第二章『非日常の侵食』

Prologue「銀行のマスカレイド」




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 一般的に銀行という機関は預金の受け入れを行う場所である。他にも融資や両替、為替取引などの業務もあるが、主に金銭に関わる業務を行っていると考えて間違いないだろう。

 利用者は当然お客様であるし、クレーム対応も業務の一環である。中には無茶苦茶な相手もいるが、その業務の範疇であればお客様であり取引先だ。面倒でも不愉快でも、よほどの事がなければ門戸を閉ざす理由にはならない。

 しかし、どのような面で見ても招かねざる存在というものはいる。


『全員手を上げろっ!!』


 当たり前だが、銃器や爆発物、あるいは刃物などを持って金銭を強奪しに来る存在は、どう好意的に見てもお客様ではない。正規の取引でもないし、武器を以て恫喝してくるのは立派な犯罪である。銀行員としても、そんな招かれざるお客様に金銭を渡すようなサービスは提供していない。

 彼らは銀行強盗が成功し難い犯罪だと知らないのだろうか。統計を見るまでもなく、少し考えるだけでも理解できそうなものだが。

 少し観察しただけでも、入念な計画の元に行われたものではないと分かる。入手経路は分からないが、密輸品らしき拳銃と出刃包丁。フルフェイスのメットは被っているが、それ以外は普段着だ。人数は三人。おそらくバックアップ担当の人員はいないだろう。少なくとも何かしらの通信を受け取っているそぶりはない。事故でも発生しない限り簡単に鎮圧される類の強盗である。

 ただ、如何に防犯設備や対応マニュアルが充実しているからといって、こうして実際に事件が起きてしまえば職員は動揺する。銀行強盗と相対する経験などそうそうないのだから当たり前だろう。それは実際に銃口を突き付けられている窓口担当だけでなく、この支店の責任者でも変わらない。

 ……その支店長に視線を送ったら、どうにかしてくれという嘆願めいた視線を返されてしまった。いや、無理だから。

 確かにこの場で最も平常心を保っているのはおそらく私だろう。うんざりしているが、人生六度目の遭遇ともなれば慣れもする。

 しかし、私は銀行強盗遭遇のベテランであって、強盗対策のベテランではないのだ。今、私の頭の中に過ぎっているのもこの場をどう切り抜けるかではなく、また私のせいにされるのだろうなというある意味諦めに近い考えである。


 結局、強盗は当たり前のように失敗に終わった。

 警察はあっという間に現れたし、彼らが要求した現金を見る事もなかった。そもそも数億単位で要求されてもそんな現金は置いていない。

 錯乱した犯人の一人がATMを破壊にかかったので、その修理が必要になったのは被害と言っていいだろう。あとの被害といえば、業務時間を妨害された事とお客様と職員の心的ダメージだろうか。色々な意味で支店長の胃も心配だ。あと、私の進退も。

 ともあれ人生六度目の銀行強盗遭遇は、下手をすれば銀行で用意した防犯訓練ですと言っても信用されてしまいかねないほどにお粗末な事件だった。些か面倒ではあるが、事後処理にも問題はない。マニュアルに沿って粛々と進めるだけである。

 例外的に問題があるとすれば、それはこの場に私がいた事だろう。


 何故だか私には呪い染みたジンクスがある。銀行に行くと強盗が現れるという、それこそ行く先々で殺人が発生する推理小説の探偵のようなジンクスだ。

 私が強盗に関与しているわけではないし、特別問題のある行動をしたわけでもない。犯人との関連性もゼロで、それらは過去の調査からもはっきりしている。本当にただの偶然が奇跡的に重なっているのである。

 しかし、疑う余地もないほどのシロであっても、それが重なれば疫病神に見えてしまうのも確かだった。

 ここへ異動になった直後の歓迎会で、そんな言いがかりのような風評は気にする必要はないと言ってくれた同僚たちだったが、事件直後から彼らの視線が変わったのがはっきりと分かる。ある意味、こいつのせいで事件が起きたのかと。

 完全なる誤解である。同僚も理屈では分かってはいるのだろう。しかし、近年件数の減少する銀行強盗にこれまでの頻度で居合わせるという前例がある以上、そういう意識が芽生えるのは仕方のない事だというのも分かるのだ。


 一度目の遭遇は小学生の頃だった。私の実家近くにある銀行で母親と共に遭遇した。特に被害もなかったが、異様なほどに興奮した犯人や、犯人が持つ銃が単純に怖かった。威嚇射撃で天井に向けて発射された銃弾が、いつこちらへ飛んで来るか分からないのだ。ビビらないほうがおかしい。

 二度目はその数年後で、中学生の頃である。人生初の海外旅行で現地の強盗に遭遇した。おそらくはこれが一番危険な体験だっただろう。なんせ数十人規模の犯人グループが装甲車で突入して来たのだ。どこかの横流しなのか軍隊のような装備に身を包み、軽機関銃とグレネードを使用して瞬く間に銀行を制圧した。私たち家族は無事解放されたが、職員に数名の死傷者も出ている痛ましい事件だ。

 その体験を以て私は極力海外旅行に行かないと決意を固めた。旅行に行くにしても安全な国、最低でも銀行には近付かないようにしようと。実際には海外に行く事はあったし、銀行にも寄る事になってしまったのだが、幸い強盗には遭遇しなかった。

 思えば、それが問題だったのかもしれない。いくら稀有な体験とはいえ連続して体験したわけでもなく、その後十年近くも遭遇しなかった事で記憶が色褪せていた。普通、そんな妙なジンクスがあるなどと思いもしない。

 だからというわけではないが、私はそのジンクスから考えれば最悪の選択とも呼べる就職先を選んでしまった。……そう、銀行だ。


 三度目の遭遇は就職先の銀行である。

 ……まあ、三度目はいいだろう。いや、良くはないのだが、まだ常識の範疇ではある。銀行強盗の現場は当たり前だが銀行で、その現場で働いているのだから、有り得なくもないと言える。

 しかし四度目、立て続けに起きた同店舗での事件はいくらなんでも天文学的確率に過ぎた。

 そして、その連続強盗事件が冗談で語られるようになった頃に起きた五度目の体験は決定的だった。それぞれの事件に関連性は皆無だが、どうしたって同店舗で三件も強盗が発生するのは不自然である。

 飲み会で過去の強盗遭遇体験を語ってしまった事もあって、オカルト染みた理由に意味を求める者も多くなっていた。実際、後の事を考えるならそのジンクスは本物であったし、そろそろ私自身も冗談では済ませられなくなっていたのも事実だ。

 とはいえ、そのまま辞めるというのはあまりに非現実的過ぎた。激務とはいえ職場や人間関係に大きな問題があるわけでもなく、営業成績だって問題はない。苦労して勝ち取った大手銀行という優良なステータスを手放すのも躊躇われる。何も悪くないのに理不尽な不利益だけを受けるには荒唐無稽な理由に過ぎたのだ。

 だから辞職はせずに、提案された地方支店への異動を受け入れた。名目上は栄転で役職ももらったが、あきらかに左遷である。実は受け入れ先を決めるのも難航したらしい。ジンクスで人事を決める事などないと思いたいが、関係者も頭の片隅では考えていたはずだ。

 そうして起きた六度目は色々な意味でトドメとなった。開店以来一度も発生した事のない銀行強盗が、私が赴任した直後に発生した。

 事件と関係ない事になってはいるが、異動間もない時期に再異動となったのもこれが原因だろう。もはや直接店舗に関わらない部署でも受け入れ拒否されていたという。そんな中で、次に私という爆弾を受け入れたのは大学のOBが支店長を務める銀行だった。


 ……そしてこの七度目の事件である。呪われているとしか思えない。

 一応再度の異動は受け入れたが、そろそろ辞職を考え……いや、辞職準備を始めたほうがいいだろうと考えていた。

 私、長谷川悠司の人生設計はボロボロで、復旧の見込みも立ちそうにない。




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 怪人を名乗る犯行グループによって、全世界規模のテロ事件が起きたのはちょうどその頃だ。

 年度末という時期が時期だけに独身寮の空きがなく、新しい職場近くのマンションで荷解きをしている最中に犯行予告が放送されたのだ。

 実に非現実的な話である。今時、特撮モノだってもう少しマシな脚本を用意するだろう。しかし、非現実的な体験をしているのは私も同様であるし、少しでも考える頭があればあの電波ジャックが如何に実現困難なものであるか分かるはずだ。

 なのに、一つ目の爆弾が爆発するまで、ほとんどのメディアやネットでは信じられていなかった。辛うじて両親から安否確認の電話があったが、精々がその程度の認識だ。両親にしても、銀行強盗に対する心配のほうが大きい。

 しかし、海外のメディアの反応は違う。複数の国のニュースサイトを見るだけでも楽観視していい状況でない事は分かるし、少し調べれば怪人被害をまとめたサイトまで見つかるのだ。そのすべてが信頼性のあるものとは言い難いが、少なくともただのジョークで済ませてはいけないという事くらいは分かる。

 以前アメリカへ旅行に行った際に、ちょうどホワイトハウス襲撃事件が起きた事も事態を正しく認識できた一因だろう。あの時は数ある都市伝説の類としか考えていなかったが、すでにあの頃には世界は変容し、怪人とやらは社会に姿を現していたのだ。

 幸いというかなんというか、予告された日は転勤に伴う休暇の期間内だった。近辺に爆弾が降って来たらどうしようもないが、家にいれば社会的混乱に巻き込まれる確率は減るだろうと、食料と防犯グッズを買い集める。念のために実家と友人にもメールは送っておいた。

 とはいえ、実際のところその時が来るまでは半信半疑……いや一割も信じていなかった。対応はしても避難はしていないし、結局は私も祭りのようなものとしか認識していなかった。


 そして事件当日、世界の変容は表に姿を現した。準備はしていてもその時点でも半信半疑だったものが、明確な脅威となった瞬間だった。

 まさかこれも私のジンクスの延長線上の事なのかという考えもよぎったが、いくらなんでも違うだろう。ある意味、地球にいて地球強盗に遭遇したともいえなくもないが。……いや、強盗ではないか。

 それに際して私が何かをできたわけでもない。直接爆弾の被害を受けたわけでもないし、メディアやネットは混乱していて情報収集もできない。そもそもマンションから出る事もなかった。用意した食料はただの保存食になり、準備した防犯グッズは強盗対策用にと職場に持ち込んでいるが、それは元々で数が増えただけだ。

 しかし、ここに至って自分に関係ない世界の出来事だと楽観視する事はできない。今回は被害がなかっただけで、あのテロが宣戦布告代わりである以上、今後怪人が現れる可能性は高い。

 本当に今更の話ではあるが、政府やメディアも現状を理解したのか対策に追われている様子も窺える。

 私にとって強盗と怪人、どちらが身近な脅威かと問われれば、それはやはり強盗なのだが。


 後日、政府によって発表された被害報告によれば、日本に投下された爆弾は確実なもので四。東京の三つと、熊本だ。北海道で発生したクレーターも有力視されているが、爆発したにしては規模が小さいし、映像が残っていた四件とは違って目撃者もいないらしい。

 世界各地の被害状況はあきらかになっていない。人口過疎地など確認の取れないものが多過ぎた上に、実際に爆発したと発表された中でも、映像記録が残っていて確実だと思われるのは精々その内の半数程度らしい。

 さすがにこの状況に至って、一連の話がジョークだと笑い飛ばす者はいない。海外と比較すれば出遅れている感は否めないが、政府も国民も現実として受け止め始めていた。怪人が出現した場合の対応方法などを紹介するテレビ番組や海外の怪人情報を集め公開するサイトも複数現れ、自衛隊や警察に暫定的ながら緊急対策チームも構築されているらしい。

 ただ、当たり前のようにそれに便乗して商売をするものや謎の募金、荒唐無稽な話が飛び交う中でも尚デマとしか思えない無責任な報道も見られるようになった。国民どころか政府ですら正確な事態を把握していないのだから当然ともいえるが。

 これほどまでに大きな話になると、私が普段気にしている銀行強盗など些細な話に思えてくるから不思議だ。どれだけ凶悪な強盗だろうと同じ人間であるし、街が壊滅するような被害も出さない。あの日空から降って来た爆弾怪人とやらはもちろん、過去に目撃されたどの怪人でも強盗以上の脅威になるだろう。動画を見ていても対応できる気がしない。

 そしてもう一つ注目すべきはヒーローである。怪人と同様どこからともなく現れ、人間側に立って怪人を倒す文字通りの英雄。分かっている限りでも怪人を圧倒するだけの力を持ち、かつ世界各地に複数……いや大量にいる事が分かっている。

 彼らが無条件で正義の味方であるのかどうか、あるいはその正義の範疇がどの程度なのかは不明だが、少なくとも怪人と戦ってくれる事は確かだ。一方的に虐殺されるという事はないというだけでも希望が持てる。

 できればついでに強盗も退治してもらいたいものだが、そこら辺はあまり期待できないだろう。世界では相も変わらず凶悪犯罪が発生しているが、それらを解決するためにヒーローが出現したという話はない。


 子供のようだが、ヒーローと会ってみたいという気持ちは少なからずある。特撮もアメコミも詳しくないが、そんなヒーローがいるならどうしたって憧れるのが男の子というものだ。

 しかし、私が直接関わる事はないだろう。世界は変容したが、その変容は局地的で世界同時爆弾テロという規模ですら遠いところの出来事だ。過去の怪人目撃頻度から考えれば、多少活性化したところで交通事故程度の確率しかないはずだ。


 しかし、忘れたい現実ではあるのだが、私はその交通事故以上に稀な確率に遭遇する体質なのだ。

 ヒーローを通じ、その事を改めて実感させられる事になるとはさすがに思いもよらなかった。




-3-




 その日の業務は極めて静かなものだった。今後どう身を振るか常に頭を過ぎっていた上に、新しい職場は最初から視線が厳しかったが、それでも想定内の範疇だ。

 赴任に伴って歓迎会こそなかったが直接嫌がらせを受けたわけでもないし、話しかければ対応してくれる分、これまでの職場での末期よりはマシである。このまま再就職先を探した上で、ひっそりと辞めていく事になるだろうと考えていた。

 しかし、運命の女神とやらはよほど私が嫌いらしい。いくら強盗に遭遇する経験が豊富とはいえ、これまでは数年レベルに一度という頻度だ。だから、しばらくはそんな事もないだろうと根拠もなく楽観視していたのかもしれない。

 ……ええ、来ましたよ。配属されて一ヶ月未満、前回の遭遇からわずか半年という最短記録で、しかもこれまでの遭遇した奴らとはまったく方向性の違う凶悪な奴らが。


「大人しくしろ!」


 閉店間際の銀行に武装した多数の男が雪崩れ込んで来た。もうその瞬間にはヤバイと分かるほどに空気が一変した。

 完全に顔を隠すバラクラバとゴーグル、体の各部を保護するプロテクター、上から羽織るジャケットはあきらかに防弾仕様で、手に持つ得物は軽機関銃と、どこの紛争地帯に紛れ込んだのかという重装備である。

 警告は流暢な日本語だったが、日本人かどうかは分からない。必要最低限しか口にしない上に、外見の特徴はすべて装備で隠されてしまっている。分かるのは全員妙に体格がいい事と、時折聞き慣れない言語で会話している事。最初に警告してきた者を含め、外国人の可能性は高いと思われた。

 奴らはこれまで遭遇した強盗とは異なり、金銭の要求はせず、手慣れた行動で職員と客を拘束し、銀行のシャッターを閉めるよう命令した。

 シャッターが閉まる直前、入口を封鎖するように姿を現したのはLAVのような装甲が施された改造車が複数台。はっきりとは確認できなかったが、シャッターに取り付けられた粘土状の何かはおそらくプラスチック爆弾の類で、窓にも何かの仕掛けを施している。

 電話やネットワークの回線は切断されなかったようだが、この分なら外部から対策されていると思っていいだろう。所持していた携帯電話なども没収され、わずか数十分で外部から完全に隔離された状態となってしまった。

 ……冗談じゃない。こんな手際のいい銀行強盗がいてたまるか。まさか、こんな奴らまで私のジンクスが引き寄せたっていうのか。


 現場にいた職員と客が数人ごとのグループに分けられ、個室に移された。フロアに残されたのは私を含め数人だけだ。監視は三名。他の人質グループも同じように三名体制で監視が行われていると思われる。

 その移動指示以降、犯人側からの要求は何もない。強盗以外の目的を持ったテロなのか、金を出せとも外部に連絡をしろとも言われない。

 単純に私たちの身代金目当てという可能性は薄いだろう。あるとすればこんな支店ではなく本社に対して、あるいは政府に対しての要求だろうか。

 ここまで用意周到な連中が何故この銀行をターゲットにしたのかは想像もつかない。これが私のジンクスの影響だとしても、強盗の動機に関係するものではないのだから。

 ここまで大々的に動いている以上、警察は動いているだろう。声や音は聞こえてこないが、すでに建物を包囲している可能性もある。


 あまりに想定外な規模と練度の強盗、またはテロリストに対し、拘束された私たちができる事は少ない。

 幸い目隠しはされていなかったので対応マニュアルに沿った犯人の観察くらいはできるが、私にできるのはそれくらいだ。私以外の、特に女性職員はそれもできず怯えているばかりである。この状況で規則に沿って行動しろというのも無茶な話ではあるが。

 観察して分かった情報は少ない。あえて言うなら、少ないという事が分かった。あまりにも行動に無駄や隙がなく統一されている。きっとこの男たちはプロなのだろう。傭兵か、テロ屋か、それ以外の犯罪者グループかは分からないが、とにかく練度が高い。ついでに言うなら、この場に残っている人員はただの監視要員で、本命は別に動いているに違いない。襲撃グループ自体が何かの陽動という可能性もある。

 そうして特に何かができるわけでもなく、数十分が経過した。壁掛け時計を見れば正確な時間は分かるのに、まるで数時間経過したような気分だった。

 周りの職員はあまりのストレスに疲弊している。私は多少マシかもしれないが、それでもこれほど長い時間、銃を突き付けられつつ拘束された経験はない。正直、気が気ではなかった。


 ……だから、それを見た時、幻覚か何かだと勘違いしてしまったのも仕方ない事だろう。


「ん? なんだこれ。どういう状況なんだ」


 夢でも見ているのかと思った。突然何の前触れもなく目の前に大男が現れた。今この瞬間、ここに現れましたといわんばかりの唐突さだ。

 仮面舞踏会で使われるような仮面を着け、銀タイツと銀マントに身を包み、靴や手袋までもが銀。悪趣味なファッションが包む二メートル近い巨体は、タイツの上からでも筋肉の隆起がはっきりと分かるほどに鍛え上げられていた。

 この場にいる誰もが幻覚と思っただろう。なんせ現実味がない。犯人と比べても尚意味が分からないほどに怪しい存在だった。


「おいミナミ、怪人いないぞ。強盗の現場っぽいけど間違いじゃねーのか? って、うおっ!」


 突然宙空に向けて話し始めた大男に向けて、強盗が警告すらなしに発砲する。

 何がなんだか良く分からない状況だが、発砲音は複数。まともな人間なら致命傷間違いなしだろう。ついでに、私の足元にも流れ弾が飛んで来た。

 唐突に動き出した事態に悲鳴が上がる事はなかった。恐慌状態になりそうなものだが、あまりの恐怖に声も上げられない状態らしい。


「なにすんじゃボケっ!!」


 しかし、大男はなんでもなかったかのように強盗へ反撃を開始する。

 瞬間移動でもしたかのように一瞬にして犯人の目の前に立ち、そのまま背負い投げ。地面に叩きつけたその瞬間には別の犯人を放り投げていた。

 あきらかに多数の銃弾が命中していたはずだ。あの銀タイツに防弾性があったとしても、無傷で耐えられるはずがない。なんだ、あの筋肉は鉄板か何かなのか?


「あーくそ、殺すのはまずいよな。……いや、両手足の骨を粉砕もやり過ぎだろ。ミナミさん怖いわー」


 文字通りあっという間に監視を鎮圧した大男。宙空に向かって話しているのはハンズフリーか何かなのか、相手がいるように見えた。

 そして、今更だが日本語である。見かけはどう見ても外国人……というか、地球人かどうかすら怪しい銀尽くめの容姿なのに、ネイティブのような流暢さだ。


「お、ロープあるじゃないか。これ使おう。……ああ、確かに服は脱がせたほうがいいかもな。男相手じゃ、あんまり気が進まないけど」


 大男は犯人が携帯していたらしいザイルを取り上げ、ノックダウン中の男たちから衣服を乱暴に剥いでいく。どう見ても軍用に使われるような素材で簡単に破けるようなものではないはずなのに、薄手のTシャツを破くかのような手軽さで引き裂いていった。

 さすがに男相手に全裸にする事は躊躇ったのかパンツだけは残され、その上からザイルで拘束していく。


「……何人だろうな、こいつら。人種バラバラじゃね?」


 私はむしろお前が何人か聞きたい。いや、私に言っているわけではなさそうというのは分かるのだが。


「えーと、職員さんだよな? 状況説明して欲しいんだけど……怯えてそれどころじゃないっぽいな」


 過剰なまでの拘束が完了したあと、大男は思い出したようにこちらへ向いた。


「……すまない。そいつらの一味でないというなら、とりあえず縄を解いてもらえないか?」

「あ、ああ、気が利かなくて悪い。何分初めての体験なもんで。……この状況で随分落ち着いた人だな」


 私が特異である事は否定しないが、意味不明極まる存在に言われたくはなかった。

 大男に力技で縄を解いて……引き千切ってもらってようやく解放されたが、私以外に対応できそうな者はいない。むしろ、お前のせいなんだからお前が対応しろと言われんばかりの視線が向けられている。……被害妄想かもしれないが、それがベストである事も確かだろう。

 まあ、助けてくれたのが話の通じそうな相手だった事を喜ぼう。……見た目はともかく。


「私は長谷川悠司。この銀行の職員です。……えーと、あなたは?」

「あな……いや、マスカレイドだ。不本意ではあるが、ヒーローをしている」

「……ヒーロー?」


 まさか、例の怪人騒ぎで戦っていたヒーローの一人なのだろうか。確かに動画で見た限り奇抜な格好も多かったが、これほどダサ……悪趣味な色使いのヒーローはいなかったはずだ。

 彼の目的はテロリストどもを鎮圧……いや、この様子だと別の目的があるように見える。


「ここに来たのは強盗怪人って奴を倒すためなんだが……これ、本物の銀行強盗が発生してるって認識でOK?」

「怪人は知りませんが、概ねそれで問題ありません。だが、銀行強盗というには装備が過剰かと」

「あー、そういえば。ノータイムで機関銃撃ってくるのはただの強盗じゃないよな。びっくりしたわ」


 軽機関銃に撃たれてびっくりしたで済ませていいものかは激しく疑問だが、今は突っ込むべき場面ではないだろう。

 しかしなんというか、容姿を別にすれば普通の日本人と話しているような印象を抱いてしまう。あまりにチグハグだ。


「一応聞くが、ついでにこいつら鎮圧したほうがいいよな? この分だと他にもいるんだろ?」

「それができるなら助かりますが、建物内のどこにいるかも分からない上に人質もいるので、無闇な行動は……」

「そこら辺は大丈夫。何もさせなければいい」

「…………」


 できる……んだろうな。目の前で見せつけられた力があれば。

 どちらにせよ、この状況で何もしないのはまずい。ここの連中は瞬時に鎮圧・無力化したが、何かしらの方法で仲間に連絡が届いている可能性もある。数グループに分かれて行動しているのだから、何かしら定期連絡のようなものを行っていると考えるほうが無難だろう。

 そして、人質がいる状態で外へ助けを求めるのも愚策だ。仕掛けられた爆弾やトラップで死傷者が出る可能性もある。


「部外者があんまり勝手に歩き回るのもまずいよな。悪さしてないって事の証明のために、誰かついて来てくれると助かるんだが」


 誰も反応をしなかった。

 選択肢が私しかない。おそらく、マスカレイドさんの側もそれを想定しているのだろう。


「……なら私が」

「まあ、危険はないようにするんで。どっちもすぐ片付けるから」


 その言葉に一切の気負いはなかった。言動から状況が把握できていないとは考え難い。その上で犯人グループを鎮圧すると本気で言ってる。

 しかし、相手はおそらくプロだ。その膂力で鎮圧はできても人質すら無傷……何もさせないというのは些か自信過剰ではないだろうか。


「制圧されてるみたいだから、監視カメラにはダミーの映像を仕込んでもらった。他の人はここを動かないように……銃は危ないから壊しておくか」


 その懸念も、銃身をタコさんウインナーのような縦裂きにしたのを見た時点で霧散した。

 先ほど見せた体術も膂力も速度も相手に合わせたもので、やろうと思えば人質に危害が加えられる前にどうとでもできるという事か。加えて、それ以外の対策も保持しているらしい。……なんなんだ、この化物は。




-4-




 一秒でも早く行動したほうがいいのだろうが、過剰拘束したとはいえ犯人と職員を同じ場所に残すのもまずい。

 マスカレイドさんは隣接した応接室の安全確認をしたのち、そこに私以外の職員を押し込め、簡単には開かないようにドアノブを破壊した。

 一応、内部でバリケードを構築するよう言ってはあるが、実行できているかは分からない。


「あ、あの……場所は分かってるんですか?」


 その後、迷いもなく館内をスタスタと歩いて行くマスカレイドさんの後ろについて行く。


「見取り図と犯人の現在位置を調べてもらったから大丈夫。あとついでに怪人も」


 怪人はついでなのか。


「その……何か私にやれる事とか」

「長谷川さんはいざって時に俺が何も悪い事をしていないって証言してくれればいい。不法侵入とかさっきのドアみたいな器物破損とか、強盗の人権がどうとか言われても困るしな。この状況で何もしないで帰っても、文句言う奴はいるだろうし」

「それは……。そんなのは無視すればいいんじゃ」


 いないとは言えない。極少数でも、そういう事を言う奴がいるのは分かる。そういう連中に限って声が大きいのだ。


「俺は正義の味方ってわけじゃない。今回はたまたま居合わせたから解決するつもりだが、強盗から人を助けて文句言われるようなら、次からは助けるつもりはないし、そんな義務もない」

「……ヒーローはあくまで怪人を倒すのが役割だと?」

「そうなる。それについても強制されているわけじゃないから、倒せなくても文句は受け付けない」


 無条件で困っている人を救ってくれる救世主ではないという事か。

 直接関係のない強盗事件を解決してくれるあたり善意の人ではあるようだが、言葉の端々にドライな印象を受ける。

 あの爆弾騒ぎの際、ヒーローは世界各地で戦ってくれたらしいが、中には一切行動しなかった者もいるのだろうか。

 そもそも、ヒーローが何を目的としているのかも分からない。金銭を受け取っているとも思えないし、この分だと名誉を重視しているわけでもなさそうだ。……怪人と戦う事そのものに意味がある?


「証言をする時に隠しておきたい事は?」

「基本的に公開が禁止されている情報はないし、悪事を働くつもりもないから、見たまま証言してくれればいい。嘘や無理に俺を陥れる証言をしたら社会的に抹殺するけど」

「は、はあ……」


 怖いヒーローもあったものである。

 だが、現れた時には状況も把握できていなかったようなのに、館内の見取り図や犯人の位置を割り出しているという事は、そういった手段を持つという事だ。ハッタリを言っているようにも聞こえない。外部とやり取りしているようにも見えるから、専門のサポート要員がいるのかもしれない。


「あーそうな。……長谷川さん、俺がここに現れた時に口走った言葉は忘れてくれ。できれば、他の職員にも口止めを頼む」

「……ミナミっていう人の事ですか?」

「随分察しがいいな。こんな状況なのに」


 そこはまあ慣れているので。

 外部の協力者なのだろうか。日本人の名前のようだが偽名という可能性もあるし、名字にも下の名前にも聞こえるから特定は難しそうだ。


「それくらいなら問題ありません。他の職員に関しては本当に口止め程度しかできませんが」

「漏れて直接どうこうなる情報でもないから、それで十分」


 とはいえ、見たまますべてを報告するのは少々問題がありそうだ。ここは必要最小限に留めるのが良さそうである。

 意味があるのかは分からないが、ヒーローの機嫌を損ねる可能性は潰しておきたい。




「はい、こんにちは。そしてさようなら!」


 マスカレイドさんは人質のいる部屋に詰めていた犯人たちを一瞬にして沈黙させた。時々嫌な音が響いていたが、声すら立てさせない徹底ぶりだ。……窓口前で拘束されている連中とは違い、数ヶ月単位で立ち上がれもしないだろう。

 そうして瞬く間に複数箇所を鎮圧。犯人グループをすべて排除してしまった。テレビ番組ならCM明けには片付いていた状態だろう。

 犯人グループが現れた際に人数を数えていたわけではないから自信はないのだが、マスカレイドさんはこれですべてだと自信を持っているようだ。常識的に考えればそんな索敵は不可能だと思うのだが、このヒーロー相手に常識を語るのは無意味であると思い知っている。

 支店長をはじめ、救出された職員たちは無言で説明を求める視線を送ってくるが、私にも理解できないので報告書で勘弁して頂きたい。

 そうして犯人たちを一部屋に押し込めたあと、とりあえず安全そうな部屋で待機してもらう事にした。


「建物外にはまだいるが、それは俺が怪人を倒したあとにここの人と警察でなんとかしてくれ。携帯使えば連絡はとれるだろうし」

「だ、大丈夫でしょうか?」

「そこまでは知らん。現時点で警察とか関わりたくないし」


 あくまで私たちを助けたのはついでという扱いらしい。

 まあ、言い分は分かる。手間もそうだが、社会情勢を考えれば警察は限界まで情報を得ようとするだろう。


「どうも全国複数箇所で同様の事件が起きてて、警察もそっち優先になるだろうから、上手く注目を逸してくれると助かるかな」

「複数箇所……?」

「今回の犯人は、三月に起きた爆弾怪人の騒ぎに便乗して入国したテロリストグループらしい。数年前に捕まった奴らのリーダーの釈放を政府経由で要求しているのと……やっぱり金かな? そんな要求どっちも通るはずないんだが、リーダーがいなくてトチ狂ったんじゃないかな」


 ……つまり、別の目的はあれど銀行強盗ではあるのか。

 事件の重大さもびっくりだが、その事実のほうがショックだった。


「ちなみに、マスカレイドさんはどうやってその事を?」

「ネットで見たって事にしてくれ」


 当たり前だが、公開できない情報というわけか。常識的な手段とは考え難いな。


「じゃあ、あとは怪人ぶっ殺して終了といこう」

「ころ……え?」

「大丈夫、人間じゃないから。跡形も残らないし」

「は、はあ……」


 よくよく考えて見ればそうだ。ほとんどの動画ではそんな瞬間までは映っていなかったが、ただ撃退するだけで済むはずもない。

 ……ああ、だからここまで慎重なのか。残虐性だけ抽出されて広められたり、変な市民団体が怪人の人権とか言い出したりする光景が目に浮かぶ。


「この建物内のどこにその怪人が?」

「良く分からないけど、ずっと一階のトイレに閉じ籠もってるらしい。引き籠もり怪人かな」




-5-




 そうしてやって来た一階男子トイレ。建物改装前からそのまま残っているらしく、職員もあまり利用しないトイレだ。

 ……こんなところに怪人が。


「長谷川さんはどうする? 最後まで見ていくか、ここに残るか。ちゃんと安全確保はするつもりだけど、怪人相手だと万が一がないとも言い切れないし」

「……行きます」


 怖くないと言えば嘘になるが、見るべきだと思った。

 冷静に考えれば、そんな必要も義務もない。報告するにしても、そもそもが荒唐無稽な話なのだからどうとでも誤魔化せる。しかし、現場の妙な空気に当てられ、マスカレイドさんの妙なノリに毒され、ついでに今回の事件が私のジンクスのせいかもしれないという罪悪感が私の中で化学変化を起こしていた。好奇心とも正義感とも違う、妙な感覚だ。


 侵入したトイレは静まり返っていた。しかし、確かに用具入れ手前の個室は利用中になっている。

 怪人が用を足しているとは思えないし、罠を張るにしても不可解な場所だ。何がしたいのか理解できない。そんな状況でも、マスカレイドさんは一切躊躇する事なくその個室に近付きドアをノックした。

 ……中でかすかに物音がしたが、応答はない。マスカレイドさんは再度、今度は少し強めにノックをする。


「……は、入ってます」


 今にも消え入りそうな声が中から聞こえた。なんというか、一般人が隠れているようにしか聞こえない。


「あー、強盗怪人ヘルさん? そこにいるのは分かってるんですよ」

「ひ、人違いですっ!!」


 その反応は人違いではないと言っているようなものだ。

 しかし、怪人とは悪逆な存在ではないのだろうか。爆弾怪人や過去の動画では、人間に被害を与える事に躊躇しない、完全な敵対者だという事になっているのだが。


「オラ出てこい! 隠れて制限時間超えようとか甘いんだよ!! ゴートゥヘルとかダジャレのつもりか!!」

「ヒィッ!! な、名前は関係ないじゃないですか」


 個室のドアを蹴りつけるマスカレイドさん。その構図はどこぞの学校で虐められっ子を追い詰める不良のようだった。もしくは借金取り。

 壊れたドアの向こうにはバラクラバや銃、ステレオタイプな強盗のパーツをそのまま体の構成部分としているような、パッと見では怪人とは分からない者の姿があった。人型ではあるが、良く見れば確かに人間ではない。


「あと十分だけ、あと十分だけなんで勘弁して下さい!!」

「何一つ勘弁する理由がない」

「そ、そこの人、このマスカレイドは残虐にも罪もない怪人を爆殺しようとしてるんですよっ!! 助けて下さい!!」

「あーと……え?」


 何故か私に助命嘆願して来た。これは一体どういう展開なんだ。私に言われてもそんな権限はないし、訴えられても困るんだが。

 確かに悲壮感漂う雰囲気ではある。ちょっと惨め過ぎて同情する気持ちは少しばかりあるが、そもそも怪人は正面切って敵性存在だと宣言しているのだ。人間側に亡命でもしたいというのか。


「誰が罪もない怪人だ。てめえカナダで銀行強盗して三人殺してるだろうが!! クズがっ!」

「え……はっ?」


 この怪人はすでに人を殺めているのか。しかも強盗だと。


「こいつ、強盗が行動するように催眠術かけられる能力持ちなんだよ。今回の件は知らないが、それで何件も強盗事件を引き起こしてる」

「よし、死刑で」

「素晴らしい回答だ」


 銀行強盗に慈悲はない。躊躇う必要も助命を受け入れる必要もなかった。

 マスカレイドさんが嘘を言ってる可能性はあるが、それは怪人も同じだ。その上でどちらを信じるかなんて明白だろう。


「ギョエエエエエッッッ!!」


 マスカレイドさんのキックで強盗怪人が宙を舞い、元々隠れていたトイレの個室、それも便器へと顔から落下した。


「はいはい、さようならー」

「がぼぼぼぼぼっ!!」


 追い打ちのように便器の水を流すマスカレイドさん。あまりにあまりな光景だが、少しも同情できない。

 そして数秒後、息を引き取ったのか爆発した。死因はキックなのか溺死なのか分からないが、過去の怪人がそうだったのと同様に死ぬと爆発するという事なのだろう。木っ端微塵なので、煙が晴れたあとは跡形もない。それはまるで便器に流されていってしまったようにも見える。

 死に際の爆発も影響があったのは個室内で、便器が壊れた程度だ。ここまではほとんど爆風も来なかった。目の前で一つの命が失われた事実を忘れてしまいそうなほどに痕跡がない。

 しかし、まさかここまで罪悪感がないなんて。


「まったく、死にたくない一心で嘘付くとか最悪な怪人だ。……虐めみたいに見えたかもしれないが、あいつの前科は本当だからな」

「は、はあ。疑ったわけではないので大丈夫ですよ」


 それが嘘でも本当でも私がどうこう言える話ではないし、怪人を見逃せと言うつもりもなかった。

 これが人間相手なら……たとえばあの犯人たちでも同情くらいはしたかもしれないけれど。


 しかし、なんとなくだが理解した。

 凶悪で残忍といわれている怪人があんな行動をとるのはおかしいと思っていたが、ようするにマスカレイドさんは強いのだ。……怪人はもちろん、他のヒーローと比べても極端に。

 多分怪人が凶悪だというのは本当で、我々一般人にとってみれば恐怖の対象なのだろう。しかし、そんな凶悪な怪人でも勝負を捨てて助命嘆願するほどに絶対的な力量差が存在するのだ。


「というわけで、俺は帰るからあとはよろしくお願いします」

「あ、はい」


 現れるのも唐突で、去る時まであっさりだ。


「……最後に一つだけ質問いいですかね? マスカレイドさん、爆弾怪人の時は何体倒しました?」

「え? 五体だけど」

「なるほど。……ありがとうございました、ヒーロー」


 直後、マスカレイドさんの姿が光に包まれて消える。はじめから、そこには何もいなかったかのように。

 しかし、壊れた便器とドア、煤けた壁は強盗怪人の墓標であるし、強盗グループが拘束されてるのも彼の功績だ。彼にとっては何気ない事でも、私たちは確かに助けられたのだ。それは忘れてはいけない。

 あの日、東京で爆弾怪人を貫いたという銀の光もおそらくは彼なのだろう。

 変な格好で、妙なノリで、異様に強くて、慎重でドライだけど確かに善性を持つヒーロー、それがマスカレイド。それを胸に刻もうと思った。


 怪人の出現が世界を変えた。そして今日もまた、私の世界は簡単に覆された。

 常識とかジンクスとかそういった事が些細な悩みであったかのように、私の中の色々なものを粉砕していった。




 その後、事件は何事もなく……というほどではないが、スムーズに解決した。

 犯人に没収されていた携帯電話を回収し警察と連絡をとったあとはほとんど任せてしまったが、この事件における私の役割は報告と証言だ。マスカレイドさんの不利になりそうな話は極力避け、誤解を生まないように伝える事が私のやるべき事だった。

 同時に起きていたという事件も大きな被害はないままに収束した。立て籠もった建物内の情報がリークされたとか、犯人グループの内部情報が流出したとか色々な噂もあったが、それらも何かしらの形で彼が関わっているような気がする。


 事件の解決した数日後、私は辞表を提出した。

 状況が状況だけに引き止められもせず、あっさりと辞表は受理された。異動後は大きな案件に関わってもいなかったし、役職も無理やりねじ込んだような強引なものだから、後任への引き継ぎもない。退職までの期間も気楽なものだった。

 再就職先は決まっていないが、とりあえずは実家に戻って静養しようと思う。その後は……それから考えるとしよう。


 ただ、叶うなら次の仕事はどんな形でもヒーローに関われるような仕事がいい。

 誤解されそうな彼や彼らが貶められる事はないように、助けられた人が素直に感謝できるように、そういった事に関わりたいと思った。



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