうにない。

 ……というか、ホワイトハウス襲撃やゴースト・リッパーなど、異様にアメリカの難易度がハードモードな気がするんだが、何か理由でもあるんだろうか。


「……そういえばちょっと疑問に思ったんだが、怪人の出現条件って決まってんのかな。かみさま権限の情報の中にあったりする?」


 ヒーローネットを漁った限りそういった情報はなかったが、かみさま権限を渡されているミナミなら知っているかもしれない。


『出現条件ですか。資料としてはないですけど……何気なしにアメリカでクトゥルフとか言いましたが、ひょっとしたら生まれる場所には一定のルールがあるのかも。セイレーンもどきが最初に出現したのもギリシャですし』


 神話、民話、都市伝説なんかが形を持つっていう可能性はありそうだ。そのまんまって事はなさそうだが。


「それも気にはなるが今気になってるのは二回目以降で、その怪人のアイデンティティが活かされないような場所に出現する事ってあるのかなってさ。たとえば、海がないところにサメ怪人が出ても移動できないから戦闘どころじゃないだろ?」


 メガトン・グレーシャーが砂漠に出現しても自滅するだけだし、木のないところにキキールが出現しても伐採できない。


『でもこのサメ怪人、脚ついてますよ』

「じゃあ、そいつは除外で」


 今俺が気になっているのは、生態的に活動不可な場所、極端に弱体化するような場所に出現する事はありえるのだろうかという事だ。


『ちなみに今って事は、何か具体的な理由でも?』

「ちょっと前に航空機墜落事故があっただろ?」

『ああ、ハイジャックの。ニュースでもまだ取り上げてますよね』


 国外の事ではあるが、この事故は日本でも大々的に取り上げられている。国際線で墜落地点が外国であった事、生存者がいない事、国際的に色々揉めていると話題性が高い事が理由である。多数の問題を孕んでいるが故に調査も進んでいない状況だ。

 世間では未だ知られていないが、実のところこれは事故ではなく怪人による事件である。

 犯人は占拠怪人ボルテック・ジャッカーといい、その能力で機長を洗脳、墜落させるという大事件を引き起こしたのだ。一ミリたりとも擁護しようもない、極悪な怪人事件といえる。

 尚、この怪人は未だ討伐されていない。


「あいつが必ず航空機内部に出てくるとなると厄介だなって思ってさ」

『そうですね』


 ヒーローネットの情報から追える限り、この事件で洗脳された機長はボルテック・ジャッカーのスキルによって心神喪失状態に陥っているのだが、怪人を討伐しても迅速な回復が見込めるとは限らない。怪人を倒せばヒーローは自動帰還するし、そうなると墜落を防ぐ事は困難だろう。

 対策がないとは言わないが100%なんとかできると言えない以上、対策は立てておきたい。


『閲覧可能な条件の中にそういったルールはありませんでしたが、ざっと過去の怪人出現例を見る限り、確かにある程度傾向はありそうですね。環境に依存した必殺技を持つ怪人は、それが発動できない場所では出現していないように見えます。あとは生命活動が困難と思われるような場所も』

「溶岩や深海、地中深くとか宇宙には出現しないと」

『はい。この分だと、ヒーローが出動できないような場所も避けてそうですね。マスカレイドさんはどこでも戦えそうなんで、普通のヒーロー基準で』


 そりゃ半分マッチポンプで演出している以上、戦闘以前のセッティングは避けるだろう。

 爆弾怪人はかなり高度から落下して来たから、怪人の能力にもよるのかもしれないが。


『……あ』


 と、そのタイミングで怪人出現のアラームが鳴り響いた。同時に、ミナミが発した間の抜けた反応もテレビを見る事で氷解する。

 画面に映っていた怪人のプロフィールは今正に話題として挙がっていた占拠怪人ボルテック・ジャッカーだったのだ。フラグの話をした直後に思いっきり踏んでしまった。

 対策も立てていない状況だが、出現してしまった以上は仕方あるまい。


「場所はどこだ? 国内線か」

『いえ……地上です。これは……バスかな』

「飛行機じゃなくて、バスジャックか」


 ある意味ルールに合致しているともいえるだろう。この傾向だと、何かジャック可能な乗り物が近くにある事が出現条件だろうか。

 ……つまり、今後は怪人連中はその特性を活かす現場に出現する前提で対策を決める必要が出て来るかもしれない。


「バスっていうなら飛行機よりも好都合だ。ここで仕留めておくぞ」

『……ちょっと待って下さい』

「なんだ。すでに人質とられてるとか」

『怪人側の映像確認ができません。その原因なのか、反応も複数……怪人が十数体出現している事になっています』

「……なんだと」


 試しに転送ボタンを押してみれば、転送先要求が返って来た。

 ……まさか分裂でもしてるんじゃあるまいな。




-3-




「マジでどうしよう……」


 山道を高速で移動するバスの中、占拠怪人ボルテック・ジャッカーは苦悩していた。

 怪人として誕生し、生き残る事二回。その内一回は飛行機墜落という悪行を達成してみせ、一人前の怪人である事を証明した。しかし三回目となる今回、ランダムで割り振られた出現地域は怪人にとっての絶死エリアと呼ばれる日本だったのだ。

 そこまで熱心にヒーローの研究を行っていたわけではないが、そんな彼でさえ知っているほどにこのエリアの担当ヒーローは有名だ。むしろ、怪人たちの間では一番有名と言ってもいいだろう。


 登録名マスカレイド。出会う怪人すべてを残虐非道な手段で抹殺してきた死神の如きヒーロー。

 あらゆる能力値が計測不能。パワー:Aの怪人が全力で攻撃しても傷一つつかず、スピード:Aだろうが目にも止まらず、ガード:Aの装甲を紙のように引き裂くという正真正銘の怪物だ。その上、分裂したり亜光速で移動するバイクに乗っていたりするらしい。

 怪人もそうだが、ヒーローは通常何かしらの欠点を一つは抱えているものである。平均的で穴のない能力であっても、強みがないという弱点になり得る。しかし、マスカレイドには穴らしき穴がない。つけ入る隙が存在しない。見つかってしまったら逃げる事すら不可能という理不尽な存在なのだ。


 こんな化物に対抗するにはどうするか。怪人間で話し合われた結果は"出会わない事を祈る"という、ランダムで出現させられたあとではどうしようもないものだった。

 こうして出現してしまった時点で位置は特定されている。担当区域のヒーローであれば、いつ目の前に現れてもおかしくない。

 ポジティブに考えるなら、この状況を乗り切ればしばらく日本に出現させられる事はない。任意で狙われる可能性もあるが、悪魔のホームで戦うという最悪の事態は避けられる。しかし、そんな極小のメリットなどあってないようなものだ。


 占拠怪人ボルテック・ジャッカーの出現時間は二時間。あと一時間五十五分逃げ切らなければ死が待っている。

 そんな絶望的な状況だった。


「ママー、お腹すいたー」

「うるせえっ!! 黙ってろクソガキ!! こっちはあと二時間で生き死にが決まるような瀬戸際なんだよ!」


 つい習慣的にジャックしてしまったバスにたまたま乗車していた子供が神経を逆撫でする。

 一目で人間ではないと分かる容姿と最初の脅しで車内の人間は恐怖に怯えている状態であるにも拘わらず、この子供だけが一切物怖じせずに淡々としている。怪人が腕を振るうだけで殺される可能性があるというのに、あまりの能天気ぶりに戦慄を覚えるほどだ。


「こ、こらまさるっ! 大人しくしてなさい!!」

「はーい」


 同じく乗車していた母親が叱っていなければ、つい殺してしまったかもしれない。そしておそらく、この状況でそれは悪手だ。せめて車外に放り出したいが、高速移動中のバスではそれも適わない。


「くそっ、何故怪人側が人質に気を使わなきゃなんねーんだ……」


 理不尽極まりないが、マスカレイドのわずかでも心証を害するわけにはいかない。

 開き直って暴れるという道もあるにはあるが、そこまで自暴自棄にはなれなかった。


 残虐非道の権化であるマスカレイドだが、一応本人は正義の味方のつもりではあるのか、被害を気にしている節がある……という話も聞いている。過去に被害を出した怪人は特にひどい目に遭わされているらしく、銀行強盗の前科があった怪人などはバラバラにされた挙句トイレに流されてしまったという、冗談にしか聞こえない話もあるくらいだ。

 悪い事をしたんだから、ひどい事されても仕方ないよねという建前に使われているだけのようにも感じるが、それなりの目安があるのも確からしい。

 その理屈でいえば、飛行機墜落事故を引き起こしたボルテック・ジャッカーを見逃してくれるはずはない。しかし、藁にも縋りたい状況に置かれた当人としては、ひょっとしたらマスカレイドにも人情的な何かがあるのかもしれないと期待してしまうのは仕方のない事だろう。

 そもそも会話が成立するのかすら怪しいが、いざ交渉が成立しても担当区域内の人間をぶっ殺したと知られたらすべてご破産になるだろう。想像もできないようなひどい目に遭わされる事が目に見えている。

 ムカつくクソガキでも子供は子供だ。マスカレイドにわずかでも人間味があるのなら優先して保護してくれるだろう。そういう意味では命綱と呼べるかもしれない。


「ママー、うんこー」

「ちょっと、こんな状況でっ!? 我慢しなさい!」

「漏れたー」

「ええ……」


 事後申告である。車内に排泄物の臭いが立ち込め、子供の周りにいる他の乗客が距離を取った。

 一体あの子供はなんなのだろうか。実は怪人の神経を逆撫でするためにマスカレイドが用意したトラップか何かなのではないだろうか、と疑心暗鬼にかられるほどにボルテック・ジャッカーは追い詰められていた。


 現状とれる対策は、ひたすら逃げ回って時間を稼ぐ事。もし捕捉されてしまったら、人質を使って交渉する。見逃してくれるとは限らないが、時間を稼ぐ事くらいはできるかもしれない。その時に極力刺激しないよう、人質に対する手出しは厳禁だ。

 つまり、出現した際につい衝動的に目の前のバスをジャックしてしまったのは、結果論とはいえ間違いではない。

 しかし、その過程で乗客の一人に手を出してしまったのはマイナスだろう。抵抗は無意味だという見せしめとはいえ、あきらかに攻撃を加えられた昏睡状態の男をマスカレイドが無視してくれるとは思えない。最悪、隠蔽のために車外へ投げ捨てるしかない。


「ママー、あの銀色のやつなーに?」

「何っ!?」


 空気を読めない子供がバスの外を見て言う。ちなみにすでにズボンは履いていない。

 この切羽詰まった状況で銀色といえばマスカレイドしか有り得ない。しかし、あまりにも対応が早過ぎる。

 怪人と違い、ヒーローは出動までに数分~数十分の時間が必要になる事が普通だ。常時出動できるような状況なら即応も可能だろうが、彼にも生活はあるはずなのだ。一切の社会交流を絶ち、転送装置のある場所で引き籠もっているなら分かるが、そんなヒーローがいるはずはない。


「あ、あれはソーラーパネル。もういいから大人しくしてて……」


 銀色云々は野外に設置してあった大規模なソーラーパネルだったようだ。山間部で土地を有効活用しようとした結果設置されたものなのだろう。銀色だからといって、間違ってもマスカレイドではない。

 そうだ。そんなはずはない。いくらなんでもこう早く対応してくるはずがない。それは生き延びるためにとった対策がすべて無意味だったと言っているようなもので、その場合は本当にどうしようもないのである。


 マスカレイド対策として緊急で考えた対策は二つ。

 まず第一にバスでの高速移動。ヒーローの転送は怪人の座標を元に行っているが、移動中の場合は誤差も出る。常に移動し続けていればピンポイントで車中に現れる事はない。転送後は普通に追いかけて来るだろうから保険程度のものではあるが、洗脳した運転手に限界までスピードを出させているのはそのためだ。バスジャックによって人質が肉壁になっているという利点も存在する。

 第二に、これまで隠していた能力を使ってのダミー展開。

 山中に入る前、バス内から通りすがった車の運転手を片っ端から洗脳した。時間をかけて洗脳できたバスの運転手とは違い目が合っただけの相手を完全に操る事はできないが、それでも適当な方向へ移動し続ける事くらいは可能だ。

 そして、この能力の電波催眠に囚われてる限りレーダー上は怪人として誤認されるという仕様が肝である。レーダーで見ただけで洗脳した相手が判別できてしまうという弱点でもあるのだが、この状況に限っては利点だ。

 つまり、間違った座標に移動した場合は改めてそこから移動しなければいけない。ヒーローの、特にマスカレイドのアホのような移動速度では焼け石に水かもしれないが、わずかでも時間を稼ぐ事はできるだろう。


 しかし二時間、二時間だ。己の顕在時間をここまで呪った事はなかった。

 大抵、弱い怪人ほど長く顕現時間が設定されている。これは、悪事を働く際に有利になるように調整しているものらしいが、ヒーローから逃げる事を考えるならマイナスでしかない。

 能力だけの一発屋。飛行機墜落はその評価をひっくり返したという自負を持っているが、低い能力はこんな時にも足を引っ張ってくる。


「くそ……あとは何ができる。おい運転手! もっとスピード上げろ! できる限り見通しの悪い山の奥まで移動するんだ!」

「OK、ボス」


 洗脳相手には口頭での命令など必要ないのに、わざわざ声を荒げて罵倒するほどに追い詰められている。

 そんな中、天井に何かがぶつかったような巨大な音がした。


「な、なんだっ!?」


 まさかもう場所を特定して追いついて来たというのか。


「落石です、ボス」


 洗脳しているはずなのに、発した疑問に対して運転手が自発的に答えてくれた。あまりに明瞭な発言に、本当に洗脳が効いているのか不安になるが、問題はないはずだ。




-4-




 そうして、乗客も怪人も緊張に満ちた逃避行が続く。

 時間は一向に進まない。そろそろ時間切れじゃないかと運転席に設置された時計を見れば、まだ三十分程度しか経過していない。緊張感で吐きそうだった。むしろこれは新手の精神攻撃で、狙ってやっているのではないかと疑いたくなる。

 一方、乗客も憔悴が見られた。何かあれば見せしめにされた男と同じ道を辿る、しかも運転手は怪人に協力しているようにしか見えないとなれば、大人しくするより他はない。


 何度見ても時間は遅々として進まないが、それでもようやく残り一時間という折り返し地点が見えた。

 事態が急変したのはその時だった。


 もしかしたらマスカレイドとはベテラン怪人たちが作り出した都市伝説で、実はそんな存在はいなかったのかもしれない……などと楽観し始めた頃だ。まるで、そんな心の緩みを見透かすようにバスの天井から巨大な物音がした。まるで人間大サイズの何かが飛び乗って来たかのような衝撃だ。

 急な物音と衝撃に静まり返る車内。元々例の少年以外は無言であったが、呼吸音すら消え去ったかのような静寂の中、車の走行音だけが響く。

 数秒後、追い打ちをかけるかの如く再びバス内に衝撃が走る。

 これは決して落石などではない。バスの上に何かがいて、それが天井を突き破ろうと攻撃を加えているのだ。


「ひ、ヒィィィっ!!」


 その悲鳴は誰のものなのか。乗客のものか、運転手のものか、それとも怪人ボルテック・ジャッカーが上げたものなのか。

 ドンッ! ドンッ! と複数回に渡る打撃音に合わせ、天井が歪む。

 更に数回の打撃音のあと、ついに天井に隙間が開いた。せいぜい覗き込む事くらいしかできないような小さな穴だ。

 ボルテック・ジャッカーはその先からこちらを見つめる目を見た。

 獲物を見つけた捕食者のような目に、一瞬にして恐怖で体が竦み上がり、動く事もできない。

 続いて、ただ状況を傍観するしかないボルテック・ジャッカーをよそに、その穴に何かが差し込まれた。よく見ればそれはギザギザの刃がついたノコギリのような何かだ。金属同士が奏でる音に演出され、天井にわずかだけ開いた穴がノコギリによって少しずつ広げられていく。

 一体何故そんな行動をとるのか理解できない。ヒーローの膂力であればバスの天井を突き破るなど造作もないはずだし、聞いていたマスカレイドの力なら一瞬にしてこのバスごと粉砕できるだろう。わざわざ刃物を使って天井を解体するなど、非効率極まりない。

 ボルテック・ジャッカーの脳裏に過ぎったのは恐怖を演出するという目的だった。そうだ、それならば分かる。できるだけ残虐に相手を殺害する事が趣味のような奴なら、そんな演出もやるだろう。そしてその演出は効果覿面だ。超怖い。

 そして、広がった亀裂から手が差し込まれ、巨大な破砕音と共に天井を捲り上げるかの如く穴が広がった。

 その先にいたのは噂に聞いていた全身銀色のヒーロー。聞き覚えのないノコギリを手にしているが、間違えようもなくマスカレイド本人だ。


 どうする。どうする。どうする。

 死にたくないのに、何も思いつかない。


 人が通れるくらいの穴が開くとマスカレイドは車内に降り立ち、無言のままぐるりと車内を見渡した。

 すでにボルテック・ジャッカーは捕捉済みであるが、現場の状況確認だろうか。一切言葉を発しないのが不気味極まりない。


 数秒後、ボルテック・ジャッカーが凝視し続けていたにも拘わらず、その姿が消えた。そして次の瞬間バスが停止する。

 運転席に目をやれば何かの縄で拘束された運転手と、運転席に座るマスカレイドの姿。怪人やヒーローの常識に照らし合わせても有り得ない超高速移動である。

 バスが完全停止するとマスカレイドはゆっくりと立ち上がり、ボルテック・ジャッカーに近付いていく。

 この状況で取れる行動は何か。恐怖に支配された脳をフル回転させる。

 すでに見つかってしまった以上バスによる移動はもはや無意味だ。ダミーも今となっては役に立たない。……そうだ、肉壁。まだ人質がいる。


「く、くくく、来るなぁっ!! こ、こっちには人質がいるんだぞっ!!」


 しかし、そう叫んでもマスカレイドの歩みは止まらない。むしろ、何を言っているのか分からないという顔をしている。


「くそ、人質が無意味だとでもいうのかっ!!」


 確かにあんな高速移動をされてしまったら、何かする前に制圧されるのがオチだ。今は距離が離れているが、たとえ目の前に乗客がいたとしても関係ないだろう。

 どんな手段にせよ、行動に移した次の瞬間には無力化されていると確信できてしまう。


「よ、よし分かった落ち着こう。俺の要求は制限時間中逃げ切る事だけなんだっ!! 人質には手を出さない!」


 マスカレイドの歩みが止まる。相変わらず無言だが、話くらいなら聞いてやろうという反応に見えなくもない。

 しかし、車中を見渡せばボロボロで昏睡している男性と何故か下半身丸出しの少年が目に入った。ボルテック・ジャッカーもその視線の先にあるものに気付く。


「ち、違う! それは何かの間違いだ!!」

「うわーん、ママー、怖いよー!!」

「おいコラ、このクソガキっ!!」


 狙ったかのようなタイミングで泣き出す子供。おそらくは目が合ったマスカレイドが怖いのだろうが、状況的に見れば怪人に対する恐怖で泣き出したようにも見える。そもそも子供には何もしていないので誤解なのだが、昏睡中の男性に関しては弁明のしようがないのも事実であった。こんな事ならもう少し早く捨てておくべきだったと嘆いてもあとの祭りである。

 もはや詰みといってもいい。かくなる上は少しでも抵抗しようと構えるボルテック・ジャッカー。


――《 マスカレイド・インプロージョン 》――


 しかし、その次の瞬間にはマスカレイドが急接近し、ボルテック・ジャッカーの腹部へ拳撃を加えていた。

 直接の痛みはない。だが、それは腹部に加えられた凶悪なダメージが皮膚よりも奥、内臓に向かったがために発生したタイムラグによるものに過ぎない。体の奥底から猛烈な勢いで死が這い寄ってくるのを本能で理解させられていた。


「ぐああああああっ!!」


 断末魔にも似た怪人の叫び。

 内部の重要器官が尽く損傷し、怪人といえども放置するだけで死ぬような状況なのだが、傍目に見れば軽く腹パンされたのを大げさに痛がっているようにしか見えない。

 その攻撃には、まともに攻撃すると体中の穴という穴から体液が噴出してしまうので、上手い具合に手加減したマスカレイドの優しさが垣間見える。そう、マスカレイドは極力車中や乗客に被害を出さないために気を使ったのである。天井が壊れているが、そんなのは些細な事なのだ。

 すでに無力化され、死を待つだけのボルテック・ジャッカーではあるが、マスカレイドは後処理も忘れない。

 このまま死亡すれば、怪人は爆発して乗客を驚かせてしまう。幸いここは少し歩けば崖も見えるほどの山奥である。投げ捨てればいいかなと、マスカレイドはボルテック・ジャッカーを担ぎ上げ、バスから降りて崖を目指す。

 その後ろ姿に声をかけるものはいない。乗客は全員呆然としていた。

 崖から落としただけで死ぬとは限らないので、その直前に数発追い打ちをかける慎重さも見せた。

 事切れたのを確認すると、マスカレイドは最後の仕上げとばかりに崖に向かってボルテック・ジャッカーを放り投げる。

 落下中に爆発したのを確認しつつ、マスカレイドは胸中で『うむ、この技をどこかの赤い通り魔に合わせてマスカレイド・フォールと呼ぼう』と頭の悪い事を考えていた。


 こうして理不尽な悪は滅ぼされた。代わりにやって来たのがもっと理不尽な何かのような気もするが、深く突っ込んではいけない。バスジャック被害者たちにとっては救世主に他ならないのである。

 実際、警察に証言してもそんな感じになるだろう。バスの天井を壊したのも怪人のせいにしてくれるに違いない。




 こうして、初めて一般人の目撃証言と映像が残る事となったマスカレイドの戦いは幕を下ろした。

 巨大な体格と彫りの深い容姿、奇抜なファッション、更には曲がりなりにも人型である怪人を一切の躊躇なく葬り去る手腕。後日、証言を元に情報公開されても銀タイツのヒーローが日本人だと想像する者は、ほとんどいなかった。

 尚、すべて正体を煙に巻こうというマスカレイド本人の思惑通りの結果である。


 この結果が、後にどう影響するのかはまだ誰にも分からない。



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