Epilogue「銀光のマスカレイド」




-1-




 電車で一人、流れる景色を眺めている。普段利用する事のない路線から見える景色は少し新鮮で、進むにつれて次第にビルの多くなっていく景色はこれから向かう東京が如何に都会であるかを思わせる。

 久しぶりに乗る電車は新鮮で、一人で知らない路線を利用しているだけで少し冒険心を擽られた。普段は電車を利用するにしても、せいぜい駅前が発展している隣駅に出るくらいだ。地元は都市と呼ぶには小さいが、東京へ向かう路線の関係から駅前はそこそこ発展しているので不便はないし、中学は徒歩圏内、四月から通う事になる高校もバスで足りる距離である。大学進学や就職ともなればまた違うのだろうが、まだまだ先の話である。今回だって、少し状況が違えばこの電車に乗る事はなかったはずだ。


 中学卒業後の春休み。ちょうどその時に予定されていた父方の大叔父が住む実家の改築。主な用事は私物の整理だが、今年は正月にも帰っていなかった事もあり、帰省を兼ねて自宅警備に勤しむ兄以外でお手伝いに出かけたのが昨日の事。今住んでいる場所よりもその家の方が東京に近いせいもあって田舎への帰省という言葉が使い難いのはアレだが、老人が必ずしも田舎に居を構えているわけではないのは当たり前といえば当たり前である。

 そんな事を考えつつスマホでメールを確認し、そういえばここからなら半年前に引っ越していった友人の家が近いなと電話したところ、せっかくだからと遊びに行く事が決まったのが昨日の夜の事だ。流れるようなイベントの連続に目眩いがしそうだが、これも長期休みにしかできない経験だと思う事にする。

 途中、テロがどうたらという車内放送があって複数回車両点検で止まりはしたものの、それ以外は特に問題もなく目的地についた。慣れない路線で乗車券を買い間違えたりもしたが、精算すればいいのだから問題ではないのだ。


「明日香おひさー、半年ぶりー」


 駅に着き、改札を出たところで呼びかけられた。

 伊ヶ谷阿古。半年前、中学三年中盤という極めて微妙な時期に引っ越す事になった友人だ。地図はもらっているので迎えに来るという話にはなっていなかったはずだが、わざわざ来てくれたらしい。


「久しぶり。家に直接行くつもりだったんだけど」

「私もそのつもりだったけどね、ママが物騒だから迎えに行きなさいって」

「物騒?」


 東京なら確かに地元よりは物騒だろうけど、さすがに昼下がりに十分ちょっとの道のりで何かあるとは思えない。目的地が分かっている以上、GPS使えば道に迷う事もないだろうし。


「車内放送でテロがどうたらって言ってたけど、ひょっとしてそれ?」

「そうそう、テロテロ。なんだかすごかったよー、どのチャンネル見ても変な怪獣が映ってるの」

「……か、怪獣?」


 何を言っているのか分からなかった。怪獣がテロをするのだろうか。……コスプレしたテロリスト?

 あ、インパクト狙いならない事もないのだろうか。……強盗などが人相を誤魔化すためにインパクトのある特徴を付ける手法があるように。


「とりあえず、どこ行こうか。定番のスカイツリーでも見に行く?」

「いや、行った事あるし。とりあえずはご飯食べたいかな、半年も経てばいい店見つかってるでしょ」


 遊びに来たのは確かだが、東京観光をしに来たわけでもない。それよりもテロの話はどうなったのか気になったが、それは食事しながらでもいいだろう。

 そうして、久しぶりに会った友人に案内されて入ったのは全国展開しているハンバーガーチェーンだった。悩む素振りすらない。


「あのさ……地元にもたくさんあるんだけど」

「今月ピンチでさー。クーポンあるし。ほら、高校デビューじゃないけど、最初くらいは気合入れたいじゃない?」


 なるほど、一理ある。特に変な時期に引っ越してから間もない時期の進学だ。ほとんど知り合いもいない中で気合を入れるのは当然かもしれない。出かける前にもらった小遣いは別の事に使うとしよう。……おごったりはしない。


 定番のセットを頼んで、二階のテーブル席に座る。人が多いというほどではないが、やはり地元と比較すれば混んでいる印象である。窓の外を見て気になるのはやはり人の数だ。ビルなどの建物はそこまで違う気はしないものの、人は格段に多く感じられた。ベッドタウンとして開発された地元の駅前は、ラッシュ時以外閑散としたものなのである。


「そっちはどうだった? あれから何か変わった?」

「特には。どっちにしても受験だったし、変化の起きようもないというか、元々変化が決まっていたというか」


 進学先は一年以上前から決めていた高校だし、規定路線である。それ以外も特に変化はない。

 平凡なクラスに平凡な授業、家では相変わらず兄が引き籠もったままで、母が事務作業のように部屋から出そうと頑張っている。父は家に戻りたくないのか夜遅くまで残業だ。つまり、阿古が引っ越した半年前と違いはない。


「メールは来たけど、クリスは本当に受かったの? あんたと同じ志望校でしょ?」

「不思議な事に」


 常日頃から能天気で特に成績を気にしている様子もなかったのに志望が私と同じ進学校と聞かされた時は耳を疑ったが、本人に言わせれば中学よりも近いから以前から狙ってたそうだ。三年になってから猛勉強を始めたらしく、二学期には無事合格圏内へ入っていた。

 やればできるし要領もいいのだが、普段はどこか気が抜けた炭酸のような子だ。ブンブンと振ると弾ける感じで。


「まあ、多分入学後は元に戻るんじゃないかと」

「彼氏でもできればなおさらだよね。高校なら、あのビジュアルでも声かけづらいって理由で尻込みする人は少なくなるだろうし」


 私たちの友人であるクリスはなんというか、知らない人から見れば近寄り難い存在らしい。

 ハーフというだけならそれほどでもないのだろうが、ビジュアルが整い過ぎ、日本人離れし過ぎで別世界の住人であるかのように感じさせる。本当に子供の頃から……クリスが鼻垂らしていたアホの子だった頃から知っている私でもそう思うのだから、今のあの子しか知らない人は余計にそう思うだろう。話してみるとむしろ取っ付きやすい子なのだが、最初の距離が遠いのだ。


「で、テロって何?」

「お昼にね、変な怪獣みたいな格好した人が電波ジャックして、世界に爆弾を仕掛けるって宣言したの」

「……は?」


 簡潔過ぎて分からなかったのか、そもそも根本的に元々の話が意味不明なのかすら判断が付かなかった。

 けれど、言っている事は無茶苦茶なのに、阿古が冗談を言っているようには見えない。長年友達をやっていれば、その辺のニュアンスくらいは分かる。


「あー、多分説明しても意味不明だから。スマホでいいからニュースサイト見れば一発だよ」

「はあ……」


 スマホの電源を入れてみると、最初に目に入ったのは母からのメールの着信通知。ニュースの前に確認だけしておこうとそれを開けば、内容は今まさに調べようと思っていたテロ放送の話だ。書いてある事が阿古の話とまったく一緒である。つまり、元ネタからしておかしいという事なのか。わざわざコスプレしてテロ宣言とは……。

 続けて普段利用しないニュースサイトを開くと、トップからしてそれらしき見出しだ。

 中を見れば、怪人を名乗る正体不明の存在がテレビやラジオを電波ジャックし、世界中に仕掛けた爆弾を明日の正午から順次爆発させると宣言した……という無茶苦茶な話だ。あまりに現実感が沸かなくて、脳が拒否反応を示している。

 しかし、こうして複数のサイトで見出しになるほど大々的に扱われている以上、少なくとも電波ジャックは行われ、社会的に問題視はされているのは間違いない。これが冗談だというのなら、それはそれで問題だろう。

 先ほどまでは気にしていなかったのだが、良く聞けば周りの席でも同じ話題を話しているのが分かる。


「えーと、何これ。どういう事?」

「無茶苦茶で意味分かんないけど、そのまま。びっくりだよねー」

「つまり、明日どこかで……ひょっとしたらここが爆発するかもって話?」

「それはどうだろうね。世界って言っても広いし、そもそも本当に爆弾なんて仕掛けているのかどうか。ちょっと無理がない?」

「無理って……」


 爆弾テロ宣言で印象が霞んでいるが、電波ジャックの時点でさほど詳しくない私でも物理的に無理があるというのは分かる。なら、それ以上の何かをして来たっておかしくはないだろう。非現実的で実感は一切湧かないが、愉快犯と楽観視するには手が込み過ぎている。


「というか、そんな状況なのにスカイツリーみたいな人が多そうなところに連れて行くつもりだったの?」

「え、空いてそうじゃない?」

「それはそうだろうけど」


 爆弾の話は眉唾ものだが、人が多い観光名所なんてテロの目標になり易い場所にわさわざ行く気にはならない。それは真っ当な感覚を持った人間なら共通の認識だろう。


「さすがに予告のあった明日に行く気はしないけどねー」


 この時点で、彼女の認識は一般的なものと言えた。

 世界中の同時電波ジャックなどという無理を実現している以上絶対に有り得ないとまでは言わないが、基本的には眉唾もので、万が一起きるとしても遠い場所の出来事。少なくとも、自分に影響のある範囲で何かが起きるとは思っていない。

 私も大きくは違わない。違うとしても、せいぜいが明日ちゃんと電車動くかなと思う程度だった。




-2-




 特にどこかに行くわけでもなく駅前を二人でプラブラして、阿古が四月から通うという高校を外から見学しつつ彼女の自宅へ向かう。

 一応今日は泊まりの予定なので、ちゃんと親御さんへ挨拶。客用の寝具の準備をするという阿古から部屋の場所を聞いて、一人でそのドアを開けた。


「邪魔してるよー」


 誰もいないはずの阿古の自室に先客がいた。ベッドに座り、ノートPCを抱えた少女。多分、私たちと同じくらいの年齢だが、見覚えはない。


「……ん? 君は誰だ?」

「え、えーと?」


 それはこっちのセリフだ。


「その……ここって阿古の部屋じゃ」

「そうだが……ああ、不法侵入というわけではないぞ。ちゃんと玄関から入って親御さんに許可はもらっているからね」

「は、はあ……」


 なんというか、妙な口調の子だった。すごく女の子っぽい外見なのに、アンバランスだ。


「あれ、ミナミさん、どしたの?」


 追いついて来た阿古が中に陣取っている少女を見て言う。どうやら本当に知り合いらしい。


「ちょっとネットが使えなくてね。ここからなら姉の回線が繋がるから、場所を貸してくれ」

「そりゃ構わないけど……ああ、この子は前に住んでたところの友達で穴熊明日香。話した事あるよね?」

「……ああ、君が。私は隣の家の住人のミナミだ。阿古君のクラスメイト……いや、もう元クラスメイトかな?」

「進学先違うしねー。ミナミさん成績いいから」


 ……同い年のクラスメイトなのに、さん付けなんだ。仲良さそうなのに。


「場所使うのはいいけど、また何か変な事でもしてるの?」

「また……。例のテロ宣言で今ネットに繋がり難いんだ。姉の回線なら、相手先のサーバーがダウンしてない限りはなんとかなるしね」

「なんだか良く分からないけど、ようするに混雑してるって事かな? 明日香を待ってる間スマホ見てたけど、確かにちょっと繋がり難かったね」

「そう。国内はそこまで問題ないんだが、海外はダウンしてる経路も多くて、普通の回線じゃ厳しいんだよね」

「……海外」


 例の電波ジャックの影響で、海外がどういう状況なのか直接調べてるとかそういう事だろうか。外国人の知人がいるのかもしれない。


「明日香は何か飲む? ついでにミナミさんも」

「あ、うん」

「ああ、私の名前が書いてあるボトルを持って来てくれると助かるかな。冷蔵庫に入っているから」


 入り浸ってるのだろうか。

 阿古は一階へと戻っていく。初対面同士を放置して行くのはどうしたものかと思うが、そのまま突っ立っていても仕方ないので取り敢えず部屋に入る事にした。……えーと話題、話題。


「……あの、そのお姉さんの部屋じゃ駄目なんですか? 隣の家なんですよね?」

「姉は今家出中でね。鍵がかかっていて入れないんだ。だけど無線LANの電源は入っていても家の中だと電波が遮断されていて上手く繋がらない。となると間の庭か窓の向かいにあるここしか選択肢がないんだが、今日はちょっと寒いからね。……そこの窓から見えるのがウチの姉ミナミの部屋だ」


 ……ミナミは自分の事じゃないんだろうか。名字?

 指差す窓のカーテンを開けて外を見てみると、そこには新居である阿古の家とは真逆の、古めかしく大きな屋敷が見えた。多分、姉の部屋と言っているのは真正面の二階にあるカーテンがかかった部屋の事だろう。


「お、大きいお屋敷ですね」

「古臭いだけだよ。大きいのは大きいが、一家族が住むには大き過ぎるから不便も多い。あ、でも風呂は自慢かな。今日泊まりの予定なら入っていくといいよ」

「は、はあ……いいんですか?」

「いいよ。なんなら阿古君と一緒にウチの客間で寝てもいい」


 何故、友達の家に泊まりに来たら、更に隣の家に泊まる事になっているんだろうか。

 ……決して悪い印象は受けないが、口調も含めてちょっと変な子だ。


「話は聞かせてもらったっ!! ここは女三人洗いっこ大作戦といこう。ミナミさんのいやらしい肉体を弄くり倒してくれる」


 と、そのタイミングで阿古が戻って来た。

 ……何言ってるんだろう、こいつは。ミナミさん、確かにスタイルはいいけど。


「一緒に入るのは構わないけど、私にそういう趣味はない。あと、いやらしい肉体云々はウチの姉に言ってくれ。私は普通だから」

「あー、そーっすね。姉ミナミさんスゴカッタナー」


 阿古が遠い目をしていた。このミナミさんよりすごいって相当なんだけど……どんだけなんだろう。


「そ、そんなにスタイルがいいの? お姉さん」

「違う。アレはスタイルがいいんじゃなく、いやらしいんだ。実に男受けする危険な肉体をしている。……一切活かせていないが」


 意味は分からないが、とにかくすごい事は分かった。


「あ、話戻すけど、お風呂はいいけどミナミさん家に泊まるならミナミさん自身はどうすんの? なんかママに泊まっていくとか言ってたみたいだけど」

「ああ……自分の事を忘れてた。今日から明日にかけてここでネット使いたいんだ」

「じゃあ、ここはこの狭い部屋で女三人パジャマパーティという事で」


 狭い……かな? 子供が使う一人部屋……それも都内という事まで考慮したら広いほうだと思うけど。むしろ私の部屋のほうが小さい。……ひょっとしてお隣を基準に考えてるのだろうか。




-3-




 その夜、泊まりにはならなかったが、結局食事もお風呂もミナミさんの家で用意してもらう事になった。

 食事は普通のもので特別豪華というわけじゃなかったけど、お風呂は総檜造りの見るからに高級感漂うものだった。阿古が三人で入ろうというのも分からなくもない。なんせ、一人で使っていたら緊張して余計に疲れそうだ。

 ちなみに表札を見て分かったが、ミナミさんは名字が『南』さんらしい。それはそれで何故姉の事をミナミ呼びなのかは分からないが。

 その後、やった事と言えばお喋りくらいのものだが、久しぶりに会う友人と初対面とはいえ取っ付きやすいミナミさん二人との会話はなかなか楽しいものだった。どうせなら地元からクリスを呼べば良かったと思うくらいだ。


「阿古君は……寝たのか」


 トイレから戻って来たミナミさんが、自分のベッドに突っ伏した阿古を見て言う。

 阿古は昔から全力で生きている子供っぽいところがあるから、ガス欠も急なのだ。


「ミナミさんは、まだ調べ物?」


 話している間、ミナミさんはずっとPCに向かっていた。このタイミングで調べ物なんて例のテロ絡みしか思いつかないが、そんなに調べる事があるのだろうか。


「いや……大体終わったからもう寝るけど……寝れるかな? ちょっと色々整理がつかない。できればもう少し話に付き合って欲しかったんだけど。……片割れは寝てしまったようだし」

「私だけでいいなら聞くけど」


 この口ぶりだと、悩み相談とかではないのだろう。回答を求めていない。


「……まあ、君なら真面目に聞いてくれそうだし、助かるかな」

「調べてた海外の話? ひょっとして、例のテロ?」

「そう。といっても海外だけじゃなく日本も含めてだけどね。さすがにタイムリーな話題だから、話だけはみんな知ってる。知っているが、誰も本質に気付いていない。特に日本は盲目的で、誰も正しい情報すら持っていない状況だ。……これはテロなんかじゃない。正しい意味でも、本質的な意味でも」


 その二つの違いが分からなかった。世界に爆弾を仕掛けるというのはテロに他ならないのではないだろうか。


「まず、テロというのものは暴力的な行為を以て相手に要求を突きつけるために行われるものだ。今回のは、要求すら存在しない一方的な宣言に過ぎない」

「そういえば、何も要求がないんだっけ」


 件の動画はすでに目を通している。阿古の言っていた通り電波ジャックを行ったのは怪獣のような何かで、コスプレには見えないほどに精巧なつくりをしていた。あの怪人を名乗る者は、確かに宣言をしただけで要求を口にしていない。


「宣言した最初の一発目以降にそれを言うとか」

「そうかもしれない。だけど、多分それはない。断言するけど、アレは一方的な宣戦布告だ。人類に対するね」


 人類て……。


「……それだと、アレが人間じゃないって前提になるんだけど」

「アレは怪人だよ。人とは異なる異形の怪物だ」


 断言されてしまった。

 いきなり人間以外の知的生物が現れましたと言われても、はいそうですかとはならない。しかも自称敵性存在である。

 あの見た目が元々のものであるなら納得できなくはないけど、特殊メイクでなんとかなりそうな気もするのだが。


「明日香君の認識は一般的な日本人としては別段おかしくない。日本だけじゃないけど、過去に怪人被害が出ていない国からしてみれば当然ともいえる」

「……怪人被害?」

「ここ数年……いや、信憑性のあるものに限定するなら一年くらい前から怪人と呼ばれる者は目撃されていて、実質的な被害も出ている。一番有名なのはホワイトハウス襲撃かな? 一応ニュースになっただろ?」

「それはニュースで見たけど……」


 軽くニュースで見たくらいで詳しく調べてたわけではないが、そこに怪人なんて言葉は使われていなかった。

 そんな荒唐無稽な存在が関与しているなら、報道されないのはおかしいだろう。


「表立っては公表してないからただのテロリストって事になってるけど、アレは怪人だ。アメリカ政府としては認めていないけど、目撃者が多い上に映像まで出回っている。さすがに誤魔化しようがないと思ったのか放置されてて、その手のサイトを回ればいくらでも映像が見つかるような状態だからね。偽情報やジョークを扱ったサイトも多いけど、元ネタがはっきりしている事もあってちゃんと受け入れられてる」

「えーと、そんな話があればさすがに日本にも情報が入ってくるような」

「入って来てるよ。ジョークとして」


 そりゃ信じられないのはそうだけど……。ネタ扱いなのか。


「実際それだけなら信じられないと思うけど、それ以前からの積み重ねがあるんだ。連続通り魔事件、強盗、傷害、もっと細かい被害まで目を向ければ無数に怪人は目撃されている。大国なら月に一度二度は確実に被害が出ているような頻度で。……こうして話していても馬鹿らしいとは思うけど、事実それを信じてる人はたくさんいる」

「日本だって一応大国なんじゃ」


 周りに極端な人口や土地を抱えている国が多いからそう感じないだけで、狭いわけでも人口が少ないわけでもない。経済やら何やらを含めれば十分大国に分類されるだろう。だが、月に一度二度どころかそんな話は聞いた事がなかった。

 ミナミさんは冗談を言っているようには見えない。短い付き合いだが、彼女の会話の手法ならすでにオチがついている段階だ。生粋の電波さんという可能性はあるが、すでに日常に侵食してきている非日常の姿がひょっとしたらという考えを抱かせる。


「おかしな話だけど、怪人被害の履歴を見る限り日本での目撃例はない。怪人に避けられてるんじゃないかってくらい不自然なほどに。本気なのか冗談なのか少し前にあった東西線の異臭騒ぎがそうじゃないかって人もいたけど、ちょっと判断は難しい」

「えーと、つまり下地がないままに今回の騒ぎになったから、誰も信じていない?」

「そう。少なくとも海外ではそれを信じて騒いでる人はいる。それも、大多数でないにせよ大勢」


 だから、海外の情報を集めていたのか。


「今の話だけで信じられる気はしないけど、それを前提とするなら……」

「明日、どこかで爆発は起きる。そして、それが怪人なんて非現実的な存在が現実になる合図なんだろう。こんなアホ話を信じる必要はないけど、明日帰るのはやめておいたほうがいいかもね。電車動かないかもしれないし、影響を受けて暴徒化する奴が出るかもしれない」


 たとえその現場が東京……いや、日本でないにしてもそれくらいの影響は出る。今日の電車だって点検という事で止まっていたくらいなのだから。本来なら、それでさえ危機感が足りないと言わざるを得ない状況だろう。


「あの……ミナミさんは信じてるの?」

「……ここまで調べても半信半疑ってところかな。さんざん非常識な身内を見てきた身だけど、情報だけで信じるには荒唐無稽が過ぎる」

「だ、だよねー」

「だけど、答えは明日出る。明日までならとりあえず信じてみて、あとから笑い飛ばしてもいいだろう?」

「…………」


 こうは言っているが、ミナミさんは信じてる。ただ明確に実感が伴わないから半信半疑と言ってるだけだ。


「もし爆発するとして……いや、怪人なんて変な存在が今後現れるようになったとして、どうすればいいのかな」

「ははは、一介の女学生にそんな事を聞かれても困るな。今回の件だって、姉が関わってたら嫌だなと思って調べただけだし」


 こんな話に関わっている可能性を疑われるなんて……どんな人なんだろう。姉ミナミ。


「じゃあこれまでに出たっていう怪人はどうしたの? 何かしらの対処はしたんでしょ?」

「ああ……そこら辺ははっきりしないんだ。曰く、時間が経てば消えた。曰く、軍隊が損害を出しつつも撃退した。曰く、謎のヒーローが颯爽と現れて退治した。どれも信憑性に欠ける話ばかりだった。……なんかしらの対処はしたはずなんだけど、はっきりとしない」

「ヒーローって……あれ? でも……」

「……そうなんだ。あの宣言で、その存在を仄めかしている部分がある」


『我々怪人は人類を超越する者であるが、一方的に滅ぼすつもりはない。諸君らは同様に超越者であるヒーローに縋り、我々を滅ぼす事もできる。その舞台は整った』


 ……そうだ。確認した動画ではそんな事を言っていたはずだ。何度か見たから間違いはないと思う。


「怪人相手に立ち上がる英雄的行為を指してのヒーローかもしれないが、確かにそういう映像記録もあるんだ。怪人なんて存在を前提にするなら、そのカウンター的な存在がいたって非現実的な存在が一つ増えるだけともいえる。もしそんな存在がいたとしても、無条件で人類の味方をしてくれる正義の味方を期待するのは都合が良過ぎる気もするけど」

「とりあえず、そういうヒーローが助けてくれる事を期待する以外にないと」

「そうなる。……だから頭が痛いんだよね。能動的にできる事が一切ない。避難という選択肢すらとれないんだ」


 調べて分かったのは非現実的で絶望的な状況だけ。その状況に対処する手段はなく、ヒーローなんているかどうかも分からない、謎の存在に助けてもらう事を期待するしかない。……不安になっただけだ。


「だから、不安を共有する仲間が増えて嬉しいよ」

「気になって寝れなくなりそう」


 グースカ寝てる阿古がちょっと羨ましかった。


「どうせなら、集めた怪人とヒーローの動画の鑑賞会といこうか。信憑性が深まって眠気覚ましになる」

「あはは」


 笑えない話だった。

 動画サイトにも件の動画はあるらしいが、半分以上は出所の怪しいジョーク動画らしいので、ノートPCに保存されたそれなりに信憑性のあるという動画を見る。あくまでそれなりで、確かなものは存在しない。

 見せられた動画はどれも現実感に乏しいものだったが、だからといってこんな動画を作る理由があるかというと疑問が残るものばかりだった。

 特にマンハッタンの通り魔事件の記録映像はパニック映画染みた半スナッフ動画となっていて、冗談では済まされないリアリティがある。

 そして、決定的なのは同じ状況を映した複数の動画が存在する事だ。撮影中に殺された人の動画と、それを撮影している人の動画がある。ご丁寧に死亡確認の映像まで込みである。

 吐き気のするほどのスプラッタな映像なのに、湧き上がってくるのは嫌悪感よりも恐怖だ。こんな怪物が今も裏で胎動していて、それが表に出てくると?




-3-




 結局、その夜は寝れないまま朝を迎えた。

 阿古は誰よりも早く寝てたし、ミナミさんもなんだかんだで明け方には眠っていたが、私は眠れなかった。


「んお? 明日香起きるの早いね」

「……まあね」


 結果は昼になれば分かる。それが真実でも怪人を名乗る正体不明な存在の盛大な妄言でも、私がどうこうする事はできない。それは分かっているが、だからって無視して安眠できるほど神経は太くなかった。

 ミナミさんのPCを使って海外の情報を調べ始めたのも原因の一つだ。私が知っているような有名なニュース番組ですら、この話をある程度真剣に取り上げていた。しかもその際に使われた資料の内の一つが、昨日のスナッフ動画を流用したと思しきものだったのだ。

 調べれば調べるほど信憑性が増していく非現実。むしろ日本だけが非現実なんじゃないかと思い始めるほどに、世界は怪人の情報に溢れている。寝不足で頭が茹だっているのかもしれない。この際、ドッキリでもいいから冗談と言って欲しかった。


「あー、電車に影響出てるねー」


 阿古が運行状況を調べてくれたらしい。現時点では臨時ダイヤになっている線は多いものの、動いてはいる。

 だが、このまま帰っていいものだろうか。例の件が嘘にせよ真にせよ、明日以降帰ったほうが確実だろう。途中で止まったりしたらシャレにならない。特に用事があるわけでもなし、阿古がいいというのならもう一晩泊めてもらったほうがいいだろう。なんならミナミさんにお願いすれば、嫌とは言わない気もする。

 母に電話すると、両親ももう一泊するとの事。車だから電車の影響はないはずだが、世間様の空気が危うい事に気付いたらしい。自宅に兄を一人放置する事になるが、アレは数日家に誰もいなくても気にしないだろう。気付かない可能性すらある。

 というわけで、もう一泊する事にした。阿古の家でも問題ないとの事だったが、気分を変えるという事でミナミさんの家に招待してくれた。どこにも出かけるつもりはなかったが、広い屋敷はちょっと現実離れしていて観光気分だ。あのお風呂だけでも来たかいがあったと思う。


「そろそろ時間だけどさー、爆発すると思う?」


 阿古だけが呑気だった。正午が近付くにつれて、私もミナミさんも気が気でなくなって来たというのに。

 気が紛れるようにと台所を借りて料理を始めるが、それでも落ち着かない。気が付けば、正午前には昼御飯の用意は終わっていた。


「……悪い、せっかく用意してくれたけどあとで。ちょっと、設置したルーターの様子見てくる」


 例の回線を使うために阿古の部屋に中継器を設置したのだが、接続状況が思わしくないらしい。ただ、おそらく機器の問題ではなく接続先の問題なのだろう。すでにスマホからのネット接続は国内ですら困難な状況なのだ。

 正午を過ぎる。テレビ放送に変化はない。生放送らしい番組ではその話題も出ていたが、情報が入っていないのかやっぱり愉快犯だったのかという反応である。……現時点では平穏だ。臨時ニュースすら流れていない。だが、阿古の部屋から戻って来たミナミさんの表情は芳しくなかった。座り込むなり頭を抱えている。それだけでもう良くない状況だと分かるが、聞かないわけにもいかない。


「ミナミさん?」

「……あー、とても悪い話題といい話題があるが、どっちから聞く?」


 むしろいい話題があるのかという話なんだけど。


「……じゃあ、悪い話題から」

「確認できただけで三箇所、巨大な爆弾らしきものが降って来たらしい。まだ爆発はしていないが、現地はクレーターができるほどの被害だそうだ」

「え……マジで?」


 呑気に構えていた阿古の顔がとうとう引き攣った。


「えっと……降って来た?」

「投下型の地中貫通爆弾……イギリスのグランドスラムが名前の元ネタという事だろう。着弾を許しただけで大被害だ」


 なんだそれは。その元ネタは知らないが、降って来ただけで被害が出るんじゃどうしようもない。


「つ、つまり、怪人は英国紳士だった……。あ、すいません。なんでもないです」


 阿古が空気の読めない冗談を飛ばしたが、それを受け取る余裕はなかった。


「じゃ、じゃあいい話題は?」

「……ヒーローと思われる正体不明の存在が、爆弾と戦っているらしい」

「???」


 予備知識のない阿古の頭にハテナが浮かんでいる。いや、私だって意味不明だが。


「ヒーローはともかく、爆弾と戦う? 壊すとかじゃなくて?」


 破壊しようとしているのか、それとも爆弾自体が動くのか。爆弾怪人と言っていたから、自爆する怪人なのかもしれないが。


「私だって意味が分からない。映像もないんだ。それどころか、相手先のサーバーが軒並みダウンしてて続報が手に入らない」


 責めてるわけじゃないが、ミナミさんは追いつめられたような表情を見せる。

 同時に複数、それも降って来る爆弾と、状況は想定していたよりも悪い。……悪いが最悪じゃない。正体不明とはいえ、それに対処しようという存在はいるのだ。どうせ何もできないなら、そのヒーローにすがるしかない。


「とりあえず、中継器は問題ない。使える経路とサーバがないか、なんとか調べてみる。阿古君、テレビとラジオを点けっぱなしにしておいてくれ」

「わ、分かった。え、えーと、他には何か……避難とか」

「どこに降って来るか分からないのに?」

「あ、あーそうか……えぇ……めっちゃヤバイよ。何これ……」


 阿古の反応は今更だが、それをどうこう言う気もなかった。私たちだって大して変わらないのだ。


 それから続報のない状況が続く。テレビは相変わらず何も報道していないし、ネットも繋がらない。辛うじて姉ミナミさんの回線を使えば繋げるサイトもあるが、そこに情報があるとは限らない。あってもその信憑性を確かめる方法はない。

 一時間ほどして、テレビで臨時ニュースが流れる。海外の一部地域で謎の爆発というだけで、映像もない上に怪人云々の情報もないものだ。ただ、これでようやく日本でも情報が出回った。ネットの混雑状況を合わせれば、推測でも正解に至る人もいるだろう。

 しばらくするとスマホや携帯の電話機能が使えなくなった。災害掲示板は利用可能だが、そこも電話が使えない事への文句ばかりが書き込んであって有用な情報はない。現時点で国内の被害はないのだから、安否確認も意味がない。

 電話線が断線したわけでもないので、固定電話は使えるらしい。ミナミさん宅の電話は結構な頻度で鳴り響いていた。私も、父の実家へ電話して安否を伝えておく。

 臨時ダイヤから更に本数は減ったが、現時点でも交通機関はなんとか動いているらしい。直接被害があったわけでもないから運行には問題ないだろうが、今日の朝に帰ったとしても家に辿り着けたかどうかは分からないような状況だ。

 夕方になる頃には外から剣呑な雰囲気が伝わって来るようになった。どこからか情報が拡散したのか、それとも単に不安が伝染したのか、もしくは何も分からない事への不満を募らせているのか。


 とうとうテレビで映像付きの情報が流れた。爆弾は人の形をしており、変な格好をした人たち……多分ヒーローがそれと戦っている。幸い爆発には至らず事前に食い止めているようだが、映像で見る現場は瓦礫の山でとても無事と言えるような状況でなかった。

 情報は断片的で、一体どれだけ爆弾が投下されたのかは分からない。ひょっとしたら日本のどこかでも同じような光景が繰り広げられているのかもしれない。

 そもそもの話、これはいつまで続くのか。まさか、これからずっと爆弾が降って来るかもしれない状況に怯えるのだろうか。ヒーローがいたとしても、そんな生活で社会を維持できるはずがない。


「か、買い出しとか行ったほうがいいんじゃないかな。ほら、流通に影響あるかもしれないし」

「やめておいたほうがいい。みんな同じような事を考えてるだろうし、この雰囲気の中ではいつ暴徒が出るかも分からない。幸い、ウチには備蓄があるから、一月くらいはなんとでもなる」

「や、やっぱりそういう危険あるかな?」

「過去の災害ではあまりそういう話は聞かなかったが、用心はしておいたほうがいいだろうね」


 現時点で特別必要ないなら、やめておくのが無難だろう。


「それより、戸締まりしたほうがいいかも。爆弾には意味ないだろうけど、変な人が出るかもしれないし」

「……そうだね。阿古君は自宅の戸締まりを、悪いけど明日香君はウチの戸締まりを手伝ってもらってもいいかな。今は母しかいないから手が足りない」


 この屋敷広いのに、お手伝いさんとかいないんだ。いや、いるほうが珍しいと思うけど。

 そうして普通に戸締まりできる範囲では雨戸や鍵などを閉めておく。結構な重労働だったが、何かしていたほうが気が紛れるのも確かだった。そして、全部閉め終わったところで玄関の向こうから阿古が叫んでいるのに気付いた。


「しまった……締め出してしまった」


 ミナミさんも案外抜けたところがあるのか、それともこの状況だからなのか。

 場の空気を読んでわざと締め出したなら大したものだと思うが……ないかな。


「もーひどいよ」

「ごめんごめん」


 玄関は普通の鍵だけなので、開けて阿古を中に入れる。

 そりゃここはミナミさんの家で阿古は自宅にいてもいいのだろうが、戻って来て締め出されていたらショックを受けるかもしれない。


「ママもって言ったけど、パパが帰ってくるまでは家で待つって。一応定期的にここの固定電話に連絡もらうように……どしたの?」


 隣を見れば、ミナミさんが空を見上げていた。


「あ……ああ……」


 怯えるような声を出しつつ、後ろへと倒れ込む。

 ……嫌な予感がした。遠くから聞こえてくる無数の悲鳴が、予感を確信へと変えていく。

 それを確認したくなかった。あまりの恐怖で座り込んでしまいたかった。だけど確認せずにいる事もまた恐怖で、恐る恐る空を見上げてしまった。


 そこにあったのは絶望だった。

 遠近感が狂うほどに巨大な、遥か遠くなのに目視できるほどに巨大な物体が、雲を突き抜けて落下してくるのが見えた。

 見なければ良かったと後悔した。こうして絶望を突き付けられても、何もできない。ただ、落下したら目を覆うほどに大被害をもたらすであろう巨大質量が落ちて来るのをただ見上げるだけ。……あまりに無力だった。

 その数秒はとても長く、永遠に思えるほどに引き伸ばされて感じていた。あるいはそれは走馬灯と呼ぶものなのかもしれない。

 爆弾らしきものが落ちて来ているのは遠くだ。目視できるにしてもそれは対象が度を超えて巨大だからであって、距離にすればかなり離れているだろう。しかし、同時にそんな巨大なものが落ちて来ればそれだけで東京が壊滅するのも想像できた。

 着弾の衝撃で、あるいは副次的な要因で死ぬかもしれない。逆に死なない可能性だってあるが、それは楽観というものだろう。アレを目にして尚死を意識しない者などいない。そう断言できるほどに、それは暴力的な姿をしていた。

 一瞬、街中から響いていた悲鳴が途絶えた。みんなが諦めたのか、耳に入らなくなっただけなのか、それとも時間感覚が引き伸ばされているに過ぎないのか。判断もできない。

 ……抗う事もできず、ただ静寂の中で死を待っていた。


「ひか……り?」


 急に引き戻された現実の中で、絶望を貫く光を見た。

 一つではなく複数。流星の如く降り注ぐ光の色は眩いばかりの銀。

 私にはそれがとても美しく、そして何故だか懐かしいものに感じていた。




-4-




 そうして、世界を騒がせた事件は終わりを告げた。

 あの時東京に落ちてきた爆弾は空中で爆発。その規模も思ったほどではなく、不発と言っていいものだった。


 それから三日ほどはミナミさんの家に滞在する事になったが、アレ以降爆弾が降ってくる事はなかった。それは日本だけでなく世界全土の事で、あの時同時に落ちた六発の爆弾が最後だったらしい。

 あとから知ってゾッとしたものだが、その六発の内三発はここ東京が落下地点だったとの事だ。それまで世界各地でランダムに落下していた爆弾が、最後だけ集中していた。その事実は、ひょっとしたら東京を壊滅させる事が本命だったのではないかという疑惑すら呼んでいたが、真相は誰にも分かるはずがない。

 あの日見た銀の光の正体も分からないまま。ヒーローとやらの攻撃なのかそれとも別のものなのか、これも答えは出そうにない。確かなのは、あの光が東京に降下して来た三発の爆弾を貫き、その直後に破裂したという事実だけだ。


 また、世界の複数箇所で、着弾だけでなく実際に爆発した場所があったらしい。爆発した場所はどこも想定されたほどに深刻な被害ではないという話だったが、決して無傷ではない。現場の跡地や爆発の瞬間を捉えた映像を見て、アレがもし東京で再現されていたらと全身が冷たくなる思いがした。対岸の火事ならそれでいいと言ってはいけないとは思うが、それでも自分の身に降りかからないで良かったと思ってしまうのは浅ましい事なのだろう。

 ……だけど、アレを見てどれだけの人間が自分を保っていられるというのか。少なくとも、私には代わってあげたいと思う事はできない。




「じゃあまたね。一応到着した旨は連絡するように」

「阿古もまた。ミナミさんも」

「……参考になるかどうかは怪しいが、怪人の目撃情報は人目が少ない場所が多いらしい。爆弾が降って来るのが終わったからといって、危険がないわけじゃないから気をつけて」

「あー、そうだね。……そうなんだよね。うん、それじゃまた」


 そうして、私は一人家路を歩く。電車は未だ臨時ダイヤではあるが、ほとんど平常時のものに戻っていた。


 私は電車に揺られながら、この数日間の事を思い出していた。

 怪人、ヒーロー、これまでなら荒唐無稽と笑い飛ばすような存在が表へと現れた。

 そんな存在は非常識だ。その気持ちは未だ変わっていない。私の世界は決してあんな非常識を許容するものではなかったはずなのだ。

 だけどあの日、あの爆弾を貫く銀光を見た瞬間、世界は終わりを告げたのだと思う。

 常識的な世界は死に、代わりに非常識な世界が生まれた。

 私は……私たちはきっと、これから非常識な世界で生きていくのだ。やがて、それが常識へと変わるその日まで。


 世界は回り続ける。

 昨日の常識は今日の非常識に塗り潰され、それも新しい非常識に移り変わっていく。

 後の世界から見れば、これはただの変換期の一つにしか過ぎないのかもしれない。

 そうやって、人の世界は続いて行く。姿が変わろうとも変わらず世界は回り続けるのだろう。

 ……そんな事を考えていた。







「ひでおー、ひでおーっ!! いい加減、一度くらい顔を見せてちょうだいっ!!」

「ただいまー」


 家に帰ると、母がドアに向かって叫んでいた。両親が実家から帰って来たのは昨日のはずなのに、もう日常に戻っている。多分、父も仕事に行っているのだろう。


「こら英雄っ!! ドアを蹴るんじゃないのっ!! ……あ、おかえり明日香。大変だったわね」

「……ほんと死ぬかと思った」


 母も分かっているだろうが、比喩抜きの話だ。改めて考えても冗談じゃない。


「お父さんは仕事?」

「爆弾が東京に落ちかけたってニュース聞いて、お父さん卒倒しちゃってね。実家近くの病院に入院してるの」

「えぇっ!?」


 いないのは仕事に行ったんじゃなく入院してるの!?


「だからってわけじゃないけど、親の見舞いくらい顔出しなさいって言っても、あの子は引き籠もったままなのよねー。世間ではあんな事があったのに、何も変化なしってのは逆にすごいと思うわ」


 あんな事があったあとでも変わらない母のメンタルもすごいと思うわ。


「実は中で死んでるんじゃないの?」

「御飯は運んだらいつの間にかなくなってるし、声かけたら反応するから生きてるとは思うけど、ここしばらく顔も見せないのよね。ドアに聞き耳たてても生活音しないから、正直ちょっと不安なんだけど」

「そういえば、私の部屋の壁越しだと結構声や物音聞こえるかも。何言ってるのか分からないけど」


 以前はロクに聞こえなかったが、ここ数ヶ月は会話をしているのが分かる。

 多分、新しいゲームを始めたか何かでボイスチャットをしているのだと思うのだけど。


「あらそうなの? じゃあタイミングが悪いとか……いや、あの子の事だからドアを防音加工してるって事も……」


 どんだけだ、と言いたいところだけど、あの馬鹿兄貴ならやりかねないのが恐ろしいところだ。


「まあ、あの子は駄目元だったからいいわ。あんたはお見舞い行くでしょ?」

「あ、うん。一度荷物置いてくる」


 二度と戻って来れないかとも思った自分の部屋に入ると、フッと力が抜けた。

 もうとっくの昔に緊張は解けたと思っていたのに、勘違いだったらしい。そんな事が分からなくなるほどに、ここ数日は緊張が続いていたという事なのだ。

 ふと、兄の部屋の方から音がした。何やら会話しているように聞こえるが、詳細は分からない。兄は玄関や廊下に監視カメラを仕掛けているから、母がドアの前にいる時は音を立てないようにしているのだろう。

 そういえば、私もしばらく顔を見ていない。数ヶ月、いや一年くらいかもしれない。自分の兄なのに、そろそろ顔を忘れそうだ。


「明日香ー。そろそろ行くわよー!」


 階下から母が声をかけてくる。随分長い間ボーっとしていたらしい。慌てて机の上に荷物を置き、そのまま外に出ようと……。

 ……出ようとしたところで不思議な感覚を覚えた。

 試しに再度部屋の奥へ行き、入り口前まで戻って来る。それを何度か繰り返した。


「……どういう事?」


 かすかに聞こえている兄の声らしき音が、入り口近く以外では聞こえなかった。単に話が途切れたのかとも思ったが、不自然なほどに入り口近くだけで声がする。壁の方向を見れば、物置として使っていて滅多に開けない備え付けのクローゼットがある。

 ……穴でも開いてる?


「明日香ーまだー?」

「はーい!!」


 ……不思議だが、特に気にするような事でもないか。

 今はお見舞いに行かないといけない。小心者の父だが、娘の顔を見ればきっと元気になるだろう。




 あの日、世界は非日常に塗り潰された。

 だけど、この時の私にとって世界の非日常は未だ遠く、夢幻のようなものに感じていたのかもしれない。

 実のところ非日常は予想以上に私の世界を侵食していて、その事実に気付くまでにそう長い時間は必要としなかったのだ。



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