第八話「悪臭怪人ワキノス・メル」




-1-




 地下鉄東西線。千葉県と東京を繋ぐこの路線は通勤ラッシュ時、非常に混雑する。

 もはや何かの競技なのかと思えるほどに激しい人の密度は、時に呼吸さえ困難になるほどだ。

 この人間の可能性の限界まで詰め込まれた車内にもし凶悪な悪臭を放つ何かが出現したら、どうなってしまうのか。


『ふぁふぁふぁ! 貴様らにもワキガの苦しみを味わわせてくれるっ!!』


 突如満員電車の内部に出現した男は一見ただの汚いおっさんに見えるが、現在世界を騒がせている怪人である。

 悪臭怪人ワキノス・メル。名前からして極悪だ。特に、この限定された状況では比類なき悪夢を実現する。

 そこに立っているだけで悶絶するような悪臭。漂う臭気は究極にまで煮詰めたかのようなワキガのそれだ。換気こそされていても、密閉された空間では限界がある。

 当然、車内はパニックである。死人こそ出ないが、もはやバイオ・テロと大差ない。


『助けてくれー!! 駅員さーんっ!!』

『おえっ!!』

『開けて! ドア開けて!!』


 少ないスペースを求めて車内で逃げる人々。限界を超えた人口密度で一体どこにそんな隙間があったというのか、怪人の周りにスペースができる。怪人の近場にはすでに気絶している者もいる。

 罪もない人々が何故こんな理不尽な目に遭ってしまうのか。そんな事を考える余裕すらない。


『ふぁふぁふぁ! この《 拡散・ワキガ臭 》をくらえーっ!!』


 ワキノス・メルの体から見るからに臭そうな汚い黄色のガスが放たれた。ただでさえ悪臭の充満していた車内は地獄絵図と化した。


『そこまでだっ!!』


 そんな中突如として現れる謎の存在。銀タイツとマントに身を包み、仮面を着けたマッチョマン。あきらかに変質者だったが、周りはそれを気にする余裕もない。


『貴様、何者だ!』

『ワキガに名乗る名前はないっ!! 喰らえー!!』


 銀タイツは悪臭にも怯まずに怪人へと接近し、強烈なパンチをお見舞いした。


『ぬわあああっ!! ば、馬鹿なーーっ!?』


 壁へと叩きつけられた怪人が爆発した。見た目こそ派手だが、至近距離で喰らわなければ死ぬ事はない程度のものだ。密閉した空間故に怪我人は避けられないが、怪人を倒すためには必要な犠牲といえる。


『ふ、悪は滅びた。皆さん、これでもう大丈……』

『うわ、なんだこれは!? くさっ!!』


 勝ち誇るように乗客へと語りかけるヒーローを遮るように、騒ぎを聞いて駆けつけた乗務員があまりの惨状に声を上げた。


『ああ、もう大丈夫です。怪人は倒し……』

『え、駅員さんっ!! この人です。この銀タイツは人殺しです!!』

『は?』


 状況を説明しようとする銀タイツを指差し、一人の乗客が叫ぶ。状況を飲み込めない乗務員は怪訝そうな目で銀タイツを見た。

 混乱する車内。立ち込める度を超えた悪臭。割れた窓ガラスと焦げた壁や床。そこに誇らし気に立つ銀タイツのマッチョマン。意味不明な惨状だが、この場で怪しいのは……どう考えても銀タイツだけだった。


『ちょ、ちょっと話を聞かせてもらえるかな』


 乗務員の声が震えているのは仕方ない事だろう。むしろ、ここでちゃんと行動できるあたり、職場意識のはっきりした良い職員といえる。普通なら暴漢の疑いがある銀色のマッチョボディと関わり合いになりたくない。


『ち、違う。俺はただ怪人を……』

『怪人ってなんだよ』

『汚いおっさんしかいなかったぞ』

『こいつが、車内にいたおっさんを殴り飛ばして爆発させたんだっ!!』

『爆発って……』


 おっさんとやらの姿はないが、確かに焦げている。


『ええい、こんなところにいられるか。俺は帰らせてもらう!!』

『君! 待ちたまえ、そんなかっこうで』


 制止する乗務員を無視して消える銀タイツ。残された者たちは状況を理解できず立ち尽くしていた。

 その後、監視カメラの映像や乗客の証言で銀タイツは凶悪殺人犯として指名手配を受ける事となる。

 僕らのヒーロー、マスカレイドの誤解が解けるのには今しばしの時間が必要となりそうだ。

 そしてそれは、急増する怪人被害へのほぼ唯一と言っていい存在を失う事へと繋がるのである。





-銀光仮面マスカレイド・完-




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「……とまあ、こんな感じになるのが想定される最悪のケースだな」


 阿鼻叫喚で悪臭を放つ怪人から逃げ惑う人々の映像を見つつ、マイクの向こう側にいるミナミへと説明した。

 心は痛いが、今出撃するわけにはいかないのだ。


『……はあ。説明されればありそうな気もしますが……なんというか、それ以上にツッコミどころ満載な気が。特にマスカレイドさんの性格とか口調とか……。というか、終わっちゃいましたよマスカレイドの番組』

「そこはフィクションだから。だけど、ありそうだとは思わんかね?」


 銀光仮面マスカレイドなんて番組は存在しない。あくまでフィクションである。終わったのもフィクションだ。

 ……フィクションだが、怪人が出現したのは現実だ。画面の向こう側では、放置された悪臭怪人がワキガの臭いを蔓延させて乗客を苦しめている。

 奴の名は悪臭怪人ワキノス・メル。今回東京から千葉にかけて走る地下鉄東西線の車内に、突如出現したランクCの怪人である。

 ただ立っているだけでも強烈な悪臭を放つ怪人で、必殺技である《 拡散・ワキガ臭 》は数キロという広範囲に渡り極悪なワキガ臭を放射するらしい。その臭さはおよそシュールストレミングの数十倍~数百倍。ある程度臭いに耐性を持っていようが、ひとたまりもないだろう。

 直接的な攻撃は行わない。あくまで臭いだけで被害を拡大する、ある意味無害な存在だが……恐ろしい怪人だ。これほど近寄りたくないと思わせる存在はなかなかいない。


 この怪人の出現報告をミナミから受け、俺がとった行動は放置だ。理由はいくつかあるが、主な懸念はさっき説明したフィクションの通り。俺が危険視していた条件を見事に揃えて出現したあいつは、現時点で手を出す事のできない最悪の敵なのである。

 人間と見分けが付かず、暴力以外の被害を周りに撒き散らすが基本的には無害で、二次被害を考慮しなければ死人も出ない。そして極めつけは人目だ。目撃者が多数の状況で一方的に怪人を倒す事は、理解してもらえない可能性が高い。

 怪人のニュースは世界中で見かけるが、現時点でヒーローの話題はほとんどないといっていい。特に日本はそれが顕著で、怪人すら夢物語の類だと疑わない者ばかりである。当然怪人の特徴なんて認知されていないから、爆発すればヒーローを殺人犯呼ばわりする奴が出て来るかもしれない。


『そうなる可能性があるのは否定できないですね。少し考え過ぎな気もしますが……』

「そうかもな。……だから様子見だ。幸いというかなんというか、出現履歴を見る限り大した被害は出ないだろうし」


 こいつが出現したのは初めてではない。数日前にイタリアで出現し、同じように放置された。イタリアの担当ヒーローが俺と同じ懸念を抱いた結果なのか単に手が回らなかったのかは分からないが、その際に大した被害は確認されていない。重軽傷者はいたようだが、少なくとも死者はゼロだ。今回だって、あまりに被害が出るようなら出撃するつもりで待機している。


「……まあ、東西線をご利用の方々には迷惑極まる話だが、一時間くらいは我慢してもらおう」

『トラウマになりそうですけどね』


 長時間放置された場合怪人は撤退し、わずかな期間を置いて別の場所に再出現する。撤退までの時間、再出現までの時間に差はあるが、これは共通のルールらしい。だから、倒さなくてもあいつが延々と悪臭を放ち続ける事はない。

 履歴によるならおよそ一時間程度で撤退するらしいので、その間東西線はストップし、会社員は遅刻扱いされるかもしれない。経済的な損失は大きいという想像も付く。ただ、それは怪人がいなくても有り得る事だ。


『放置するって聞いた時は耳を疑いましたけど、ただ面倒だとかアレに近寄りたくないからって理由じゃなくて安心しましたよ』

「……HAHAHA、そんなハズないだろ」


 近付きたくないし触りたくもないというのは本音だが、懸念している理由も確かである。だからいいのだ。


 というわけで、撤退までの時間、俺とミナミは現場を監視していたが、パニックによる怪我人は出たものの重症者や死亡者はゼロで終わった。

 東西線は半日以上運行を停止し、以降もこびり付いた悪臭に悩まされるだろうが、そこは諦めて欲しい。

 ……そこら辺は俺が出撃したとしてもどうしようもない。




-3-




 監視のあと、直前まで続けていた超時間のかかるゲームのオンライン対戦へと戻った。


「あのさ……疑問に思う事があるんだけどさ」

『なんですかー。答えるんで、ジャガーラッシュ止めて下さい。なんで引き籠もりなのに超速攻型なんですかー』

「お前……モンちゃんからジャガーラッシュ取ったら何が残るんだよ」


 ターン制故に空いた待ち時間で、マイクの向こう側にいるミナミに話題を振る。速攻の嫌がらせを止めるつもりはない。


「怪人のプロフィールにさ、怪人ランクってあるだろ?」

『あー、お仕事の話ですか。はいはい、ありますね』


 ミナミは根っこ部分こそサイバーテロリストという暗黒面を抱えているが、表面的な部分は十代女性のものといっていい。

 必要なければだらけているが基本的に真面目で、自分から望んだものでないにしても与えられた役割はこなそうとする。この場合の役割というのは、ゲームの対戦相手ではなくヒーロー付きのオペレーターの事だ。


「アレ、何が基準になってるか知ってるか? 単純に戦闘力だけじゃないよな」


 最初はマスカレイドが強過ぎて測れないだけかと思っていたが、ここまで戦った経験からして同ランクの怪人同士で差があり過ぎるような気がするのだ。

 今回の悪臭怪人の場合は戦闘力は低くランクもCだから順当といえるが、たとえば過去に戦った氷河怪人と加虐怪人、あいつらは同ランクだが同じ強さとは到底思えない。


『詳細は知りませんが、大雑把には。アレはようするに危険度です。戦闘力、好戦性、能力の種類やその範囲、活動時間、そういった諸々の情報から、どれくらい人類社会にとって危険かを指し示すランクですね』

「その危険っていうのは、命に関わるかって話?」

『それが最優先の基準らしいですけど、直接命に関わらない影響や二次被害も加味されています』


 大体予想通りだった。つまりヒーローにとっての強敵度合いではなく、社会にどれだけ悪影響をもたらす危険があるかが基準ってわけだ。


『たとえば、被虐怪人は致死性こそ低いものの強烈な伝染力を持つウィルスを保持しています。使いようによっては短時間で都市一つを機能不全に陥れる事も可能ですから、ランクもAなんです。もちろん、戦っても強いはずなんですけどね。戦闘が長引けばヒーローもマゾになる危険がありますし』

「良く考えたら、恐ろしい奴だったんだな」


 善意のサラリーマンのおかげで食い止める事ができたが、あのまま電車に飛び込んでいたら未曾有の大惨事が発生していただろう。マスカレイドの超パワーを知った今でも正面から戦いたくない。一撃で倒さないと俺でさえ大変な事になってしまう。

 そして、周囲への被害が大きくなるタイプが被虐怪人だとするなら、加虐怪人は逆に戦闘力特化だ。ダメージを与える事で自分が際限なく強化されていく能力は、シンプルかつ強力な能力である。マスカレイドの超装甲の前には無意味だったが、初期状態で廃ビルを両断するような攻撃力が際限なく強化されていくというのは分かり易い脅威といえる。


『単純な戦闘力なら氷河怪人が飛び抜けてますね。アレはマスカレイドさん以外のヒーローだと、苦戦必至でしょう』

「まあ、俺もピンチだったからな」

『ピンチの意味は違いますけどね』


 真の意味での脅威は大自然なわけだが、他の怪人と比べるなら氷河怪人メガトン・グレーシャーも強者といえる。

 あいつの能力 グレーシャー・アーマー は、周囲の水を巨大な鎧に変えるという攻防一体型の強力なスキルだ。マスカレイドのパワーなら一撃で粉砕可能だが、それは規格外のマスカレイドだからであって、本来あの氷の壁を破るのは至難の業だろう。でかい、重い、硬い、見た目以上に俊敏、ついでに環境も手伝って極悪な性能と化している。水さえあれば復元できるらしいし。ほとんど戦闘力のみでAランクというのも頷ける。


『私見ですが、他にも発見が困難とか、超速再生を繰り返すとか、ヒーローを無視してひたすら一般人を殺害して回るとかもランクが上がりそうですね』


 軍隊規模の戦力を投入しないと足止めもできないんだから、どの怪人だろうが人間にとっては等しく脅威だ。

 戦闘力よりも厄介な能力や特性が脅威度として重要視されるのは当然ともいえる。


『実例で言うなら、過去に政治的な重要拠点……ホワイトハウスを狙った怪人がいましたが、アレは能力を無視してもAランクでしょう』

「たしかニュースにもなってたな」


 対応にはかなり時間がかかっていたはずだ。表向き軍隊が倒した事になっているが、おそらくアメリカのヒーローが対応したのだろう。

 世界への影響を考えるなら、無差別に暴れるよりもよっぽど怖い相手といえる。


『逆に、すごく弱いけど大量に分裂する怪人などは、ヒーローだけでの対処は難しいものの低ランクじゃないですかね?』

「人間が対応可能な戦闘力って前提が付くならそうだろうな」


 街中に大量展開されればヒーロー単独による殲滅は難しいだろうが、人海戦術を取れるなら話は別だ。困難でも人間だけで対処可能な怪人なら低ランクと思っていいだろう。となると悪臭怪人の低ランクの説明は付くのだが、似たような性質の能力である被虐怪人がまた驚異的な存在であると実感させられる。四天王を名乗るには理由があったというわけだな。……サラリーマン相手に自滅したけど。


『とまあ、ランク付けの採点方式は分かりませんが、評価基準は色々あるみたいです』

「やっぱり、ランクの情報を当てにして出撃を決めるのは駄目っぽいな」

『マスカレイドさんなら倒せない怪人はいないと思うし、担当区域……日本に出現した場合はとりあえず全部出撃しておけば問題ないと思ってたんですけどね。あの懸念はちょっと想定してなかったです』


 ……まさかこんなに早く条件が揃った奴が出て来るとは思わなかったが、その認識は多分アウトだ。

 世論との兼ね合いもあるだろうが、この先単純に成り行きで出動するわけにもいかなくなるだろう。


「やっぱり今回みたいな懸念も含めて、認識は合わせておいたほうがいいな。他のところは担当の神様やチームで方針を決めるんだろうが、ウチは少数精鋭な上に担当の神様は寝てばっかだからな」

『ヒーロー一名、オペレーター一名で少数精鋭を名乗っていいのかは疑問ですけどね。人員補強する予定もないですし』


 そこら辺は言ったもの勝ちである。間違ってもいないし。


「オペレーターって怪人の出現報告が主な業務なんだろうが、ミナミも事務的に怪人の出現報告だけするってのも嫌だろ?」

『はあ……そうですね』


 本来は神様との繋ぎやヒーロー間の連絡なども担当するのだろうが、その業務が増える予定はない。

 二人しかいないのだから、認識くらいは合わせておいたほうがいい。


「はっきり言うが、俺はヒーローの最大の脅威になるのは人間社会そのものだと思ってる」

『世論とか、そういった悪評って事ですよね? 現時点だと、怪人はともかくヒーローの存在はあまり認識されてませんが』

「時期的にそろそろだと思うんだが、意外と出回ってないよな。ヒーローの情報」


 ネット上に怪人被害のニュースや目撃談は見かけるが、ヒーローのそれは極端に少なく内容も曖昧だ。

 怪人と戦っていた。あるいは怪人らしきものと戦っていた。特に宣伝しているわけでも告知して出撃するわけでもないのだから当然ともいえるが、怪人の敵対存在という事を認識していない。一部、ヒーローの出動回数の多い大都市ではそういう話も広まりつつあるらしいが、それでも噂の域を出ない。実際はヒーローが討伐していても、怪人は軍隊や警察が対応しているというのが一般的な認識だ。

 ついでに言うなら、人間と見分けがつかない怪人はおそらく認識すらされてないのは大きな問題のような気もする。


「分かると思うが、ヒーローの情報が認知されると確実に出てくるのは賞賛の類、そして逆に誹謗中傷だ」

『……そうでしょうね。どれだけ完璧に対処しててもそれは出てくると思います』


 怪人の出現に合わせて出動するって事は、つまり確実に後手に回るって事だ。被害を抑える事はできても、それをゼロにする事はできない。


「自分の危機を救ってもらった大半の人間は感謝するだろう。だが、中にはどうしようもない部分まで踏み込んで叩く奴もいるわけだ」

『さっきのフィクションのように誤解を受けたり、もっと被害抑えられたんじゃないのか、なんで自分は助けてくれなかったのにそいつは助けるんだってところですか。……いそうですね』


 身勝手極まるが、事情を知らない者に正確な判断を求めるのは無理があるし、比較対象が存在するなら良いケースが目立つのは当然だ。

 ましてや存在が正確に認識されていない状況ではヒーローと怪人の区別も付き難く、一方的に暴力を振るっていると見られる可能性だって十分に有り得る。

 ミナミが気負わないようにフィクションとして説明したが、アレだって普通に有り得る話だと思っている。一回二回なら切り抜けられるかもしれないが、活動を続ける以上どこかでは必ず起きる問題だ。


「そういう負の意見は拡散し易い上に対処が難しい」

『なるほど、それで火消し役として私を採用したわけですか』

「違う」

『ありゃ、そうなんですかー。まあ火消ししろって言われても無理ですけどね』


 いくらウィザード級ハッカーだろうが、それは根本的に分野が異なる。一度出回った情報を完全になくす事はできないし、上書きし切れるものでもない。発信元が残るなら更に困難だ。多少なら隠蔽や改竄、偽装情報を流す事で対抗できるかもしれないが、それにも限度はあるだろう。ミナミに期待するような事じゃない。


「そこら辺は諦める。ある程度は開き直るしかない。ミナミにやってもらいたいのは基本的に情報収集だけで、今のところ能動的に動いてもらう気はないしな」

『えー、悪評流すような連中に報復しましょうよー。個人情報抜いて晒すとか』


 え、なんでそんなにノリ気なの……。普通そういうのは躊躇しそうなんだけど。


「よっぽどひどい相手には頼むかもしれないが自重しなさい。そもそも最初からそのつもりだったら、必須条件にしてる」

『そういえば、必須じゃなかったんでしたっけ』

「ウィザード級ハッカーなんて、本気で見つかるとは思ってねーよ」


 なのに、なんでその要求以上の危険人物が見つかってしまうのか。解せぬ。


『ふふーん、そこら辺は自信あるんで期待してくれていいんですよ。とりあえず、前もって報道関係者のスキャンダルネタでも整理しておきましょうか』

「だから活用する気はないんだが……足跡残さない自信あるんなら、準備はしておいたほうがいいかもな」

『ラジャー』


 まあ、何に使えるか分からないから、情報収集の一貫としてネタを集めてもらうのはいいだろう。

 ……いいのか? 本当に? すげえ不安なんだけど。取扱に困るような情報集めてこないよな。

 ……というかあれ? さっき整理って言ったような……あまり触れたくないんだけど。


「ちなみに頼んでた情報収集はどうなってる?」

『裏で収集・集計プログラム走らせてます。といっても表に出回っているヒーローの情報なんてほとんどありませんし、大した量はないんですけどね。マスカレイドさんなんて、目撃情報すらないんですよ』

「そりゃそうだろ」


 ここまで人目に触れるような場所で戦っていない。俺が日本担当のヒーローだと宣言してるわけでもないし、情報を流してもいないのだから。


「……脱線したが話を戻そう。今話しておきたいのはヒーローとしての活動方針だ」

『そうでしたね。失礼しました』


 情報収集は必要だが、それはあくまで下地だ。活動そのものではない。


「まず大前提として、俺は出現する怪人すべてを倒す気はないしその義務もない。神様からは全部スルーしてもいいとさえ言われている」

『え、そうなんですか?』


 ミナミは神様と会った事ないんだっけ。そこら辺に突っ込むとまた脱線しそうだが、個別に話す必要はありそうだな。


「ついでに言うなら、ジョン・ドゥをはじめとする悪の組織を打倒する必要性も感じていない」

『いや、ちょっと待って下さい。なんですか、その悪の組織って』


 そういやこれも話してなかったか。怪人が出なくて暇だからと対戦ゲームやってる場合じゃなかった。


「最終回直前にあきらかになる設定らしいが、とりあえずは脇に置いておく」

『一体なんの最終回なの……』

「本題は、俺は対処する怪人を選り好みするつもりだって事だ。あまりにデメリットが大きいと感じた怪人は無視する」

『……そのデメリットの基準はなんでしょう? 今回の悪臭怪人のように、完全な意味で条件が一致するのは稀ですよね?』

「その都度判断する事になるんだろうが、最大の基準はやっぱり怪人ランクだな」


 本当はランク関係なく判断したほうがいいんだが、被害無視して放置できるほど鋼のメンタルはしていない。


「放っておくと被害が拡大しそうな奴、危険な奴は無理してでも対処する」

『そうですね。そこを無視されると、日本国民として困ってしまいますし』


 マイクの向こう側にいる奴もかなりの上位に位置する危険人物なんだが、怪人ではないし一応除外する。


「逆に、大した被害の出なそうなものは基本的に放置だ。人目に付かない場所ならポイント優先で出動してもいいが、今回みたいな人口密集地かつランクの低い怪人は極力避けたい。最低でも世間にヒーローの存在が認知されるまでは」


 そうも言ってられなくなる気はするんだがな。

 悪臭怪人にしても狙ったように条件を揃えてきた以上、そこに何かの悪意を感じられてならない。

 ただでさえマッチポンプなのだ。運営の大元が同じな以上、どこかでテコ入れは起きると思ったほうがいいだろう。


『……マスカレイドさん、実は結構色々考えてますよね?』

「人を脳筋みたいに言うなよ」


 引き籠もりに頭の出来は関係ないし、怪人を一撃で仕留めるのもパワー過剰なだけだ。必要だったら頭だって回転させる。働くのは嫌だが、働かないために必要があるというのなら頑張るさ。


「とまあ、ウチの方針はそんな感じだ。……いくつか疑問は残ってるだろうが、神様と顔合わせしてからのほうが良さそうだな。疑問点があったらまとめておいてくれ」

『ラジャーです。……というわけでですね、そろそろ人の領地荒らすの止めてもらえませんか?』

「いけるいける、まだ頑張れるって。諦めんなよ」

『……もうズタボロなんですけど、ここから一体どうしろと』


 はっきり言うとどうにもならないが、足掻いてくれたほうがこっちは楽しいのである。




-4-




「……昨日やった格ゲーもそうだが、ミナミってあんまりゲーム得意じゃないんだな。ハッカーなのに」

『ハッキング技術には直結しないですし。あんまり周りにやる子いなかったんで、対戦プレイの経験が足りてないんですよね』


 そういや、最近まで花の女子高生だったな。一般的な女子高生が普段何してるのかは知らんが。


「まあ、暇だというならいくらでも付き合うが、対戦するにもせめて勝負になるくらいのものにしたいところだな。基本的なボードゲーム系は得意なんじゃないのか?」

『いや、あんまり。AI組んでいいならチェスとかは勝てそうですけど』

「暇潰しのために対戦してるのに、それは意味ない気がするぞ」


 こうして対戦ゲームに明け暮れているのは、ミナミの暇潰しに付き合っているに過ぎない。

 つい最近まで女子高生やってたミナミにはそういったノウハウがないのは当然だろうが、ベテランの引き籠もりであれば暇潰しの手段などいくらでも持っているし、そもそも暇だと感じる事すら少ないのである。

 かといってミナミを放置するといつの間にかサイバーテロが発生している事すら有り得るのだから、相手しないわけにもいかない。


「同僚……他のオペレーターはどうしてるんだ?」

『オペレーターって大体ヒーローチーム単位で担当する事が普通らしくて、そこそこは忙しいみたいなんですよね』


 それは仕方ないだろう。俺の場合、チーム組もうにも相手がいないのである。


『というかですね、そもそもの話、マスカレイドさん初心者相手に大人げないと思うんですよね。昨日やった格ゲー反省がてらリプレイ見返してみたんですけど、フレーム単位で反応してませんか? どこのプロゲーマーですか』

「ああ、アレはな……俺っていうよりマスカレイドの実力だ」


 普段過ごす分には何も感じないが、少し集中しただけでプロアスリートのいうところのゾーン状態に入れる。

 体感時間が異様に遅くなり、特に動体を捉える能力が飛躍的に向上する。それにも段階はあるが、六十分の一秒程度なら余裕で反応可能だ。

 この体にアクション要素あるゲームは正直反則だと思う。なのでターン制のウォーシミュレーションにしてみたのだが、このザマである。ミナミは事前練習としてかなりやり込んで来たみたいだが、対人戦はまた別なのだ。


『ヒーローの反応速度って事ですか。……オペのマニュアルには、なりたてのヒーローはむしろ向上した身体能力に慣れないって書いてありましたけど』

「慣れてないでコレなんだ」


 最初から思い通りに動かせたから勘違いしてたが、おそらくマスカレイド本来の実力はこんなものではない。

 一方的とはいえ、ある程度実戦を経た事で感じられるようになった違和感。体を動かす度に意識とのズレを感じている。筋力、反応速度、視力、あとは多分内臓の機能や自己治癒力など、超人染みた性能を発揮しているすべてが未完成だと分かってしまうのだ。

 必要かどうかは別としても、究極的には人間の限界どころか物理的な限界すら突破する事になるだろう。


「実のところ、マスカレイドの能力は10%も引き出せてないと思う」

『どんだけですか……』


 現状把握できている情報から推測する限り、この力のすべてを発揮する場面は訪れる気がしない。むしろ、どんな状況ならこの力が必要になるんだろうという感じだ。


『でも、元の姿に戻る気はあるんですよね? 慣れると大変じゃないですかね?』

「……そりゃな。ただ、戻らないわけにもいかない。元々引き籠もりだから誤魔化せてるが、穴熊英雄的には失踪しているのと同じだからな。代わりにこの部屋に住んでるマスカレイドは中身以外似ても似つかない別人だ」

『失踪なんて良くある事だと思うんですけどね』


 お前の基準で常識を語らないで欲しい。未だ言葉尻にときどき表れるズレっぷりにお兄さん恐怖しっぱなしなんだ。


『英雄ー!! ひーでーおーっ!! いい加減出てらっしゃい! 前外出てからどんだけ引き籠もってるつもりなの! 明日香だってもう高校生なんだし、駄目なお兄ちゃんでもせめて晴れ姿くらいは見てやろうって気にならないの!! ご飯は食べてるみたいだけど、そんな生活体にいいわけないんだからね!! お隣の一弘ちゃんなんてもう結婚して子供も生まれるんだから、あんたも今すぐそれくらい社会復帰しろとまでは言わないけど、少しはそういう努力を見せてもいいんじゃない? ハローワーク行くのが怖いなら、人づてに紹介してもらうから。お父さんの元同僚で佐藤さんっていたでしょ? あの人が埼玉で起業して最近軌道に乗ってきたって話だから……』


 ドアの向こうで恒例となった母親の演説が始まる。


『あ、あの……放っておいていいんですか? ちょっといたたまれなくなるんですけど』

「いたたまれないのは俺も同感だ」


 この体になって実感したが、会おうと思えば会える状況は心の平穏を保つのに重要な要素だったんだなと思う。

 引き籠もりを止めるつもりはないが、駄目な息子ですいませんって感じだ。


「とはいえあのドア開かないし、こっちから声も通らないからな。……ていっ!」


 マスカレイドパワーでノックをする。これは反応はしてますよー、聞いてはいるんですよーという合図のようなものだ。ただ、これでも強烈な威力なので向こうからは全力で蹴ったように聞こえるだろう。


『ひっ!! こら英雄っ!! ドア蹴るんじゃないの!! びっくりして心臓止まったらどうするつもりなの!! ううー苦しい……。英雄、早くドアを開けて救急車を呼んで……』


 急に苦しそうな声を上げるが、演技だ。監視カメラに映っている廊下にはピンピンしている母親の姿がある。


「元の姿に戻らないと母ちゃんの前に顔を出す事もできない。……さすがに心が痛いから、早めになんとかしたいところだな」


 ……いや、マジで。


『色々大変ですねー』

「すげえ他人事みたいだな」

『だって、今は一人暮らしですけど、ウチは家族円満ですし。引き籠もり云々はそもそもマスカレイドさんの問題ですし。いや、できる事があるなら多少は援護しますが、何もできそうにないですよね』

「……お前の息子は預かったって脅迫すれば、顔を見せなくても……いや、入れない事がバレるのはまずいな」


 警察の調査が入ったら被害者の部屋をチェックしないはずがない。隔離された謎空間である事がバレたら別の意味で問題だ。


『そもそもやりたくないです。なんで偽装誘拐の片棒担がせようとするんですか。……まあ、体を取り戻すために協力するのはやぶさかではないですけど。……目標は四月ですかね。妹さんが進学するっていう』

「……必要ポイント的に無理があるし、ちょっと厳しいかなーって」

『支援要請の範囲を広げて片っ端から怪人倒せばいいんですよ。寝ずにやればなんとかなりますって』

「やだよ、俺引き籠もりだし。無駄な労働したくない」

『また都合のいい時だけ引き籠もりになる。アクティブな引き籠もりだって言ったじゃないですか』

「必要な出撃はするから。……それにほら、ポイントで色々買いたいものもあるし」


 ……というか、元の姿に戻っても引き籠もり止める気はないしな。だから、少しくらいなら無駄遣いしても……。


『駄目だこりゃ……』


 そりゃ自他共に認める駄目人間だからな。……まともな神経してる奴はヒーローなんかやってられんだろ。



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